多分、大丈夫



  うっとおしいんだよ。
  誰も俺に近づくな。
  俺に触るな。
  くだらない事を言って、俺を煩わせるな。
  ムカムカするんだ。
  「そういう空気」に、俺は慣れていないんだ。


  真神学園に転校してきた時、あまりに周囲の人間たちが「柔らかく」て、龍麻は少なからず困惑した。
「 何か困った事があったら遠慮なく言ってね」
「 仲良くしようねッ!」
  そう言って、綺麗な顔だちをした2人の女子生徒たちは微笑んだ。
  またそんな彼女たちだけではなく、その他のクラスメイトや戦いの度に知り合った仲間たち、出会う人間の多くが龍麻に親しげな笑みを見せた。

  何なんだ。

  龍麻には不思議だった。
  今まで、こういう風に他人に関わられた事がなかった。だから分からなかった。
  こういうものなのだろうか。得体の知れない、笑顔の下手なこんな自分に、この人間たちは何だってこんな風に近づいてくるのだろうか。
  害のない、優しい顔をして。
  自分に《力》があるからだろうか。人よりも強いからだろうか。色々と考えてはみたが、結局龍麻は考えることをやめた。
「 よろしく」
  龍麻は周囲の人間たちに対して、まずは同調することから始めた。煩わしいと思ったからこそ、他人とはうまくやっておきたいと思った。下手に刺々しい態度を取って目立つのも嫌だと考えたのだ。
  うまくやれているはずだった。笑うのは苦手だったけれど、意識して頬を緩め、頷いた。
  従順で温和な転校生を演じているつもりだった。
「 よお、緋勇。もう帰るのか?」
  そんな日が一ヶ月も過ぎた頃。
「 へへへ…一緒に帰るか!」
  嬉しそうに校門の入り口でそう声をかけてきたのは、赤髪の、常に木刀を肩に背負った男―蓬莱寺京一というクラスメイトだった。
  うまく一人で出て来たはずだったのに、どうやら相手は先回りして龍麻を待っていたらしかった。
  龍麻は心の中に浮かんだ暗い気持ちを必死に抑えながら、努めて明るい声を出した。
「 うん…蓬莱寺は、部活は?」
  蓬莱寺京一。
  転校初日から、色々と話しかけて「くれた」人物だった。実際、それはこの男にしてみれば心からの親切だったのだろうが、当の龍麻にはいい迷惑だった。
  放っておいてほしいのに。
  それでもその思惑とは裏腹に、この人物とは転校初日から共に喧嘩をしたり、妙なごたごたに巻き込まれたり。知らない間に湧き出た内からの《力》に戸惑ったり。
  そうこうしているうちに、いつの間にか毎日顔を合わせては一緒にいる仲になってしまっていた。
「 おい、どうした緋勇?」
「 ……あ」
  思わずそんな経緯を思い出してぼうっとしてしまった龍麻に、その蓬莱寺京一が不思議そうな顔を見せてきた。慌てて視線をそちらにやると、京一はまた元の明るい笑顔になって先刻の龍麻の質問に対して律儀に答えてきた。
「 今日は自主練の日なンだよな! まァ、何も道場で竹刀振るだけが練習でもねェだろ」
「 それ、昨日も言っていたような……」
「 ははッ! まあ細かい事は気にするなよ。それより、せっかくだからラーメンでも食って帰らねェか?」
「 また?」
  思わず本音がぽろりと出てしまうと、京一はそんな龍麻に対して素直に渋面をつくってきた。
「 ……お前なあ。転校してきたばっかの孤独なお前に、俺がこうやって親切に声かけてやってンだろ? 人の好意はありがたく受け取るモンだぜ」
  誰が頼んだんだよ。
  そう思ったが、勿論声には出せなかった。自分の本音など話して、一体何になるのだろうか。
「 行くよ……」
  多少諦めと共にため息も漏らしたが、京一の方はそんな龍麻の表情にすら気づかずに、さっさと先を歩き始めていた。
「 今日は何食うかな。やっぱ味噌かな!」
  実に楽しそうにそう言う京一の声を耳に入れながら、龍麻はその後ろをのろのろと歩いた。

  広い背中だな。

  そして何となくそう思って、龍麻は再び嘆息した。
  自分も腕には自信があるから、京一の力が高いということは分かっていた。いや、力があるというだけではない。「あの」能力とは関係のない、何か相手を惹きつける光というのだろうか。そういう眩しさが、この男にはあると龍麻は思った。
  だからこそ、「仲間」の中では特に苦手な相手だと思ってしまうのだが。
「 おい、緋勇」
  その時、相変わらず龍麻に背を向けたまま歩き続けていた京一が何気ない声で言った。
  実に、唐突に。
「 抱きつきたいなら、いいぞ、きても」
  幸い、周囲には誰もいなかった。その言葉を聞いたのは言われた当人である龍麻だけで。
「 …………は?」
  一瞬、何を言われたのか分からなかった。
  無意識のうちに足を止めると、そんな龍麻の様子に気がついたのか、京一が振り返って不審の声をあげた。
「 何してンだ? 早く行こうぜッ」
「 行こうぜって……」
  お前が今言った言葉に翻弄されているんだろ。
  そうは思ったがやはり後の台詞を吐けずに龍麻が戸惑っていると、京一はようやく得心したような顔をしてから、すたすたと自ら歩み寄って言葉を出した。
「 何だよ。自分の考えズバリ言われたもんで驚いたのか?」
「 じ、自分の考えって…?」
「 だからァ! お前、今俺の背中見て、後ろからぎゅーっと抱きつきたいとかって思っただろ?」
「 お、思うわけないだろ…ッ!」
  何なんだ、コイツ!
  あまりにも馬鹿馬鹿しい事を言った相手に、いい加減龍麻が声を荒げると、京一はここでようやく心底おかしいといった風に声を上げて笑った。
「 わははっ! お前、何マジになってンだよ? 冗談に決まってンだろー?」
「 ………ッ!?」
  何だって?
  とてもふざけて言ったようには思えなかったのだが。
  それでもそう言ってきた京一に、龍麻はからかわれたことが悔しくて声を失った。
  しかしそんな龍麻を、京一は興味深いような目をしてから静かに言葉を継いだ。
「 ……それでも、緋勇。お前もそういう声、出せるンだな」
「 ! …な、何だよ…っ」
「 ……なーんかな。お前、無理し過ぎだからよ」
「 どういう意―」
「 そのまんまの意味」
  京一は軽くそう言い放った後、また龍麻のことを置き去りに一人で歩き始めた。龍麻は急に沸き立つ気持ちを抑えられずに、勢いのまま駆け出すと、先を歩いている京一の前に回りこんで叫んだ。
「 待てよ! どういう意味だって訊いてんだろ!」
「 だからそういう意味だって」
「 そういう意味って何だよ? 何が言いたいんだよ!」
「 緋勇、何ムキになってンだよ」
「 ……別に……ッ」
  はっとなって口ごもると、京一はそんな龍麻のことをじっと見やり、それからすっと指を突き出して。
「 ……!?」
  まるで小さい子供にやるように、龍麻の頬に自分の指をぷすっと突き刺した。
「 な…っ?」
  何するんだ、コイツ…!
  京一の突然起こした訳の分からない行動に、龍麻が完全に声を失っていると、京一は本当に静かな目をしてから、優しい顔で笑んだ。
「 おお、綺麗なオネエチャンにも負けない綺麗な肌」
「 や、やめろよ…!」
  たまらなくなって龍麻が京一の手を払うと、赤髪の剣士の方は実に涼し気な顔をしてやや小首をかしげた。
「 何か分かンねェんだけどよ……」
  そして、普段はお目にかかれないようなひどく真面目な顔をすると言った。
「 どうも俺はお前のことがよく分かる」
「 ……え?」
「 お前の、曲がったところとか」
「 何を……」
「 お前の、寂しがり屋なとことかよ」
「 蓬莱―」
「 だからさ、龍麻」
  そして京一は龍麻には言わせずに、やや照れたようになりながら自分が言葉を出した。
「 お前、俺には見せていいぜ。本当の自分ってやつ。俺、多分、大丈夫だからさ」
「 …………」
「 お前の黒いとこも、弱いとこも何となく分かるからよ。…それでもお前が嫌なら普段は知らないフリしててやるから。駄目になりそうになったらいつでも俺に言えよ」
  龍麻が声を出せずにいると、京一は「多分よ」と何気ない口調で続けた。

  多分、俺とお前って何かで繋がってるぜ。

  京一は「自分でも良く分かっていないけどな」と付け足しながら、それでも「まあ、そういうわけだ」などと言って、その後は自信有り気な顔を閃かせた。
「 …………」
  龍麻はそんな目の前の人間をただじっと見やった。
  いつもいつも。
  誰かと関わるのが嫌で。
  誰にも近づいてほしくなくて。
「 うっとおしいんだよ……」
  煩わしい。誰かといるなんて。自分を見せるなんて。
「 面倒臭いんだよ……」
  隠すのが。自分の弱さや、哀しみを抑えるのが苦痛だ。
  でも見られたくないから。
「 何だよ……」
  自分の声が震えていないことを龍麻は祈った。京一の顔を見ることはもうできなかったが、必死に毒のある言い方をしようと声に棘を含ませた。
「 お前の言っていること……訳が分からないよ」
「 そうか?」
「 バカじゃないのか……」
「 まあ、そうかもな」
  京一は別段気分を害された風もなく、軽くそう言い退けると、またハハハと明るく笑って見せた。
  そして少しだけ逡巡したような態度の後、きっぱりと言った。
「 けど、そのバカに猫かぶってンの見破られるお前も、結構恥ずかしいよな」
「 うるさい……」
「 ははッ! おいおい、ところでそろそろラーメン行こうぜっ! 早く行かないとのびちまうぞ」
「 まだ頼んでないだろ」
「 いいから早く来い、龍麻!」
「 気安く呼ぶな」
「 だったらお前も呼び返せって」
「 …………」
「 行くぞ、龍麻」
  京一はいよいよ龍麻に背を向けると、再び颯爽と歩き始めた。広い背中だなと龍麻は思った。先刻と同じように、広い背中だなと……。
「 おい、龍麻。抱きつきたかったら―」
「 黙れ、バカ京一!」
  龍麻は京一が言い終える前にその声を掻き消した。そうして京一が何かを言い出す前に、だっと駆け出して追い抜いた。
  顔を見られるのが照れくさかったから。



<完>





■後記・・・青春京主…ってか、龍麻。最近のSSに登場してくる龍麻はめっきり柔らかくなった感じですが、根本は翳りのある子という設定なので。読み返して懐かしい気持ちに。京一はやはり書いていて楽しいです。