君が泣き出しそうな時 このバカはどうして時々こうなのだろう。 京一はイライラしながら、自分のすぐ横でじっと文庫本に目をやっている「相棒」の横顔を眺めやった。 朝は至って「普通」の、いつもの龍麻だったのだ。校門の所で会ってから一緒に教室に入り、バカみたいに元気な小蒔に優しそうな微笑を浮かべていた。醍醐や美里ともいつものように楽しそうに会話していたし、自分にだって仕方ないという風ながらも、いつものように忘れた宿題を写させてくれたりもしたのだ。 それなのに、いつだって突然。 「 龍麻―――」 コイツは突然、俺たちを拒絶する。 「 ……くそっ」 京一はいたたまれなくなり、思わずぶすくれた声で舌打ちをした。 「 ―――何?」 すると本から目を離さずに龍麻が訊いてきた。完全に無視してしまおうとかいう気はないらしい。ここが学校だからだろうか。 「 チッ…何でもねェよ!」 京一はそんな龍麻にむっとした顔を見せると、まるで駄々ッ子のように、ふんと鼻を鳴らして横を向いた。 場所は屋上。時は昼休み。 本来ならばいつものメンバーでわいわい言いながら昼食、というところだ。――が、何を思ったのか龍麻はこの時間になって急に「俺、一人になりたい」と言ったかと思うと、さっさと教室を出て行ってしまったのだ。 小蒔たちは一瞬ぽかんとして、そんな龍麻の後ろ姿を見つめるだけだったし、京一自身も最初は「何だ?」と思いながら、ただ不審な顔をするだけだった。龍麻は元々気分屋なところがあるから、普段温和な分、怒った時はかなりたちが悪いし、落ち込む時もその沈み具合は相当なものだ。京一もそんな龍麻の性質は割と理解しているつもりだった。 しかしそれでもやはり、いきなりこういう「いつもと違う龍麻」と直面してしまうと、自分も含めて皆動揺してしまう。「自分たちが何か気に障ることをしたのではないか?」と。 結局、放っておくこともできなくて、京一は皆を制してすぐさま後を追い、龍麻の横を陣取った。向こうはそんな京一の姿を認めた時、一瞬だけひどく嫌そうな顔を見せたが、特に何も言おうとはしなかった。だから別に自分はいてもいいのだろうと、京一は勝手にそう解釈することにした。 それでも。 「 …………」 「 …………」 それでも、やはり頭にはくる。 予想通りとはいえ龍麻は何も言わないし、自分の事にもまるで関心がないという風だったから。ただ本を眺めて。 「 ……おい、ひーちゃん」 「 …………」 「 ひーちゃんってばよ」 「 ………何」 「 俺ら、何かしたか」 「 何が」 「 何がじゃね―よッ! いいから、こっち向け!!」 「 ……何だよ」 ここで龍麻はようやく本を閉じ、不機嫌を思い切り絵にしたような顔で京一に視線を向けてきた。それは、「俺は何も悪くない、いきなり怒鳴りつけて、お前は何てヒドイ奴だ」と言わんばかりの顔だった。 「 向いたよ」 「 よし」 「 何」 「 何じゃねェ。どういう事か説明しろ」 京一が腕を組んで偉そうに言うと、龍麻は眉間に皺を寄せ、半ば呆れたような色まで見せてから大きくため息をついた。 「 説明って」 「 お前が一人になりたいって理由だよ」 「 ………別に」 「 別にって事はないだろうが。何か訳があるんだろ? 急にあんな態度取られたらみんなびっくりするじゃねェか」 「 ………びっくりする?」 「 するだろーよ、そりゃ!」 「 …………」 龍麻はそう言った京一を少しだけ不思議そうに見やった後、今度はそっと小さくため息をついてぽつりと言った。 「 俺が思うに、変なのはみんな」 「 は?」 「 普通なのは、俺」 「 ……何言ってんだ?」 「 解らないよ、京一には」 「 な…っ! 何だよ、それ!!」 意味不明な事を言ったきり、しかし後は口を閉ざす龍麻に、京一は焦ったようになって身体を揺らした。龍麻は親友で相棒で、こんなに近くにいるというのに、どうしてか今はひどく遠い所にいるような気がした。 「 おい、龍麻! はっきり言えよ。お前一体何考えてるんだ? 何か思う事があるなら、悩みがあるならはっきり言えよな! 何で一人で抱えこむんだよ!?」 「 ……別に何も抱えちゃいない」 龍麻はそれだけはきっぱりと言ってから、手持ち無沙汰のように閉じた本の表紙を手のひらですっと撫でた。伏し目がちの目は長い睫毛がかぶっていて、はっきりと確認することができない。 京一の苛立ちは増した。 「 お前が! いきなり『一人になりたい』なんて言うから、俺らみんな心配してんだろーがッ! なのにこんな所で一人のほほんと本なんか読みやがって! しかも何だそりゃ、その本は? タイトルすら読めねえぞ! どうせ読むならなあ、綺麗なオネエチャンが出てるエロ本でも読みやがれ!」 「 ……俺、一冊も持ってないもん」 「 うっ…! て、手前ェ…」 別に悪気があって言ったわけでもないのだろうが、そんな事をさらりと言った龍麻に、京一は思わず面食らった。後に続ける言葉のタイミングを逸する。しんと、二人の周囲に音がなくなった。 「 …………」 「 …………」 昼休みなだけあり、四方にはまばらに他の学生の影も見える。皆一様に昼食を取ったり談笑したりと、それぞれの休み時間を満喫している。楽しそうだ。その風景を改めて見やり、京一はここでようやく自分たちがまだ昼食を摂っていないことを思い出した。 「 ……ひーちゃん、腹減らねェのか」 「 別に」 「 ……何怒ってんだよ」 「 怒ってないよ」 「 じゃ、何でそんな態度なんだよ?」 「 ……普通だよ」 「 普通じゃねえから心配してんだろ」 「 …………」 「 おい、ひーちゃ―」 「 うるさいなあ」 龍麻はもういい加減にしてくれと言わんばかりのうっとおしそうな視線を向けると、少しだけ身体をずらした。最初は肩が触れそうな位置にあった二人の距離は、それによって微妙に離れた。 「 腹減ってんなら、飯食いに行けよ。そうだよ、俺は一人になりたいって言ったよ。だからここに来たのに、何でついて来たんだよ。俺はここにいるから、お前は行けよ」 「 お…お前〜! それが親友に言う態度かよ?」 「 ムカつくなら放っておけばいいだろ」 「 それができたら―ッ!」 「 いいから、行けってばッ!!」 京一の怒鳴り声を逆に龍麻が叫んで掻き消す。大袈裟に耳を塞いでから、龍麻は今度は完全に京一から視線を逸らしてしまった。横を向き、軽く肩で息をしている。声を荒げるのさえ、今は疲れるといった感じだった。 「 ひーちゃん……」 呼んで肩に触れようとして、しかし京一はその手を止めた。龍麻がそれを望んでいないような気がしたから。 ( いや、そうじゃねえ……) 京一は宙に浮いた手を引っ込めてから、軽く首を横に振った。多分自分がここで龍麻に手を差し伸べられないのは、ここまでした時に、それでも尚拒絶されたら…という思いがあるからだ。それが自分は怖いのだと思う。 どうしてそうやって一人、先ばかり見ているんだ。 「 …………」 京一は開いた口をぐっとつぐみ、無意識に浮かしかけていた腰も元に戻して座り直すと、敢えて龍麻から視線を逸らした。情けないが、今の自分は龍麻に声をかけることもできなければ、離れることもできなかった。 「 ………行かないのか」 その時、龍麻がぽつと訊いてきた。 目線は相変わらず何処か違う方向に行っているのだが、それでも横にいる京一の存在を気にしたような口振りだった。 「 京一」 「 何だよ」 「 行かないのかって訊いてるじゃん」 「 お前には関係ねェよ」 「 …………」 「 俺が休み時間に何処で何しようがお前には関係ないだろうが」 「 …………おせっかい」 「 むっ! 何だよ、そりゃ!」 「 京一はさ…。っていうか、みんなはたまには一人になりたいって思ったりはしないの?」 「 はあ? それはつまり、その」 「 いっつも笑って楽しい話して、いっつも一緒にいて。それは笑えて楽しいことなのかもしれないけど、どうしていつもいつもそうしていられるの」 「 ……お前、楽しくないか」 「 楽しいって言ってるじゃん」 「 だってよ―」 「 違う。俺が言いたいのは、こんな事じゃない」 龍麻は自分で振ったくせに、すぐに発した問いをかき消してしまうと、ここで初めて困惑したような顔をした。ちらとだけ京一を見つめ、それから「もう行ってよ」と居心地悪そうに付け足した。 「 ……行かねェよ」 「 ………やっぱり変なのは俺なのかな」 「 ひーちゃん……?」 しかし龍麻はもう京一に視線を送ってこなかった。 遥か遠方に視線をやり、何かを耐えるように唇をきゅっと結ぶ。 丁度その時、二人の間をひゅっと風が通り過ぎて、龍麻の長い前髪をそっとさらった。 「 あ……」 龍麻の瞳がちらと見えた。京一は息を飲んだ。 「 おい、ひーちゃん―」 「 …………」 「 おいって……」 「 ………今、話したくない」 龍麻は一間隔遅らせた後、ようやくそれだけを言った。決して京一の方は見ない。そして、もう一度「もう行けって」とつぶやいた。 「 ………行かねェって言ってんだろ」 「 意地悪だ、京一は……」 龍麻は言うと、遂に我慢ならないというように京一の方へと顔を向けた。京一はそれではっとして口を閉ざした。先刻、遠くを見ていた時の顔だ。その顔は本当に心細そうで。 今にも、泣き出しそうだった。 「 龍麻……」 「 俺、こんな自分大嫌いだ」 「 何言ってんだよ」 「 性格悪い」 「 だからバカな事言うなっての!」 京一は何だか急に胸の中がもやもやとしてきて、その苦しさを紛らわせるように、勢いのまま龍麻のことを引き寄せた。 「 な…何するんだよ…っ」 龍麻が驚いたように目を見開き、抵抗の声を上げると、京一はますます身体中が熱くなるのを感じた。おかしい。何か。自分の中の何かが急におかしくなったと思った。 「 きょ、京一っ! は、放せって…!」 「 冗談じゃねェ……」 「 え………」 京一の虚をついた発言に思い切り戸惑った龍麻は、拘束から逃れようともがいていた動きを止めた。けれど京一は逆に力を強め、そうして遂には両腕で龍麻のことを抱きすくめた。 「 痛…っ。京、一!」 「 ………よく解らねェ。お前のことなんかよ」 「 京……」 「 自分のことさえ解らないんだ。お前のことまで解るわけねェだろ。でもな、俺は今こうしたいって思ったんだよ。だからその通りにした」 「 何言ってんだよ! みんな…見てるだろ!」 龍麻は次第にざわつき出している周囲にちらと視線をやり、かっと赤面しながら再び京一を振りほどこうとした。 「 ひーちゃんだって、嫌じゃねえはずだ!」 しかし京一は負けずにきっぱりと言った。よく解らないが、これにはかなりの自信があった。自分の腕の中にいる龍麻は、温かくて柔らかくて、そして。 「 そんな顔するなよ」 どうしてこんなに悲しそうなのだろうと京一は思う。こんなに強い男が、どうして時にこんなに弱く儚くなってしまうのだろうと思う。 「 ………京一」 「 俺よ、とにかくお前のそういう顔、見たくねェんだ。どういう事情か解らねェ。俺、バカだし。けどよ、俺が見たくないから、俺は、俺がひーちゃんにそんな顔はさせねえ!」 「 …………」 龍麻はおとなしくなった。 暴れるのに疲れたようにも見えたが、それでも沈んだ氣の中に、ほんの少しだけ、安堵したような気配も感じとれた。それはもしかすると、京一の気のせいだったのかもしれないが。 「 京一……」 「 ひーちゃん。何かあったら俺に頼れよ。な?」 「 俺………」 「 何だ?」 「 俺、嫌いだよ、京一なんか……」 「 うっ! な、そんなきっぱり言うかよ?」 「 じゃあ普通」 「 ……そっちの方が嫌だぞ」 京一の言い様に、龍麻はようやくおかしそうにくすっと笑った。そして不意にしがみつくように、自分の顔を京一の胸に押し付け、くぐもった声で言った。 「 京一…」 「 ん……」 「 ………俺、今は一人でいたくない」 「 ………ひーちゃん」 京一は龍麻の言葉を自分の頭の中で何度か反芻させた。 「 いたくない……」 黙られた事で焦ったのか、龍麻が立て続けに声を発した。 京一は不意に押し寄せる不思議な感情の波に飲み込まれそうになり、一瞬軽い目眩を覚えた。それでも努めて平静な口調を装い、不安そうな顔の龍麻に言葉を投げた。 「 じゃあ、よ」 「 …………」 「 ずっとこうしててやるよ。お前の気が済むまで」 「 …………」 龍麻は何も応えなかった。けれどそのすぐ後、言葉の代わりにぎゅっと強められた腕の力に、京一はやっと胸の中にくすぶる龍麻への想いに気がついた。そして心の中で、らしくもなくつぶやいてしまった。 ああ、俺はコイツの全部に弱いのだ…と。 |
<完> |
■後記・・・弱気なひーちゃんが好きです。書くのも好き。龍麻は、最初は絶対誰にも頼らず自分で解決しようとするんだけど、自身で何に悩んでいるのか漠然としすぎているからうまく解決できない。そんな時、横にいるのは京一…これ、何かぴったりはまります。 |