おままごと



「 ……何の真似だ?」
  帰宅早々あからさまな殺気を放つ如月に、それを向けられた村雨は苦笑して軽く肩を竦めた。
「 俺にキレるのはお門違いってもんだぜ。これをやれって言ったのは先生なんだからな」
「 龍麻が…?」
「 ああ、そうさ」
  村雨は深く頷いてから手にしていたフライ返しをちょいちょいと居間の方へ向けて笑った。どうやら村雨と龍麻以外にも来訪者がいるらしい。示された方角から聞こえてくる賑やかな話し声に、如月は心の中だけで舌打ちした。
  まったく、人の家を何だと思っているのか。
「 それで。村雨」
  しかし如月はすぐに立ち直ると目の前に立つ友人と真っ直ぐ向き直った。
  今は勝手に上がりこんだこの男を責めるよりも先に訊かなくてはならない事がある。
「 その格好も龍麻の命令なのか?」
  だから如月は簡潔に、そして無機的な声で質問した。
「 ハッ…」
  すると村雨は鼻で笑うと軽くかぶりを振り、両手を腰に当てながら答えた。
「 俺が好き好んでやってるんだとしたら、俺は俺を軽蔑するね」
「 ……お前の趣味じゃないんだな?」
「 お前な」
「 ならばいい」
  村雨の開きかけた口を思い切り遮断すると、如月は汚らわしいものでも見るような態度でふいと視線を逸らした。今更そんな事をしても村雨の「異様な姿」は既にくっきりと如月の脳内にインプットされてしまったのだが。
  村雨は真っ白な割烹着を身に着けて夕飯の支度をしていたのだ。



「 ……龍麻」
「 あ、翡翠お帰り!」
「 翡翠のオ兄チャン、お帰りナサイ!」
「 マリイもいたのか…」
  呟く如月に、しかし後に続いたのはその他の人間たちの声。
「 お邪魔していますよ」
「 オッス、如月サン。俺サマもいるぜ!」
「 俺も! 如月、お邪魔するぜ!」
「 ………」
  居間のテーブルを囲んで座っていたのは、龍麻とマリイ以下、御門、雨紋、黒崎の3人である。一体どういう繋がりなのかと訝ったが、マリイと御門、それに村雨を呼んだのは龍麻。雨紋と黒崎は偶然店を訪れたという事だった。
「 こんな大勢で何しているんだ?」
  如月が訊ねるとマリイが身を乗り出して右手を挙げた。
「 アノネアノネ! ミンナ仲良し家族なノ!」
  マリイの嬉々として言う台詞に如月は眉を寄せた。
「 ……家族?」
「 ソウ! マリイと龍麻オ兄チャンは、仲良し兄妹ナノ! ネ、オ兄チャン!」
「 そうそう。世界で一番仲良しの兄妹なんだよなっ」
「 ………そちらの3人は?」
「 俺サマは放浪癖のある叔父貴。全国各地をギターひとつで渡り歩く…ま、フーテンの寅さんってやつだなッ」
  雨紋がギターを弾く真似をしながらニヤリと笑った。
  すると続いて黒崎がマリイ同様勢いよく片手を挙げて「俺はな!」と続く。
「 俺は田舎から出て来て東京の龍麻ンちに下宿してる従兄弟でしがない浪人生って設定なんだよ。けどな、その真の姿は…っ! 大都会の闇に蠢く悪と戦う秘密ヒーロー!」
「 でもその正体はまだ誰にも知られてないんだよな」
「 そう! そうなんだよひーちゃんっ。今回の俺のヒーロー像のテーマは孤独! 誰にも本当の姿を知られず、こっそりと夜の街をパトロールして悪を倒す! くーっ、痺れるぜ!」
「 カッコイイ、黒崎のオ兄チャン!」
「 だろ!? そうだろマリイ! はははっ、話が分かるな〜!」
「 そんなおかしな親戚ばかりじゃ、面倒見る方は叶いませんね」
「 ……そういう御門。貴方の役は?」
  あんただって十分楽しそうじゃないかと思いながら如月が念のため訊くと、訊ねられた御門は開いていた扇子をぱちりと止めて、「かなり不本意ではありますが」と前置きした上で答えた。
「 龍麻とマリイの父親役です」
「 や〜、御門さんは父親にぴったりっすよ。落ち着いてるし、財力もあるし!」
「 そんな基準で選ばれたとしたら余計に不快ですよ」
「 えーっ、違うよ」
  雨紋と御門の会話に龍麻が焦ったように口を開き、ぶるぶると首を振る。
  如月はそんな龍麻を黙って見やった。
「 落ち着いているっていうのはそうなんだけど。でも、それだけじゃなくて御門は本当に頼りになるし、普段は静かだけどいざって時に的確な事言ってくれたりするだろ。だからお父さん役にぴったりだって思ったの。な、マリイ」
「 ウン! 御門のオ兄チャン、チチオヤノイゲンアル!!」
「 それじゃあ、俺は何なんだい」
「 あ、やった飯だ!」
「 待ってたぜ村雨サ…じゃなかった、義姉サン!」
「 ったく、いきなり人数増えるから計算が狂ったじゃねえかよ。とはいえ、俺の料理の腕に間違いはねえ。味わって食いな」
  苦笑しながら大皿に盛ったニラ玉や餃子、それにかたやきそばなど、中華な料理を次々と運んでくる村雨は、さながら肝っ玉母さんそのものだった。如月はただ唖然としてそんな村雨を見やりながら、自分はただその場にぼうと突っ立ったままの状態で「まさか」と呟いた。
  すると雨紋がけらけらと笑いながら言った。
「 そのまさかっすよ。村雨サンの役どころは、おっかさん!」
「 すげえゴツイ母親だよな」
「 るせえぞテメエら。脇役のくせに」
「 うっ。いいじゃねえかよ、従兄弟でも」
「 寅さん役、俺サマはキマッてると思ってるんだけどなァ」
  ガーガーとそんな言い争いをしながらも、やはり皆のその表情はどこか楽しそうだった。「村雨母さん」の豪勢料理に嬉々として箸を動かしつつ、龍麻ら「擬似家族」はその後も延々と理想の家族について花を咲かせていた。
  如月はただそうしてわいわいとしている彼らの姿を傍で見ている事しか出来なかった。
  龍麻の嬉しそうな笑顔に翻弄されていた。





「 最初マリイが『ままごとがしたい』って言ったんだ」
  全員が帰った後、龍麻は縁側で如月が剥いてくれたりんごを食べながらそう言った。ぽっかりと丸い月明かりの下で、龍麻の顔はゆらゆらとした淡い光に包まれていた。
「 マリイさ、今は美里の所で美里の家族と本当の家族のようにして暮らしてるだろ。勿論、マリイはその事に不満なんかないって。幸せだって。でもだからこそ…ままごとがしたいって。練習がしたいって、さ」
「 練習?」
  さんざん散らかされた部屋を一通り片した後、如月もようやく縁側に寄って龍麻の横に落ち着いた。穏やかな眼差しで庭に目をやる龍麻の横顔は、一仕事した後の充足に満ちたそれに思えた。
  如月はそんな龍麻を見つめながらすぐに疑問を口にした。
「 家族になる練習って…。意味が分からないな」
「 うん。そうだよな」
  でもさ、と龍麻はすぐに口を継いでから、どこか困ったような顔をして笑った。
「 ……マリイ、美里たちと本当の家族になりたいからって」
「 ………」
「 だから、さ」
「 バカな…」
  思わず本音を漏らした如月に龍麻はまたすぐに頷いた。けれど今度はさっと俯くと、自分の所在ない足元を見やりながらぽつりと返した。
「 でも、そう言ったマリイの気持ちも分からないでもないからさ…」
「 ……龍麻」
「 あっ。変な心配しなくていい! 別に暗い話じゃないから、これって!」
  如月の声色が変わった事を素早く察知したのだろう。龍麻は慌てて顔を上げると取り繕うような早口で「大丈夫だから」と言った。
  一体何が大丈夫なんだろうかと如月は思ったが、それでも龍麻があまり詮索してくれるなという顔をしていたので自分も平然とした顔で視線を逸らし、庭の寒椿へと目を移した。
「 別に僕は君の心配なんかしていないよ」
「 あっ、何かそれもひどいなあ」
「 何だ。心配して欲しいのかい」
「 それも違うけど」
「 ふっ…どっちなんだよ」
  バカにしたような笑いになってしまうのは自分の悪い癖だと如月は思う。けれどこの場を暗いものにしたくないというのは龍麻の希望だし、となると如月にはもうこういう態度しか取れなかった。
「 ありがとな、翡翠」
  すると龍麻がそんな如月の意を読んだようにそう言った。如月が驚いて視線をやると、龍麻はニコリと微笑みかけて続けた。
「 あのな。マリイが俺を兄貴にして家族ごっこやりたいって言ってきた時、俺、正直ちょっと困ったんだ。だって俺、家族ってよく分からないし。幾らごっこ遊びでもマリイは真剣なんだし、さ」
「 なるほどね」
「 でも俺自身、分からないながらちょっと体験してみたいかなって」
「 ………」
「 家族ってやつ」
「 ………」
「 あ…っ」
  如月の沈黙に居心地が悪かったのだろう、龍麻はすぐにまた明るい表情を作ると慌てて続けた。
「 だからさ、それならいっそ本格的にやろうって! マリイとも相談して、誰か両親役やってくれる奴も探そうって。それであんな大騒ぎになったんだ」
「 だからって」
「 え?」
「 それで何故…両親があの2人になるんだい?」
  どうにも冷たい口調になっていけない、と如月は自身で思いつつ止められなかった。今日は帰宅してから今までずっと、どこかでぴりぴりした思いを抱いていたのだ。そしてそれはたった今龍麻から「俺とマリイだけでは駄目」という台詞を聞いた事によって再び吹雪のように冷たい針となって如月の胸を突き刺してきた。
  龍麻は今日、最後まで如月には「役」をつけようとしなかった。
  勿論、ままごとなど子どもの遊びに付き合うなどまっぴらだ。けれど楽しそうに笑う龍麻と、そんな龍麻に慈しみの視線を向けていた御門や村雨には、正直面白くないものを感じていた。
  そんな感情など自分は抱いてはいけないと言うのに。
「 御門と村雨はホントに夫婦みたいじゃん。だから選んだんだよ」
  そんなふつふつとした気持ちを煮え立たせていた如月に、しかし龍麻はあっさりとそう言った。
「 両親役は真っ先にあいつらって。マリイも大賛成したし」
「 ……夫婦?」
「 うん」
  思い切り眉をひそめる如月を前に龍麻はまるで動じない。そして今度は本当に楽しそうに笑った。
「 実際合ってただろ? 憎まれ口を叩きつつも想いあってる2人って感じでさ」
「 ……あの2人が今の話を聞いたら、もう二度と遊んではくれないだろうな」
「 うん。だから秘密な」
  龍麻は悪びれもせずそう言ってけらけらと軽い笑声を立てたが、その後は突然ハアと深い息を吐いたかと思うと静かになった。
「 ……?」
  如月が怪訝に思って訴えるような目を向けると、龍麻はそれに気づいているくせにわざと視線を逸らしたままの状態で何気なく唇を開いた。
「 ああいう、あったかいのは苦手だな…」
「 ………」
「 本当は好きなのかもしれないけど」
「 ……だからどっちなんだい」
「 どっちも!」
  如月の問いにむくれたようないじけたような声を出すと、ようやく龍麻は顔を上げた。そうして如月の顔をまじまじと見やると、半ば試すような目をして言った。
「 翡翠。お前の役だって、実はもう決まってるんだぜ」
「 え…?」
「 俺の中で」
「 僕の役?」
「 うん」
  頷いて、龍麻はまた笑った。それからさり気ない所作で自分の横にあった如月の手に触れると、龍麻は顔を寄せて囁くように言った。
「 当てられる? もし当たったらさ…本当に…」
「 ……何だよ」
「 あ…っ。べ、別にっ!」
  龍麻は如月の憮然とした反応で急に我に返ったようになり、露骨に慌てた顔をして身体を離した。ほんのりと赤くなり出す龍麻の耳を見つめながら、如月は不意に自分の身体も熱くなったような気がした。先刻あれほど冷たい風が全身を吹き荒れていたというのに、龍麻のこんな態度ひとつであっという間に元の冷静な自分に戻れる事が不思議でならなかった。
「 龍麻」
  だからだろう、ごく自然な言葉がするりと口から零れ出た。
「 どんな役かは知らないけど、僕は『あの役』しかやりたくないよ」
「 え…?」
  龍麻の意表をつかれた顔が可笑しくて如月は目を細めた。そっと前髪に手をかけそれをかきあげてやると、龍麻はすっかり大人しくなり、そのまますうっと目を閉じた。リラックスしている時に見せる龍麻の顔、如月の好きな顔だった。
「 じゃあ今度…」
  目を瞑ったままの龍麻が言った。
「 今度やる時は翡翠も参加な。その役やってもらうから…絶対。……どんだけ恥ずかしくてもやる」
「 僕は別に平気さ。龍麻の方こそ耐えられるのか見物だね」
「 俺は平気だよ。……たぶん」
「 たぶん、ね」
「 な、何だよ…っ」
  龍麻のほんのりと朱のかかった頬を見つめながら、如月はふっと、今度は皮肉のない笑みを零した。あれくらいの事で何をああまで焦っていたのか、ほんのさっきまでの自分が嘘のようだった。龍麻の一言で、龍麻のちょっとした行動でこんな風にうろたえたり不快になったりしている自分。だからもう、とうにその「本来の役目」を放棄してしまった今、如月は「もう何を自戒しても今更だな」と心の中で呟いた。
「 龍麻」
  だから如月はもう一度龍麻の額を撫でた後、今度は晒されたそこにそっと甘いキスをした。
  そして言った。
  それじゃあ本格的に、今度の時は「それ用」のスーツも用意しておこう、と。



<完>





■後記…「それ用」だとか「あの役」だとか…。はっきりきっぱり言ってませんが、何の役だか分かりますよね(汗)?勿論ひーの婚約者の役に決まってるじゃないですか!!!(えー)……ホントは何気に仲間はずれな状態にむくれ気味だった翡翠さん。でもひーちゃんとしては照れくさくて恥ずかしくって、折角用意していた翡翠さんの為の「その役」も、どうしても皆の前で言う事ができなかった、と。ええ、この話って実はそんな甘イチャ話だったの!?と思われた方はすんません。でも龍麻が家族ってものに憧れを持ってる気持ち半分、いらない気持ち半分ってのは、本人は「そんな暗い話じゃない」と否定してますが、やっぱり暗い話だったりするのです。そんな時、翡翠さんがいれば万事OKですね!…ところで子どものやるままごとって結構芸が細かいですよね。