「 悪いけど、僕はそういうのが好きじゃないんだ」
思わずそう発してしまった事を壬生はすぐに後悔した。
その時に見た龍麻の顔が頭から離れなくなってしまったから。
聞こえてる、いつも
壬生が避ければ避けるほど、龍麻の誘いは過剰になった。
「 壬生」
「 ………」
「 おい! 壬生ってば!」
「 え…? あ、ああ…」
「 もう、何ぼうっとしてんだよ!」
「 …ごめん」
壬生が龍麻らの仲間になってからまだそれほどの日は経っていない。だから当然と言えば当然なのだが、共に戦い共に修練を重ねていても、壬生は今ひとつ龍麻や龍麻を支えている仲間たちと打ち解ける事が出来ずにいた。
「 あのな壬生。この後皆とラーメン食べに行くんだけど」
そんな壬生に龍麻は自分たちと一緒に来ないかと事ある毎に声を掛けてきた。元来が無口な性格とは言え、壬生とて話し掛けられればそれなりに受け答えはするし、ましてや龍麻は初めて自らの力を貸したいと願った相手だから、無碍にする事もできなかった。
けれど。
「 緋勇、僕は…」
「 な、一緒に行こうぜ? それでその後はそのままうちに泊まりに来ないか? 今日、もう遅いし」
「 緋勇。…悪いけど」
「 ………」
「 本当に悪いけど」
龍麻に誘われる度、壬生はいつも決まって断りの言葉を吐いた。
食事だとか一緒に帰るとか、ましてや自分の家以外の誰かの領域で眠るなど、壬生にはとても出来そうになかった。出来たとしても好んでやりたいとは思わなかった。日の光を避け、常に用心深く孤独な道を歩んできた壬生にとって、母親以外の誰かと深く付き合う事には躊躇いがあったし怯えがあったから。
「 今日は帰るよ」
「 ………」
「 …ごめん」
龍麻の視線から逃れるようにして壬生は言った。龍麻に呆れられたり気分を害されたりするのはできれば避けたかったが、こればかりはどうしようもない事だと壬生は考えていた。
「 ……迷惑?」
「 え?」
「 何でいっつも断るんだよ」
しかしいつもなら「分かった」と言って引き下がる龍麻がこの日は違った。むっとした表情を隠しもせずに、龍麻は壬生に食い下がるようにして言った。
「 たまには付き合ってくれたっていいだろ!」
「 緋勇…」
「 折角仲間になれたんじゃないか」
「 ………」
「 折角…会えたのに…っ。何なんだよお前!」
「 何と…言われても…」
「 み…みんなは、いつでも付き合ってくれるぞ!」
「 ……みんな?」
龍麻の恨みがましいその一言がなければ「あんな事」は言わなかったのに。
「 ……緋勇」
度重なる誘いを全て断る自分が悪いし、龍麻が怒るのももっともだ。だからひたすらに謝って、その場を丸く収める事が必須なのだと壬生には分かっていた。分かっていたのだ。
仲間を引き合いに出されるまでは。
「 悪いけど、僕はそういうのが好きじゃないんだ」
「 あ……」
龍麻の瞬時「しまった」という顔にも気づいたのに、この時の壬生は自分を止められなかった。
苛立ちの表情を隠しもせずにキツイ言い方をしてしまった。
「 僕と必要以上に親しくしたって何も良いことなんかないよ。誰かに傍にいて欲しいなら、蓬莱寺たちと遊べばいいだろ」
「 何だよ…それ…」
「 ………」
すぐに言い過ぎたと思った。後悔した。
けれど壬生はその零してしまった言葉に謝罪も訂正もできなかった。ひどく居た堪れなくて、遠くからしきりと龍麻の名を呼び「早く来いよ」と叫ぶ仲間たちの声にも無性に腹が立っていた。
「 緋勇、呼ばれてるよ」
吐き捨てるように強い口調で続けると、龍麻の身体がぴくんと揺れるのが視界の隅に映った。
それでも尚龍麻を見ようとはせず、壬生は言った。
「 行きなよ。皆待ってるよ」
「 ………」
「 緋勇、呼ばれ―」
「 分かったよ」
「 ………」
「 またな、壬生…」
「 ………」
寂しそうにそう言って背中を向ける龍麻に、壬生は何も返す事ができなかった。
誰にでも明るく優しい龍麻を見ていると、いつでも壬生の胸の奥はざわついた。
龍麻には仲間がたくさんいて、自分などいなくてもどうという事もない。自分の助けなど別にいらない。龍麻が声を掛けてきたのだって、多少の戦力になる人間は1人でも多い方が良いと思ったからに他ならない。別段「壬生紅葉」という人間が欲しいわけではないのだ。
「 バカだな…。そんなの、別にどうだっていい事じゃないか…」
僻みめいた気持ちを抱いて、壬生は1人で冷笑した。夕暮れ時の新宿を1人歩きながら、壬生は仲間たちに囲まれ常に笑顔の龍麻の顔をぼんやりと思い浮かべた。
どうしてあんな人間がいるんだろう。
「 龍麻…」
ぽつりと名前を呟いてみて壬生ははっと息を吐いた。最近はずっとこうだった。龍麻の事を考えると胸が苦しくなって腹立たしい気持ちになって、けれど心地良かった。「仕事」の後は尚の事龍麻の顔を思い浮かべた。龍麻はあの時こんな事を言ってくれた、あんな表情をしていた…。そんな1つ1つの事を思い返す度に、重苦しくこびりついた血の匂いから離れられるような気がしていた。
それなのに、どうして。
どうしてあんな態度しか取れないのか。どうしてあんな事を言って傷つけてしまったのだろう。家路へ急ぐ雑踏の中で、壬生はもう何度目かも分からないため息をついた。
翌日。
「 壬生。怪我した」
まさか声が掛かるとは思わなかったが、その日も壬生は龍麻に呼ばれ他の仲間たちと共に旧校舎での鍛錬に加わった。昨日の今日という事で時間的にはそれほど長くはなかったが、地上へ戻ってきた時には辺りももう大分薄暗くなっていた。
龍麻が壬生に近づいてきたのはその夕闇の中、それぞれが校舎裏で帰り支度を始めている最中での事だった。
「 怪我…?」
「 ほら、ここ」
壬生の言葉に龍麻はさっと自らの右手の甲を差し出した。なるほどそこは確かに痛々しく擦り切れて赤い血が滲み出ていた。
壬生は自然顔をしかめた。
「 早く手当てしなよ」
「 うん。保健室、一緒に来てくれるか?」
「 ……美里さんと行きなよ」
美里でなくとも仲間の誰かに言えば誰もが甲斐甲斐しく世話を焼いて過ぎる程の手当てをしてくれるだろう。心配ない。壬生が気まずい思いを抱きながらそう心の中だけで呟いていると、龍麻は何故か急に泣き出しそうな顔になり、俯いて「じゃあいいよ」と言って歩いて行ってしまった。
「 ひ、緋勇…。何処行くんだい?」
「 保健室」
「 美里さんは…」
「 いいよ。一人で行くよ」
「 ………」
焦ったように周りを見渡したが、仲間の誰1人龍麻が自分たちから離れた事に気づいていないようだった。壬生は躊躇した末、焦ってその後を追いかけた。
「 緋勇、待ちなよ」
「 ………」
「 一緒に行くよ」
「 ……いいよ」
「 行くよ」
いじけたように言う龍麻に胸が逸りながら壬生はもう一度言ってその肩を掴んだ。
「 ……っ」
すると龍麻がそれに大袈裟に反応したようになってびくりと身体を震わせた。
これには壬生も驚いて咄嗟に手を離した。
「 ご、ごめん…」
「 ………」
「 気に障ったのなら…」
「 壬生が、だろ…?」
「 え…?」
言われている意味が分からずに眉をひそめると龍麻は怒ったようになって再び背中を向け、歩き出した。壬生は慌ててその後についた。
暫くして龍麻が言った。
「 壬生、俺が嫌いだろ」
「 え」
「 嫌いだろ」
「 何で、そんな事…」
そう思われても仕方のない態度を自分は取っている。
壬生にはすぐに龍麻の心意が分かったけれど、それでもそれが見当違いだという事は伝えねばならなかった。
「 そんなわけないだろ。嫌いな人に協力したりしない」
「 ………」
「 ずっとそんな風に思ってたの」
「 …うん」
「 ……そんなわけないから」
「 ………」
龍麻はもう何も言わなかった。
放課後の校舎内は人気もなく、保健室までの廊下はひんやりと冷たい空気が流れているだけだった。壬生は黙りこむ龍麻の背中をじっと見つめながら、他の仲間はいつだって龍麻を元気づけ、そして支えているというのに、こんな風に龍麻を暗い気持ちにさせる仲間などきっと自分だけだろうと自嘲した思いを抱いた。
保健室にたどり着いて龍麻が中へ入ると、予想通りそこには誰の姿もなかった。
「 救急箱、勝手に開けてもいいよな」
「 いいだろ」
龍麻の声に応じながら、壬生はどぎまぎとした気持ちでその場に佇んでいた。思えば2人だけになったのはこれが初めてだった。いつも何を話していても傍には誰かがいたし、龍麻の周りに仲間の姿がない時はなかった。自分はいつでも1人だけれど、龍麻にはいつも誰かがいたから。
しかしそれは、その「誰か」というのは今は自分の事なのだ。自然、壬生は緊張した。
「 壬生」
そんな時、不意に龍麻が口を開いた。
「 えっ…」
驚いて思わず上ずった声を出すと、龍麻は傍の丸椅子に腰を下ろした格好で消毒液の入った瓶を手に壬生の事を見つめていた。
「 壬生もそこ座りなよ」
「 僕…?」
「 うん。治療してあげるから」
「 治療? 僕は…」
何処も怪我などしていないと言おうとして、けれど壬生は何故か龍麻に見つめられてそのままそろそろと傍に近づいた。まるで磁石のように自分の意思とは関係なく引き寄せられた感じだった。
すると刹那、龍麻が両腕を広げて壬生をがばりと拘束した。
「 なっ…!?」
「 ………」
「 ひっ…緋勇?」
「 ………」
椅子に座ったまま突然そんな事をした龍麻は、しかし黙りこくって暫し何も言わなかった。両腕をぎゅっと壬生の腰に回し、抱きつくように顔を埋めて動かない。
がんじがらめにされた事とは別に、壬生はそれによって石のように固まってしまった。
「 な…に、してるんだよ、緋勇…っ」
「 ……治療」
やっと声が聞けた。
しかしその台詞に壬生は自然眉をひそめた。
「 ち、治療って…」
「 ……何で、さ」
「 え…」
掠れた龍麻の声を不審に思って壬生が聞き返すと、龍麻はようやくぽつりと言った。
「 一緒にいてくれないの?」
「 え……」
「 避けるなよ」
「 避けて…」
「 一緒にいよう?」
「 ………」
それはとても強く、けれど弱々しい声だった。
壬生は自分に抱きついたまま顔を上げようとしない龍麻を黙って見下ろした。こんな龍麻を自分は知らない。いや、本当は知っている…。相反する気持ちがぐるぐると頭の中を駆け巡り、何の結論も見出せないままに、それでも硬直していた手をそっとその頭に乗せた。
龍麻の身体がそれで微かに揺れた。
「 だってさ…」
そして龍麻はゆっくりと顔を上げると、そのまま立ち上がって壬生に顔を寄せた。
「 あ…」
「 だってさ、壬生…」
途惑う壬生を構う様子は龍麻にはなかった。ただそのままそっと背伸びをすると、龍麻は静かな瞳を湛え壬生の耳元に唇を寄せると言った。
だって、俺たちは同じなんだから。
「 た……」
「 呼べよ」
「 え…」
「 心の中で呼んでるみたいに。俺のこと」
「 ………」
確信に満ちた眼が真っ直ぐに壬生を捕らえてきた。それに吸い込まれるように壬生がじっと見つめ返すと、龍麻はその視線を受けながら妙に偉ぶったような調子で続けた。
「 聞こえてるんだよ。お前の声なんか、それこそしょっちゅう俺には聞こえてるんだ。痛いくらいにさ」
「 緋…」
「 俺はっ。それが凄く嬉しかったんだ…凄く…」
泣きたいほどに。
そうして龍麻はもう一度ぎゅっと壬生を強く抱きしめ、わざと自分の顔が見えないようにすると、半ば自棄のような荒い口調で声を発した。
「 壬生が好きだ…っ」
「 ………」
「 俺、壬生が…」
「 ………」
壬生は暫くの間何も言えなかった。
龍麻の泣きそうな声が怖いほど耳の中に入ってきて、貰った言葉がじんわりと身体中に染み渡っていって、壬生はそれだけでもう自分がどうしてここにいるのか、今何をしているのかもよく分からなくなってしまった。単純に、夢なんだろうかとも思った。
「 龍、麻…」
だからこれが本当の事なのかを確かめる為、壬生はようやく掠れた弱々しい声を漏らした後、両手でゆっくりと龍麻の黒い髪の毛をまさぐった。龍麻のさらりとした黒髪の感触が指先に伝わり、ぞくりと背中が震えた。
するとたちまち、今度は自分が泣きそうになった。
「 ……っ」
何かが一気に解放されたような、そんな奇妙な感覚が壬生の全身をじくじくと襲った。
「 一緒に…」
それを何とか堪えながら、壬生は自分に身を寄せる龍麻に向かって恐る恐る声を出した。
「 僕が君と一緒に…いても?」
子どものようだ。もう一人の冷静な自分が滑稽だと笑っていた。
けれど間もなくして「うん」と答えてくれた龍麻のくぐもった声を聞いた時には、もう。
「 ……僕も」
バカみたいでも、何でも。
「 僕も、好きだよ…っ」
バカみたいでも何でも、決して言えないだろうと思っていた言葉を出せた自分が、この時壬生はただひたすらに嬉しく、そして哀しかった。
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