待ち合わせ―その後―
「面白くねェ」
京一が仏頂面でそう言うのを、龍麻は不審の目で見つめた。今日は授業中から休み時間まで、何回もじろじろと胡散臭い視線を向けられていたので落ち着かなくて仕方がなかった。
「何なんだよ京一。言いたい事があるならはっきり言えよな」
「はっきり言ってやりてェが、言いたくない気もする」
「んー?」
何なんだそれは…と龍麻が更に突っ込みを入れようとすると、京一が逸早く窓の外を指差して「あれだよ」と唇を尖らせた。
「…あ」
教室の窓から校庭の見える眼下へ視線をやると、校門の所には「彼」のせいでちょっとした人だかりが出来ていた。勿論、あの普段の陰オーラで近寄り難い印象はあるのか、その取り巻きもやや遠慮がちに距離を取って、という感じなのだが。
「壬生だ」
その誰もを惹き付けて止まない雰囲気を発している人物を目に留めて、龍麻はその名を呼んだ。ただ、驚きはない。真神の校門前にこうして壬生が立つようになってから大分経つ。何でもわざわざ待ち合わせをして龍麻を待たせる危険性にヤキモキするよりは、こうして直接学校で待った方が壬生にとっては心の安心なんだそうだ。
だから龍麻も最近ではすっかり諦めて…というか馴らされて、この状況を受け入れている。
「あいつ、仕事は廃業になったのか」
今にも壬生を呼んで手を振りそうな龍麻に京一が口を挟んだ。
「最近しょっちゅういるじゃねえか。何なんだあれは。アイドルの出待ちか」
「何言ってるんだよ。それに別に、しょっちゅうってわけでもないだろ」
「いいや、しょっちゅうだ!」
龍麻の否定をあっさりと否定して、京一は今度こそ怒ったように声を荒げた。
「最近ひーちゃん、付き合い悪ィよ! 俺らと…って、あいつらは別にいいが、俺ともラーメン行く回数減ったし! 絶対あいつのせいだろが!? なぁ、どういう事だ!?」
「どういう事だって、そういういちゃもんつけるお前がどういう事だよ…」
京一はこんなに口煩い奴だったかなあと呑気に思う龍麻に、しかし追い討ちは続く。
「お前なぁ…。ひーちゃん、とにかくお前は色々と鈍過ぎるぜ。戦闘の時とは大違いだ。俺は元々あいつがひーちゃんに近づくようになってから、いや、最初に見た時からこれはやべえって思ってたんだよな」
「だから何がだよ」
「あいつ、もうひーちゃんに告ったりしてるわけ?」
「………」
何故何も言っていないのにもうバレているんだろうか。
龍麻が一瞬言葉を濁らせると、京一はほれ見た事かという風な顔をしてから思い切り嘆息した。
「全く、油断も隙もあったもんじゃねェ…。いっぺん締めといた方がいいな」
「は…?」
「ひーちゃん。大体、告られてまだあいつを野放しにしてるなんて、まさかひーちゃんも満更でもねェとかって言うんじゃねーだろうな?」
「な…何言ってるんだよ…」
しかしズバリ「満更でもない」わけで、京一の追い込みには龍麻もたじたじになってしまう。
一方で、どうしてこんな風に責められなくてはならないんだ?とも思うのだが。
「ひーちゃん。あいつは絶対ムッツリ系だぜ。俺の方がなんぼかハッキリしててクリーンってもんだ」
「だ、だから京一の話は分からないよ。俺、もう行くよ?」
1人でうんうんと腕組をしながら頷く京一を尻目に、龍麻は何だか居た堪れなくなって鞄を肩に掛けた。第一、もう壬生を大分待たせていたに違いない。
行かなければ。
「お、おいひーちゃん! 待てって、俺も連れてけよ!」
逃げるように教室を出ようとする龍麻に京一が焦ったように声を上げた。
それでも龍麻はこれにはきっぱりと首を振り、「駄目だよ」と断った。
「今日はさ、壬生をうちに呼んでるんだ。2人で遊ぶんだから、駄目」
「だっ…だぁから、それが危ないってんだろ、ひーちゃんっ!!」
半ば悲鳴のように叫んで後を追いかけようとする京一を無視して、龍麻はだっと廊下を駆け出した。
別に京一と遊ぶ事が嫌なわけではないし、むしろ独りで篭もりがちな壬生だから、もっと皆と引き合わせた方がいいのは分かっている。
だから京一を交えて一緒に遊ぶのも、本当はいいのだけれど。
でも、何故だか龍麻はそうする事が出来なかった。
壬生と2人で遊びたかった。
「壬生」
校門の所で徐々に女子学生のギャラリーを集めている壬生に、龍麻は駆け寄って声を掛けた。こんなに人気者の壬生が自分の友達だと思うと誇らしかったし、嬉しかった。
壬生は「友達という風に思えない、君が好きだ」なんて言うのだけれど。
そしてそれを「満更ではない」と思いつつも、結局「よく分からない」で結論を先延ばしてしまうのだけれど。
「ごめんな。また待たせちゃった」
「構わないよ。気にしないで」
穏やかに笑う壬生の顔は綺麗だなあと龍麻は思った。だから自然自分も笑顔になり、にこにこしながら先導して歩き始めた。
「あのさぁ、俺、昨日凄い掃除しちゃった。京一が遊びに来た時はごちゃごちゃにされるから、もう汚いままでもいいやって思うんだけど、壬生はちゃんとしてそうだろ? 壬生の部屋見た事ないから何とも言えないけど。けど、やっぱりきちっとしとこうと思ってさ!」
「……そんな事気にしなくていいのに」
壬生が一瞬声を遅らせ、困ったような顔をした。
龍麻はそれに一瞬「え?」とは思ったものの、特には気づかず、歩を進める。
「うん、でも壬生ご飯作ってくれるって言うしさ! 俺誰かにご飯作ってもらうのって好きだなぁ。皆親切だからさ、美里とか醍醐とかよく飯作りに来てくれるんだけど。あ、京一もラーメンなら作ってくれるなぁ、へへ…。あいつ、ラーメンだけは旨いんだよ、作るの!」
「………」
「なぁ壬生は何が得意―」
けれど龍麻は振り返りざま、そう言いかけていた口を思わず噤んだ。
「壬生…?」
もう明らかに見て分かる、不機嫌な表情。眉をひそめ、形の良い唇を固く噤んだその様子は、お世辞にも今の状況を楽しんでいるようには見えなかった。
これからの時間をとても楽しみにしている龍麻とはとても対照的だ。
「壬生…? どうかした…?」
「……いや」
それでも龍麻に問われて、壬生はようやく声を出した。緩く首を振り、「何でもないよ」とくぐもった声を出す。
「何でも…なく、ない? よな?」
だって何だかしょげている。
龍麻は心配になって壬生の元へ寄り、額に触ろうと手を伸ばした。もしかしたら熱があるのかもしれない、一人で浮かれていたけれど、壬生は自分と違って「仕事」を持っているし、今日だって無理に自分との時間を作ろうと合わせてくれていたのかもしれない。
「壬生、もし辛いようなら―」
「…大丈夫だよ」
龍麻に触れられて壬生は明らかにふっと肩から力を抜いたようだった。
そうして、今さらながら自分が龍麻に余計な負担を掛けてしまった事に気づいたようだ、酷く申し訳なさそうな顔をして龍麻の差し出した手を掴むと、「ごめん」と心底反省しているという風に目を伏せた。
「い、いや…何で謝るんだよ? 俺は別に―…」
「龍麻」
けれど壬生は龍麻が喋っているのを制して、掴んだままの龍麻の手の甲に唇を押し当てるようなキスをした。
「み、みみみ壬生っ!?」
龍麻はそれに仰天して手を引き抜こうとしたが、壬生はそれを許さなかった。依然として龍麻の手を握りしめたまま、どこか悲痛な顔すらして龍麻を見つめる。
「好きだよ、龍麻」
「壬―」
「迷惑だって知ってる。僕なんかじゃ君につりあわないって事も」
「い、いや。その。あ、あのな、壬生」
あわあわと龍麻は口ごもったけれど、それでも適当な言葉が見当たらない。壬生が自分を好きな事などもう何回も聞いて知っているのだから、「そうなんだ?」と言うわけにもいかないし、だからと言って「知ってるよ」なんて答えるのも俺様以外の何者でもない。
けれど、「俺も壬生が好き」とも、今の龍麻には言えないのだ。
「お、俺……。本当、ごめん」
それでもその曖昧な態度が壬生を苦しめている事に気づいて、龍麻はいよいよ自分のその煮え切らなさに罪悪感を覚えた。壬生に手を差し出したまま項垂れる格好は、この人通りの多い往来ではかなりみっともないようにも思えたが、今はそんな事を気にしている場合でもなかった。
「俺がはっきりしないから、壬生を苦しめてるよな」
「……違うよ龍麻」
「いや、違わないよ。俺、壬生に好きって言われるの嫌じゃないとか言っておいて。何か…そのまま、中途半端なままにしてたし。それってかなり酷いよな。うん…ホント、最低だ」
「そうじゃない」
龍麻の言葉に壬生はいっそ不快な声すら出して眉をひそめた。龍麻がそれにびくりとして肩を震わせると、壬生はまたすぐさま困ったような顔に戻って「ごめん」と謝ったが、同時、龍麻の指先にキスをする事もやめなかった。
「み、壬生…」
「僕がもう何度、君の事を犯しているか知ってる?」
「えっ…!?」
突然何を言い出すのかと龍麻がぎょっとするのをよそに、壬生はどこか清々としたような様子すら示して言った。
「君が想像も出来ないくらい。何度も。何度も、君の事を抱いてる。僕の想像の中で、だけど」
「あ、あの…。壬生、その…」
意図せず身体が熱くなり、龍麻は今自分がどんな顔をしているのだろうかと気になった。
壬生に告白されてから、龍麻とて男同士の付き合いというものをまるで考えなかったわけではない。ただ、知識としてよく分からなかったというのもあるし、普段そういったものに淡白そうな壬生が、実際男の自分と付き合うと言っても、あまり生々しいものは想像に難かったというのもある。
けれど壬生の方は頭の中で龍麻を何度も犯しているというのだから二の句が継げられない。
「傍にいられるだけで幸せだ、満足するべきだって、一方ではよくよく分かってる。でも僕は……本当の汚い僕は、龍麻にこうしてずっと触れていたいと思っているし、逆に……僕じゃない誰かが君に近づくのが凄く嫌なんだ」
「え…」
「信じられないくらいに嫌だ。君に近づく人間を殺したくなる」
「……!」
だから壬生は今さっきあんな顔をしたのかと瞬時に悟り、龍麻は慌てて首を振った。
「あの…その、京一や美里さんとは、そんな…別に、そんなんじゃ、ないから。あ、醍醐も家に来た事はあるけど、そんな」
「そんな事、関係ないよ」
「!」
「誰かが君と一緒にいるって事が嫌なんだ。誰かが君の近くにいる事が許せない」
「壬―」
「……呆れただろ?」
壬生はふっと自嘲するように息を漏らし、それから龍麻の手をようやっと放した。そうしてそのまま踵を返し、今来た道を去って行こうとする。
龍麻は慌てた。
「み、壬生!? 何処行くんだよ!?」
「……帰るよ」
「か、帰るって! だって、今日は、うちに―」
「だから言っているじゃないか。こんな事言う僕を家に上げるなんて……龍麻はちょっと無神経過ぎるね」
「え…」
いつも優しい事しか言わない壬生の初めての毒。
龍麻はドキリとして一瞬胸が潰れる思いを味わった。
それでも壬生に行って欲しくはない。
「壬生、待てって」
「何故止めるの」
「壬生が…っ。だって壬生が勝手に1人で喋って、勝手に結論づけようとしてるから!」
「龍麻は決められないよ。優しい人だから」
「壬生の方が優しいじゃないかっ」
じりじりとして龍麻はだっと走り出し、あっという間に壬生の元に追いつくとその手を掴んだ。それから自棄のようにその手を両手でぎゅうと掴み、何故だか泣き出しそうな気持ちになりながら壬生の事を潤んだ瞳で見上げた。
こいつ、何だってこんなに背が高いんだと思いながら。
「はっきりしないのは悪かったけど…っ。俺、無神経で、悪かったけど! ならもう、嫌いになったのかよ!? もう俺のこと、どうでもいいのか!?」
「……そんなわけない」
「じゃあどうして行っちゃうんだよ!? 怒ってるのかよ、俺がお前以外の奴部屋に入れたりしてるから!」
「そんな資格、僕にはないよ」
「でも怒ってるじゃないか!」
「ただの嫉妬だよ……。悪かったよ」
その手を放して、と。壬生が弱々しい声で言った。
「…っ」
龍麻はそれで少しだけ力が漲り、ぶんぶんと首を横に振ると、壬生の手を掴んだままそこにごつんと頭を当てた。
「嫌じゃないって言ったじゃないか! 何で待ってくれないんだ! 俺は壬生と一緒にいるのが嬉しいし…! 壬生と一緒にいたいから、今日だって壬生を部屋に呼ぶの楽しみにして、部屋だって掃除したのに! 京一の事だって撒いてきたのに! それなのに、何で簡単にどっか行こうとするんだよ!?」
「簡単じゃない…。僕は、きっと君に酷い事―」
「そんなの、そ、そんなの! やられてみないと分からない!」
「え…」
「あ…」
しーんと。
一瞬、お互いの間にぽかんとした沈黙が流れる。
「だ、だからだから俺はっ」
今は完全に茹蛸状態だな…と、自分自身に諦めて、龍麻は壬生の顔をぎんと睨みつけると、カッカとくる熱を甘んじて受けながら唾を飛ばした。
「よく分かんないけどっ。いいから、来いよ、うち! そ、そ、それで…。遊ぼうよ!」
「………龍麻」
「な、何想像してるのか知らないけど…っ。もしそれ、俺も嫌じゃなかったら…っ。その、したって、いいから、さ……」
とにかく今お前に帰られるのが一番嫌なんだと龍麻は言った。何を必死になっているのか、自分自身ですらよく分からないままに主張していた。
「………」
すると壬生は今までで1番泣き出しそうな顔をして、それから高過ぎるその背を屈めると。
「龍麻」
龍麻の顎先に指を掛けて唇を寄せると、龍麻のそこに深くて熱い口づけをした。
「ん…」
通りを行く人間がぎょっとした顔で見ているのが龍麻には分かった。視界の端に映る通りがかりの人、皆が見ていく。皆気づいている。当たり前だ、こんな風に日中の大通りで大の男子高校生がキスしていたら、皆見る。
「ふ…」
ああ、でも壬生を止められない。壬生に嫌だと言って、またあんな顔されたくない。
それに、このキス自体が嫌じゃない。
「……なぁ壬生」
「何…」
キスをし終えた後もなかなかその距離を取らない壬生を間近に感じながら、龍麻はぶすりとした感じで問い質した。
「お前ってその…いやにキスがうまいように思うんだけど…」
「え…?」
「俺以外に誰とやってたわけ? そういうの?」
「……龍麻以外いらないよ、僕は」
「それって答えに―……んんっ」
ああ、だからまたここではやるなって。
龍麻はその台詞を頭の中に浮かべながら、けれど自分はもう完全に飲み込まれてしまったなと思った。
思考の片隅で「ひーちゃんは鈍過ぎる!」と喚いていた京一の不機嫌な顔もちらと過ぎらないではなかったけれど、壬生のそういう気持ちが性急になっていると知っているなら、そう教えてくれればいいじゃないかと―…そんな八つ当たりに近い事まで思ってしまって。
「壬生…っ。ちょ…いい加減に、や……んっ」
「うん…。龍麻、好きだよ」
それでも壬生はブレーキの利かなくなったどこぞのスポーツカーのように、本当にもう止まらなかった。
龍麻に何度となく繰り返すキスを仕掛けながら、壬生は龍麻の腰を抱いた。そのぎゅっと込められた力に龍麻の方はまた骨抜きになった。
「壬生…あ、もう…っ」
そうして力を抜きながら、何だかもうどうでもいいかと半ば夢見心地になりながら、龍麻はゆっくりと目を瞑った。
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