その笑顔



「 何、泣いているんだ?」
  思わず声をかけてしまったのは、彼が珍しく1人だったから。
  そして、音も立てずに涙をこぼしていたから。
「 ……如月君」
  僕が気配を消して近づいていたからというのもあるけれど、不意をつかれて顔を上げた彼―緋勇龍麻―は、ひどく驚いた顔をしてこちらを見やってきた。それから、はたと気づいたようになって、慌てて涙を拭った。
「 何でもないんだ」
「 ……そうは見えないけどね」
  彼に近づきながら、僕は立ったまま、無理に笑顔を作る緋勇の顔を見下ろした。誰にでも愛想の良いその瞳が、今は涙のせいか濁って見えた。
  緋勇の学校には、僕たち《力》ある人間の能力を伸ばすための修行場がある。「旧校舎」と呼ばれるその建物の地下には、異形のモノたちが尽きることなく蠢いていた。
  彼と同じ真神学園の蓬莱寺等だけでなく、僕ら他所の高校の者も、戦いのリーダーである緋勇が召集をかけた日にはそこへ潜り、腕を磨くことになっていた。勿論、来る戦いの日に備え、自らの《力》を伸ばすために、だ。
  今日、僕はその修行する一員として彼に呼ばれた。あそこへ潜る時は殆どといって良い程、僕は彼に呼ばれる。
  緋勇らと行動を共にするようになったのは一体いつの事だったか。夏だったことだけは確かだ。 
  僕は緋勇の未知の《力》に惹かれていたし、彼のこの先の行く末にも「何となく」興味があった。だから仲間になった。実際彼の能力には限界が見えず、僕はその《力》を見せ付けられる度に、素直に彼の存在を大きいものとして認めることができた。
  けれど。
  それ以上の感情を持たない僕にとって《力》を発揮していない時の、ひどく人間臭い緋勇の姿を見ると時々訳もなく腹が立った。つまりは、今のような状況。
  それなのに、何故僕は彼に声などかけてしまったのだろうか。自分でもよく分からなかった。
「 蓬莱寺たちが君のこと探していたよ」
  僕は自分自身にとって本当にどうでも良い事を口に出していた。しかし緋勇は僕のその情報に、思い切り意表をつかれたような顔をして見せた。
「 えっ…。そうなんだ。俺、今日はラーメン行かないって言ったのにな…」
「 帰った様子もないから、何かあったのかと思っているんじゃないかな」
「 じゃ…行かなきゃ」
  緋勇はそう言いながら、もう一度やや赤くなった目をこすってから、立ち上がった。
  僕はそんな緋勇に何故か益々怒りを覚えた。
「 何故だい」
  だから、訊いていた。
「 え…?」
「 向こうが勝手に探しているんだ。行きたくないなら、放っておけばいい」
「 でも……」
「 彼らは君の『仲間』なんだろう? だったら、そんな風に無理する必要はないんじゃないか」
「 ………」
  僕の言い方がキツかったのだろうか、緋勇はひどく辛そうな顔をして、ぎゅっと唇を結ぶと黙りこくった。
  妙な静寂が僕たちの間を通り抜けたが、僕はそんな気まずさよりも緋勇の涙の理由が分からなくて、ただ無性にイライラしていた。
「 あの……」
  その時、緋勇がようやく口を開いた。恐る恐るというような目で僕を見上げる。何故だろうと思った。彼はリーダーで、僕よりも数段並外れた《力》を秘めている。それなのに何故こんな卑屈な目をしているのか、僕には理解できなかった。
「 如月君は……俺のこと、どう思っている?」
  その時、緋勇が突然訊いてきた。
「 ……どうとは?」
「 だからつまり……俺のこと、『仲間』と思ってくれている?」
「 …………」
  その問いは、僕の神経に思い切り触った。
  仲間だと思っていないという僕の心根を見越した上で、彼が敢えてそう問いかけてきていると思った。僕は一層不機嫌な気持ちになった。
「 何故そんな事を訊くんだい」
「 あっ、ごめん……」
「 ……思っていないと言ったら?」
「 …………」
  案の定、緋勇は沈黙した。どことなく淋しげな表情だった。
「 ……君はどう思っているんだい」
  これ以上はやめようと思い、僕は今度は逆に彼に訊き返した。いつも人当たり良く相手と接する彼が、ここでこんな僕に対してどういう反応を示すのか、興味があった。
  そんな僕に、彼はこう言った。
「 ……俺、仲間ってよく分からない」
「 ……!」
  意外な答えだった。
  緋勇は僕の問い返しに益々混乱したような顔をしてから、たどたどしい言葉で後を続けた。
「 ごめん…。如月君もみんなもいつも一緒に戦ってくれて、いつも一緒にいてくれるのに。俺、どっかおかしいんだ。俺、基本的に誰も信用していないんだ」
「 ………」
「 馬鹿なこと言っている。分かってる。でも時々本当にそう思ってしまうんだ。今日だって」
「 今日?」
  旧校舎での戦闘時、何かあったのだろうか。
「 俺、自分のことばっかり護ってた気がする」
「 …………」
「 今日の俺は本当に最低だった」
  そうだっただろうか。
  彼は前線で積極的に敵に向かっていたような気がするが。
「 みんなの事なんか見てなかったもん」
  僕の心を読んだのか、緋勇はそんな言葉を付け足した。
「 如月君はすごいよね。いつも周囲を見て、自分にもみんなにも1番良い選択をしながら戦っている」
「 ……誰も見ていなかったのに、僕の戦い方が分かるのかい」
「 俺、如月君のことは見てたから」
  緋勇は困ったようにそう言って笑い、それからようやくこちらに視線を向けてきた。
「 如月君は一見みんなに冷たいけど、でも本当はすごく優しいよね。俺とは正反対だ」
「 …………」
「 俺は表向きはみんなにいい顔しているけど、本当は冷たくて自分本位で。如月君は普段みんなと離れた位置にいるように見えるけど、でも本当は―」
「 馬鹿なことを言うな」
  彼にそんな風に誉めてもらうのが気色悪くなり、僕は途中で話の腰を折った。
「 一体何を泣いているのかと思えば。それで君は自分の事が許せなくて泣いていたのかい。悲嘆してたのかい」
「 ……あれは……分からないけど、泣けてきたんだ」
「 それこそ、君が優しい証拠じゃないか」
  僕の怒りはそこで見事に昇華していた。ただ言いようもない、今まで感じたことのない気持ちが湧いてきてしまって。
  何だかどっと力が抜けた。
「 君みたいな人は見たことがないよ。呆れて物が言えない。そんな事で、この先迎え撃つ敵と戦えるのかどうか」
「 駄目になったら、如月君に助けてもらうよ」
「 ……何だって?」
「 だって今だって俺のこと、探してくれたじゃない」
「 ……別に探していたわけじゃない」
「 でも、声をかけてくれた」
「 泣いている君が珍しかったからだ」
「 本当は俺…すっごい泣き虫だよ」
  緋勇は言いながら、また泣き出しそうな顔になった。それから再びにこりと笑って見せた。害のない顔だと思った。
「 如月君…一緒に帰らない?」
「 蓬莱寺たちの所には行かないのかい」
「 うん…。今日は、行かないよ」
「 ………」
「 帰ってくれる?」
「 ……別にいいが」
「 うん」
  僕の冷たい言いようにも、彼は殊のほか嬉しそうに笑った。
「 ……緋勇」
「 ん?」
  それで僕は一言余計な事を言ってしまった。
「 君は気を遣い過ぎだ」
「 …ごめん」
「 ………」
  何故謝るのかとも思ったが、口には出さなかった。
  ただ。 

  僕は僕に向けてくる緋勇の笑顔を見て、もう少しだけ彼と一緒にいても良いかという気持ちになった。



<完>





■後記…いつもと比べてややヨワッチイ龍麻。でも心は結構冷たい奴です。あんまり他者に依存する事を知らないので、表向きはいい奴なのですが、結構ひどい事考えているというか。ここでの話の如月もそういう系なので、今の段階では「自分と同じ」という点で密かに惹かれあっているという感じでしょうか。もっと進展させないとなのになあ。