足元のハンバーガー



  いつも龍麻の背中を見ていたから、その異変にはすぐに気がついた。

「緋勇…?」

  仲間になったばかりというのもあるけど、僕には彼の仲間たちが呼んでいるような気安さで彼を呼ぶ事が出来ない。龍麻は折に触れ「龍麻って呼んでいいよ」などと言うけど、それをするのはまだ自分の心の中でだけ、だ。
  僕は僕が思っている以上に用心深い男なのかもしれない。

「緋勇」

  それはともかく、皆が旧校舎から抜けて外の世界へ上がっていくというのに、龍麻は未だ1人その場に佇んで微動だにしなかった。足元にある何かに注目しているようだけど、後ろからではそれもよく分からない。仲間たちが龍麻の様子のおかしさに気付かず上がって行く事を不審に思いながらも、僕は珍しく彼と2人きりになれた事に微か胸の鼓動を速めていた。

「どうし―」

  けれど再度訊ね掛けて僕自身も動きを止めた。

「壬生」

  その代わり龍麻の方がゆっくりと後ろを振り返ってきて、何も考えていないような無機的な表情で僕を見つめてきた。先刻まで惚れ惚れする程の鋭い眼差しで異形を倒していたあの迫力は微塵もない。
  ただ、普段仲間の前で見せるような気安い笑顔もそこにはなかった。龍麻は能面のように平淡な様子で、声を掛けた僕に言った。

「これさぁ…食べていいかなぁ」
「…………いや」

  一瞬躊躇した後、僕は言い淀みながらも緩く首を振った。
  龍麻の足元に落ちていたのはハンバーガーだ。時々異形のモノが消滅する前に落としていくものだけど、僕自身はそれを拾った事はない。蓬莱寺や、変わった商売をしている如月さんあたりなどは嬉々としてそれらを回収しているようだけど、少なくとも僕はコレを普段街中で見かけるファストフード店のハンバーガーと同等に扱って食す気にはなれなかった。
  大体、落ちているものなんて汚いじゃないか。

「ちょっと払えば、それほど汚くはないと思うんだ」

  僕の考えを読んだのか、龍麻は何でもない事のようにそう言った。

「俺、今もの凄く腹が減っててさ。京一たちはラーメン食べに行こうって言ってたけど、どうもあそこまで保つ気がしない。お腹が減って倒れそうだもん」
「……だからってこれを食べなくても。きっと地上に出れば誰かお菓子の1つや2つ持ってると思うよ。美里さんにでも頼めばすぐに―…」
「駄目。美里はねえ、高くつく人なんだからね」

  借りを作っちゃ駄目なの、と。
  龍麻は少し子どものような幼い口調でそう言った後、1人でくふりと笑った。その横顔に何故かドクンと胸が高鳴って僕は困ったのだけれど、とにかく足元のハンバーガーを食べて欲しくはなかった。
  僕は少し悩んだ後、「良かったら」と努めて平静を装って言った。

「僕が何かご馳走するよ。緋勇の食べたい物を作るから」
「壬生は料理が得意なんだっけ」
「得意というか…普段1人だからね。自炊に慣れてるんだ」
「ふうん。俺も1人暮らし、もう直1年になるけど。全然慣れないよ」

  壬生は凄いなあと、本当に凄いと思っているのか分からないような無感動な調子で龍麻は言った。
  それからぼうとしたまま辺りをぐるりと見回して、彼はその場でただ突っ立っている僕の手にちらりと触れた。

「……っ」

  それはただ単に周囲に目をやり身体を動かした拍子に偶然当たっただけなんだけど、たったそれだけの触れ合いで僕は自分でも驚くほどに動揺してしまった。
  認めたくはないけれど、僕はこの緋勇龍麻という人間に恋してる。

「……緋勇。とりあえず上へ行こう。みんな君のこと、待ってるんじゃないかな」
「ん…壬生は?」
「僕も行くよ。君が行くなら」
「なら、俺が行かないって言ったら?」
「え?」

  どうしてそんな眼で僕を見るのだろう。いつもはただ頼り甲斐のある強い眼差しで、「壬生、後方は任せたよ」とか、「壬生、凄いな今の技。後で俺にも教えて」とか。当たり障りのない、如何にもリーダー然とした態度で僕と接するくせに。
  今は酷く危げで、それに、どこか投げ遣りに見える。
  もっとも僕が彼に惹かれたのも、時折見せるこんな不可解な部分に興味を抱いたのが始まりなんだけど。

「壬生。俺はね……」

  ぼうとしていると、不意に龍麻が僕を呼んだ。
  ハッとして顔を上げると、龍麻はもう僕を見てはいなくて、でも僕の手にまたちらりとだけ触れた後、辺りに広がる無限の闇を仰ぎ見るようにしながら続けた。

「俺、いつもいつも、お腹が空いて仕方ない」
「え……?」
「いつも、どんなに喰らっても足りない。あいつらよりも、俺の方がよっぽど異形だ」
「緋勇、何を……」
「だから、さ」

  くるりと突然僕を見て、龍麻はその時ようやっといつものような人好きのする笑みを浮かべた。僕がそれに意表をつかれて押し黙ってしまうと、龍麻はそんな僕に目を細めて、それから足元のハンバーガーをぐしゃりと踏み潰した。
  その行為が酷く乱暴で僕は思わず眉をひそめたけど、それに1番心を痛めているのは、どうやら当の龍麻らしかった。
  龍麻はどこか苦しそうに、けれど微笑みながら言った。

「駄目、なんだ。みんなとラーメン食べても、ハンバーガーをかじっても。全然満たされない。でも、それを言っちゃ、駄目なんだ。みんな怖がっちゃうだろ?」
「…………」
「壬生も、俺のこと、怖いかな」
「まさか……」

  怖いとしたら、それは君という存在が自分の目の前から永遠に消えてしまう事を想像した時だけだ。
  バカみたいに「興味なんかない」ってフリして、僕はいつだって君ばかり見ている。そんな自分を知られるのは怖いし、でも触れられないのはもっと嫌だ。僕はとんでもない我がままで、そんな身勝手な自分だから、いつでもそれがバレないように殻に閉じこもって君にも全然近づけない。
  そんな卑怯な僕に比べたら、大きなものを背負って尚平然とした(フリをしている)君は、どれほど愛しい存在だろう。

「僕の方がよっぽど怖いと思うよ」

  だから僕は龍麻の手を今度は自分から握り締めながら言ってみた。

「ん?」

  龍麻はそんな僕に不思議そうな目を向けて小首をかしげた。……こういうところは狙ってやっているのか、それとも天然なのか分からないけれど、本当に心臓に悪い。
  僕ははっと1つ息を吐いて、赤面していませんようにと願いながらぐっと目を瞑った後、思い切って言った。

「僕は君のことが好きなんだ」

  龍麻の返答を聞くのが怖くて自然とまくしたてるような早口になった。

「出会った時から、もう惹かれてた。仲間になって君を知る度にもっと目を離せなくなって、どんどん好きになってた。僕みたいな人間に誰かを好きになる資格なんかないよ。ましてや、君みたいな人を……僕のような男に見られているというだけで、君は汚れてしまうから」
「……汚れないよ」

  龍麻がぼそりとそう答えてくれたのが嬉しくて、そして驚いてしまって、僕は思わず顔を上げて彼の顔をまじまじと見つめやった。
  龍麻は僕の突然の告白に多少は驚いたのだろうか、ぱちりと目を大きく見開いて、それから僕が握っていた手を自分からぎゅっと握り返してきてくれた。
  そして言った。

「壬生って俺と似ているところがあると思っていたけど」
「え?」
「だからこの話をする気になったんだ。俺がいつもお腹空いているって話。もうどうしようもないって話。壬生が前から俺のことずっと見てくれてるのは分かってた。それがどうしてかは考えた事もなかったけど……けど、俺、多分それが嬉しかったんだと思うよ。だから……壬生なら、俺のこの話、分かってくれるかなって。俺を満たしてくれるかなって」
「……緋勇」
「もしも俺が駄目になったら、一緒に残ってくれるかなって」
「残る?」
「ここに」

  暗い地面を指差して龍麻は何でもない事のようにそう言った。
  先刻、もし俺がここに残ると言ったら―…というのは、どうやら冗談ではなかったようだ。龍麻が抱える闇は思った以上に深い。

「………」

  けれどどうしてだろう、その闇を僕に見せてもらえた事が。彼が僕に対して他の仲間たちには決して見せない部分を晒してくれた事が、今はとてつもなく嬉しくて堪らない。今すぐ声を立てて大笑いしたいくらいだった。やっぱり、怖いのは僕の方だよ龍麻。

「喜んで残るよ」

  だから正直に僕はそう言った。自重した笑みで果たして彼に気味悪がられたりしなかっただろうか、その事がいやに気になったけど、遠慮がちに身体に触れて、それからそっと抱き寄せてみると、思った以上にあっさりと龍麻は僕の懐にもたれかかってきた。

「俺、恋愛の事はよく分からないよ」

  それでも龍麻は僕にそう釘を刺した後、ふっと小さく笑んだ。

「でも、甘えさせてもらえるのは好きなんだ。本当は凄く甘えん坊なの、俺。美里には、そこらへんの事がバレてるから厄介なんだ。隙を作るとどんどん甘やかされちゃうからね」
「彼女に甘えるのはよくないの?」
「言っただろ。あの人は怖い人なんだから」

  僕の方が怖いと言っているのに、どうやら龍麻にとって最も怖いのは菩薩様らしい。
  その事に少しだけ不満を抱きながらも、それでも僕は遂にはきゅっとしがみついてきた彼の温もりに昂揚が止まらず、「龍麻」とつい上擦った声を上げてしまった。

「君が望むなら何でも食べさせてあげるし、ずっとここにいてもいいよ」
「本当?」
「君が望むだけ、思い切り甘やかすよ。だって僕がそうしたいんだ」
「………壬生はバカだなぁ」

  そう言いつつも龍麻は僕から離れずに、やはりクスリと小さく笑った。
  僕は足元に転がっている今は無残な姿のハンバーガーをちらとだけ見て、「ああ、でも」とそれだけは付け加えた。

「やっぱり、ここのモノは食べさせたくないな。帰ったら僕が夕飯を作るから」
「……それなら、今日は外に出ようかな」
「うん」

  そうしよう、と。
  僕がそっと言うと、龍麻はようやく納得したようになってもう一度「うん」と頷いた。
  それから大袈裟にぺしゃんこのお腹を擦りながら、「夕飯のメニューはハンバーガーがいいな」と言って挑むように僕を見上げて微笑んだ。




<完>





■後記…ぎゃー何だこれは。飢える龍麻、甘やかす壬生…を書きたいが為に勢いで仕上げた作品です。龍麻は自分の飢えの部分を仲間に知られないようにしているから、常に結構悩み症なんです。そんな龍麻をエロい壬生がどんどこ甘やかしてベロベロにしてやればいいと、思います(何)。久々の壬生主でちょっと途惑いましたが、これは相互リンク記念(いつのだ…汗)として、壬生主を描かせりゃ天下逸品!な「主水」のひらせ様に捧げたいと思います〜。