耳鳴り
龍麻が誰にも何も言わずに授業をサボるようになったのは、三学期に入ってからだった。
「 あれ〜? またひーちゃん、お休み〜?」
朝のHRが終わった後、小蒔が龍麻の席の前まで来て言った。
「 本当、どうしたのかしらね…」
美里も心配そうにそう言った。
「 まあ、あの激闘の後だ。あいつはあいつで、骨休みしたいんだろう。今はそっとしておいてやろう」
醍醐が言い、な、京一…と親友に話を振った。京一は朝から眠たそうな顔をしていたが、気のない返事だけして机につっぷした。
ただ、京一としても最近の相棒の欠席には首をかしげていて、本当は誰よりもこのことを気にかけてはいるのだ。
龍麻。あいつ、何考えてんだ。
正直、龍麻の考えていることが京一には分からなかった。
今までずっと共に闘ってきた親友だ。いや、「親友」などという都合の良い言葉でくくれないほどの絆を、少なくとも京一の方は感じている。付き合いにしてみればまだ1年にも満たない間柄だが、龍麻のことは誰よりも分かっているつもりだった。
けれど。
柳生との死闘の後、龍麻は明らかに変わった。どこがどうとは言えない。表面的には相変わらずみんなに愛想の良い、強くて優しいヒーローの見本みたいな奴だった。それだけではなく、冗談も解るし、自分みたいな馬鹿みたいなテンションにも、喜んでついていくところだってある。
なのに、ふと、姿を消す。
知らない間に自分たちの知らない所へ行ってしまっている。
今日も多分家にはいないだろう。何処かへ行っているはずだ。けれど、龍麻はその行き先を決して誰にも言わないのだった。
「 あの馬鹿…」
京一は誰にも聞こえない程度の声で、そうつぶやいた。
翌日。
「 あ〜ひーちゃん、おはよッ!」
まず登校してきた龍麻に挨拶したのは、元気一杯の小蒔だった。
その後にいつもの仲間が集まってくる。
「 龍麻、昨日はどうしたの?」
「 具合でも悪かったか」
そっとしておこうと言った醍醐までつい訊いてしまっている。それはそうだ。お互い、隠し事など似合わない仲間なのだから。そんな話をしない方がむしろ不自然であろう。
京一だけが何故か距離を取って、二日ぶりの龍麻を遠目に観察していた。
「 ううん。ただサボっただけ」
龍麻はあっさりと言った。
一瞬、場がしーんとなったが、一番に立ち直ったのは美里だった。
「 そうなの…。龍麻もそういうことをするのね」
「 ヘンかな」
「 ううん…ただ…」
「 こらー!! 京一ッ!!」
美里が口ごもったところを、小蒔が素早く叫んで京一に視線を向けた。
「 京一、キミか! ひーちゃんに悪い遊びを教えたのはー!!」
「 あー? 何で俺なんだよっ!!」
遠くから京一も怒鳴った。何故か龍麻の席には行く気がしなくて、自分の席でそっぽを向いた。
「 俺は昨日き・ち・んと授業を受けていただろーが!! 何でそれで俺が怒鳴られなくっちゃなんねーんだよ!」
「 いーや、キミがつまんないことを吹き込んだに決まってるよっ」
「 こんのやろー…」
ひくひくと顔をひきつらせて京一は小蒔を睨みつけた。醍醐は困ったような顔を、美里も早計な小蒔を止めようとしたが、龍麻がおかしそうに笑って言った。
「 うん。そうなんだよな。俺、京一を見習ってんの」
「 な…っ!!」
「 そ、そうなのか、龍麻!?」
醍醐が慌てたように言い、ほらやっぱり!と小蒔は京一を殴る体勢に入っている。
けれど、一番面食らったのは京一だ。
「 こ、こら龍麻! おン前、何馬鹿なこと言ってんだよっ! そういうのを濡れ衣って・・・」
「 問答無用ー!!」
「 ぎゃー!!!」
小蒔のフックが京一に鮮やかに決まり、京一は席から転げ落ちた。
いつものやつよりかはかなり強力だと京一は感じた。小蒔にしてみれば、大好きなひーちゃんが休みで学校が面白くなかったのは、全部京一のせいなのだから、パンチの一つも入れたくはなるだろう。
がしかし。
「 …龍麻、てめー…」
恨めしそうに龍麻の方を見ると、龍麻はいまだにくすくすと笑いながら京一のことを見やっていた。
「 京一、だめじゃん。俺のこと悪の道に引きずりこんじゃ、さ」
そうして、のうのうとそんなことを言ってしまうのだった。
そうして、昼休み―。
「 こら龍麻。ちょーっと顔かせや」
京一はこの時間を待っていたぜとばかりに、朝とは異なり真っ先に龍麻の席へと向かってすごんでみせた。
「 …何それ。佐久間みたい」
「 うるせー! いいから、来いって言ってんだろ!!」
「 はーい」
龍麻は降参しますとばかりに両手を軽く上げて、素直にそれに従った。
校舎裏に来ると、京一はずばり龍麻に問いただした。
「 お前なー。俺をダシにすんのは構わないけど、せめて何してるかくらいのことは言えよな」
「 何だよ、突然」
「 だから! ここ最近何だって休みまくってんだよ。何で俺にも理由くれー教えねーんだよ。俺はな、お前が自分から俺に言いにくんのを待ってたんだぞ。なのに、煙に巻くのにだけ俺の名前使いやがってよ」
「 だって本当だもん。京一を見習ってサボってんのは」
「 ああ?」
「 サボったっていいだろ。俺だって学校の一日や二日休みたい時あるよ。京一と一緒だよ。勉強、する気がしないんだ」
「 …だからって俺は無断で休んだりはしねーぞ」
「 それは京一が嫌いなのは勉強だけだからでしょ。後の、みんなと話したり、部活に出たりとかは好きで、学校全部が嫌いだからではないからでしょ」
「 おい、待て。ってことはお前は―」
学校そのものが嫌いだから、休んでいるのだろうか?
退屈な授業だけでなく、その他の…仲間と会って話す…つまり、自分たちと顔を会わせることすら苦痛で面倒で。
だからサボっているというのだろうか。
「 そう」
龍麻はあっさりと肯定した。
京一は耳を疑った。こいつは今、何て言った?
「 俺、みんなに会いたくないの」
「 おい、龍麻」
「 お前とも、京一」
「 ……何、言ってんだよ」
「 でもずっと会いたくないってわけじゃない。無論、みんなのこと嫌いじゃないから、こうやって時々学校には来てるだろ。でも、駄目な時は駄目。だから休む。みんなが来たら困るから、家からも離れる」
「 何でだよ…」
それしかいえなくて京一は言った。今目の前にいる龍麻は、京一が知っている緋勇龍麻ではなかった。こんな冷たいことを平気でさらりと言ってしまえる男ではない。自分はともかく、こんなことを美里や小蒔が聞いてしまったら、それこそ一大事だ。
いや、あいつらだけじゃない。自分だって…。
「 きっと、使命が終わっちゃったから、元の自分に戻ったんだ」
そんな放心状態の京一に、龍麻はあっさりと言った。
「 元々大勢を引き連れて、判断・行動するようなリーダータイプじゃないし。それは大体醍醐がやってくれたから良かったけど、それでもみんなが俺に期待する、あれは嫌だった。苦痛だった」
「 龍麻…」
「 勝手に決められてたんだ。俺の意思なんかそっちのけで、勝手にここまで戦わされた。別にそれは仕方ない。やれと言われたからやったよ。でも、その後の自分にまで色々注文つけられたくはないよ」
「 ……本心で言ってんのか」
元々打たれ強い性格ではあるから、京一は龍麻の言葉を半ば信じ難い気持ちで聞きながらも、糾弾するような眼でそれだけは言えた。
確かに龍麻の言い分にも一理はある。けれど、この言い方はあまりにもひどいと言えた。
「 うん」
しかし龍麻はすぐにそう頷いて、真っ直ぐに京一を見つめた。
これが、俺が「相棒」と信じて背中を預けてきた相手なのか。
「 これからは好きにするよ。毎日学校行く気もない。みんなといつでもつるむって気持ちもない。誘ってくれれば、時々は一緒に遊びたいけどね」
「 ふざけんな!!」
京一はもう怒鳴っていた。殴ってやろうかとも思ったが、それは思いとどまった。
まだ、信じられなかったから。
「 お前、お前ってそういう奴だったのか!? 俺たちとの関係ってその程度のものだったのかよ? みんなお前がどうかしちまったんじゃないかって心配して―」
「 京一はしてくれたの」
「 何がだ」
「 俺の心配」
「 したに決まってんだろ!!」
「 ……ありがとう」
「 馬鹿にすんな!!」
京一は叫んで、今度こそ殴ってやろうと拳を上げた。けれど、龍麻が一向に避ける仕草を見せないので、寸前でやはり止めてしまった。
やっぱり、こいつを殴ることなんてできない。
「 何で。殴ってもいいのに」
龍麻はここで寂しそうに笑った。ぎくっとして思わずそんな龍麻を凝視すると、龍麻は視線を逸らせてぽつりと言った。
「 京一はすごいね。そうやっていっつも強くいられてさ。京一だけは、俺に過度に期待したり、使命を押し付けようとはしなかったもんな。自分も先頭に立って戦ってくれたもんな」
「 ……」
龍麻はやはりおかしかった。ひどい事を言っている。けれど、それ以上にそういう自分にひどく苦しんでいるようにも見えた。
「 お前、何考えてんだよ」
「 相棒のくせに分からないの?」
まるで責めるように龍麻は京一に言った。返答に詰まった。
実際、ここ最近の龍麻のことを、京一は理解しかねていたから。
いつでも京一が「理解している」と思っていた緋勇龍麻は、堂々とみんなの先頭に立って、この街のために、仲間のために闘っている強いあいつだったから。
「 どうなんだよ、京一。分からないのか? 俺のことが?」
龍麻は詰問するように再度訊いた。分かっている、と言いたかった。
「 …悪ィ…。俺、今のお前が考えてることは…分からねぇ…」
けれど嘘を言うわけにもいかなかった。
龍麻は微笑した。
「 いいよ。当たり前だよ。今まで誰にも言ったことなかったし。こういうこと」
「 龍麻、お前、何か悩んでんなら―」
「 大丈夫。別に悩みなんかないよ。フツーの高校生に戻ったんだし」
龍麻は先にそう言って踵を返した。
「 さっきはちょっとキツイこと言っちゃってごめんな。でもそういうわけだから。これからも休むことあると思うけど、あんま心配すんなよ。っていうか」
龍麻はもう京一には視線を向けないではっきりと言った。
「 放っておいていいから」
京一は龍麻を止めることができなかった。
翌日。龍麻はまた学校を休んだ。
京一は龍麻のことを考えた。あいつは一体何なんだ。最初はそんな漠然とした相棒に対する怒りだけだった。命を賭して一緒に闘った仲だ。なのに、何故何も言ってくれない。何かに苦しいのなら、真っ先に自分に言えばいいじゃないか。それとも、結局はその程度の仲だったとでもいうのだろうか。
違う。そんなはずはない。そう思う。
そして、次に京一は自分と龍麻の関係について思いを巡らせた。
あいつにとって俺って何なんだ?
そして…俺にとってあいつって何なんだ?
緋勇龍麻という男は…。
ひどく寒い朝だった。
龍麻は制服の上にコートを着込み、マフラーを巻いてアパートを出た。学校に行く気はなかったが、何故か制服にはいつも着替えた。
制服を着ると、あいつらのことが自然に脳裏に焼きつく。けれど、それは決して嫌なものではなかったから。
その時、不意に声がかかった。
「 よお」
「 …京一」
「 制服着てんだな。今日は登校するのかよ?」
それに制服を着ていると、目の前のこの・・・相棒のこともよく思い出されてとても楽しい気分になるから、何処へ行くにもやはりこの格好はいいと龍麻は考える。
「 おい、何ほうけてんだよ」
「 あ……」
「 …まあいいや。ところでよ。今日もサボれよ。俺も付き合うぜ?」
「 え…?」
「 どうせガッコ行こうと思ってたんなら、俺が一人くっついてたってそう煩わしくもないだろ。うざかったら黙ってるから、今日は連れてけよ」
「 ……」
龍麻は一瞬どうしようかという瞳を見せたが、京一の方がどうも折れそうにもないことを悟って、黙って先を歩きだした。
龍麻が電車などを使って赴いた先は、人気のない海岸だった。
「 海、見に来てたのか?」
「 んーん、別に。いつも違うよ。今日は京一がいるから、遠出しただけ」
龍麻はあっさりと言ってから、階段を降り、浜辺へ降りて行った。
「 来いよ、京一」
そうして、にこやかに笑んで京一を誘う。その笑顔に京一は何かが自分の胸を刺すのを感じた。その笑顔は京一が知っている「いつもの」龍麻だった。
浜辺にどすんと腰をおろすと、けれど龍麻は下を向いたきり、もう口をつぐんでしまった。眼も閉じ、瞑想しているかのようになる。
京一は何か話しかけたいと思ったが、もう龍麻が京一の存在にすら気を配っていないことに気づくと、黙って横に座った。
一体どれほどの時間が経過しただろうか。
不意に龍麻が口を開いた。
「 お前って良い奴な」
「 な、何だよ急に」
「 一昨日さ…俺、あんな事言ったのに、俺の心配してるでショ。俺がどうかしちゃったんじゃないかって。俺が何かで参っちゃってるんじゃないかって」
「 いや…」
「 いいのいいの。誤魔化すなって」
龍麻はそう言って笑ってから、両腕を砂地につけて、ふっとため息をついた。
「 でもさ…。ホントに、あれが俺の本心なんだよ」
「 ……」
「 失望?」
「 別に……」
「 顔がそうだって言ってる」
「 別にしてねーよ! しつけーな!!」
京一は思わず怒鳴り、驚く龍麻を睨みつけた。
「 ただ…自分に腹を立ててるだけだ。そういうお前の一面に気づかなかった俺自身にな。俺はお前の一体どこを見てたんだって、な」
「 ……表面だけ」
「 ぐっ…! はっきり言いやがって…」
詰まった京一を見て、龍麻はけらけらと笑った。いつもの笑顔とは違う、少しだけ毒の混じったような笑み。でも、それは。
とても綺麗な顔だと京一は思った。
「 それで? こんな俺の姿を見ちゃって、それでも京一は俺を相棒って言ってくれんの?」
「 ああ?」
「 キライになってもいいよ」
「 ………」
龍麻はもう京一の方を見ていなかった。ただ目を細めて前方の海を眺めている。
「 お前は…俺が離れてもいいってのか」
「 ん……」
龍麻は京一の方を見ずに聞き返した。京一はむかっとなりながら、声を荒げてもう一度言った。
「 お前はそれでいいのかって言ってんだよ! 俺に縁切られても平気なのか!!」
「 京一は?」
「 俺がお前に訊いてんだよ! 答えろ!!」
「 ……耳鳴りが」
「 あ…?」
龍麻は不意に京一の方を見て、困ったような顔を見せた。
「 最近、ひどい耳鳴りがするんだ」
「 耳鳴り?」
いきなり何を言うんだ、コイツは。
「 ごーんごーんってすっごい低い音。いつもじゃないけど、しょっちゅうだ。イライラするよ。気になって仕方ない」
「 な、何だそれ。医者には…?」
「 行ったけど、異常なしだって」
「 桜ヶ丘は…」
「 そこに行った。異常なし。俺の気のせいだって」
「 ……今もするのか」
「 する」
龍麻は言って、少しだけ意地の悪い顔を見せた。
「 どういう時にするかっていうとな…。京一に会う時にするんだ」
「 何…?」
「 京一に…っていうのは今分かったんだけど。とにかく、学校に行くと鳴っていたから、俺はみんなに会うとこの音が聞こえると思ってたわけ」
「 だからお前、みんなを避けてたのか」
「 そうやって俺を『やっぱり良い奴だったのか』って風にしようとしても駄目」
「 だってお前…! それより、原因は分からないのかよ? 思い当たることとか」
「 俺が聞きたいよ。お前が俺に呪いでもかけたんじゃないの?」
「 な、何で俺が!!」
「 今日、朝会ってさ。分かったんだ。京一見た途端、ごーんだもん。ああ、お前が原因かって」
「 お、俺には身に覚えのない…」
「 俺だってだよ。けど、はっきりした。あーすっきりした」
「 してねーだろ!!」
「 まあ。でもさ。俺たちが会わなければいいだけの話だよ」
「 こ、こら待て…」
「 卒業したら京一は中国行くんだよな? だから、それまで我慢すればいいわけだ。なるべくお前の顔見ないようにして過ごせば」
「 ちょっと待てって言ってんだろ!!」
京一はぜーぜーと息をついてから、龍麻をもの凄い眼で睨みつけた。
「 お前! お前はそんなことで、もう俺との縁を切るっていうのか!俺らの関係ってその程度のもんだったのかよ!!」
「 その程度? お前には分からないんだよ、この音がどれだけ―」
「 分からねーよ! そんなもん我慢しろ! あームカツク! 俺はこんな薄情なやろうに自分の命を預けてたのかよ!? この前も散々ひでーこと言ってたけど、お前って奴のことがようやく分かったよ! お前が冷酷非道で、心底ヤな野郎だってことがな!!」
「 勝手に俺のこといい奴って思ってたお前が悪い」
「 何ー!!」
「 なあ、京一。お前って何者だよ? 俺とそんなに長い間付き合ってたわけでもない。たかだか4月に会ったばっかりだ。お前は俺の《力》にひきつけられて一緒にいただけだろ。相棒だなんて言ったって、本当の俺のことなんてちっとも分かっていなかったじゃないか、お前は」
「 このやろう…偉そうに言いやがって。じゃあお前は俺の何が分かるっていうんだよ? お前だって―」
「 分からないよ、京一の考えてることなんか」
「 何だー?」
「 勝手に人のこと相棒だ親友だって言っておいて。戦いが終わったら中国に修行に行く? お前こそ、さっさと俺と縁切ろうとしてただろ。俺はそれを責めたかよ。頑張れよって言ってやっただろ。俺がどんな気持ちでそれをお前に言ったのか、お前こそ知らないくせに」
「 え…?」
「 その程度なんだって思ったよ。結局、一緒に戦ったって、それが終わればそれまでだ。さようならだよ。そうだろ、京一?」
「 何を、俺が中国に行ったって、別に縁切るなんて」
「 けど、別れても別にどうってことはないんだろ?」
でも俺は、と龍麻は京一の方を見ずに、静かに言った。
「 俺は寂しいと思ったよ。お前がいなくなるんだって思ったら、寂しくなったよ。けど、お前は前と全然変わらない。みんなだって変わらない。いつもと同じ態度だよな。何なんだ? 一体? 何だか馬鹿らしいよ」
「 …お前、そんな風に思ってたのかよ」
「 悪いか? 俺はお前のこと好きだからさ。悲しいって思ったんだよ」
「 す、好き!?」
「 …馬鹿な声出すな。そういう意味じゃないよ。けど、大事な奴には違いない。俺にとって、お前は大事な存在だった」
「 龍麻…」
「 けど、お前の方は俺がどんな存在なのか、それすらも分かっていない。何にも考えたこともないんだ。腹も立つよ」
「 ………」
言われてみればそのとおりだった。
こういう風に龍麻に離れられるまで、自分は龍麻という存在が自分にとってどんな存在なのか、考えたこともなかった。いつも側にいてあたり前。そう、思っていたから。
中国に行くと決めた時は、その考えに有頂天になっていて、龍麻がどういう風に思うのかなど考えてもみなかったし、ましてや自分自身、龍麻と離れ離れになるなど考えてもみなかった。
だって、京一は一緒に行くつもりだったから。
けれど、それを口にしたことはなかった。当たり前だ。龍麻は黙っていても一緒に来ると思っていたから。
何て図々しい考えだろう。
「 あ、あのよ、龍麻…」
「 うるさい。お前が話しかけると余計ひどくなるんだ。この音。何にも聞こえなくなる。お前の声だって今ははっきりと聞こえないんだ」
「 …そんなひどいのか」
「 そうだよ。…お前にイラついてるから、拒否ってんのかもな。お前の声聞くの」
「 ………」
龍麻の怒ったような顔に、京一はもう何も言えなかった。
何を言っても、たとえ謝っても今の龍麻はきっと怒るだろう。
それは自分が悪い。
「 けど…」
これだけは言いたい。自分は龍麻と離れるのは嫌だ、と。
声を出すなというのなら、身振り手振りででも何でも、とにかく俺だってお前と離れるのは嫌だと言いたい。
京一は思わず龍麻の肩をつかんでいた。
「 何だよ…」
迷惑そうな龍麻の顔。京一はぎゅっと龍麻の手を握った。
「 や、やめろよ、何してんだよ」
声を出せないのなら、力をこめるまで。
「 痛い! 離せって!!」
何だか逆効果だ。けれど、怒ってほしくない。謝りたい。
それで、キスを、してみた。
龍麻と離れたくない。そばにいてほしい。そう思ったら、それを伝えようと思ったら、そうしていた。
男としたことなんてない。けれど、嫌じゃなかった。むしろ。
「 …馬鹿…勘違いすんなって言っただろ…」
龍麻は唇を拭いながら京一を睨みつけた。
「 お前のことを好きだって言ったのは…」
「 さっきの質問…」
「 あ?」
「 お前と縁切るなんて、俺は嫌だ」
「 ………」
「 俺もお前が好きだ」
「 だ、から、勘違いするなって…」
「 うるさい! 聞け!」
強く言って、京一は龍麻を黙らせた。
「 俺、馬鹿だよ。だから、中国へも…俺が何も言わなくても、お前が俺についてくるって勝手に思ってた。学校サボってても、俺にはそのうち理由を言ってくるって思ってた。自惚れてた。俺がお前を好きだから、お前も俺のこと好きに決まってるって思ってた」
「 ………」
「 何も言わなくてもよ…。お前は俺のそばにずっといるって思ってたんだよ」
だから、何も言わない龍麻にイラついた。自分の思い通りでない龍麻に、イラついたのだ。
「 …ホントに思い上がってんな」
しばらくして、龍麻がやっと口を開いた。
「 勝手、だよ」
怒ったような声。けれどそれは同時に、何だか泣き出しそうな声でもあった。
「 …ああ。けど、それくらいお前の存在は、俺にとって当たり前になってた。こんな…自分の気持ち、追求する必要もないほど」
「 ………」
「 龍麻、俺はお前が好きだ」
「 …どういう意味で言ってんだよ」
「 お前に離れてほしくない」
「 馬鹿…」
龍麻はつぶやいてから、もう一度唇を拭った。そうして、横を向いた。
ざざん、と波の音が鳴り響いて。二人の間を浜の風が通り抜けた。
「 俺が何で海に来たか、分かるか? 何でもいいから音がする所に来たかった。それと…」
一間隔置いてから龍麻は京一を見つめて少しだけ笑った。
「 この耳鳴りの原因であるお前が…もし俺のこと見捨てやがったら、そのままこの人気のない海に沈めてやる気だった」
「 こ、こえー事言うぜ…」
「 京一」
龍麻は言って、京一の方へこつんともたれかかった。京一はその龍麻の所作にドキンとしたが、そっとその身体を抱きしめた。
すると、龍麻がそっと言った。
「 お前の声…今はすごくよく聞こえる」
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