ラムネ



「 あ、翡翠。それ何?」
  龍麻がいつものように放課後如月骨董品店へ赴くと、いつもの品物とは明らかに趣を異にした物がでんと店の一角を占拠していた。
  如月は自身も帰宅してきたばかりなのだろうか、未だ制服姿のまま、店先に置かれたその品物と台帳を交互に見やりながら大げさに嘆息してみせた。
「 ラムネだよ。何をどう間違ったのか知らないが送られてきた」
「 へえ…いいなあ」
  困った風の如月とは対照的に龍麻はやや嬉しそうな顔でその透明の瓶が並ぶ箱に目を落とし、そのうちの1つを取って天井にかざした。
「 ほら見て翡翠。ビー玉。瓶の底にあるこれ、綺麗なんだよなあ」
「 ……龍麻はそういうのが好きだったかい」
「 え? 何で?」
「 君がジュースを飲むところというのはあまり見なかったからな」
「 ああ…。普段はあんまり買わないか。でも、だからこそたまにこういうの見ると嬉しい」
  龍麻は言ってから瓶を箱に戻し、傍にあった木の椅子を引き寄せるとそこにどっかと腰をおろした。
  それから少しだけ遠くを見るように目を細め、龍麻は何ともなしに言葉を出した。
「 俺さ、最初の家から親戚の家に移った時あたり…。あんまり人のいる所って行かなかったから」
「 ………」
  龍麻が過去の話をするのは非常に珍しかった。如月が微かに目を見張ると、龍麻は相手のその様子に気づいたのか、少しだけ戸惑った顔をした。
  それでも再びラムネに目を落とし、言う。
「 でもね、一回だけ…。麓の村の夏祭りを内緒で覗きに行った事があるんだ。俺、祭りって見た事なかったから。あのさ、太鼓とか笛の音がいいんだよな。今年、京一たちと祭り見に行った時も思い出したけど。やっぱり好きだな」
「 好き?」
「 うん。あの雰囲気って言うか。空気って言うか」
「 ……そうか」
「 賑やかで楽しいじゃん。翡翠はあんまり好きじゃない?」
「 そうだな…。僕はいいな。嫌いじゃないけどね」
「 へへ…そっか」
  恐らく如月は自分に気を遣ってそう言ったのだろう。龍麻はそう思いながら小さく笑い、尚先を続けた。
「 俺、自分がああいう所にいちゃいけない人間だって事分かってたから。だからあの時は無性にむかついたんだよな。何だよ楽しそうにしやがって!ってさ。けど…けどさ、何か知らないけど、ラムネ売りのおじさんが俺にタダでくれたんだよ、これと同じの」
「 タダで?」
「 そう。やっぱりあの頃から俺って可愛かったらしくてさ」
  茶化したように言う龍麻に、しかし実際そうだったのだろうと如月は思った。勿論、黙ってはいたが。
  龍麻は続けた。
「 何だ1人なのか?って。しょーがねえなあ、おじさんが一本奢ってやるって。あの時初めて飲んだあれ…うまかったあ。シュワワワ〜ってさ。胸ン中がすっきりした。でさ……その後、何か知らないけど、すごい泣けた」
「 泣けた?」
  途端に眉を寄せた如月に、龍麻は焦ったようになって首を振った。
「 よく分からないけどさっ」
  ごまかすように放った言葉。
「 ホント…分からないけど…」
「 ………」
  それでも如月には通用しなかったようだ。龍麻は喋りすぎたかなと思いながら、発してしまった言の葉を後悔するように、ただ視線を宙に彷徨わせた。
「 龍麻」
  すると如月はそんな龍麻にさっと近づくと箱からラムネを一本取り出し、傍にあった栓抜きを使ってがしりと鈍い音を立てて蓋を開けた。
「 翡翠…?」
「 それじゃあ、今日は僕が君にプレゼントするよ」
  如月は相変わらず笑ってはいなかった。けれどラムネをすっと龍麻に差し出してきたその表情は、ひどく柔らかく穏やかなものに見えた。
「 …でも…いいの?」
「 構わないさ、どうせ売れやしない」
「 そ……」
「 まったく、損をしたよ」
「 は……」
  ようやくふざけたような物言いをした如月に、龍麻もほっとした気持ちがして表情を緩めた。そうしてその後はわざと怒った風に頬を膨らませ、「ひどいな」と付け足した。
「 そんなことないよ。絶対売れる。それに、もし売れなかったら俺が毎日買ってあげるよ」
「 ふ…君からは取らない」
「 え……」
  唐突に言われたその言葉に胸が詰まった。
「 何で…?」
  龍麻は受け取ったラムネの瓶を握り締めたまま、そう言った如月のことをぼうと見上げた。
「 ………」
  如月の方はそんな龍麻のことは当に見つめており、やがてわざと龍麻から視線を逸らすと「さあね」などととぼけてみせた。
「 そんな事は龍麻が自分で考えろよ」
「 だ…。でも俺、都合のいいように考えちゃうからさ…翡翠のことだと」
「 そうかい」
「 ……そうだよ」
  龍麻はあくまでも冷静な如月に精一杯返してから、詰まった胸を何とかする為に貰ったラムネをくいと一口飲んだ。
  すっと喉に流れ込む、ほどよい刺激がひどく心地良かった。
「 すごいや…また泣きそう」
 そうして龍麻はくしゃりと顔を歪め、如月の制服の裾を掴んだ。
「 馬鹿だな」
  如月は独りごちるようにそう言ってから笑い、後は今にも泣き出しそうな龍麻の頭を片手でさらりと優しく撫でた。



<完>





■後記…龍麻の過去話をもっと書きたいです。いつか如主連載かなんかで。龍麻が過去を語るSSはこれで4本目くらいかな。