誓い
「 ねえねえ、ラーメン食べて帰ろうよッ!」
真神学園3−Cの教室では、いつものメンバーがいつものように放課後龍麻の席に集まって来ていた。
そこで発せられた小蒔の提案。いつもニコニコ楽しそうな小蒔は大袈裟に自分の腹をさすりながら苦々しい顔をする。
「 もうボクお腹ぺっこぺこだよぉ〜。マリアセンセったら、ボクが苦しそうな顔しているの知っていて授業延長するんだもんな〜!」
「 うふふ…。小蒔ったら」
そんな親友の愚痴に美里がおかしそうに、しかし優しげな微笑みを向ける。
それに続いて醍醐も苦笑しつつ頷く。
「 だがまあ、そうだな。このまま真っ直ぐ家に帰るというのも芸がないし。ラーメンでも食って帰るとするか。な、龍麻?」
そう言って不意に話を振られた龍麻は「ラーメンこそいつも通りで芸がないのでは…」と思いながらも、敢えてその思いは喉の奥にしまいこみ、追従するように頷いた。
「 よっし、決まり! ……って、あれれ?」
しかし龍麻の了承で更にテンションの上がった小蒔が、不意に首をかしげ、何事かを考え込むように腕を組んだ。
「 どうしたの、小蒔?」
そんな小蒔に、美里がすかさず不思議そうな顔をした。
「 え? う〜ん、何かこれって変だなあって思って」
「 何がだ、桜井?」
「 え? う〜ん、何でだろ。いつも通りだよね? いつも通りこうやってみんなで集まってラーメン食べて帰ろうって話になって…って。あー、分かった!!」
「 な、何だ桜井。突然大声を出すな」
1人で悩み、1人でさっさと結論を出して納得したような小蒔に、今度は傍にいた醍醐までが驚いて眉をしかめた。
しかしそんな醍醐には全く構わず、小蒔は龍麻のすぐ背後に突っ立っていたもう1人の「仲間」を指差して更に大きな声を出した。
「 京一だよ、京一! 変だと思ったのはッ!」
「 京一君が…?」
美里が戸惑ったように親友の指差した方…京一の方へと視線をやると、それに合わせたように小蒔が先の言葉を継いだ。
「 いつもだったら京一が1番に『ひーちゃん、ラーメン食って帰ろうぜッ!』って言うじゃないか! なのに、何か京一、さっきから一言も喋ってない! これっておかしい!」
「 ふ…む、そう言えば確かに」
それで醍醐も言われてみればその通りだという風に、京一の顔をちらりと見てからつぶやいた。それにあわせて龍麻も相棒の方へ視線を向けた。
「 ………?」
しかし別段変わった様子は見られないと思う。大体今日の昼休みも特に何という事もなかった。確かに退屈な授業から解放されてここまで黙っている親友は珍しいと言えない事もなかったが、小蒔の驚きようは少し大袈裟なのではないかと龍麻には思えた。
そんな龍麻の思いを代弁するように美里が先に口を開いた。
「 うふふ…小蒔。京一君はまだ眠いのじゃないかしら? さっきまでマリア先生の視線にも気づかずにずっと眠っていたのだし、目が覚めたばかりでしょう? だから」
「 ああ…そうか。そういえばコイツは凝りもせずにずっと机に突っ伏していたな。うむ、美里の言う通りだろう」
逸早くその意見を取り入れ、頷いたのは醍醐だ。
「 ええ…そうかなあ…」
2人に言われ、小蒔もそうなのだろうかと更に首をかしげつつ頷いたのだが、それでも尚しつこい視線を送らずにはいられなかったらしい。反応の鈍い京一に顔を近づけ、「そうなの?」などと直接訊ねている。
「 なんだよ…」
それに対して話の中心である当人ー京一がようやくはた迷惑そうな顔をしつつも口を開いた。
「 あ! やっと口きいた!」
「 うるせえなあ…」
そんな小蒔に対し、京一は益々むっとしたような顔をしつつ、やはり眠かったのだろうか、薄ボンヤリとした目を向けながら口を尖らせた。
「 今やっと意識がはっきりしてきたとこなんだよ。ったく、普段は人が喋ったら喋ったでうるさいだの何だの言うくせに、黙ってればまた何だかんだと言いやがる」
「 だって不自然なんだもん」
「 俺は元々寡黙な男なんだよ。お前が本当の俺の姿に気づいてなかったってだけよ」
「 はあ? 何おかしな事言っているのさ!」
京一の台詞に小蒔が目を丸くしてぽかんとすると、今度は美里がおかしそうにくすくすと笑って言った。
「 うふふ…ようやくいつもの調子になってきたわね」
「 うむ、そうだな。よし、それでは行くとしようか? なあ、龍麻」
「 うん」
醍醐が再び声をかけてきたので、龍麻も素直に頷いた。
それで5人はいつもの通り、仲良く教室を出るのだった。
ラーメン屋ではまた普段と同じ穏やかな時が流れた。
皆一様に明るく話し、いつもの戦いがまるで嘘のように普通の高校生同士の会話を楽しんだ。
小蒔は近々行われる部活の本大会のため、練習に熱が入っているという話。醍醐はこの頃よく紫暮の道場に行って手合わせをしているという話(その際、龍麻や京一にも来るようにと熱心に勧誘)。美里は母親から最近新しい料理を教えてもらったとかで、それを是非皆に披露したいという話。
そして京一は。
最近はかわいい好みのオネエチャンがいなくて物足りないとぶうたれて、小蒔から鉄拳制裁をもらっていた。
「 まったく、キミって人はホントに成長がないねッ!」
「 んだよ! 思いっきり殴ることねえじゃねえか!」
「 こらこらお前ら。店の中で暴れるんじゃないぞ」
「 うふふ…もう、2人とも……」
いつもの、変わり映えのない平和な風景だった。それで龍麻もそんな仲間たちの光景を眺め、時に笑ったり頷いたり。ゆるやかな時間の中に身を置いた。
そして数時間後。
「 じゃあねーひーちゃん、また明日!」
「 さようなら、龍麻。また明日ね」
「 じゃあな。気をつけて帰れよ」
ラーメン屋での一時が終わり、皆それぞれがそれぞれの表情と口調で龍麻に別れを告げ、去って行った。
「 うん、また……」
皆の後にすぐその台詞を言うのは叶わなかったが、それでも龍麻は去って行った彼らの背中に向けてぽつりとつぶやいた。
龍麻は元々極端に口数が少なく、普段からあまり率先して話す事を好まない。いつからそんな人間になったのか、それは龍麻自身にも最早覚えていない事だったが、とにかく努めて人の中心にいないよう、気づかれないようにと過ごしてきたつもりだった。
が、それでもこの気さくな仲間たちと出会ってから早数ヶ月。当初は戸惑ったものの、段々とこの優しい空気にも慣れ、龍麻は少しずつだが自分なりの笑顔で彼らと接せられるようになってきていた。
少しずつでは、あるのだが。
「 ひーちゃん」
その時、まだ自分に別れを告げずに立っていた人物が突然声をかけてきた事で、龍麻ははっとして振り返った。
「 京一?」
「 …………」
しかし京一は龍麻を呼んだきり、黙りこんでしまった。龍麻はそんな京一に首をかしげ、それから恐る恐る自分からの言葉を出した。
「 どうしたんだ…?」
「 ………いや」
しかし京一はそう言ったきり、再び口を閉ざしてしまった。
不意に龍麻はラーメン屋に来る前、教室で小蒔が「京一がおかしい」と言っていた事を思い出した。
「 京一…何か、あった…?」
気が進まなかったが、龍麻は訊いてみた。
本当のところは、自分が京一に対してそこまで踏み込んで何かを訊いても良いものだろうか思っていた。確かに京一は自分の事を「相棒」と呼び、転校してきた当初も1番に親しく話しかけてくれたし、戦いを強いられている現在の状況にも1番力を貸してくれる頼もしい存在であった。けれど、だからと言って全てを理解し合えているとは思えない。京一とてそれはそうだろう。だから京一が語りもしないのに、「何か」を突っ込んで訊く事に、龍麻はためらいを持ったのだった。
それで京一に迷惑に思われるのも嫌だったし。
「 放課後さ…ちょっと変だっただろ?」
それでも再び龍麻は問い質していた。何故かそうする必要性を感じた。
けれど京一はそんな龍麻の事をまじまじと見やると、少しだけ表情を曇らせた。
「 お前さ…そうやって…無理に笑ったり喋ったりするの、やめろよ」
「 え…?」
「 せめて…俺の前ではさ」
「 …………」
突然真面目な顔でそんな事を言われ、龍麻は思い切り面食らって絶句した。
無理をしていないと言えば確かに嘘になる。けれどその「無理」も相手にバレていないと思えばこそできたものだ。相手に悟られていては何の意味もないと思う。
「 俺…別に……」
だから一度見抜かれた嘘を取り繕おうとしても、それは見るも無残なほど空々しく、あからさまな嘘の上塗りになってしまった。
「 嘘つけよ」
「 京一……」
「 でもまあ…いいんだ。悪いな、ひーちゃん」
「 え……?」
「 帰るか」
何がいいのだろうか。
そうは思ったが、龍麻は聞き返す事ができなかった。
「 京一…っ」
それでもこのまま気まずく別れるのもマズイ気がして、龍麻は必死に親友を呼んだ。
「 ん…?」
京一はすぐに振り返った。龍麻は何故か猛烈に焦ってしまった。
「 あ…あの…いや、さ…。そ、それで京一はどうかしたのかなって思って」
「 あん?」
「 あ…いや、だから……」
「 ああ、放課後黙りこくってた事か? いや別に何でもねえんだよ。ホントに眠かったんだ。心配してくれたのか?」
「 う、うん……」
「 さんきゅ、ひーちゃん。でもよ、本当に何でもねえんだ」
「 …………」
ああ、やっぱりだ。
「 いや、何でもないんならいいんだ」
龍麻は努めて感情を表に出さないようにして、京一に言われたばかりだというのに、また無理に笑って見せた。
やっぱりだ。
やっぱり京一は何も言わない。余計な事を言ってしまった。
龍麻は自分が出した台詞に後悔しながらも、それをかき消すようにわざと明るい声で言った。
「 それじゃあ、帰るから。また…」
早く帰って、今日の失敗の事は忘れよう。そう思った。
「 ひーちゃん」
けれど京一が再びそんな龍麻を呼び止めた。
「 ………?」
去りかけていた龍麻が怪訝な顔をして振り返ると、京一の方はやはりひどく難しい顔をしてからぼそりと言った。
「 あのよ…。そこまで一緒に帰るよ」
「 え…? でも京一の家……」
「 ああ…反対だけどよ。けど、俺もそっちに用があるから…」
「 用?」
「 ……………」
けれど京一はそれきりもう何も言わなかった。そして龍麻の事を追い越すと、自分だけさっさと先に歩き始めた。
龍麻はそんな京一の背中を追うしかなかった。
そんな「いつもと違う」京一と、一体どれくらい無言で歩き続けたのだろうか。
「 なあ、ひーちゃん」
ようやく京一が口を開いた時は、もう龍麻の自宅まで目と鼻の先だった。
「 何?」
龍麻が問い返すと、京一は思い切ったようになって言った。
「 あの子の事だけどよ…」
「 あの子…?」
「 やっぱ…想ってたのか?」
「 何が?」
何の事を言われているのか分からなくて龍麻は真面目な顔で問い返した。
すると京一は気分を害したような顔になってむっとした声で続けた。
「 何がじゃねえよ。仲、良かったんだろ。やっぱりまだ落ち込んでんのかなと思ってさ」
「 ……比良坂さんのこと?」
もう散々心配してくれた後じゃないか、あの件は。
龍麻は心の中でそんな事を思いながらも、だから京一はさっきあんな風に「無理することはない」などと言ってくれたのかと得心した。
確かにあの少女との束の間の出会いと別れは、少なからず龍麻に何らかの影響を及ぼした。
《力》についても今まで以上に思いを巡らせた。必ず突き当たる疑問、「何故自分にはこのような能力が備わったのだろうか」とか、「何故自分は戦うのか」とか、「何故、自分はここに居るのだろうか」とか…そういった事とも延々と向き合う事になった。
しかしそんな疑問も、まともな答えが出る事はなく、彼女の死と同時に霧の中へと消えてしまった。その歯切れの悪いモヤモヤとした気持ちは確かにまだ龍麻の胸の奥でくすぶってはいたけれど、まさか京一が未だにそんな風に自分の事を気遣っていてくれていたとは思いもしなかった。
少し、意外だった。
「 俺…そんなに落ち込んでいるように見えた?」
申し訳なく思ってそう訊くと、京一は更に一層不愉快な顔になり、けれど「いや」と短く否定の言葉を吐いた。
「 ……ひーちゃんは……いつも通りに見えるな」
「 なら……」
「 けどそのいつも通りってやつが…。ああいい、何でもねえ。ただ今訊きたくなった。それだけだ」
京一は何故か急に投げやりになったようにそう吐き捨ててから、再び黙り込んでしまった。
「 …………」
やはり今日の京一はおかしい。
「 京――」
けれど龍麻がその言葉を口に出そうとした瞬間―。
「 !? ひーちゃん、危ねえッ!!」
いきなり京一が叫んで木刀を掲げた。
「 !?」
その京一の声と同時に反射的に身体を屈めた龍麻は、突然自分の背後から襲い掛かってきた異形の第一撃をかろうじて避ける事に成功した。
「 な……ッ!?」
《 キエエエエ―――!!》
《 シャ――――!!》
敵は一匹ではなかった。
一体どこから湧いて出たのか、それとも誰かがどこからか操作しているのか、一度に複数の異形の群れが龍麻に向かって飛び掛かってきていた。京一の声で何とか一陣の攻撃はかわしたものの、そのせいで体勢を思い切り崩した龍麻はそのままその場に倒れこんでしまった。
「 どいてろ、ひーちゃん!!」
しかしそんな龍麻とは逆に最初から異形と面と向かう形を取っていた京一はすぐに戦闘の態勢を取る事ができた。
すかさず龍麻の前に立ちはだかり、恐れもなく次々と飛び掛かってくる異形たちを京一は手にしていた木刀でなぎ払っていった。
「 京……ッ」
「 いいからお前はそこにいろ!」
京一は振り返らずに龍麻にそれだけを言った。その鬼気迫る声と繰り出す《力》に、龍麻は圧倒された。
いつもの京一とは、やはり違った。
《 ギャ――――!!》
容赦なく切り倒され、消滅していく異形たち。
《 ギャギャ―――!!》
ぼたぼたと異形の肉片がそこら中に落ち、しかしそれは飛び散る血潮と一緒に水のように道路に染み渡ってから吸い込まれ消えていった。
「 ………ッ!」
声もなかった。
京一の戦いを初めて見たわけではない。自分もいつもやっていることだ、こんな事。
けれど。
「 もう……」
いいじゃないかと言いそうになった。手を止めれば殺されるのは自分たちなのに。
けれど。
「 死ね!!」
京一が最後に発した台詞に、龍麻は心の中で震えた。
「 大丈夫か、ひーちゃん……」
実際の戦闘はものの3分といったところだっただろう。
通行人がいない事は幸いだった。こんな大立ち回りを演じたというのに、近所の家々からもこの様子を覗いていた様子は感じられない。龍麻はいつもの自分たちの戦いも、もしかすると全てが夢なのではないだろうかという錯覚に捕らわれた。
「 俺は…平気」
呆然とその場に立ち尽くしていただけの龍麻は訊かれてようやくそれだけを言えた。京一はそんな龍麻をちらと見ただけだったが、少し離れた位置から背中を向けたまま、しばらくはただ荒れた息を整えていた。
しんとした空間の中、その場に2人だけだった。
「 京一……」
けれど龍麻がやっとの思いで親友の名を呼ぶと、京一は振り返りこそしなかったが、ぽつりと声を出してきた。
「 知ってた……」
「 え?」
訊き返すと京一はすぐに答えた。
「 ひーちゃん……お前に、何かいっつも憑いてること」
「 ………え」
「 お前がいっつも何か引きずってること」
「 京一?」
訳が分からずに問い返すと、京一は少しだけ肩を震わせた。
「 だけど……最近まではそれが何なのかよく分からなかった。今もハッキリとは分からねえ。けどひーちゃんが何か…すげえ抱えてンのはよ。はっきり見えた」
「 ………何の話」
「 あの炎の中でひーちゃん見た時に、俺は思った」
「 京一?」
京一の聞いた事のない声に、龍麻はただ戸惑うしかなかった。
けれどその時、不意に自分に振り返ってきた京一の姿に、龍麻は思わず叫び声を上げた。
「 京一、血が…ッ!」
あの圧倒的な戦いの中で、一体どうして怪我をしているのか。
京一は額から、そして木刀を握る手から。痛々しいほどの赤い血を流していた。その姿はまるで京一の全部が赤色に変わっていくかのようだった。
「 俺……」
けれど青褪める龍麻には構わず、自分から流れている鮮血にも興味がないように、京一はただ静かな眼をしていて。
恐ろしく低い声で言った。
「 俺…もっと強くなりてェ……」
言った瞬間、京一から再び新しい血が流れた。その血は他者によって傷つけられたものではなく、京一自らが発した 《力》 を京一自身が受け止めきれていない故の出血だった。
「 俺は……」
「 京一もういいよ、喋るなよ! 血が…ッ!」
慌てて龍麻が駆け寄ると、京一はその血に濡れた木刀を握っていない方の手で龍麻の手首をぐっと掴んできた。
「 京一……?」
「 俺は強くなる…お前のこと、護れるくらい」
「 京……」
呼ぼうとして、けれど龍麻は口を開いたまま、もう声を発する事ができなかった。
痛いくらいに自分の手首を掴む京一から目を離せなかった。それは爛々としていてひどく殺気立っていて。
けれど優しくて。
「 俺は…強くなる」
「 …………」
京一の、流れる鮮血に厭うこともなくそう発せられたその誓いの言葉に、龍麻は瞬時涙がこぼれた。感情を抑えられず、何をも隠せず、龍麻は京一の顔をじっと見つめた。京一はそんな龍麻を見てはいなかったが、龍麻を掴んだその手の力は緩められる事はなかった。
そしてもう一方の手で硬く握り締められた木刀は…。
京一の拳から流れる血糊で赤黒く染まっていた。
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