それは5秒もあれば 『 何で今日ポストを覗かなかったんだよ』 「 ………僕の勝手だ」 突然の電話。しかも夜も大分更けてからのそれで、如月翡翠は思い切り不快な声を出してしまった。電話の主はこんな非常識な時間に名乗りもせず、非礼を詫びることもせず、尊大な態度で訳の分からないことを言っている。いくら彼が自分にとって「特別」な位置にいる人間だとしても、全てを許容しようとは思わない。 如月は一拍置いてから冷淡な口調で言った。 「 龍麻。君、今何時だと思っているんだい」 『 夜の0時だよ、馬鹿』 「 ………何だって?」 唐突に投げつけられた単語に、如月はぴくりと眉を動かした。 機嫌の良い時はニコニコと子供のように可愛らしく笑い、こちらを思いやる態度も十分に見せてくれるのに、何故彼はこんなに気分の上がり下がりが激しいのか。 「 龍麻、一体何なんだい」 『 いいから外出ろよ。外出て、ポスト開けろ』 「 今は0時で、外は寒い。何故そんな事しなくちゃならないんだ」 『 うるさい! 言うこときかないと絶交するぞ!』 ガチャリ。 最後の台詞は殆どヒステリーに近いものがあった。イライラしたような波動が荒々しく切られた電話口からも伝わってくる。 「 ………何なんだ、まったく!」 如月自身もひどい腹立たしさを感じながら、乱暴に電話を置くと、一人やり場のない怒りを床に向けて叩きつけた。 しかしこのまま無視するわけにもいかない。 如月はわざと大きな足音を立てて外へと向かった。 季節は秋。まだ凍えるような気温になる時期ではなかったが、その日はじわりと肌にしみる冷たい雨が1日中降り続いていた。 如月は素足にサンダルをつっかけたまま外に出たので、引き戸を開けて一歩外に踏み出した途端、たまった水溜りに足を濡らした。そこでまた不快な感情が脳に伝わった。 「 ポストを開けろ? こんな夜中に……」 ぶつぶつと言いながら、如月は真っ直ぐに表戸についている郵便受けに近づいて行った。早歩きとはいえ、傘も差さずにそこへ向かうものだから、あっという間に髪の毛にも雨粒がかかる。 「 …………」 しかし如月はポストの前まで行ってから、ふと足を止めて、同じく傘も差さずに外に立ち尽くす人影に目をやった。 「 龍麻」 「 ………遅い」 龍麻は、如月の家の前で、頭から肩から身体全身に雨を浴びた格好でそこにいた。 「 何しているんだい、君は……」 「 翡翠の家の前に立ってる」 「 それは見れば分かる」 「 今日は…ずっとここにいた」 「 え?」 如月が怪訝な顔をすると、龍麻は実に恨みがましい顔をして、あとは何も言わずにすっと手にしていた物を差し出してきた。 「 ……何だい?」 龍麻が出したものは、薄緑色の封筒だった。 「 最初はポストに入れてたけど、雨で濡れたら嫌だから手に持っていることにした」 龍麻はそう言ってくしゃくしゃの封筒をさらにぐいと如月の方へ向けて突き出したが、それは既に水滴を含んでひどく萎れてしまっていた。 「 ……何なんだい」 「 読んでよ」 「 …………」 如月は実にふてぶてしい態度の―しかし表情は今にも泣き出しそうな―龍麻をじっと見やってから、その手紙らしきものを受け取り、その場で封を破った。 「 それ……」 龍麻は如月が文字を追う前にぽつりとつぶやいた。心なしか頬を紅潮させている。 「 俺の……考えてること」 「 …………」 ひどく決まり悪そうな龍麻を如月はちらと見てから、開いた便箋に書かれている文字を改めて追った。 それは。 それは5秒もあれば読み終えてしまうような短い文で。 「 …………」 実に簡単な文字の羅列で。 「 ……龍麻」 「 迷惑…?」 龍麻は間をおきたくないとばかりに、素早くそう言った。 相変わらず頬は赤い。そして、雨のせいなのかそれとも涙のせいなのか、龍麻の顔は、全身は、やはり水滴で濡らされていた。 「 俺……口に出すのは嫌なんだ」 「 龍――」 「 本当は、形に残るのも嫌だと思った。もっと嫌かもしれないと思った…けど」 龍麻は如月のことを見ていなかった。じっと地面に視線を落とし、ぐっと何かを堪えているような感じだった。 「 でも、もし俺が死んでしまったら、何も残らないと思った。翡翠もいつか俺のことを忘れるかもしれないと思った」 「 何を言っているんだ……」 「 だったら、馬鹿みたいでも、恥ずかしくても文字で言おうって思った。後に残ってもいい。くだらないって思われてもうまく伝わらなくてもいい。でも、俺は…書きたかった」 「 龍麻……」 「 おかしいよ。こんなの、おかしいよな? 自分でも…ずっとヘンだと思ってた。何で俺は…こんなに翡翠のことが気になるんだろうって」 龍麻はここでようやく顔を上げ、やはり崩れてしまいそうな顔をして、縋るような目を向けてきた。 「 翡翠はずるい…いつも普通の顔して、いつも平気な顔して。翡翠は強い…。でも俺は……」 「 いつから…?」 「 何が……」 「 こう、思い始めたことがさ」 「 さあ……」 龍麻は少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに思いを馳せるのをやめてしまった。そうして、そんな事はどうでもいいとばかりに頭を振ると、如月のことをじっと見つめた。 「 ねえ翡翠……俺、お前に甘えているだけなのかもしれない」 「 …………」 「 だから馬鹿にしても軽蔑してもいい。でも俺は、翡翠が――」 「 龍麻」 如月は龍麻に言わせるのをやめて、手紙を封筒にしまうと改めて真っ直ぐな視線を向けた。そこには、自分のその眼差しに戸惑ったような相手の姿があった。 「 龍麻。僕は強くなんかないよ」 「 …………」 「 いつだって不安だよ。僕はいつまで君の傍にいられるんだろうか。きちんと君を護っていけるんだろうかってね」 「 ………それは翡翠が玄武だから?」 龍麻が上目遣いにそう訊いてきた。如月は一瞬だけ目を伏せ、そんな問いを発してきた龍麻から視線を逸らせたが、すぐに顔を上げるとはっきりと言った。 「 龍麻。君にキスしてもいいだろうか」 「 えっ?」 「 駄目かな」 「 な……何で急に?」 思い切り焦ってやや後ずさりする龍麻に、如月は苦笑して首を振った。 「 別に急なんかじゃないさ。以前からずっとそう思っていたんだ。君にキスしたいって」 「 ……ひ、翡翠……」 「 いいだろう?」 如月はすかさずそんな事を言って、半ば強引にすっと龍麻の肩を優しく抱くと、本当に軽く触れる程度の口づけをした。 龍麻はぎゅっと目をつむったままだったが、けれどそれに応えるように如月に身体を密着させると、ぎゅうと強く抱きついてきた。 そうして、短いキスが終わり。 「 ……ありがとう」 如月が言うと、龍麻はみるみる真っ赤になって、ただ激しく首を横に振った。その仕草が何だかおかしくて、如月は目を細めた。 「 龍麻。君は僕の気持ちについては考えたことないのかい」 「 ……どういう意味?」 「 僕が君のことをどう想っているのかってことをさ」 「 ……知らないよ。翡翠って何考えているのかよく分からないから」 龍麻の実に正直な台詞に、如月はさすがに苦笑した。それから改めて龍麻の腰を抱くと、耳元に唇を近づけてそっと囁いた。 「 だったら教えてあげるよ。僕の考えていること」 「 ……本当?」 「 龍麻。今夜は泊まっていけよ」 「 ………いいの?」 「 きっと帰れば良かったって思うよ」 「 どういう意味?」 不審な顔を見せる龍麻に、如月はふっと笑んだだけで何も答えなかった。 何も伝わらないと思っていた。伝える必要もないと思っていた。ただ傍にいて、彼を護ることができればそれだけで自分の心は満たされると、そう考えていた。 それなのに、いざ欲しくて堪らないものが向こうからやって来たら―もう絶対に離したくないと思ってしまっている自分がいた。 「 翡翠…? どうしたの」 はっとして我に返ると、目の前には心配そうな瞳を向ける龍麻がいた。慌ててそちらに優しい瞳を向けると、 如月は龍麻の濡れた前髪にそっと指を絡めた。 「 龍麻」 「 え?」 「 僕はね……」 如月はそこで敢えて言葉を止めた。そうして、手にしていた龍麻からの手紙をわざと目の前にかざすと、にこりと笑って首を横に振った。 「 ――いや、ここで言うのはよすよ。僕も返事を書く。それがいいだろう?」 「 ……良い返事?」 「 どう思うんだい、君は?」 「 意地悪だな、翡翠」 龍麻は少しだけ困ったような顔をしてから、何事かを訴えるように如月に抱きつく手に力を込めた。そうしてやや掠れた声で「ねえ翡翠」と呼びかけた。 「 その手紙…ずっと取っておいてくれる?」 もし俺が死んでも、ずっと。 そう言外に言われているような気がして、如月は一瞬言葉を出すのが遅れた。――が、表情には勿論出すことなく、如月はわざと明るい口調で答えた。 「 君が破り捨ててくれと言っても取っておくよ」 「 ……うん」 「 さあ、身体が冷えている。中に入ろう。まったく、電話するのが遅いよ」 最後の言葉を半ば叱りつけるように言う如月に、龍麻もようやく肩の力を抜いて毒づいてみせた。 「 馬鹿、緊張してたんだよ」 「 似合わないよ」 「 何だよ、それ…ッ」 龍麻が照れ隠しのように怒鳴って見せると、如月は柔らかく微笑して、すかさずもう一度確かめるようなキスをした。 「 ん…ッ!」 意表をつかれ、戸惑う龍麻。 如月はそんな相手の顔を見つめたまま、更に深く唇を重ねていった。 そして心内で、あの手紙の返事にはどういった気の利いた台詞をちりばめようかと考えを巡らすのだった。 |
<完> |
■後記…言葉で言って、もし相手がその事を忘れてしまったら。それが怖かったから、だからカタチで残したいと龍麻は思ったわけです。如月にしてみれば口で言われても一生忘れないんですけどね。告白どころか幾ら積まれても手放せない宝物(&龍麻!)まで手に入れてしまったわけです…亀さん、幸せ過ぎ。 |