呼鈴



  ちりん、と。
  透き通るような鈴の音が聞こえたような気がして、如月は目を開いた。
  意識が途切れていたのはほんの一瞬の事だったかもしれない。けれどふと気づいた時、如月にはそれまでの記憶がなかった。自分がいる居間のテーブル上には開きっぱなしの本があったが、それに目を凝らして見てもその文字はただぼやけて見えた。片手がその本に添えてある。自分は先刻までこれに目を通していたようだ。しかし、それならばこれは一体どのような内容の話だったろう。もう数十ページもめくっているようなのに、如月にはすぐにそれを思い出す事ができなかった。
  どうかしている。
「 ………0時か」
  何となく呟き、水でも飲もうと立ち上がった。今日は学校にも行かず1日店にいたが、客は1人もなかった。昨日から降り続いている雨のせいだろう。朝方の天候とその時の記憶を徐々に取り戻しながら如月は何ともなしにそう思い、ふっと息を吐いた。
  雨はまだ降っているようだ。外から古い家の天井や雨戸をぽつりぽつりと叩く水滴の音が聞こえる。如月は何となくそれに意識を向けながら、ゆっくりとした足取りで台所へと向かった。
「 翡翠」
「 なっ…」
  だから。
「 あぁごめん。驚いた…?」
「 ………龍麻」
  向かった先にぼうと突っ立っていたその姿には、さすがにぎくりと身体を揺らしてしまった。努めて表情にはその動揺を出さなかったつもりだけれど。
「 何、しているんだい?」
  眉をひそめてそれだけを言うと、龍麻は水道に目をやりながら寝ぼけたような声で言った。
「 いや…喉渇いたから水飲もうと思って」
「 …………」
  それは自分も同じだが。いや、そんな事はどうでも良い事なのだけれど。
  唖然としてその場に立ち尽くしている如月に、龍麻の方も落ち着きのないようにきょろきょろと視線を移し、それから決まり悪そうに頭を掻いた。如月はそんな龍麻の姿にようやく我に返り、慌てて閉じていた口を開いた。
「 いつからいたんだ?」
「 ん…」
「 鍵、開いていたかい?」
「 あぁ家の…。あー…閉まっていたと思うよ。だ…から、力任せに……鍵壊して中に入ったんだ」
「 …………」
  しどろもどろに言う龍麻はどことなく様子がおかしかったが、敢えて追求はしなかった。
「 ごめん…」
  そんな如月に対し龍麻は心底申し訳なさそうにそう言い、その後すぐにぺこりと頭を下げた。
「 非常識だな…俺…。何、考えてるんだろうな…」
「 …………」
「 本当…ごめん」
  龍麻は再度謝った。
  しかしその割に人の家のドアを破って勝手に中に入って来るとは、やる事は随分と大胆だと思う。しかし如月はその思いを内心だけにとどめ、後は無表情のままそんな龍麻の横をすっと通り越して取り敢えず戸棚から透明のグラスを二つ出した。
「 水じゃなく、何か違うものを出そうか。熱いのがいいなら
「 あ…翡翠と同じもので……」
「 そうか?」
  依然こちらと顔を合わせようとせずにぽつりとそう言う龍麻。
  如月は不審なものを感じながらも黙って冷蔵庫から冷えた麦茶を出し、それを自分と龍麻の分のグラスにコポコポと注いだ。
「 そこに立っていないで。部屋に行こう」
「 あ…うん」
「 本当にいつからいたんだい」
「 …………」
  龍麻は妙に言いにくそうだった。勝手に入ってきておいて今更何を隠す事があるのだろうと思ったが、それにしても自分自身も屋敷に入った侵入者に気づかずうたた寝とは、いささか、いやかなりもって緊張感に欠けていたと思う。祖父が知ったら何と言うだろうか。
  未熟者、と。
  そう言われる事はまず間違いないだろう。
「 あの…翡翠……」
  目の前に置かれた透明のグラスを眺めながら、龍麻は黙りこくる如月に向かって恐る恐る口を開いた。
「 何、してた…?」
「 え? 今かい? 別に…本を読んでいたみたいなんだけど、知らない間に寝ていたみたいでね」
「 ………」
「 それが?」
「 あぁ、いや別に…。翡翠、何しているのかなって思っていたからさ……」
「 ……だからこんな夜中に僕の所に来たのかい?」
「 ………多分」
「 ………」
  おかしい。
  この緋勇龍麻という人間が時々ひどく物憂げになって何を考えているのか分からなくなるというのは、何も今に始まった事ではなかった。夏先に知り合ってから数ヶ月、情緒不安定になった時の龍麻がその度この店でめちゃくちゃに買い物をする事も、時に自分に当たって愚痴ってくる事も、半ば慣れた年中行事みたいなものだった。だから今の龍麻の様子にもそれ程困惑する必要はないはずだった。
  けれども、どうしてか。
  彼の纏う空気がこんなにも心細いものに感じたのは、もしかすると今日が初めてかもしれなかった。決して龍麻が強い人間だと思っていたわけではないけれど。
「 龍麻、どうかしたかい?」
  思い余って声を掛けると、龍麻は「いや」とすぐに短く答え、それからグラスに口をつけた。麦茶を含んだその唇は水滴で濡れて電灯の明かりの下、いやに艶かしく光って見えた。如月は思わずそんな龍麻の口元をじっと見つめた。
  カチカチと、古い壁掛け時計が規則正しく時を刻む。それと相俟って外の雨音もしんと黙りこむ2人の空間により大きく流れこんできた。2人はただ沈黙していた。
「 …………」
  それでも少なくとも如月の方はそんな状態を気まずいものとは感じなかった。あんなに独りでいる事に慣れていた自分が、それが好きだと思っていた自分が、今こうして己の領域に人がいる事を心地良いとすら思っている。
  きっと相手がこの龍麻だからだろう。
「 今夜はもう泊まって行くだろう?」
  如月がようやく声を出すと、龍麻はびくりと肩を揺らした。そしてさっと頬を朱に染めた。如月が怪訝に思って首をかしげると、龍麻はますます落ち着かなくなったように身体を揺らしたが、しかし如月の問いにはただ黙って頷いた。





「 これ、龍麻の寝巻き。秋口にこんな薄手の浴衣で申し訳ないけど」
「 俺…何でも……」
  相変わらず龍麻は如月の顔を見ようとしなかったが、素直に渡されたそれを受け取り、はっと息を吐いた。
  比較的広い如月の家には勿論客人用の寝室もあったが、共に数々の死闘を乗り越えている間柄で別々の部屋に蒲団を敷くのもどうかと思い、如月は自身の寝室に龍麻の分のそれを用意した。龍麻も何にも言わずにそれに従った。
  何だか奇妙な感じがした。
  そういえば龍麻は何度もこの家に来ているのに、泊まるのは初めてなのだと思った。
「 君がうちに泊まるのは初めてだな」
  だから思った事をそのまま口にすると、龍麻はぎくっとしたようになって手にしていた浴衣をぎゅっと握りながら背後に立つ如月の事を振り返った。
「 な、何だい…?」
  その様子があまりに何かに怯えているようだったので如月が面食らうと、龍麻は再びばっと視線を外し「別に」とだけ言った。
「 ……龍麻。君、僕に何か隠し事しているのかい?」
  いよいよおかしい龍麻の態度に、如月ももう我慢ができずにそう訊いた。
「 ………」
  龍麻は答えなかった。如月はむっとしてそんな龍麻のすぐ背後に座り込むと、その後ろ姿に訴えかけるように尚も問い掛けた。
「 どうしたんだ。何かあったのか。突然夜中にやって来たり、そうかと思えば妙に無口だったり」
「 俺って……」
「 ん…?」
「 そんなに普段、お喋りだったっけ…?」
「 ……まあ。今ほど黙り込んだりはしないだろ?」
「 それじゃあ…その、今までの俺が嘘なんだよ…。翡翠が思っていた俺は、本当の俺じゃないんだ…」
「 え?」
  ぽつりぽつりとそう言う龍麻の肩先は気のせいか震えて見えた。こんなに小さかっただろうか、と如月はそんな龍麻の姿をそっと見つめた。
「 なあ…俺、本当に今夜はここにいていい…?」
「 何を…言っているんだ、いいに決まっているだろう?」
  やはり震えているのだ。唇が戦慄いているのが後ろからでも容易に分かった。思わず龍麻の両肩を支えてやると、龍麻はそれに驚いたようになって身体を揺らしたが逆らいはしなかった。逆にゆっくりと振り返り、 自分を見つめているだろう如月に上目遣いの視線をやってきた。
「 あ……」
  その目が、今にも崩れ落ちそうで。
「 龍麻、本当に…どうしたんだい…?」
  こちらも震えてしまっただろうか。そんな事を心配しながら如月は龍麻の事をただ目が離せなくなって見つめ続けた。すると龍麻はすっと如月の方に身体全身を向けると、コツンと胸元に自らの頭をもたげかけ、つぶやくように言った。
「 ごめん…。鍵壊したって言ったの、嘘……」
「 え?」
「 俺も…分からない。気づいたら、さっきあそこに立っていたんだ」
「 …何だって?」
  龍麻の言っている意味が分からずに如月は思い切り疑惑の声を上げてしまった。それで龍麻はまた怯えたようになったが、如月からは離れようとせずに逆にぎゅっと縋りつくと下を向いたまま言った。
「 だから…っ。知らないよ…。俺、自分ちにいたんだもん…。でもな、そこでヘンなのがたくさん出たから…片手でこう…潰しているうちに…周りが真っ赤になっていって…怖くなって…で…気づいたら……」
「 僕の家に、いたのかい…?」
  こくりと頷く龍麻に如月は未だ信じ難いものを感じていたが、小刻みに身体を震わす龍麻がひどく愛しくて抱きしめる腕には力を込めた。
「 龍麻……」
「 きっと、思い出したからだ…」
  そんな如月に龍麻は言った。
「 前…ほら、前…な…。翡翠は忘れちゃったかと思うけど、翡翠、前に俺に言ったんだ…。翡翠の家って…俺を護ってくれる家系だって。ずっと前からそれは決まっていて、翡翠が、俺が、生まれる前からそれは決まっていた事なんだって…。だから…」
「 だから……」
  龍麻の言葉を何となく繰り返してつぶやいた如月に、その言葉を落とした当人がここでようやく顔を上げてきた。既に泣き腫らしていたようなその目はひどく陰鬱だったけれど、それでもあの光は失われてはおらず、むしろ。
  綺麗な人だと如月は思った。
  ちりん、と。
  また鈴の音が鳴った気がした。
「 俺……ヘンな奴だな……」
「 そんな事はない」
  龍麻の台詞にはっとなり、如月は慌てて口を継いだ。あの音は一体何なのか。
「 翡翠…怖かっただろ。突然あんな風に立っていて。フツーじゃないよ、おかしいんだ」
「 そんな事ないと言ってる…」
「 なあ……でも俺、今は、今夜は独りのあそこに帰りたくないんだ」
「 だからここにいていいと言っているだろう」
  龍麻はこちらの言っている事を聞いていないのだろうか。如月はやや不快な顔をして何度も大丈夫だと言うように声を出し背中を撫でてやったが、龍麻は納得していないようだった。
  確かに龍麻を自分とは異質な存在として受け止めていた部分はあったと思う。けれど、こんな風に信用されないのは我慢ならなかった。
  自分の場所にこんな風に入れる事を許せるのは彼だけなのに。
「 龍麻。ここにいていいと言っている。この僕がそう言ってるんだ。だからそんな風に言うのはやめてくれ」
「 おかしい……おかしいな……。日が経つにつれ、俺はおかしくなっているんだ。きっと…これから何かが始まるから……」
「 ………」
  それは如月も感じている事だった。九角を倒し、鬼道衆を殲滅しても心に残るこの不安感。自分の使命をまっとうしたという確信がない。龍麻の周りに日々集う不穏な空気や異形の存在がその疑惑をより大きなものにしていた。
  龍麻自身がそれを感じなかったはずはないか。
「 翡翠…きっと今夜だけだから…。な…俺が、こんな風に情けないの…」
  龍麻は如月の胸に鼻先を押し付けながらくぐもった声で言った。
「 明日になったらさ…忘れてくれな…。俺がこうして現れた事も、こんな風に怖がっていた事も……」
「 …………」
「 約束……」
  すっと顔を上げて如月を見つめる龍麻。如月はそんな龍麻をじっと見つめ、ただ頷いた。声を出した気もするが、それを自分の耳で聞いた覚えはなかった。
  代わりに聞こえたのは、あの鈴の音。これは龍麻が出しているのだろうか。
  自分を呼ぶ為に。
「 翡…翠?」
  その龍麻が、不意に途惑った声をあげた。如月が自分でもよく分からないうちに龍麻の唇を自らの指でつっとなぞっていたからだった。
「 翡翠…何…?」
「 …………」
  龍麻に答えられる余裕がない。目が離せない。この口があの弱々しい言葉を吐くのか。一方で戦いの時はあんなにも強く揺ぎ無い意志の声を発するのに。
「 翡翠、どうし……」
「 しっ……」
  じっと見つめられていよいよ窮屈になったのだろうか。龍麻は益々不安そうな声を出したが、けれどそれを制し唇を近づけてきた如月にはもう何も言わなかった。否、言えなかった。
「 ん……っ」
  しつこく指をなぞらせていた如月がそれを離した瞬間、自らの唇を重ねてきたので、龍麻はぴくりと肩を揺らして驚いた反応を返した。
  それでも如月は構わずただ自らのそれを龍麻の唇に角度を変えながら何度も触れ合わせ、やがてちろりと舌でそこを舐めた。
「 や…翡……っ」
  くすぐったかったのか、龍麻は手で如月の頬に触れて自分から離そうとした。けれど如月はそんな龍麻のささやかな抵抗には構わずただ何度も唇を寄せ、そうして舌をも中に差し込んだ。
「 ん! んぅ…っ、ふ…く…っ」
  舌を絡め取られ、龍麻は苦しそうに身体を揺らした。それでも如月に縋った手はそのままだった。
「 ん…ん……」
「 龍、麻……」
  何度か吸い付くようにして繰り返していた唇を解放し、如月が茫然とその名を呼ぶと、龍麻も閉じていた目を薄っすらと開いた。至近距離で見詰め合って最初に躊躇した顔をしたのは如月だった。自分自身どうして急にこんな事をしてしまったのか分からなかった。
「 翡翠…何で…?」
「 ………分からない」
  正直にそう答えると、龍麻はまだうつろな目をしたまま、ただ如月を見つめた。それから不意に泣き出しそうな顔になって龍麻は言った。
「 俺みたいなのとして、お前までヘンになっても知らないよ…?」
  それはひどく掠れた声だった。今にも消え落ちてしまいそうな頼りない声だった。
「 バカな……」
  如月が眉をひそめてそれだけ言うと、龍麻はやや苦笑して「本当だよ」と続けた。
「 気持ち悪いだろ……」
「 君が?」
「 俺が…? そうじゃないよ、俺は…」
  逆に如月が訊き返してやると龍麻は意表をつかれたようになって目を見開いた。それから首を横に振って再び如月に縋りついた。
「 俺は、翡翠に助けて欲しいから…だから来たんだ…」
  だから、嫌じゃない。
  暗にそう言われて目をつむった龍麻に、如月は急激に自らの身体が熱くなるのを感じた。そして龍麻の着ていたシャツのボタンに手をかけると、後はもうただその勢いのままに龍麻の身体を蒲団の上に押し倒した。
「 翡翠……」
  不安そうに呼ぶ声が聞こえたけれど、返す言葉が見つからなかった。如月は黙ったまま龍麻のシャツを開き、そこから見えた白い肌に唇を寄せた。
「 翡……」
  再度呼びかけてきた龍麻を無視し、寝室の暗闇の中でさえ映えて見えた龍麻の胸の突起にキスをした。
「 んっ…」
  途端にぴくりと身体を揺らした龍麻に益々身体中の熱が駆け巡るのを感じた。如月はしつこく舌を寄せてそこを舐りながら、片手は下肢へ下ろして、龍麻のそれに絹ごしに触れてみた。同じ性の男にそうする事は自分でも抵抗を感じるかと思ったが、昂ぶっていた気持ちはより一層煽られた。龍麻もまた、自分の愛撫に感じている事が分かったから。
「 翡っ…翡翠…俺…おかしい…ッ」
  龍麻がぎゅっと目をつむりながら懇願するように言った。
「 何がだい…」
  話しかけてくる龍麻と視線を合わせる為、胸にやっていた顔を上げ、上体を上げて見つめるともろにその目と合った。たまらずに龍麻に再度深い口付けをすると、龍麻はそれを必死に受け止めながら息も絶え絶えに言った。
「 熱い…から…っ。何か、身体が……」
「 何だ…そんなのは僕もだよ…」
  もっと優しく言えないのかと思いながらも、如月はそう言ったきり、再び龍麻の下腹部へと手を下ろし愛撫を繰り返した。龍麻が苦しそうに足をばたつかせる。如月が上に覆いかぶさってきているので思うようにいかないらしいが、服越しに与えられるその刺激だけで龍麻は自分の性器が熱を帯びている事に怯えていた。
「 ぅ…ん…ッ! や…どうし…!」
「 龍麻…君のこんな顔……」
  初めて見る。
  最後まで口にできず、けれど如月はただ今は龍麻を解放してやりたくて、けれど許してやりたくなくて、混乱する自分の思考にどうにかなってしまいそうだった。混乱していた。それでも龍麻のズボンをいよいよ引きずりおろすと、遂に外気に晒され思い切り熱を帯びているそれに直接触れた。瞬間、龍麻が悲鳴のような声を小さく漏らした。
「 ひ…ッ、あぁ…あ、あぁっ…」
「 僕と同じ…じゃない、か……」
  息が荒くなりながら如月はそう言い、いよいよ興奮して先走りのものを出す龍麻の性器を激しく上下に扱いてやった。龍麻はびくびくと胸を逸らし、首を左右に振りながら目を閉じて如月からの愛撫に溺れた。
「 ひす…っ、は、あ…ん、ん…あ、ああぁ――ッ」
  半ば絶叫に近い声を漏らし、あっという間に龍麻は果てた。
「 ふっ…はぁ…ッ…」
  ぜえぜえと身体全身で息を吐き、龍麻は自らの腹に散った白い精液を茫然と眺めていた。そして龍麻が少し身体をずらしただけでそれは腹から下の蒲団へとつっと流れ落ち、シーツを濡らした。
  途端、龍麻の目から涙がこぼれた。
「 翡翠…翡翠……」
  子供のように呼ぶ龍麻を如月も顔を紅潮させたまま見つめた。応えるようにまた口付けをすると、龍麻はそれを半ばもっとと欲するように自分から如月の唇に吸いついてきた。
「 怖いんだ…っ…」
  龍麻が言った。
「 なぁ…どうしよう…。何なんだ、この気持ち…俺、一体どうしちゃったんだ…翡翠…」
「 …………」
「 翡翠、教えて……」
「 …………」
  縋る龍麻に如月は再度唇を寄せた。けれど口づけはせずに、龍麻の瞼にそっとそれを落とすとやはり優しく言えずに素っ気ない声が出てしまった。
「 僕こそ教えて欲しい…この僕が……」
「 翡翠…」
「 僕が他人を欲しいと思うなんて……」
「 翡翠、俺……」
「 黙っていてくれ……」
  そうして如月は龍麻にもう一度、今度は言葉を吐かせない為に唇を重ねると、そのまま自らも纏っていたものを脱ぎ捨てて裸の龍麻に身体を重ねた。既に十分熱を欲してそそり勃っているものを龍麻の両足の間に入れる。深奥に指を当てがい、中へ差し込むと龍麻はまた小さく声を漏らした。
「 痛いかい…」
「 ヘン…身体…ヘンだぁ…」
  龍麻はいやいやと首を横に振りながらぎゅっと両手で蒲団のシーツを掴んだ。足の指も硬直して踏ん張るように地べたについている。如月はそんな龍麻の肢体にただ興奮しながら、やがて今度は自分のものを龍麻のそこへゆっくりと挿入していった。
「 ひぅ…ッ!」
  喉の奥から龍麻が泣き声を漏らした。それでも抵抗はしない。自らも腰を上げ、自分を支える如月に両足を差し出して、ただ固く目を閉じている。その姿だけで如月は身体中の熱が外へ溢れ出しそうな感覚に捕らわれた。
「 龍麻…ッ」
「 ん…あッ、ひ…んぅッ!」
  満足に馴らしてもいない龍麻の中に、如月のそれは入口を傷つけながらも強引に押し入った。奥へ奥へ腰を進めて行くと龍麻はその度に声にならない声を漏らし、目尻から涙を落とした。
「 あ…はぁ…ッ! ひぁ――…ッ」
「 くっ…!」
「 あぅ…んぅ…! 翡…翠、俺……あ、あぁ…あぁッ…」
「 龍麻…ッ」
「 ぃ…あッ…! あぁッ…あ、あ…ん、んぅ…ッ!」
「 龍麻、龍麻……」
「 やぁ…ッ、あ、あぁッ!」
  徐々に腰を揺らして上下に突くと、龍麻は背を反らしながらその度声を上げた。同時にびくびくと龍麻の性器も再び勃ち上がり、如月を受け入れている入口はぎゅっと食いつくように締まった。
「 なん…あ、ぁ…翡翠……ッ!」
  そうして龍麻は何度も如月の名を呼んだ。助けて欲しいと龍麻は言っていた。まるで逆だ。自分のしている事は。けれど如月はそう思いながらも、自分を呼ぶ龍麻を見つめながらも、何度も何度も腰を揺らした。そして龍麻の中へ自らの熱を思い切り放った。
「 ――――ッ!!」
  瞬間、龍麻ががくりと意識を手放したのが分かった。
  小刻みに揺れる呼吸の動きはそのままだったけれど、如月はこの時自分は龍麻を殺してしまったのではないかとすら思った。
  こんなに激しく愛してしまって。

  ちりん、と。

  その時、また如月の耳に鈴の音が聞こえた。けれど如月は汗ばむ身体を龍麻に折り重ねながら、この時「あぁやはりそうなのだ」とだけ思った。
  主が従者を呼ぶ鈴の音。あれは自分を呼ぶ、龍麻の救済の音だったのだ。
「………龍麻」
  涙の痕を残しながら気を飛ばした龍麻の顔を如月はただ見つめた。そっと唇に触れたが相手の反応はない。それでも如月は何度も。その夜、何度も龍麻の唇に自らのそれを重ねた。
  ただこの想いを止められなかった。





「 こんにちは」
  龍麻が再び店にやってきたのは、あれから数日後の早朝の事だった。如月は丁度外へ仕事先の知り合いを訪ねて出掛ける所で、店の引き戸を開けて入ってきた龍麻に思い切り意表をつかれた。
「 龍麻か…。こんな時間にどうしたんだい」
  無機的な顔で素っ気無く言うと、龍麻は小さく笑ってから小首をかしげた。それからきょろきょろと店を見回し、「俺、買い物に来た」などとのんびりとした口調で言った。
「 悪いけど…今日はこれから出掛けるんだ」
「 ごめん。でも…」
「 ああ、買う物が決まっているなら今言ってくれればいい。何が入用だい」
「 …………翡翠」
「 え?」
  龍麻はじっと如月を見つめながら言った。けれどすぐに真面目だった顔を崩して笑い。
「 冗談だよ。あのね、あれ」
  いつもの傷薬を幾つか指名して、龍麻は如月とは距離を取ったまま、後は店内の物に目を移した。如月はそんな龍麻を見つめてから、自分も黙って品物を袋に入れた。
  あの日あった事は2人の間で語られる事はなかった。翌日には龍麻は何事もなかったように家に戻り、それからしばらくは連絡もなかった。それで昨日になってようやく電話があったかと思えば、皆で潜る旧校舎への誘い。仲間といる龍麻はいつも通りで、戦いの指示を出す龍麻もいつも通りだった。
  自分に対する態度もいつも通りで。
「 ……はい、それじゃあこれ」
「 あ、ありがと」
  袋に詰めた薬を渡すと龍麻は礼を言ってから財布を取り出した。そうして幾らだろうと如月を見つめる。いつもの、龍麻。
  不意に如月はそんな龍麻に胸が焼け付くような気持ちになるのを感じた。
「 ……いいさ」
「 え?」
  だから、気づいたらそう言っていた。
「 いらないよ」
「 え、お金? でも……」
「 いいんだ。君からはもう取らない。そう決めた」
「 …………」
  如月がきっぱりとそう言うと、龍麻は急に真摯な顔をして握っていた財布にぎゅっと力を込めた。そして何事か言いたそうな顔をしていたが、口を開いたまま、けれど龍麻は結局何も発しなかった。
「 それじゃあ、僕はもう出るから君も出てくれ。鍵を閉める」
  だから如月も後は何も言わずにじっと自分を見つめる龍麻を無理に外へと押し出し、自分もすぐに外へ出た。今日は晴天だ。思えばあの夜は陰鬱な雨空だった。おかしかったんだろう、龍麻の言うとおり。龍麻も、そして自分も。
  だからと言って、あの夜あった事をなかった事になどできるわけがないが。
「 ねえ翡翠……」
  すると如月の背後に立っていた龍麻が急にぽつりと声を出した。如月が振り返ると、龍麻は少しだけ気まずい顔をしていた。
「 何だい?」
  そして訊くと、龍麻は言った。
「 お前は……俺といてくれるんだよな?」
「 …………」
「 また俺がおかしくなったら……」
  それは精一杯に出された搾り出すような声だった。龍麻は困ったように如月をちらちらと見つめ、それからまたかっと赤面した。きっとあの夜の事を思い出したのだろうと思った。
  可愛い。
「 君は……ちっともおかしくなんかない」
  だからだろうか、如月は言ってからわざと龍麻からふいと視線を逸らした。どんな顔をして良いか分からなかった。本当はもっと優しくしたかったが、自分を保てなくなるのが怖かった。如月は龍麻をまともに見る事ができなかった。
  こんなに捕らわれていたなんて。

  ちりりん。

  その時、また鈴の音が聞こえた。
「 あ……」
「 なあ、翡翠。それなら俺…今日、放課後また来るな」
  龍麻が控えめに、それでいてとても嬉しそうな声でそう言うのが聞こえた。だから如月は何ともなしにすぐ頷き、それからそう言ってきた龍麻にやっと視線を送った。
  そこには心底安心したような、それこそ初めて見るような柔らかい笑顔があった。



<完>





■後記…ご主人様って召使いを呼ぶ時、持っている鈴をちりりんって鳴らすじゃないですか。それをやってみたかったんだけど…龍麻は如月に来てもらう前に自分で行っちゃったみたい(笑)。鈴鳴らしながら待ちきれなくて呼びに行っちゃう甘えん坊主(駄目だ…汗)。でもこの時の如月の方は、龍麻を好きとかいう感情はまだそんななかったみたいです。何となく大切だなあくらいには思っていたけど、あまり龍麻=護るべき人って実感がなかったというか。龍麻が掴み所のない人だったから故ですが、今回の事でようやく如月は龍麻の可愛さに気づいたってところでしょうか(ひどくないかそれ…)。いや、どっちかってーと如月が有利な方が好きだから。