龍麻がLINEを使ったら



「おい、ひーちゃん」
「うるさい」
「まだ何も言ってねーだろが! 何朝からふてくされてんだよ!?」
「無視」
「お前な…ッ!」
  「相棒」である京一がギリギリと歯ぎしりしながら顔を近づけてきても、龍麻はむすっとしたまま、自らの席で頬杖をつき、無碍な態度を取り続けた。
  しかし、こんな龍麻を、周りは当然放っておかない。
「どうしたの、ひーちゃん」
「龍麻」
「どうかしたのか、龍麻」
  いつものメンバー…小蒔、美里、醍醐の3人が、いまだ龍麻の面前でぷりぷりしている京一を後目に、龍麻の方にだけ話しかける。彼らにしてみれば、大方また京一が龍麻に宿題見せてくれだの金を貸してくれだの無茶な我がままを言って無視されているのだろうと予想はしているのだが、とにもかくにも、龍麻自身の口から確認したい。自分たちはいつでも、どんな情報でも共有しなければならない、特に龍麻のことに関しては……と、少なくとも小蒔たちは思っているのだ。
「また京一がバカなこと言ってひーちゃんのこと困らせたの? ホント、ひーちゃんは優しいからなぁ、このバカが調子乗っちゃって」
「おい京一。いい加減、宿題くらい自分でやったらどうだ? 龍麻にいらん迷惑をかけるのはやめろ」
「そうよ京一くん。お金が欲しいなら、如月くんの家へ行ったらいいわ。いつも村雨くんたちがテーブルを囲ってお金になる遊びをしていると言っていたから」
「……美里、それは賭け麻雀だからな。品行方正な委員長が違法なことさらっと勧めてくんな。あと俺はすでにあいつらにパンツ一丁、身ぐるみはがされてんだ…って、ちげえ! そんなことじゃねえよ、そもそも! ひーちゃんに借金持ち掛けてねーから、俺は!」
「じゃあやっぱり宿題?」
「それもちげえっ! つか、醍醐! 小蒔! お前らも俺のことを一体何だと思ってんだ、何だと!」
  びしりびしりと自分たちを交互に指さす京一に、小蒔と醍醐は顔を見合わせた後、至極当然という風に答えた。
「そんなの。ひーちゃんに迷惑かけるバカ?」
「龍麻がこんなに不機嫌なのは、どう考えてもお前が原因としか思えん」
「だから違うっての! い…いや、違わなくもねーか、けど…」
「ほーら、やっぱり何かやらかしたんじゃないかッ! さっさとひーちゃんに謝りな!」
「そうよ京一くん。龍麻が不機嫌だと私たちだって悲しいんだから」
「だからっ!」
  しかし京一がさらに声を上げかけたその時、龍麻が突然、勢いよく机を叩いた。その顔は怒っている……とまではいかないものの、かなりむくれており、無益な言い合いをする4人にウンザリしているのは明らかだった。
  そこでさすがにただならぬ空気を感じ取った小蒔が恐る恐る呼びかける。
「ひ、ひーちゃん? どうしたの…?」
「俺、決めた」
  すると暫し机とにらめっこ状態で俯いていた龍麻は、不意にゆらりと顔をあげると、順繰りに仲間たちを見やり、静かに言った。
  それは宣言、と言っても良い。
「俺、LINEやめるから」
「……え?」
  きょとんとする小蒔、ポカンとする醍醐。そして、驚く美里。
  顔に手を当てて「あーあ、言っちまった」という様子の京一。
「「「ええぇ〜!!!」」」
  そしてその数秒後、京一を除く3人の絶叫が響き渡る。何故ってそれは、彼らにとって想像だにしない、龍麻からの衝撃的な告白だったから。
  そして、あってはならない決意。
「う、嘘でしょ、ひーちゃん! 何で!?」
「急にどうしたんだ、龍麻!?」
「龍麻、何かあったの? 京一くんから気持ち悪いメッセージを送られまくったとか…」
「おい美里、いい加減に……い、いや、何でもない」
  聖女からちろりと氷の視線を送られたことで、京一は言いかけた言葉を飲み込んだが、はあと大きくため息をついた後は、「つまり、そういうことだよ…」と呟いた。
  呟いて、「宣言」したきり、またむっつりして頬杖をつく龍麻を呆れたように見下ろした。
「昨日からずっとこうなんだよ。LINEもメールも…つか、スマホ解約するって言ってきかねーんだ」
「そんなの! ダメだよ、ひーちゃん!」
「そうだぞ、龍麻。急に何を言い出すんだ?」
「そうよ龍麻。携帯を解約してしまったら、私たち、連絡手段がなくなって困るわ」
「困らないよ、だっていつも一緒じゃん」
  美里のことは徹底的に無視できないのか、龍麻は唇を尖らせながらそう反論の言を述べた。そうして、頬杖を解くと再び鬱陶しそうな目線を向けて、京一だけでなく、他の3人をも責めるように睨みつける。
「学校でも放課後もほとんど一緒なのに、何でこんな頻繁にメッセージ送りあう必要があるの?  しかも既読入ったらすぐ返事しないと何かあったのかって心配してくるし! みんな! 束縛きつすぎ!」
「だって心配なんだもの」
  美里がけろりとして言う。何を当然のことをそんな風に怒っているのかという風だ。龍麻は、京一には「ウザイ、やめろ」とは言えても美里には言いづらいようで、ぐぐっと苦虫をかみ潰した顔になってから、「とにかく嫌なの!」とだけ繰り返した。
「えー…。でもひーちゃん、みんなでグルチャやるの楽しくないの? ボクは家帰った後もみんなと繋がっている感じで嬉しいんだけどなぁ」
「俺もだ。最初は慣れなかったが、あのスタンプというのもいいものだな。桜井はいつも面白いスタンプを使ってくるから、見るだけで楽しい」
「でしょ!? 今度また新作のいいの取ってきたから、使うね!」
  小蒔と醍醐が2人できゃいきゃいと盛り上がるのを龍麻はしらっとした視線で見やった後、「申し訳ないけど」と切り出した。
「俺は性格上、そういうのが向いてないみたいだ。みんなだって偶に独りになりたい時くらいあるだろ? でもスマホがあると…LINEをやっていると、常にいつでもどこでも連絡取り合って、今何していて、ご飯何食べた? お風呂入った?…って、おかしいだろ!?」
「それが楽しい。ボク、独りになりたいってあんまり…っていうか、全然思わないし」
「そうね、とっても楽しいわ」
「悪い、龍麻。俺も結構、この現代機器には重宝している」
「……お前ら、そろそろその本音隠さないと、ひーちゃんがまた」
  朝から龍麻の不機嫌を見てきた京一だけが珍しく空気を読んでそう諫めに入ったが、3人には今イチ龍麻の悲壮感は伝わらないらしい。
  それでも龍麻は頑張って、尚、続けた。
「俺はね…これでも律儀な性格だから、気づくと未読200件とかなってるのを見ると発狂しそうになるわけ…みんなが…」
「えー!? ひーちゃん、そんな放置している時あったの!? どうりで既読がなかなかつかないわけだー」
「でも、それって私たちからだけじゃないわね。きっと他校のみんなも頻繁に送ってきているのでしょう。それがLINEを負担に思うようになった原因じゃないかしら。分かったわ、龍麻。他の人たちには龍麻のことを考えてメッセージを控えるよう、私から頼んでみるわ」
「俺など未読があると嬉しくてすぐ見てしまうがなあ」
「……っ。んもー! うるさいッ!!」
  龍麻が堪らず立ち上がると、何事かと他のクラスメイトも一斉に視線を向けた…が、龍麻にそれを気にする余裕はない。結局、京一とのやり取りが3人の間でもほとんど全く同じように繰り返されてしまったことで、龍麻の苛立ちはピークに達してしまった。
  いつもならもうちょっとは我慢するのに。
  龍麻は椅子を蹴って立ち上がると息巻いた。
「無理、もう無理! 2016年の真神学園バージョンは俺には無理! こんな世界で生きられない!」
「ひ、ひーちゃん!? 何言ってんの、何のこと!?」
「龍麻?」
「俺に何か言いたかったら、学校で会ってる時に直接言うか、そうでなければ黒電話を使って家にかけろ!」
「そんな無茶な、黒電話って何!? ひーちゃーん!!」
  小蒔が必死に呼び止め、京一はじめ美里も醍醐も興奮する龍麻を宥めようと声をかけたが、最近…というよりも、転校してからこっち、24時間SNSの奴隷のような関係を強いられていた「黄龍の器」様は、遂に我慢の限界が来て壊れてしまった。
  その為、いつもは真面目な龍麻が、この日、初めて学校を早退した。



  龍麻はもともと人付き合いがそれほどうまくはない。…できないことはない。むしろ、うまく合わせて他人に気に入られることなら得意な部類に入るかもしれない。ニコニコ笑って、親切にして。そもそも東京に来て請け負った「使命」があるから、それを粛々とこなしているだけで人望は高まる。だから龍麻の人間関係は至って順風満帆であり、取り立てて困ることなど何もなかった…はずであった。
  スマホさえなければ。
  そう、本来なら特にまずいことなど起きようもないのに。ただひとつ、「スマートフォン」という現代機器があるせいで、龍麻は「そつなくこなしちゃいるけど、本音疲れる」人間関係を、学校や戦闘が起きる放課後以外、それこそ唯一気を抜ける独り暮らしのアパートへ帰っても続けなければならなくなった。みんなはそれが楽しいという。いつでもどこでも「仲間」と繋がれて、他愛のない話で盛り上がって。可愛いスタンプ、短い単語で意思疎通を図り、夜眠くなるまで、「おやすみ」と言い合うまで延々とお喋りに興じる。それが最高だと。
  しかし龍麻にしてみれば、それらのやり取りをちょっとでもないがしろにすると、「既読ついたのに返事がない」と言われ、表向きは「マイペースでいいよ」と言うくせに、「何かあったのかと心配になる」から、「返信はよ」という圧を掛けてくる仲間たちのことは…どうにも、納得がいかなかった。
  普通の学生には何てことのない話なのかもしれない。龍麻が我がままなのかもしれない。しかし、元が引きこもり属性の強い彼には、それらのやり取りは大変な苦痛を伴うのであった。



「翡翠―、寝かせて」
  その忌々しいスマホをわざと自宅のアパートへ置き去りにして、龍麻はいつものように如月骨董品店の門を叩いた。疲れると龍麻は如月の家で昼寝をすることにしている。如月の家には小・中級系の異形はそうそう入ってこられない結界が貼ってあるし、落ち着いた佇まいの屋敷自体が気に入っていた。家主の如月も口数が多くないので煩いことは言わないし、大抵の逃げ場はここだ。時折村雨や京一が賭け麻雀をしにやって来ると賑やかなるが、如月は龍麻が休息を取りにくる時は、なるべく彼らが来ないよう、うまく取り計らってくれた。
「もうすぐで一区切りつく。そうしたらお茶を淹れるから、奥で待っていてくれ」
  店の方から如月の淡々とした声が聞こえた。龍麻はそれに「分かった」と言って、けれどその日は何となく気にかかって、くるりと向きを変えるとそのまま店に顔を出した。
  龍麻に背を向けた如月は、何やらパソコンの画面に向かってひたすら忙しそうにキーボードを叩いていた。
  その姿に、龍麻は露骨にむっとした。周りは相変わらず、こんなに古風な店なのに。
「骨董品店のくせに」
「何だい」
  心の中でつぶやいたつもりが、つい大きな声になってしまった。龍麻はハッとなったが、今さら後にも引けず、その場に胡坐をかくと、自分に背を向けたままの如月に悪態をついた。
「通販サイトなんてやってんなよ。この店には似合わない」
「店舗経営だけでやっていける時代ではないんでね」
「守銭奴」
「何とでも言ってくれ。今も、これからの君にとっても、この店は必要で、維持し続けなければならないものだ」
「何、これからの君にもって。一生戦わせるつもり?」
「そうならなければいいと願っているが、何しろ君はそういう星の下に生まれているようだから」
「何だそれ」
  面白くない。今日はよくない1日だ。
  龍麻は足を組み替えながら尚もその場で胡坐をかき、むっと頬を膨らませた。如月が橘という同級生の協力を得ながら、ネットで通信販売の店を立ち上げたことは知っていた。こんな怪しい店の怪しい武器が一体どこに流れるものかと訝っていたが、これが意外に需要があるらしく、都内の高校地下に眠る遺跡探索の際に必要だからとか、嘘か本当か分からないような話をしながら、如月は時折楽しそうな様子で新しい商売の話をしてきた。
  龍麻には何の興味もないことなのに。
「JADEってハンドルネームがそもそもイタイ。何だよ。変」
「そうかな。自分では結構気に入っているんだが」
「変だよ。時々忍者装束で助っ人に行くこともあるって橘さんが言ってた」
「ああ…。新しい商品だと自分でもつい試したくなってね。直接自分で届けに行くついでに、ちょっとした戦闘に加わることもある」
「こっちの方だって大変なのに、よその戦いの助っ人なんかしてんなよ!」
「悪かった。君がそう言うなら、その手の依頼は断ることにするよ」
「……っ」
  あっさりと、しかも従順にそう言われてしまうと、龍麻ももう何も言えない。ぐっと黙りこみ、しかしそのまま奥へ引っ込むタイミングも掴めなくて、龍麻は所在なげに、未だこちらを見ることのない男の背中をじっと見やった。
  思えば、いつからこの男の傍にいることを選ぶようになったのか。
「翡翠」
「ん」
  手は動いているのに返事はすぐにきた。本当に聴いているのだろうかと半信半疑ながら、龍麻は先を続けた。
「俺、スマホ解約することにしたから」
「何故」
「めんどうだから。…分かるだろ。もううんざりなの、大体、特に必要ないし」
「必要ないということはないだろう。電話とメールくらいはやってもらわないと困る」
「何で」
  真神の仲間たちと同じことを言うのかと思って、龍麻はまた頬を膨らませた。そんな顔をしたところで、背を向けたままのこの男に見えるはずもないのに。
「京一たちもみんなそう言うけど。そんなのなくても連絡なんてどうとでもなるよ。家だって然程遠くないんだし」
「だからって、いつでもすぐに駆け付けられるとは限らないだろう。君の居所が知れない時とか」
「式とか飛ばしてくれればいいじゃん」
「無茶を言わないでくれ、大体それは僕の専門分野じゃない。それに、式だって君が考えているほど便利なものじゃないよ」
「じゃー翡翠は現代機器の方が便利だって言いたいのか」
「まぁそうだね」
「何て忍者だ!」
  そこで忍びは関係がないよと、如月はどこか苦笑したように肩先を揺らした。それで龍麻はますますむっとしたが、それでもやっぱりその場を離れられなくて、だんと足を投げ出した。まるで駄々っ子のように。
  そして言った。
「みんな、俺のこと監視したがる」
「監視とは穏やかじゃないな」
「ホントだぞ。24時間、俺がどこにいて、何をしているか知りたくてしょーがないんだ。LINEで返信しないとすぐに大丈夫か何かあったのかって電話してくるやつもいる。ありえないだろ」
「ふつうの友人にならありえないが、君ならあり得る」
「何で!」
「君はふつうの人じゃないからさ」
「………」
  龍麻は思わず黙りこんだが、未だ背を向ける如月に急激に腹が立ってきて、膝を立てると、そのままその背中に拳をぶつけようと手を挙げた。京一たちや他の仲間たちにできなかった分も、如月に当たってしまえと思った。
「龍麻」
  しかし如月は、龍麻がそうして自分に接近していることは容易に分かったのだろう、拳が振り下ろされる前に凛として呼ぶと、ここでようやく手を止めてすっと背筋を伸ばした。それに龍麻がハッとして振り上げた手をそのままにすると、如月はその態勢のまま、しかし実に穏やかな声で続けた。
「僕にとっても君は特別だ」
  しかも、「悪いが、友人だとも思っていないんでね…」と言い、そこでようやく振り返った。その顔は、龍麻の表情も何もかも読みきった様子で、いやに清々としていた。
「そんな相手の動向を気にするなという方が無茶だよ。始終気にするなんてと君は言うんだろうが……もう諦めた方がいい」
「何を…」
「独りになることを、だ」
  龍麻は絶句し、ただ頭の片隅では、「そんなの理不尽だ」と思う気持ちもあって、振り上げたままだった拳を今さらのように如月に向けた。
  ただしそれは実にゆったりとしたものだったけれど。
  だから如月にもそれは容易に受けとめられるものだったけれど。
「翡翠だって独りが好きなくせに…ずるいよ」
  龍麻がぼそりと不平を零すと、如月は笑った。
「そうだな、君にだけ我慢を強いるのはひどいな。分かった、お詫びに、龍麻も僕のことを監視してくれて構わないよ? 24時間、いつでもどこでも、君がメッセージを入れてくれたら即返信しよう」
「……既読ついてから何分以内?」
  拳を開かれ手を握られるのをじっと見ながら、龍麻は何となく訊いてみた。もうその答えはどうでもいいことのような気にはなっていたが、このまま黙ってしまうのも癪に障った。
「龍麻が決めてくれればいいよ。僕はそれに従うから」
  しかし結局はやっぱりそんな風に返されてしまい、龍麻は訊かなければ良かったと思いながら、でも握られた手を振り払うこともできずに、ただあがいて言った。「お前…何か、あざといな」と。
「ありがとう」
  すると如月はそんな風に礼を言って、おもむろに龍麻の手を上げると、その指先にキスをした。龍麻はそれを他人事のように眺めて、「やっぱりこいつはずるいな」と思いながら、結局スマートフォンを解約しようという気力は失くしてしまった。



<完>





■後記…翡翠誕生日おめでとう〜!アホな話を書いてしまったぜ。久しぶりだから真神のみんなも登場させてみました。楽しかった!2016年に魔人学園がやっていたら、きっとスマホを駆使して、いろいろな情報交換を夜にもやっていたんだろうなあ、でもうちのひーちゃんなら、LINEとか強制されたら発狂して蒸発するかもしれん…とか想像しながら、書いてみました。翡翠さんは、もうすでに九龍世界の方にも首を突っ込んでいるようです。きっとバリバリ稼いでいるに違いない!現代忍者万歳!…お粗末様でした。