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「 は、腹が痛ェ…」
  昼休みももうじき終わるという頃、京一が突然そう言ってうなだれた。
「 ま〜た君はヘンな物でも食べたんじゃないのか〜?」
  小蒔が呆れたようにそう言って、青ざめる京一の顔を覗きこんだ。
「 馬鹿…やろー…。こっちは…マジで、痛ェんだ…ぞ」
「 京一君、保健室に行った方がいいわ」
  美里が京一の席に近づいてきて、心配そうにそう言った。
「 そ、する…わ…」
  最早声も掠れ気味である。さすがに小蒔も尋常ではない京一の様子に不安を覚えたのか、きょろきょろとあとの仲間たちを探した。
「 ねえ、葵。醍醐君とひーちゃんは?」
「 え? さあ…京一君、一緒じゃなかったの?」
「 知らねぇ…。それより、俺行くわ…」
「 ボクたちも行くよ、京一」
「 いい…」
「 でも心配だわ」
「 気に…する…な」
  はっきり言って半病人のようである。いや、実際病人なのだろうが。たかが腹痛、されど腹痛とはこのことだ。いつもはどんなに人の倍食べようが飲もうがびくともしないというのに。
  よろよろと立ち上がった京一の腕を取ろうとして、小蒔はふと教室に入って来ようとしている人物に気がつき、救世主が現れたかのような喜びの声を上げた。
「 ひーちゃんッ!!」
  教室に入って来たのは緋勇龍麻。彼らの頼もしい仲間だった。
「 ひーちゃん、京一が急にお腹が痛いって苦しんでてさッ」
「 龍麻、彼を保健室まで連れて行くのを手伝ってくれる?」
  二人の女子がそう言って龍麻に救済の手を借りようとする。龍麻は始め、多少ぱちくりと目を何度かしばたたかせていたが、やがて驚く風もなく一言言った。
「 こいつもなんだ?」
「 え?」
「 こいつもって?」
  二人が同時に聞くと、龍麻も多少戸惑ったように答えを返した。
「 さっき醍醐も腹痛で突然倒れこんじゃってさ」
「 えッ、醍醐クンも!」
  小蒔はぱっと京一の腕を放して驚きの声を上げた。突然支えになっていたものがなくなったので、京一の方はまた新たな刺激で痛みにうめく。
「 でも大丈夫だと思うよ。保健室で横になったら落ち着いたみたいだし」
「 とにかく行こう!」
  小蒔と美里はそう言って京一を置いてダッシュしていってしまった。
「 う〜…あいつら〜」
「 大丈夫、京一?」
  龍麻が近づいて京一の腕を取る。
「 俺より…醍醐の方が心配なのか…よ…」
  京一は龍麻の肩にもたれかかるようになりながら恨み言を述べた。
「 普段の行いの差だろうな」
  龍麻も冷たく言って笑った。うーうー言いながら、しかし京一はこれ以上の文句を言うことができずに、保健室までの道のりを引きずるようにして歩くのだった。



  保健室に着くと、中は思っていたよりもずっと静かだった。
「 保健の先生いないらしいからさ。とにかく横になれよ」
「 あれ…? あいつら、は?」
  京一が入るなり、痛みをおしつつそう言った。
「 そういや、いないな」
  龍麻も当にいるはずの小蒔と美里を思って不審の声をあげた。
「 …醍醐は?」
「 そこだよ」
  言って龍麻は京一を横たわらせたベッドのすぐ隣を指し示した。
  カーテンでしきっているため、影しか見えない。
「 …醍醐、寝ているみたいだ。お前も静かに寝てろよ」
「 ああ、すまねえ…」
「 本当にどうしたんだろうな、二人揃って…」
  龍麻が囁くようにそう言って、京一の体に布団を掛けた。
  その所作があまりにも優しくて。
  京一は一瞬痛みを忘れてぼんやりと目の前の親友を見つめた。
「 何かヘンなもんでも食べたのかな」
  龍麻の声がすごく心地良い。
  やっぱり、コイツは綺麗だ。そう思った。完璧だ。美形というのは、こういう奴のことを言うのだ。
  なのに、その龍麻本人は…。
「 どうした、京一? そんなに見てさ」
  龍麻が居心地の悪そうな声を出して京一を現実に引き戻した。
  ずっと見とれていたらしい。京一は焦ったようになり、それから同時に腹の痛みも思い出して顔を歪めた。
「 痛むのか?」
  そんな京一に、龍麻が心配そうにそう言ってくれる。京一は目だけで「大丈夫」と言ってから、龍麻の手首を掴んだ。
「 京一?」
「 なあ、ひーちゃん。ここに、いてくれるか…?」
「 どうしたんだよ、急に」
  龍麻が可笑しそうに、そして驚いたように笑った。けれども京一は痛みを押して真剣な顔を向けた。
「 駄目か…?」
「 ……京一」
  龍麻は今度は本当に困ったような顔を向けて、けれども京一の髪を自由な方の手でさらりとなでると、「分かったよ」と、まるで子供に言うようにそっと応えてきた。
  そしてそばにあった丸椅子を引き寄せて、京一のベッド脇に腰掛けた。
  落ち着いた。この存在が。
  京一は何気なく窓際に映る校庭の景色を眺めている龍麻の横顔を見ながら、ぼんやりとそう思った。

  けれど。
  本当は、時々不安になった。

  龍麻は強く、優しく、誰に対しても惜しみない愛情をくれる。
  …ように、少なくとも京一には見える。実際仲間たちはそんな龍麻だからこそ慕い、護ろうと集まってくる。そんな龍麻のそばにいられることを京一は誇りに思っていた。

  けれど。
  何故か時々襲ってくる、この不安が。
  龍麻の時折見せる表情のせいだと京一には判っていた。

  どうして、そんな風に悲しそうな顔をしているんだ?
  苦しそうなんだ、お前は?
  何故、俺に何も言ってくれないんだ?

  親友なのに、龍麻は京一にすべてを預けてすべてを語ってくれるという感じではなかった。苦しいことは、大変なことはすべて自分で背負ってしまう。そんなところがあった。
  だから。
「 なあ…ひーちゃん」
「 ん…?」
  龍麻が京一の呼びかけに反応して、視線をこちらに戻してきた。

  確かめたくなった。

「 俺がさ…このまま死んだら、悲しいか?」
  龍麻という男が俺を必要としているか。
  本当に、認めてくれているか。
  知りたい。

  俺は、コイツを好きだから。

「 京一…」
「 い、きなり、こんな事訊いて、悪いけどよ…」
  お前が何処でもないところを見ていると、不安になる。俺の知らない所へ、お前が行ってしまう気がして。
「 今まで、考えたことないわけじゃなかったからよ…。もちろん、俺はお前が死んじまったら…言葉じゃ言えないくらい、悲しいに決まってるけど」
「 俺は悲しまないって言うのか」
  詰問するように龍麻は京一に一言そう言った。
「 いや、そういうわけじゃねぇけど…」
「 京一」
  龍麻が呼んだ。
  その声は明らかに怒っていて。迫力があって。京一は意表をつかれて声を失った。
「 そういうこと言うなよ。…元気な時にだって言ってほしくない。そんな…」
  龍麻は言って、京一から視線を逸らした。
「 そんな、不安になるようなこと」
「 悪ィ…」
  不安にさせたくないと思っているのに、自分が龍麻を不安にさせてしまった。京一はすぐに謝った。
  どこかで嬉しいと思ってしまっているのだが。
「 さっき…そういうこと考えてたし」
  龍麻がそんな京一の心根など知らずに言った。
「 醍醐が突然倒れてさ。びっくりした。いつも頑丈なのに、本当に痛そうなんだ。だからって俺はどうともしてやれないし。それで教室に戻ったら今度は京一だろ? …何かあったかと思ってしまう」
「 俺は…大丈夫だ。もう、大分楽になったし…」
  本当はまだ鈍い痛みが続いていたが、龍麻の物憂げな表情に慌ててそう言った。期待していた答えを貰えて嬉しかった。けれど、それ以上に龍麻はひどく悲しそうな顔で京一から目を逸らしていた。
  気まずくなり、何か話さなければと京一が思った瞬間。
  唐突に龍麻が口を開いた。
「 京一が死んだら? だっけ、さっきの質問」
「 あ? い、いや、もういい」
「 俺……俺も、死ぬな」
「 ひーちゃ…」
「 本当だよ?」
  龍麻は言ってから、薄く笑った。泣き出しそうな顔がそこにはあった。京一はがばりと起き上がって龍麻を見つめた。
「 京一、起き上がるなよ。寝てろって」
「 ひーちゃん…お前…」
「 何だよ、お前が訊いたんだろ」
  京一の真摯な目に龍麻は困ったように視線をあちこちにやった。
「 本当かよ? 今の…」
「 …そんなこと嘘言ってどうする」
「 じゃ、じゃあ醍醐が死んでも? 小蒔や美里が死んでも? ひーちゃんは後追って死ぬのか?」
「 ………」
「 どうなんだよッ」
「 京一は俺に何を言わせたいんだよ」
  龍麻は独り言のように俯いて言った。京一はそんな龍麻から目が離せなくなっていく。
「 俺…ひーちゃんのことが、好きだからよ…」
  そして、言っていた。今までずっとしまっていた気持ちを。
「 好きだから、よ…」
「 俺だって京一のこと、好きだよ」
  龍麻はすぐに返した。京一は不快な顔をして龍麻の手を握った。
「 馬、鹿やろう…俺はお前が思ってるような意味で言ってんじゃねえんだよ…」
「 ……京一」
「 どんな奴より、大切なんだよ。俺自身よりもお前のことが大切だ。だから、お前の今のその言葉が…」
  体の痛みではなく、心のどこかが痛くて、京一は一旦言葉を切った。
「 もしみんなにも向けられてんだとしたら…やっぱり俺はショックだし」
  やっぱりそんな龍麻の言葉は、逆を言えば全て同等で全てがそれほどの意味を持っていないのではないかと感じさせてしまうから。
「 全然嬉しくねぇよ。お前にそんな簡単に死なれたら」
「 ごめん」
  龍麻が謝った。ずきりとして、京一は握っていた手の力を強めた。
「 それはどういう意味で言ってんだ」
「 …分からない」
「 分からないってどういうことだ。俺の告白に対して言ってんのか、それともさっきの自分の台詞に対して言ってんのか」
「 俺は、京一が好きだよ」
  龍麻は自身で確認するようにそう言った。顔を上げ真っ直ぐに京一のことを見てくる。  京一は自分の身体が急に熱くなるのを感じた。
「 でも…俺、弱い奴だから…怖いんだ。お前を自分の『特別』にするのが怖い…。みんなが大切だ。そう思っていないと、俺は…」
 龍麻は京一から自らの手を開放させてから、京一の顔をじっと見 つめた。
「 俺はきっともう戦えなくなる。お前のことしか見えなくなる…」
「 た、龍麻…」
「 それじゃ、困るだろ?」
  龍麻が笑って言った。今度は淀みのない笑顔だった。
「 龍麻!」
  けれど京一はそんな龍麻をぎゅっと抱きしめた。そうして怒った。
「 馬鹿が! 何言ってんだよッ! 好きなら、ずっと俺のことだけ見てればいいだろうがッ! 何が怖いんだッ、そんなもんー」
  京一は抱きしめる力をこめて言った。
「 そんなもん、俺が全部ぶっ潰してやるよ。お前の不安になるもん全部ー」
「 京一…」
「 だからお前は安心して…俺に…寄りかかれよ」
「 …情けない緋勇龍麻なんかお呼びじゃないだろ」
「 馬鹿。お前はお前だ。どんな奴だろうが、お前は俺が護る」
  そうして、京一は龍麻を離すとその目をじっと見詰めた。
「 好きだぜ、龍麻」
「 ……さんきゅ、京一」
  龍麻の声に、京一はこの上なく嬉しくなって再び抱きしめた。
「 何だよ、両想いだったんじゃねえかよ。あー早く言えば良かったぜ!
「 …うん」
「 だろ?この調子じゃ、ひーちゃんは自分からは一生言い出しそうになかったしよ。危なかったぜ!」
「 京一。腹、もう治ったのか?」
「 ああ? そういやそうだっけか。治っちまったよ、んなもん! すっかりとな!」
  京一はそう言って豪快に笑った。そうして不意にいたずら小僧のような顔になった。
「 な、ひーちゃん。せっかく両想いになって、ここにベッドもあることだしよ」
「 ん?」
「 ひーちゃん!」
「 わあっ! ば、馬鹿、何すんだ!」
  いきなり、がばあっとなだれこんで龍麻を押し倒した京一に、龍麻が抗議の声をあげた。
「 やめろ、何考えてんだ、京一!」
「 いいじゃんかよ、誰もいねーって」
「 いるだろーが!」
「 大丈夫、気にすんな」
「 あ! きょ、京一! うしろ…!」
「 あん? 醍醐のやろうが起きたか? まああいつ一人この俺が。それより…」
  そう言って京一は龍麻に執拗に口付けを求める。龍麻は必死にそれに抵抗しながら京一の背後に立ち尽くす殺意のオーラに慌てた。
「 京一! 後ろ見ろって!」
「 あ〜?」
  仕方なく振り向いたそこには…。
  醍醐雄矢。
  桜井小蒔。
  そして。

  世界最強の菩薩眼こと、美里葵が。

「 ……………う」
「 京一。俺一人、何だというんだ?」
「 京一〜!」
「 ……随分楽しそうね、京一君」
  親友は仁王立ち。そして二人の女神はにっこりと笑んで。
「 …へへへ。皆さん、おそろいで」
「 馬鹿…」
  龍麻は呆れたようになって、片腕で両目を覆った。

  その後の京一がどうなったのかは、知る人ぞ知る。



<完>





■後記…うわあ、改めて読むと何だか妙に恥ずかしいです。これは私は初めて書いた京主ですから、2001年の1月頃書いたものですね。以前の後記には「かなりの難産」と書いていますから、苦労したみたいです。基本的に報われる京一というのが当時は苦手で、ひーもこんなじゃなくもっと可愛らしいのにしたかったらしい…。今はもうちょっと可愛くないひーを書きたいと思っているから、随分色々変えたんでしょうね、この後。