だから、ここにいる



  いつもは自分の感情を抑えることなど簡単なはずなのに。

  気づいた時には、彼の家の前だった。
「 本当にどうかしている…」
  壬生紅葉はそうつぶやいてから、自分の行動を心の中で嘲った。
  用などない。会ったところで、何を話して良いのか分からない。
  なのに、今自分は、彼の家の前だ。
  一体、会ってどうしようというのか。



  その時、不意にドアが開いて、その彼―龍麻―が姿を現した。思いきり突然面と向かう形になったものだから、お互いが意表をつかれて驚いた表情をしてしまった。
「 何だ…びっくりした。壬生?」
「 あ、龍麻…す、すまない」
  顔を見た途端何故か謝ってしまい、壬生はそれでまた一人で焦ってしまった。
  龍麻は始めこそ驚いたものの、すぐにいつもの柔和な笑みを向けると、扉をより大きく開いて明るい声を出した。
「 そんな、謝ることないよ。それより、どうしたんだよ? お前がうちに来るのなんて、初めてじゃないか?」
「 ああ…」
「 家、よく分かったな? 迷わなかった?」
「 いや…場所は以前如月さんから聞いていたし…」
「 あ、そうなんだ。それより、上がれよ」
  龍麻はそう言って先にリビングへと戻って行く。その背中に壬生が居心地悪そうに声をかけた。
「 龍麻、何処かへ出掛ける予定だったんじゃないのか」
「 え? いや、別に」
  龍麻はそう答えてから、未だ部屋の中に入って来ようとしない壬生を振り返って首をかしげた。
「 だけど、今ドアを開けたのは…」
「 ああ、違うよ。誰かいるなって思ったから開けただけ。そしたらそれが壬生だったからさ」
  ああそうかと壬生は心の中で頷いて、それから靴を脱いで部屋に上がった。
  きちんと整頓された空間。
  と、言っても物はそれほどなく、居間も簡易ソファとテーブル、それにテレビがあるだけだ。白い壁がいやに眩しく見えて、一種異様な感じが壬生にはした。
  この部屋には、生活感がないのだ。
「 壬生、何飲む? 一応、コーヒー、紅茶。冷たいものだと、コーラとかウーロン茶とかあるけど」
「 あ、何でも…」
  台所からそう声をかける龍麻に曖昧に返事をしてから、壬生は所在なげにその場に立ち尽くしていた。
  そんな壬生に、龍麻がコーラの缶を投げながら、にっこりと笑って言う。
「 そんなとこで突っ立ってないでさ、そこに座れよ」
「 あ、ああ…」
  龍麻は相変わらず落ち着いた笑みを壬生に向けたまま、優しい表情で壬生の向かいにあぐらをかいて座った。自分がソファに腰をおろしているのに、龍麻がフローリングに直接座っているものだから、何だか龍麻を見下ろしているようで妙な感じがする。しかし今更自分も同じ位置に座るわけにもいかない。
  目の前の龍麻はそんな壬生の様子に気づいているのかいないのか、自分もコーラの缶を口にすると、くいっとあおるように飲んでから、にこりと微笑んできた。

  その顔に、またどきりとしてしまう。

  あの初めて出会った時から、言いようもなく惹かれる自分がいることを、壬生は自覚していた。陰の世界に生きる自分とは明らかに対の道を歩む龍麻。そんな彼に嫉妬しながらも、目が離せなかった。
  皆に好かれ、強く優しく、非のうちどころがない選ばれた人間。
  そんな完璧な龍麻にどことなく同じ人間として違和感を抱きながらも、今まで誰に感じたこともない興味を抱かずにはいられなかったのだ。
「 なあ、壬生ってば」
「 えっ…」
  呼ばれたと思い、はっと我に返ると、そこには苦笑したような龍麻の姿があった。
「 どうしたんだよ、ぼーっとしてさ」
「 す、すまない」
「 いいけど。今の俺の話、聞いてた?」
「 え? いや…」
「 もう、仕方ないなあ」
  非難めいた言い方をしながら、ちっとも怒った顔をしていない。
  龍麻は笑いながらコーラの缶を目の前のテーブルに置くと、足を伸ばして思い切りリラックスした姿勢を取ってから言った。
「 今日はどうしたんだ? って言ったの。何か俺に話があったんじゃないの」
「 え…」
「 だってそうじゃなかったらいきなり来たりしないだろ」
「 迷惑…だったかい」
「 そんな事言ってんじゃないって」
  龍麻は困ったようにまた笑んでから、壬生のことを真っ直ぐに見つめてきた。それに怯んで、壬生の方が目を逸らしてしまう。
「 何か悩んでいることとかあるんだったら話してくれよな? 俺たち仲間だろ」
「 ……」
  誰にでも投げかける優しい言葉。
  不意に、胸の中で何かがちりちりと音を立てて自分の身体を痛めつけるのを壬生は感じた。
  龍麻は良い奴だ。それは分かる。誰もがそう思っている。
  彼と正反対の生き方をしている自分は、それを余計に強く感じるのだと思う。けれど。

  それが自分だけのものでないことが、ひどく悔しい。

  贅沢な望みだと分かっていても、今、この二人きりの時くらい、「皆の緋勇龍麻」ではなく、違う姿の彼が見たいと思ってしまう。
「 壬生?」
「 ……っ!」
  また龍麻の呼びかけにはっとして、壬生は先刻の考えを打ち消した。大体、今日勢いでここに来てしまったこと自体、間違いだった。
  どうかしている。
  壬生は思わず立ち上がっていた。
「 どうしたんだよ、壬生?」
「 すまない。もう失礼するよ」
「 えっ…だってお前…」
「 本当に今日はすまない。僕がここに来たことは忘れてくれ」
「 何言ってるんだよ、ちょっと待てって」
  壬生は止める龍麻に構わずに玄関の方へと向かった。
  まだ仕事で忙しくしている方がマシだった。こんな風に自分の時間を持ってしまったせいで、ここに来てしまったのだから。
「 もう壬生! 待てって!」
  けれど、龍麻がようやく怒ったような声を出して、そんな壬生の腕をぐいっとつかんできた。逆らえないような力で、壬生は自分の意思とは逆に無理やり身体を龍麻の方に向けられてしまった。
「 いきなり来ていきなり帰るって、それはないだろ」
「 だからそれは僕が悪かった」
「 謝るなってば! そういう事言いたいんじゃないだろ」
「 けど、僕は別に君に話すことはないんだ。ないのに、ただ来てしまって…。だからもう帰るよ」
「 ええ? もう、何だよそれ」
  呆れたように龍麻は言ったが、やがて苦笑すると、壬生の両手をぎゅっと握ってから言った。
「 別に用なんかなくたって来ていいんだよ。そういうもんだろ、友達なんてさ」
「 ……」
「 話すことないなら黙っていればいいって。とにかく、こんな風に帰るのはよせよ。俺が気になるだろ、何か壬生の気に障ることしたのかって」
「 そんなんじゃないよ」
  龍麻の温かさが窮屈で、壬生はどこを見て良いのか分からず、ただ俯いて言った。どうしてこんな優しさが出せるんだろう。ただそんな想いが頭の中をぐるぐると巡る。そうして龍麻に握られている手に熱を感じた。
  そんな壬生の気持ちになどお構いなしに、龍麻はにっこりと笑って言った。
「 じゃあさ。今日は泊まっていけよ。な、いいだろ?」
「 龍麻…」
「 だめ、もう決めた。俺がメシご馳走するからさ」
  俺、料理上手いんだぜ。
  龍麻はそう言って笑った。






  普段自活をしていて料理には自信のある壬生も、龍麻の料理には感心してしまった。せめて料理くらい自分が勝っていたいものだったが、どうやら天は一人の人間にニ物も三物も与えてしまうものらしい。
「 壬生、口にあった?」
「 すごく美味しかったよ」
「 ホント!? 良かった。あ〜安心した〜!」
「 …ごちそうさま」
「 いいえ。お粗末さん」
  龍麻は大げさに深々と頭を下げてから、いたずらっぽく笑んで見せた。そうして、片付けくらい手伝うという壬生を頑なに拒み、一人で皿を洗い始めた。
  壬生はソファに座らされて、お茶を前に沈黙していた。
「 なあ、壬生。鳴瀧さんは元気?」
「 え…。ああ、相変わらず多忙な方だよ。僕も最近顔を合わせていない」
「 へえ、そうなんだ。会いたいなあ」
  何気ない口調でそう言った後、また二人の間には沈黙が走った。
  ただ、蛇口から流れる水音のおかげで、気まずい静寂にはならなかった。
「 なあ壬生」
  そしてまた龍麻が不意に声をかけた。
「 訊いていい?」
「 ……? ああ、いいよ」
「 壬生はさ、鳴瀧さんに仕事を命じられた時、どう思った?」
「 ……どういう意味だい」
「 別に、壬生が捉えたままに答えてくれればいいんだけど」
  龍麻は背中を向けたまま壬生にそう返した。
「 どう…ということもないさ。仕事は仕事だよ。それが僕に与えられた事なら、余計な感情は邪魔なだけだ」
「 …そっか」
「 それが何だというんだい」
「 ん…」
  片付けが終わったのか、龍麻は水道の蛇口を閉め、タオルで濡れた手を拭きながら壬生の方を振り返った。いつもの穏やかな表情ではあったが、それはどことなく陰りがあるように壬生には感じられた。
「 ……そっち行っていい?」
「 え?」
  突然、訳の分からないことを言い出す龍麻に、壬生は面食らった。
「 …行って良いも何も、ここは君の部屋じゃないか。何でそんな」
「 だって壬生。すごく警戒した眼をしているからさ」
「 ……え」
  はっとして壬生は自らの身体にひどく力が入っていることに気づいた。多分、龍麻に自分の仕事のことを訊かれて、自然とそんな風になってしまっていたのだろう。
  けれど、別に龍麻に警戒したわけではなかったのに。
「 いいかな。そこに行っても?」
  龍麻の恐る恐る言うようなその口調に、壬生はズキンと胸が痛むのを感じた。
  龍麻の顔をまともに見ることができずに、壬生は俯いた。誰に何と思われようと構わない。自分は人殺しだ。周囲の人間に畏れ避けられるのは当然なのだ。けれど。
  彼にだけは。
  彼にだけは、こんな風に怖がられたりしたくない。脅えさせたくない。
「 ごめん、龍麻」
  いたたまれなくなり、壬生は立ち上がった。やはりこの場にいてはいけなかった。つい龍麻の優しさに甘えて、のうのうと居座ってしまった。でも、もう。
「 もう、帰るよ。本当にごめん。もう来ないから…」
「 違うよ、壬生」
  その時、龍麻が側にきて壬生に声をかけた。はっとして顔をあげると、そこには、何だか寂しそうに笑っている龍麻の顔があった。
「 ごめん、言葉が足りなかったよね。違うよ。壬生のこと怖がったりしたわけじゃないよ。ただ俺が自分に自信がなかっただけ」
「 え…?」
「 壬生みたいにしっかりした奴のそばに、俺みたいな奴がいてもいいのかなって不安になっただけ。だから訊いたんだ。壬生のそばにいたいんだけど、いてもいいかな…って」
「 龍麻…?」
  訳も分からずに壬生はただ問い返した。すると龍麻は壬生に答えずに、そっと両腕を壬生の首に回して抱きついた。
「 た…」
「 壬生は俺のこと、全然分かってないなあ…」
  龍麻は目をつむったまま、落ち着いた口調で言った。
「 俺がみんなの中心で戦っているからって。俺がみんなよりちょっと強いからって。それが俺の全てだと思うのか? 俺には、お前の存在の方が余程凄いって思えるのに」
「 な、にを…龍麻…」
  龍麻の身体をどうしてよいか分からずに、壬生はただ自分の両腕をどうともできずに宙に浮かせていた。
「 お前に初めて会った時…。目が離せなかった。お前の眼に…存在感に、俺、圧倒されてたんだよ」
  知ってた?
  そう言って、ようやく龍麻は顔を上げて壬生を見つめた。壬生はそんな龍麻の表情に身体中が熱くなるのを感じ、その勢いのまま遂に自らの両腕を龍麻の背に回した。

「 た、つま…」
「 ん……」
「 僕は…僕こそ、君のことが眩しくて…」
「 ……」
  龍麻が黙って聞いていてくれるので、壬生はそのまま言葉を紡いだ。
「 だから、過ぎた願いだとかっていたのに、ここに来てしまったんだ。君に、僕のことを分かってもらいたくて…。君のことをもっと知りたくて…」
「 うん…俺も……」
  龍麻がそう答えて再び壬生に身体を預けると、壬生はようやく実感してきた至福に震えると、より強く龍麻を抱きしめた。
「 いいんだろうか…。僕は、ここにいても?」
「 うん」
  龍麻が頷いた。
  と、その時。
  壬生の携帯が鳴った。
「 ……!」
  驚いた龍麻がぴくりと身体を揺らした。
「 壬、生……」
「 ……」
  けれど壬生はそれで自分から離れようとする龍麻を諌めるように、抱きしめる腕に力をこめた。
「 壬生?」
「 いいよ」
  そうして壬生は、ひどく嬉しそうに微笑んで。
  龍麻の唇をそっと奪った。



 

<完>





■後記…基本的に私の中の壬生はこんな感じかな〜と思いながら書きました。龍麻はちょっと壬生より頑張っている感じで(何)。いや、でもこの2人は陰と陽というだけあって、互いにないものに惹かれているってのがスタンダードだなあとは思うのです。