初心



  一言でいえば、「勝手な男」ということになるだろう。

「寝る」
  如月が顔を上げた時に、もうその姿は遠ざかっていた。音も立てずにやってきた龍麻は、挨拶代わりの二語を発しただけで、如月の反応にはまるで構わない。まるで風のようだ。当たり前のように如月の横を通り過ぎ、当たり前のように店の奥へと消えていく。
  一応、半月に一度はあることだし、もういい加減慣れてはいる。慣れてはいるけれど、龍麻のことは心配だ。本人は「余計な世話だ」と嫌な顔をするだろうが、だったら来なければいいというのが如月の言い分だ。
「龍麻」
  早々に店を閉めて客間へ向かうと、龍麻は制服の上着を脱ぎ捨てて、すでに頭からすっぽりと布団をかぶっていた。眠っていないのは分かる。如月の存在を良しとしていないのも分かる。
  それでも如月は声をかけないわけにいかなかった。
「大丈夫かい」
「出てって」
  くぐもった声で龍麻は応えた。人の家に来ておいて、出て行っても何もないものだという当然の感想を如月は抱いたが、そこは敢えて無言でいた。襖を閉めて、龍麻がいる布団のすぐ横に腰をおろす。暫くその膨らみを眺めていると、「見られている」というのが癇に障ったのだろう、再びその声はやってきた。
「そこにいるなよ。分かるだろ」
「もちろん分かるが、言うことを聞くのは嫌だ。ここは僕の家だ、どこにいようが僕の勝手だ」
「命令」
「……命令?」
  思わず一拍置いて聞き返すと、龍麻の方も暫し言い淀んだ空気を放った後に返答した。
「そう。今、翡翠、邪魔だから。ここに独りでいたいから」
「………」
「だから、そこにいるな」
「君が本当にそう思っているなら、そうするけどね…」
  呆れたように呟いて、如月が布団の膨らみをぽんと叩くと、それはぴくりと動いて、中の龍麻が居心地悪そうにもぞもぞと身じろいだのが分かった。
  まるで芋虫だ。その動きが面白くて、如月は目を細めると、再度からかうように盛り上がった布団を叩いた。赤子をあやすように優しく、だけれど。
「何するんだよ」
  龍麻が恨めしそうな声で言った。明らか、如月の行為にむっとしている。ただ、出ていけと言った時の棘はすでにない。顔はまだ見せないが、やはり出ていけなどとはちっとも思っていなかったのだなと、如月は実に分かりやすい主の言動につい口元を緩めた。
「お前。笑っているな」
  すると布団の中の龍麻が言った。気配だけで如月の様子を察したらしい。何だ、自分も随分と分かりやすい人間なのだなと、龍麻以外の相手にならとんだ失態と思うところを、如月はただ苦笑だけして、「すまない」と謝った。
「つい、面白くてね」
「人が苦しんでいるのが面白いか」
「その点については、すまない。だがこんな僕でも、君を慰められるのかと思うと嬉しくてね」
「……こんな?」
  おかしなところでひっかかりを覚えたらしい。龍麻が聞き返した。
  如月は軽く肩を竦めた。
「自己卑下は好きじゃないが、君と比べればそうだと言わざるを得ない」
「何それ」
「君は立派な人だからね」
「むかつく、やめろ。こういう俺を見ていれば分かるだろ、俺が弱い人間だってことは」
 お前までそんな風に言うのかと言外に責められた気がして、これは如月も「ああ、間違えた」と思い、素直にすぐさま謝った。
「すまない。……たぶん、浮かれていたんだ」
「……なに?」
「単純に僕は、君が僕を頼ってくれるのが嬉しいんだ。君がここへ来る度にそう思う」
「別に」
  如月の声をかき消すようにして龍麻は腹立たしそうに吐き捨てた。
「翡翠を頼っているわけじゃない。俺は、翡翠の家の、この部屋の、この布団が好きなだけ。だからこういう空間で、こういう布団を用意してくれる奴がもしお前以外にもいるのなら、そいつの所へも行く。むしろそいつが翡翠みたいにうるさくなかったら、ずっとそいつの所の布団を借りる。そうする」
「……そうか」
  まくしたてるように話す龍麻に多少あっけにとられたものの、如月はややあってからそう返して、「自惚れて悪かったね」と笑った。それで龍麻がまたむっとするのは分かったけれど、どうにも龍麻の駄々は毎度「可愛い」としか思えなかった。
  だから龍麻が嫌だと言っているのに、また布団の上から「龍麻を」撫でて、如月は子守歌のようにささやいた。
「うるさくしないよ。龍麻に嫌われたくはないからね」
「もうすでにうるさいんだ、翡翠は」
「悪かった。もう言わない」
「駄目」
「は…?」
  即答でそれを言われたものだから、如月は思わず間の抜けた声を返した。
  すると布団の中の龍麻はまた少しだけ動いてから、「そこにいるのなら」と偉そうに続けた。
「うるさくするのはダメだけど、何か話せ。俺がちゃんと眠りにつくまで」
「……珍しいことを言うな」
  龍麻は外で「何か」があると、決まって如月の元へやってきて、いわゆる「不貞寝」をするのだが、その際は今日のように戯れの会話をかわした後、本当に如月も何もかもを遮断する。要は如月が自分を放っておいてくれる一番の適任者だと見込んでいるから、龍麻はこの場所を選んでいるとも言えるのだが……何故か今日に限ってはそれをしない。龍麻は、如月に何か話せと言う。自慢ではないが、如月は商売以外の話術に長けてはいない。気の利いたことも言えないし、龍麻を楽しませるような話題を持っているわけでもない。堅物でつまらない男だと、如月自身、自負している。
  それなのに話せ、とは。
「僕ができる話なんて、せいぜいが骨董品のことくらいだが」
「俺の話でもいいよ」
「はぁ?」
  思わず、という風に、またおかしな声が出てしまった。ただ、まじまじと送る視線の先にあるのはただの布団で、龍麻の姿はちらとも見えない。
  何だろう。はじめはいつものことだと思っていたのに、今日は何かが。
  何かが違う。
「龍麻…?」
  いっそのこと布団を剥がしてしまおうか――。そうも思うが、このつかず離れずの状態に慣らされてきたせいか、如月は思い切った一歩をどうにも踏み出せないでいた。
  龍麻が何を考えているのか知りたいけれど、無理にそれを暴いて良いものか。
「俺について話すことなんてないか」
  すると龍麻はどこかガッカリしたようにそう言った。無言の如月を待てなくなったのだろう、再度冷めたような声に戻り、龍麻は「寝る」と、やってきた当初の掴みどころない空気をあっという間に纏ってしまった。
  如月は心の中で狼狽した。龍麻が何を望んでいるのか分からなかった。否、「ガッカリ」された時点で何となくは分かったのだが、それは自分の願望が随分と入り込んでいるのではないかとも思えて、もしも「それ」が勘違いだったらと考えると、らしくもなく恐ろしい気持ちが先行して、動きが鈍ってしまったのだ。
  何せ如月は初心者だ。
  想い想われ、などというシチュエーションには。
「あー…龍麻」
「なに」
  氷のような声だ。アイスマンは自分の専売特許だと言うのに――そう、如月は渋面を作りつつも、しかし早々に白旗を上げるわけにもいかず、ごほんと一つ咳き込んだ。
「君の話で……今、1つ思いついたんだけど、言ってもいいかな」
「駄目。もう手遅れ」
「……どうせなら君の顔を見て話したいので、できれば布団をあげてくれると有り難い」
「人の話聞いてる? 駄目って言ったでしょ。もう君にチャンスはない」
「…と言いながら、顔を見せてくれてありがとう」
  如月は思わず破顔してしまった。やっぱり龍麻は可愛い。だから本当に素直な気持ちで礼を言った。それは龍麻にも伝わったようで、如月のツッコミにも怒る様子はなく、どことなくふくれっ面ではあったが、龍麻は頭からかぶっていた布団を半分だけとって、そこからのっそりと如月の方を見上げてきた。如月の話を聞く気があるようだった。
  もしかすると、今日は最初からそのつもりだったのかもしれない。そう、如月が当初抱いていた「心配」は杞憂だった。いつもの不貞寝は関係なくて、それはここへ来る為のただの言い訳だったのだ。
「龍麻の話というか、これは僕の話でもあるんだが」
  だから如月は顔を見せてくれた龍麻の前髪にそっと触れながら、精一杯の誠実さを込めた目で言った。
「どうやら、僕たちはお互いを好きだ。友人としてではなく、それ以上の存在として」
「そうなの?」
「少なくとも僕はそうなんだが……龍麻もそうじゃないのかな」
「もしかして、それって今気づいた?」
「まぁ…そうだと思う」
「ありえない。もう、ずっと前からなのに」
「あ、ああ…そうなのか」
  こんな返答で良かっただろうかと思いながらも、しかしこの時の如月にはそれしか言えなかった。先刻までずっと隠れていた瞳が、今やまっすぐに一秒も逸らされることなくこちらを向いてきているから。如月の動悸はやたらと早くなり、いつも冷静たれという訓示などどこ吹く風で、落ち着かなかった。
  それでもその感覚を、とても心地よいとも感じていた。
「じゃあ、付き合おうか」
  だからその気分の良さだけを勢いに、如月は実に軽薄な調子でそのセリフを吐いた。本当に、それはぽっと口から飛び出した。もちろん、如月は龍麻に対して軽い気持ちなど微塵もなかったし、真剣に付き合いたいと思ったのだが、如何せん、その言い様があまりに適当な感じだったものだから。
「何それ」
  当然のことながら龍麻には不評で。
「何かむかつくな」
  当然のことながら文句を言われ、ついでに軽く拳で胸を叩かれ。
  それが少々きつかったものだから、如月は思わず半身を屈めたのだが、瞬間、龍麻が抱きついてきて、如月は思い切り目を丸くした。
  頭ごとぎゅむっと包まれるような、それはどちらかというと「抱きしめられている」図にも見えたのだけれど、その抱擁を仕掛けてきた龍麻は何やらとても必死で、健気に見えて。
  如月は何秒か後に、ようやくその背中を抱き返して、「龍麻」と呼んだ。
「翡翠」
  するととても柔らかなトーンが返ってきて、「仕方ないか、翡翠だから」とあきらめたような言葉が紡がれた。如月がそれに「え」と口元だけで返すと、龍麻はまた「仕方ないか」と繰り返した。
 そして言った。
「そういう奴だって知ってても好きになっちゃったわけだから」
  仕方ないか、と。
  龍麻は三度も言った後、再度ぎゅっと如月にしがみついてふっと笑った。
「……ありがとう」
  だから如月はそんな龍麻に、ただ今、頭に浮かんだその単語をぽろりと零した。自分も好きだとか君が愛しいとか言いたいことはたくさんあったはずなのに。何故か何一つ言えなかった。そんな自分を何と情けない男かと思いながら、如月はそれらを言う代わりに、ただただ龍麻を強く必死に抱きしめ返した。



<完>





■後記…如月は学校でモテモテだと思うので、人から想われるパターンに慣れていないというのは完全に誤りなわけですが、如月自身はそういうことを自覚したことも意識したこともないので、勝手に「慣れない」と思っています。単に自分の好きな人から想われることは初めてだってことなんですけど…勝手にやっていて下さいリア充みたいな話になりました。そして龍麻はちっとも勝手な男ではなく、ただの可愛いひーちゃんなんです(何)。それにしても今さら両想いネタとは我ながら…。何はともあれ、如主に幸あれ。