…その代わり



  その日、京一は「物凄い」寝坊をした。
「 マジかよ…。もう昼過ぎてるじゃねーか…」
  起き抜け、傍の目覚まし時計を手に取って、京一は寝癖でぼさぼさになった髪の毛を更にわしゃわしゃとかき混ぜながらチッと軽く舌打ちした。今までも寝過ごして学校を遅刻する事などザラだったが、ここまで大遅刻というのはさすがに珍しかった。もしかすると3年に上がってから初めての事かもしれない。
「 あー…昨日はちょっと飛ばし過ぎたか」
  ぽつりと呟いてから京一はのそりと起き上がり、ふわあと大きく欠伸をした。
  先日、拳武館の八剣という男に不覚を取ってからというもの、京一は時間を見つけては1人で都心から離れた郊外の森で剣の修行をしていた。特に昨日は子どもの頃よく通った山林まで足を運んでいたせいか帰りも遅くなってしまい、自然寝るのも遅かった。本当は旧校舎の方が近いし修行にも便利なのだが、あそこだと他の仲間が一緒にくっついてくるし、自分だけの特訓には少々向かない。
  だから最近の京一は少しばかり仲間たちとの付き合いが悪くなっていた。
「 あっ、ヤベー! もしかして午後の英語ってマリアセンセから英訳の宿題出てなかったか!?」
  歯を磨きながら制服に着替えるという器用な事をやってのけながら、京一はふとこれからの授業に思いを馳せて嫌な事を思い出してしまった。このまま授業が終わるのを待って、それから登校するか。いや、それだと後で醍醐や小蒔からごちゃごちゃと煩い事を言われるような気がする。それならいっそこのまま休んでしまうか。いやいや、最近はまた次々と不穏な事件が起きているからあいつらだけでは不安だろう。
「 う〜……くそ」
  京一はぐるぐるとそんな事を考えながら結局はのろのろした足取りながらも学校の門をくぐり、午後の授業前には教室に着いてしまった。
  まあいい。宿題なら龍麻に写させてもらえばいいだろう。
「 ういーっす」
  ガラガラと教室のドアを開けながら京一は未だ眠い頭の中、そんな事を考えていた。
「 あーっ! 今頃来たよ、寝ぼすけ京一がッ!」
「 京一、お前今一体何時だと思ってるんだ?」
  すると待ってましたとばかりに京一の姿を認めた小蒔や醍醐が次々とそんな言葉を投げかけてきた。昼休みなだけあり教室はざわついていたが、2人の声はとてもよく響いた。
  眠い頭には割と堪える。
「 へいへい。すみませんね〜。けど、あんまでっかい声出すなよなー。頭に響くぜ」
「 何そのまるで反省してない言い方!」
「 お前、まさか二日酔いだとか言うんじゃないだろうな?」
「 そんなんじゃねえよ。それより…お」
  自分の席を取り囲むようにしていた醍醐と小蒔を押し退けて、京一は後からやって来た親友の龍麻を見つけると助かったと言わんばかりの顔で笑った。
「 ひーちゃん、今日の英語! 宿題写させてくれよ〜! 俺、全然やってねーんだよ!」
「 何言ってんだよ京一! キミは最初っからひーちゃんを当てにしてたな!」
「 るせーな、小太郎。別にお前の汚いノートを見せてくれって言ってるわけじゃないんだからいいだろーが。俺はひーちゃんに頼んでんだからよ!」
「 だ、誰のノートが汚いだー!!」
「 そうだぞ京一っ。桜井に失礼だろう!」
「 うっるせえ! お前ら、とにかく散れっ。俺がひーちゃんと話ができねーだろうがっ」
「 ははは」
  3人のやりとりを見ていた龍麻が可笑しそうに笑った。それからもう京一に言われる事は分かっていたのだろう、既に手にしていたノートをさっと差し出した。
「 ラーメン一杯分な」
「 へへ、悪ィなひーちゃん!」
「 もう〜。ひーちゃんはそうやっていっつも京一を甘やかすんだから〜」
「 そうだぞ龍麻。あまりコイツの為にならんぞ、そういうのは」
「 うん、ごめん」
  やんわりと笑む龍麻は2人にそう返すものの、あまり堪えた様子がない。京一は得意気な気持ちになってへへンと妙に胸を張って席に座る。
「 ほらほらお前ら、さっさといなくなれ。俺はこれからノートを写すという大変な仕事をしなくちゃなんねーんだからな」
「 もう…いばるなっ」
「 ひーちゃん、サンキュな」
「 うん」
  京一が礼を言うと龍麻はすぐに頷いて、それから自分の席へ戻って行った。京一はその背中を何となく追った後、急いで自分のノートをぱらりとめくった。





「 あれ? ひーちゃんは?」
  放課後、いつものように「ラーメン食って帰ろうぜ」を言おうとした京一は、ふといつもの姿が教室にない事に気づいて小首をかしげた。
  さっきまでいたはずなのに。
「 あ、本当だ。何処行ったんだろ、さっきまでいたのに」
  京一だけではなく、小蒔や醍醐、それに美里も気づかなかったようだ。皆してきょろきょろと龍麻の消えた教室を見やる。
  すると醍醐が考え込むように言った。
「 そういえば最近龍麻の様子が何だかおかしいと思わないか?」
「 は?」
「 おかしいって?」
「 ……そういえばそうね」
  この醍醐の意見に同調の意を示したのは美里だった。京一が不審な顔でそんな美里を見やると、当の美里はそんな京一こそ不思議だと言わんばかりの顔で見返してきた。
「 京一君は何とも思わなかった?」
「 何が? ひーちゃんの様子が変だって? 別に俺は何も感じなかったけどな」
「 ボクも」
  京一に同意するのは小蒔だ。「今日もコロッケパン、2人で半分こしたんだ」と、別段様子のおかしい事を否定する材料にはならないような話を付け足す。
  そんな2人に、しかし醍醐は尚も憮然とした調子で顎に手を当て先を続けた。
「 そうか? しかし、ふっとした所で何か物憂げに考え込んでいる事が多いような気がしてな…」
「 そう、私もそう思っていたの」
「 考え込んでいるって…何をだよ」
  醍醐や美里の言いたがっている事がイマイチ分からず、京一は何故か苛立った思いで2人のことを交互に見やった。
「 ひーちゃんが多少思案家なのはよ、今に始まった事じゃねえし? それに何かあったらひーちゃんは絶対俺たちに言うはずだろ。ったく、奥歯に物が挟まったような言い方しやがって、もっと具体的に分かりやすくおかしいところがあるなら言えってんだよ」
「 そんなものは分からん。ただ俺は感じた事を言ったまでだ」
  醍醐は京一の態度に今度は自分もむっとしたようになってフンと鼻を鳴らした。それから京一をじろじろと見やった後、いつものリーダー然とした言い方をする。
「 そういえばおかしいと言えばお前もおかしいな。最近、1人で何処をフラフラ彷徨ってるんだ?」
「 はあ? ……別に俺の事はいいだろうがよ」
「 あ、それはボクも思った。京一、キミはまたこの大変な時に新宿の歓楽街とかでオ姉チャンのお尻を追っかけたりとかしてるんじゃないだろうね!?」
「 アホか! 俺はなー!!」
「 何だよ! だって最近、よくさっさと1人で帰ってどっか行ってるみたいじゃない。今日だって大遅刻してくるし」
「 煩ェな、俺が何処へ行こうと勝手だろ!」
「 何だよその言い方!」
「 ちょっと皆、言い争いは…」
  さすがに美里が言い合いになろうとしている2人を止めようとした時だった。
「 皆、どうしたの?」
  いつ戻ってきたのだろうか。龍麻がきょとんとした顔で教室の入口に立っていた。何やら険悪な雰囲気になっているような4人を前に苦笑する。
「 何、本当どうしたの? いっつも仲良い皆がさ…」
「 いや何でもない。このバカがムキになって突っかかってきただけだ」
「 はあ? おい醍醐、何だよそれは!」
「 そうじゃないかっ。京一が悪いっ」
「 こ、この〜!!」
「 京一」
  龍麻が京一をなだめるようにそっと呼んだ。京一がそれでぐっと黙ると、龍麻はまた困ったように笑ってから小首をかしげた。
「 何があったか知らないけどさ、もう帰ろう? あ、ラーメン奢ってくれるんだよな」
「 あ、ああ…」
「 む…。それじゃあ、行くか」
「 そうね。行きましょう」
「 京一の奢りでねっ」
「 なっ、何でテメエらの分までー!!」
「 ははは、そうだな、それはいい。よし、では行くぞ」
「 ったく…」
  ぶすくれながらも、京一は龍麻を交えてまとまった自分たちにほっと心内で胸を撫で下ろした。己の事を詮索されるのも、そんな事で彼らとの仲が気まずくなるのも避けたかったから。やはり龍麻の存在は自分たちには欠かせないと京一は思う。そして、皆と笑いあう龍麻の横顔にほっとする。
「 ………」
  それでも何かが引っかかっていた。
  龍麻は何処へ行っていたのだろうかと思った。





「 くそ、あいつらマジで俺に奢らせやがってよ…。今月いきなりピンチだぜ」
  馴染みのラーメン屋に寄った後、何となく別れ難くて京一は龍麻と肩を並べたまま龍麻の住む1人暮らしのアパートへ寄る事になった。3年になって仲良くなってからこういう事はたまにあった。家に帰るのが面倒になった時や話が盛り上がった時など、龍麻しかいない部屋に上がりこむ事に気兼ねをする必要はなかったから。 
  慣れたように自らが電気をつけ、部屋の中央にどっかりと胡坐をかいて座った京一は、台所で冷蔵庫を開けている龍麻にすっかり寂しくなってしまった財布を見つめながらため息をついて見せた。
「 金、ないの?」
  その龍麻は京一にビールの缶を投げながら笑って聞いた。京一はそれを受け取りながら渋い顔で頷く。
「 どっかで日雇いバイトでもしないとやべえかも。それかひーちゃんに借金」
「 俺に借金かよ」
「 だーってよ、俺に金貸してくれるのなんてひーちゃんしかいねーもん。俺ら、無二の親友だろー?」
「 ったく、調子いいのなー」
  龍麻は呆れたようになりながら、それでも笑って京一の傍に座ると自分も手にしたビールの栓を開けた。暫くはお互いにそれをちびちびとやり、しんとした部屋でその後もとりとめもなく学校の事や仲間の事や、それに戦いの事を話したりもした。
  そして話が途切れた時、京一は何となく龍麻に訊いた。
「 そういやよ、ひーちゃん。今日放課後何処行ってたんだ? ちょっと消えてたよな」
「 え?」
「 ひーちゃんいないから、その間に不毛な話になっちまったんだぜ。何かよ、醍醐がひーちゃんの様子がおかしくないか、なんて言ってさ」
「 俺の…?」
「 ああ。俺は別に気づかなかったって言ったけど。美里まで醍醐に同調するし」
「 ………」
「 ……? 別に何もないよ、な?」
  不意に口をつぐむ龍麻に京一は一瞬言い淀んだようになり、口にしていたビールを離した。龍麻も両手に缶を持ったまま何事か考えこむように俯いている。
  何となく胸がざわりと震えた。
「 ひーちゃん?」
「 んー…」
「 ホントに何かあったのか?」
「 そういうわけじゃー、ないんだけど」
「 何だよ?」
「 ……んーと、マリア先生に呼ばれてたから」
「 え? あ、ああ、今日のことか。何だそうかよ。それだけ? じゃ、やっぱ何もねえんだよな。ったく、あいつら余計な気を回し過ぎなんだよな!」
「 ………」
「 ひーちゃん?」
「 なあ京一」
  すると龍麻は不意に思い切ったように顔を上げ、困惑したような目を向けた。
  京一はそれで思わず後ずさるようにして驚いた顔を向けた。
「 ど…したよ?」
「 こ、これ内緒の話な?」
「 あ、ああ…?」
「 絶対だぞ?」
「 分かってるよ」
「 あのな、あのさ…。マリア先生って、年下が好きなのかな?」
「 は、はあ!?」
  龍麻の言っている意味が分からず、京一は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「 バカ、声が大きいよ!」
  それに対して龍麻は思い切り罰の悪い顔をしてみせたのだが、これでますます分からなくなるのは京一の方だった。
「 声がでかいって…。別にいいだろが。ここにいんのは俺らだけなんだし」
「 まあ…」
「 それより、それどういう意味だよ?」
「 ………」
「 お前、まさかマリアセンセに言い寄られたとか悪い冗談言わないよな?」
「 ……悪い冗談?」
「 だろ。あんな色っぽいマリアセンセにお前だけ誘惑されたなんて羨ましい話、親友としちゃあ許せねーからなあ、ははは」
「 ………」
「 ……はは」
「 ………」
「 おいひーちゃん」
「 ………」
「 ま、まさかマジでか…?」
  京一が思い切り引いて青褪めた顔を見せると、龍麻はいよいよ不快な顔になって俯いた。
「 あのさあ…。大体おかしいんだよ…。先生のくせにあんな露出度の高い服着て」
「 いや、…ちょっと待てよ。今の話だよ。……マジなのか?」
「 ……マンション来ないかって言われたんだよ」
「 ………」
  龍麻の台詞に京一は思い切り黙りこんだ。確かに龍麻は男の自分から見てもいわゆる「男前」の部類に入るし、学園のマドンナ美里葵は勿論のこと、色気にはとんと無縁の小蒔まで、龍麻にはかなりの入れ込みを見せている。
  龍麻はいい男だと思う。本当に。
  しかしだからと言って…。
「 け、けどよ。マンション来いって言われたくれーで、それがそういう意味の誘いとは限らねーんじゃねー? ほら、ひーちゃん1人暮らしだし、メシの事とか心配して気を遣って言ってくれたとか」
「 ……そうならいいけど」
「 違うのかよ」
「 京一はさ、別にオッケー? 女教師との情事」
「 お、俺か…。そうだな、マリアセンセだったらいつでも準備はOKって感じかな」
「 そうか」
「 ………」
  割とあっさり答える龍麻に京一の胸は再びざわりと騒いだ。
  京一自身、突然内から湧き上がったこの感情が何を指し示すのかはよく分からなかった。よく分からないが、「ムカついた」事だけはどうやら確かなようだった。そして京一はビールをガバガバと煽りながら、それでは何故自分は苛付いているのだろうと考えた。以前から憧れていた美人教師が目をつけたのが龍麻だったからか。そもそも教師が生徒に目をつける事自体を嫌悪したのか。否、そんなはずはない。そういう一般的な常識に囚われる方ではないと思うし、もしマリアが心底龍麻に惹かれているというのなら、それは個人の自由だし、実際龍麻は自分が認める「イイ男」なのだ。そしてマリアも「イイ女」と言えるだろう。龍麻がマリアを嫌いでないというのなら、何も問題はないはずだ。
「 ………」
  そう、何も問題は。
「 京一」
「 ………」
「 京一って」
「 あ…? あ、あぁ、何だよ?」
「 ……何だよって。京一こそ、何黙ってるんだよ…」
「 別に……」
  しかし、京一は自分のその考えを龍麻に言う事ができなかった。
  そして次にはふと思い浮かんだ問いかけをそのまま口に出して言っていた。
「 それでひーちゃんはマリアセンセの事どう想ってんだよ?」
「 俺…?」
「 ああそうだよ。お前もその気あんのか?」
「 ………」
  どうしてそこで黙るんだ。京一の胸は更にざわりと蠢いた。
「 どうなんだよ、違うのか? まあ…たぶんそんな気はねえと思うけど」
「 えっ…。何で?」
「 な、何でってよ…」
  何となく口をついて出たその言葉に今度は龍麻が反応して問い返してきた。それに京一は何故か思い切り狼狽した後、視線を逸らしつつたどたどしい口調で言った。
「 だ、だってよ、何か…見るからに迷惑そうだから」
「 違うよ、そんなことはない」
「 な……」
「 ………ごめん、よく分からない」
「 な、何…謝ってんだよ…」
  どことなく落ち込んだ風の龍麻に京一は思い切りたじろいだ。
  ああ、そうか。醍醐が言っていたのはこういう時の顔だ。きっと教室で龍麻はこんな顔を度々見せていたに違いない。このところ寝不足であまり注意を払っていなかったが、龍麻はここ数日きっとこの事を悩んでいたのだろう。親友なのだから、もっと早く気づいてやれば良かった。
  しかし、とにかくも龍麻が謝るのはよく分からない。
「 ひーちゃん、あのよ…」
「 もういいやこの話」
「 はっ…?」
  けれど京一が話を先に進めようとした時、無理にそれを切るようにして龍麻がそう言った。京一が唖然としていると龍麻はいつもの笑顔に戻ると首を振った。
「 まあもうちょっと考えてみるよ。サンキュな、話聞いてくれて」
「 い、いやちょっと待てよ…。何でそこで終わるんだよ」
「 何でって?」
「 だ、だってよ。全然問題解決してねえじゃん。だからひーちゃんはどうしたいんだよ? マリアセンセの事が好きなのか?」
「 だから分からないんだって」
「 分からないじゃねえだろ。よく考えろよ。スキかキライかどっちかじゃねえか!」
「 ……そ、そんな簡単なものなのかよ」
「 あ!?」
「 ってか京一、何キレてんだよ?」
「 きっ…キレてなんかいねえよ…ッ!」
「 ………」
「 ………」
  お互いに黙りこむと部屋は再びしんとした沈黙に包まれた。
  京一はひどく居た堪れない気持ちになり、出し抜けもうすっかり生ぬるくなってしまっただろうビール缶を口につけた。
「 ……っち。空だった!」
  けれどとっくに飲み終わっていたらしい。喉を潤してくれる液体は京一の元には訪れてはくれなかった。
「 ……はい」
  すると龍麻が自分の分の缶をすっと京一に渡した。「まだ残ってるからやるよ」と言い、そうして自分はふっとため息をついてその場にごろりと寝転んだ。
  それはまるで子どもの不貞寝のようだった。
「 ………」
  そのため息は何だよと思いながら、それでも京一はそれを受け取り、ゴクリと一口やった。すっと喉元を通り過ぎた炭酸はやはりぬるかったけれど、何となく唇がくすぐったいと感じた。
  妙な感覚。
「 ………なぁ京一」
「 んあ?」
  その時、龍麻がビール缶の口を何となく眺めていた京一に言った。
「 お前さ…。最近何処行ってんの?」
「 は?」
  突然訊かれた言葉の意味が分からず京一がぼけっとしていると、ごろんと寝返りを打った龍麻は京一をちらと見てからやはり不貞腐れているような顔をして見せた。
「 最近。どっか消えてるだろ。何処行ってるのかなって思って」
「 ………」
「 言いたくないならいいよ」
「 バカちげーよ。昔通った山とかにな。ちょっと修行しやすい場所行ってんだ。旧校舎だとあいつらもいるだろ。気が散るからな」
「 俺も?」
「 ……何だよ。ひーちゃんは別にいいよ。なら今度一緒に行くか」
「 いい」
「 ………」
「 ……行かないよ」
「 あ、そ……」
  そしてまた沈黙。
  京一は自分に背中を向けたまま横になっている龍麻の姿をを黙ってじっと見つめた。きっと眠ってはいない。静かだけれどそれは分かった。不思議なものだ、龍麻の顔を見なくとも自分は今コイツが寝ているかどうかなどすぐに分かるし、今何となく怒っているだろう事もよく分かる。空気が読めるのだ。別段長い付き合いというわけでもないのに。
  よく、分かるのだ。
「 ………」
  だとしたら龍麻も分かってくれているのだろうか。今自分がこうしてじっと視線をやっていること。
「 京一」
  その時、ふと龍麻が呼んだ。京一が驚いて声を返せずにいると、龍麻がくるりと振り返ってきて言った。
  それは何となく気まずそうな、けれどもやはり意思のはっきり伝わる顔だった。
  龍麻は言った。
「 やっぱりさ…。今度行く。京一の修行場」
「 え……」
「 もうさ…。急に1人で消えるのなしな」
「 ………」
「 頼むよ」
「 分かった」
  龍麻が泣いたら嫌だから、京一はすぐに返事をした。
  そしてほとんど反射的に、京一は龍麻の手首を掴むとくいと呼ぶように引っ張った。
「 京一?」
  案の定その所作に龍麻は驚いたようになって振り返った。目があう。京一はどくんと高鳴る心臓を必死に抑えながら、努めて冷静な声と表情で言った。
「 その代わりよ…。行くの、やめろよ。……先生のマンション」
「 え…」
「 今度声かけられたら俺呼べよ」
「………」
「 その、俺がうまい事言ってやる。ひーちゃんに色恋沙汰はまだ早いって」
「 ……うん」
  手を振り払う事なく龍麻はそう言った京一に頷いて見せた。返事は淡々としたもの。それでもこちらをじっと見つめるその瞳はどことなく潤んでいて、京一は自然掴む手に力を込めてしまった。
  あまりに龍麻が可愛かったから。
「 ……ひーちゃんの手首って意外に細いんだな」
「 え? ……ったく。ばか!」
「 ひ、ひーちゃ…?」
  ふと浮かんだ気持ちを誤魔化すつもりで言った京一のその言葉は、しかし却って妙ないやらしさを伴ってしまったようだ。さっと視線を逸らした龍麻の耳朶がほんのりと朱に染まっていて、それを見た京一は自身でも滑稽だと思うくらいに慌ててしまった。
「 ひ、ひーちゃん。ちょっ…こっち向けよ…!」
「 ……っ」
「 ひーちゃんって!」
  何度呼んでも腕を引っ張っても、龍麻はなかなか顔を向けてはくれなかった。京一の胸の鼓動はそれで余計に早まった。
  先刻までざわついていた気持ちは、龍麻の手を握っている今はもう治まっていたけれど。



<完>





■後記・・・相互リンク先の京主大好きmu-minnさんより、「地面から芽が飛び出す前のむずむずした感じの2人」というリクを頂き(ホントはもっと具体的です)、挑戦してみました恋愛一歩前の京主。な、なってるかな。私的には「普段は親友、でも何だか…?」な京主はホント大好きなシチュエーションなので嬉々として書かせてもらったのですが。う〜ん、締め自体がむずむずしてないといいんですが。今回、嫉妬の対象を誰にしようか悩んで(当初は醍醐か犬先生にしようと思ってた)、何となくマリア先生に。マリア先生がひーちゃんを誘惑するとこも書けば良かったかな〜濃くなりそうだけど(笑)。今後の2人はマリア先生のお陰で順風満帆なのです!