初恋
「 ひーちゃん、ラーメン食って帰ろうぜ!」
いつもの放課後なら、決まってこんな台詞が聞こえ、そしてそれに龍麻が笑って頷く。そんな光景が見られるはずだった。
けれど、この日は。
「 あれ、京一! 何処行くの」
教室から黙って出て行こうとする京一に、小蒔が不思議そうな顔で声をかけた。自分もいつものようにラーメン屋に同行するつもりだったから、当てが外れたのだろう。
「 ……ちょっと後輩の様子でも見ておこうと思ってな」
京一は無表情のまま素っ気無くそう言い、そうして後は仲間たちの顔など見ずに、さっさと教室を出て行ってしまった。
「 何アイツ」
小蒔が不満そうにつぶやき、様子のおかしい京一を心配するように、醍醐と美里も龍麻の席に集まってきた。
「 一体どうしたんだ、京一の奴は」
「 京一君、部活動なんて引退してから1度だって覗きに行ってなんかいなかったわよね」
「 そうだよ! 何かヘンだった、京一の奴!」
そして3人は各々がそう発言した後、一斉に龍麻の方を見やった。
未だ1人だけ席に座ったままの龍麻は、3人の視線に戸惑ったような顔を見せた。
「 な、何……?」
「 京一と何があったの、ひーちゃん」
「 そうよ、龍麻。正直に答えて」
「 な、何だよそれ! 俺、し、知らないよ…っ!」
「 しかし京一の様子がおかしい時は、決まって龍麻が絡んでいるからな」
醍醐までもが顎に指をかけてそうつぶやいた。それで2人の女性陣も一緒になって頷く。
龍麻は3人の様子に益々困惑し、焦ったように言葉を出した。
「 な、何で? 俺知らないよ。京一のことだから、きっとまたどっかの女の人にでも夢中になって何か悩んでいるんじゃないの」
「 ………」
「 ………」
「 ………ひーちゃん」
龍麻のその台詞を聞いた3人は一時の間沈黙し、そして最後に小蒔が呆れたようにため息をついた。
「 まさかとは思っていたけど…本当に気づいていなかったんだね」
「 ? 何が」
「 俺も自分のことを鋭い方とは言わんが、龍麻よりはマシだな」
「 むっ! だから何なんだよ、一体!」
「 いいのよ、龍麻。そういう龍麻が素敵なんだから」
「 ……美里。それ、誉めてくれてんの?」
龍麻が眉をひそめて、ニコニコ笑っている美里を見る中、小蒔がじれったいというように声を張り上げた。
「 とーにかく! 京一がヘンなのはひーちゃんのせいなんだって! 大体さ、今日喋った? 京一と」
「 え…? だってアイツ、今日午後から来たし…」
そうなのだ。
寝坊にしては度の過ぎる大遅刻を、京一はしていたのだった。 だから今日龍麻は京一とまだ一言も話してはいない。もしかすると、目すら合わせていないかもしれない。
確かに、そんな日は今までなかったような気がする。
「 ちょっと、ひーちゃん。アイツのこと見てきなよ!」
「 ええ…?」
小蒔の言葉に、龍麻は思い切り面食らった。
「 『どうかしたのか、京一?』ってさ。声かけてきてあげなって」
「 うむ。やはり、どことなく元気がなかったような気もするしな」
「 でも嫌ならいいのよ、龍麻?」
「 ………葵」
3人の目にいよいよ窮屈なものを感じた龍麻は、「分かったよ」
と渋々と返事をし、席を立った。
とりあえず京一に会って、いつものように話しかければいいのだ。
アイツがいつもと違う行動するから、みんなが不審がるのじゃないか。
ここはバシッと一言言ってやろう。
龍麻は廊下を歩きながらそんな事を威勢よく考えていた。
そして剣道部が練習する道場へと龍麻が入って行くと。
そこには京一しかいなかった。
「 ………あれ」
京一は1人真剣に木刀を振るい、中に入ってきた龍麻には一切気づいていないという風だった。
その京一の激しい剣太刀に、龍麻は思わず声をかけそびれた。そしてただ親友の動きに見入ってしまった。
こうして見ると、京一もなかなかに男前だと思う。
「 …………」
いつもちゃらんぽらんな感じだから、普段はあまり感じなかった。
本当はいつも傍で戦っていてくれて、いつも力強く自分の背中を護ってくれているから、龍麻も京一の《力》に関しては十分すぎるほど分かっているつもりなのだが、改めて考えたことはなかった。
この赤髪の剣士の実力とか。
姿を。
「 龍麻」
不意に、京一が声を出して龍麻を呼んだ。
木刀を下げ、 やや荒く息をついで、入り口の所に立ち尽くしている龍麻に視線を向ける。
「 いたのかよ」
額から流れる汗を拭いもせずに、京一は未だ爛々とした眼を向けたまま、龍麻のことを見据えてきた。
「 あ、う、うん……」
その迫力に押されてしまったのか、龍麻は思わずどもりながらたどたどしく返事をした。京一はそんな龍麻の方にすっと歩み寄ってきてから入り口のすぐ横に座り込むと、その傍に置いていたタオルを手に取った。
「 何か用か?」
「 え……」
何だろう。
やはり、いつもの京一と違う。
龍麻はどきんとする胸を必死に抑えて、立ちすくんだまま自分の親友を見下ろした。
何かあったのだろうか。ひどく殺気立ってイライラして。
京一はひどく冷たい空気を纏っているように見えた。
「 龍麻」
京一がまた呼んだ。いつもは「ひーちゃん」と呼んで笑うのに。
何だか今日の京一は怖いとすら感じる。
「 どうしたんだよ? 何ぼーっとしてんだよ」
「 え…だって……」
京一が変だからだろ、と言いたかった。
それなのに、どうしたことか龍麻は言葉を出すことができなかった。
「 ……座れよ」
そうこうしている間に京一はつぶやくようにそう言い、ぐいと龍麻の足を掴むとそのまま乱暴に自分の元へと引き寄せた。
思い切り体勢を崩された龍麻は前のめりになって転びそうになったのだが、何とか京一の肩に掴まってそのままその場に座りこむことができた。
「 ……っ、急に!」
「 お前がずっと見下ろしてっからだろ」
「 ……京一」
「 ん」
京一はタオルで顔を拭いた後、ただ視点の定まらない眼で遠くを眺めていた。龍麻はその横顔をただ何となく眺め、それから恐る恐る声を出した。
「 怒ってるのか…?」
「 は…?」
「 俺のこと……」
「 ……何でだよ」
「 だって…何かいつもと違うからさ」
「 …………」
京一はそこでようやく龍麻の方に視線をやり、それからやはり怒ったような顔をちらとだけ見せた。そして、またふいと顔を背けると、実にあっさりと言った。
「 そんなわけないだろ」
「 じゃあ何でそんな態度なんだよっ」
「 ………」
「 後輩の様子を見るって…後輩なんかいないじゃないか」
「 今日は部活休みの日だからな」
「 ……じゃあ何で」
「 俺だってたまには一人になりたい時くらいあんだよ」
「 え」
「 悪いか」
京一はそう言ってから、また決まり悪そうな顔になって龍麻の方から身体全体を背けた。
「 ……悪くないけど」
「 何で来たんだ」
「 え?」
「 どうせアイツらに言われたんだろ。俺の様子がおかしいから、どうしたのか見に行ってこいって」
「 うん…」
「 やっぱな」
「 ……京一が変なのは俺のせいだって」
「 …………」
「 そうなのか?」
「 まあな」
京一は割とすぐにそう返事をしてきた。龍麻はその台詞に初めて衝撃を受け、少し離れた距離をまた縮めてそう答えた相手に詰め寄った。
「 な、何で? 俺何かしたか? お前の気に触るようなこと…っ」
「 してんだよ」
「 な、何だよ、それ!」
「 うるせえなあ」
京一は心底うざったいというような顔をしてから、自分にしがみついてこようとする龍麻の手を勢いよく振り払った。
「 俺だって訳分からねェんだよ! でもイラつくんだよ、龍麻! お前に!」
「 えっ…」
吐き出されたような京一のその台詞に、龍麻は固まった。
いつも笑顔で。相棒と言ってくれて。
護ってくれているのに。
「 龍麻。……だからその顔をやめろ」
「 ………何言ってんだよ……?」
ショックでろくに声を出せない龍麻は京一の疲弊したような態度に気づかず、掠れた声を出した。
京一が自分を拒絶しているということがこんなに辛いとは思わなかった。
「 だからその困ったような……泣きそうな顔やめろって言ってんだよ!」
「 お、お前が…っ」
ひどい事を言うからじゃないか。
そう言おうと思った瞬間―。
「 ばっか野郎が…っ」
京一が突然自分を抱きしめてくるのを、龍麻は感じた。ひどくきつく、それこそこちらの力が全部抜けてしまうのじゃないかという程の勢いで。
「 きょ……」
「 俺……頭イカれてンのかもしれねェ……」
「 京一…?」
「 龍麻…お前のこと見てると…どうしようもなく、こうしたくなっちまうんだ。抱きしめたくなっちまうんだ」
「 え……?」
京一の搾り出すような声に龍麻は思わず目を見開いた。
耳元に京一の息がかかる。それが熱くて、くすぐったくて。龍麻はぶるりと背中を震わせた。
「 いつからか分からねェ…。でも、お前のこと見ているうちに、俺、段々おかしくなってきてよ…。他のもの、何も見えないっていうか…」
「 ……な、何言っているんだ…?」
「 特にな…特に今日はもう駄目だった。…っ、バカな夢見ちまって…」
「 …夢?」
「 ……訊くなよ」
「 ……何で」
「 うるせえっ! ろくでもねえ夢だからだよッ!」
京一は龍麻に行き所のない自分の怒りをぶつけ、それでも抱きかかえる力だけは緩めずに、必死に言葉を繋いできた。
「 だから避けてたのに! 何で来たんだよっ! ほっとけよな、分かるだろーが、親友ならよ!」
「 わ、分からないよ、そんなの!」
龍麻がやっと京一の拘束から抜け出てそう言うと、その「親友」の方は益々困惑した表情を浮かべた。
「 ! だ、だからその顔をやめろ! 何なんだよ、お前! 男のくせによ!」
「 お、お前、全然訳分からないよ! 何なんだはこっちだよ! お前のせいで、俺はみんなにも責められてさっ!」
「 知るか! あー、いいからもう行けよ!
当分俺に話しかけるな! 顔も見せるな! いいな!」
「 そ、そんな無茶苦茶な…!」
「 戦いの時は行くから心配すんな! とにかく俺はお前と今一緒にいたくねえんだよ!」
「 ………っ!」
京一の激しい言葉に龍麻は何やら胸がいっぱいになり、次に出す応戦の言葉を失ってしまった。
いつも一緒にいたのに、一緒にいたくないなんて。
そう思ったら。
「 ……! た、龍麻…!」
「 ………」
「 ……泣くなって言っただろうが……」
京一がそう言って戸惑った顔が涙で滲んだ。
知らない間に視界がぼやけ、龍麻は泣いてしまったようだった。
ひどく哀しい気持ちがした。
「 京一のせいだろ…っ!」
「 ……お、俺は……」
「 全然分からないことばっかり言って…。俺が何したって言うんだよ? 全部お前が悪いんじゃないか……」
「 ………悪い」
「 ………」
「 悪い。八つ当たりだ」
「 ………」
京一が素直に謝ってきたが、龍麻はすぐに返事をすることができなかった。
何が何だか分からないまま、龍麻はとにかく焦って涙を拭き、そうして京一のことを見上げた。
目の前の相棒は、本当に困ったような顔をしていた。
「 ……龍麻」
「 ……何」
「 俺、俺な……」
「 うん……」
「 俺も分からねェんだ。この気持ちが」
「 ………」
「 でもな」
京一はどう言って良いのかという顔をして、
しばらく逡巡したような態度を見せていたが、やがて再び龍麻の両肩を自らの手で抑えると。
龍麻に軽い口づけをしてきた。
「 ………」
「 ………」
それはすぐに離されて、 それと同時に、真っ赤になる京一の顔が龍麻の視界には映し出された。
「 つまりよ…」
そして京一は言った。
「 そういう…わけみたいなんだよな……」
「 ………」
京一は言い訳のようにそう言葉を紡ぎ、それからやっといつもの「顔」になって龍麻のことを見やってきた。
「 ………」
「 こんなの…言えるかよ」
京一の心底戸惑ったような声。
「 ………」
バカ。
龍麻は頭の中で咄嗟にそんな言葉を見出した。
でも同時に、ほっとして。
「 ……俺、嫌われたのかと思った」
それだけが声になり、そして龍麻はまた泣いてしまった。
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