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仲間になったからと言って、すぐに打ち解けられるわけもない。
日曜日、「一緒に旧校舎に潜らないか」という龍麻からの連絡を受けた壬生は、多少気乗りしない思いで真神学園の校門をくぐった。その日は幸か不幸か珍しく「仕事」の呼び出しがなく、時間は空いていた。壬生は電話口でどことなく明るい声で自分を誘う龍麻の顔を思い浮かべ、無意識にため息をついた。
「 よお壬生。久しぶりだな」
指定された校舎裏へ行くと、そこには既に何人かの見知った顔があった。その中の1人、木刀を肩にかけた京一が壬生の姿を見つけて一番にさっと手を挙げる。それに続いて美里や桜井、醍醐と言った真神のいつもの面子、それに藤咲やその後に知り合った紫暮や如月ら他の仲間たちも各々挨拶をしてきたので、壬生もそれには軽く会釈で返した。
「 お前が最後だ。ま、約束の時間にはまだちょっと早いけどな」
京一がいつもの軽快な笑みと共にそう言った。この蓬莱寺京一という男は、自分がいる拳武館との間で「あんな事件」があったというのに、どこもそれを引きずっている様子がない。そんな京一のさっぱりとした明るさというか強さを、壬生は羨ましく思う反面、どこか乾いた目でも見つめていた。
「 ……今日は随分と人が多いんだね」
壬生がようやく会話らしい会話を発すると、その京一はにっと口の端を上げて頷いた。
「 やっぱ気づくよな。実はこのオトコオンナがよー」
「 京一〜それ誰の事だよッ! ボクの方見て変な事言うなよな!」
京一のこの発言にむっと口を尖らせたのは桜井小蒔だ。傍にいる親友、菩薩眼の娘・美里葵はくすくすと微笑ましそうに2人の言い合いを見つめている。
「 けどお前が今日の全員集合を提案したんだろ。終わった後、宴会すんだよな。場所、何処にするか決めてんのか?」
「 うん。葵と2人でおいしい洋食屋さん予約してあるんだ! 別に京一は来なくてもいいんだよ。どうせラーメンの方がいいって思ってるだろうしさ!」
「 あのなあ、ちっとオトコオンナってホントの事言ったくらいでいじけんなよな!」
「 何がホントの事だ〜!」
「 うふふ…。ほら、2人共そろそろそれくらいでやめたら?」
「 そうだよ、あんたら。ホントいつもの事とは言え、大人気ないんだから」
美里がやんわりと止めに入った後、藤咲も腕を組んだ格好で呆れたようにそう声を発した。それから壬生の傍に寄ってくるとニヤリと笑って背中を叩く。
「 壬生。アンタも来るんだからね」
「 僕が…? 何処へ?」
「 何、今の会話を聞いてなかったわけ? だから、今日は仲間皆でご飯食べに行くのよ。こういうのってあんまりなかったでしょ? いっつも薄暗い地下に潜って戦って解散。味気も何もあったもんじゃないわよ」
「 ………」
「 行きたくないって顔してるけど、もう決定なんだからね。それにしても、電話で龍麻から聞いてなかったの?」
「 いや…」
そういえばその龍麻は何処だろう。壬生はもう一度仲間たちの姿を1人1人確認した。
全員揃ったと京一は言っていたが、何処をどう見ても龍麻の姿が見当たらない。皆龍麻を心配している様子はないから、恐らくはもう学校内の何処かにはいるのだろうが。
「 ……龍麻は?」
誰も龍麻の事を口にしないので、壬生はさんざ迷った末にやっと声を出した。
すると未だ桜井と言い争いをしていた京一がくるりと振り返ってあっさりと言った。
「 ひーちゃんは保健室で仮眠。今日は潜らないってさ」
「 ボクたちが帰ってきたら起こしてあげる約束なんだよ」
京一の後に桜井も続けて言った。壬生がそれに途惑っていると、今度は美里が表情を翳らせながら言った。
「 龍麻…。最近何だか疲れているみたいなのよ。だから、今日のお食事会は龍麻を元気づける為でもあるの」
「 ………疲れてる?」
「 そりゃひーちゃんはひーちゃんだからな。いろいろ大変なんだよ」
「 京一みたいに呑気にしてらんないからね」
「 煩ェな、呑気はお前だろ!」
「 何をー!」
「 だから2人共およしってば……って、あれ? 壬生?」
京一らを仲裁しようとした藤咲がふと自分の名前を呼ぶのを壬生は聞いた。けれど、気づくともう壬生は仲間たちから離れて校舎を曲がり、真っ直ぐに昇降口へ向かって歩いていた。
龍麻がいないのなら、潜る必要なんかないじゃないか。
ガランとした廊下を歩いて保健室の前に辿り着く。
「 龍麻…? 入るよ」
一瞬躊躇したものの、壬生は努めて冷静な声と共にドアを引き、中へ入った。
「 壬生」
衝立の向こうからすぐにその声は聞こえた。ほっとしてベッドのあるそちらへ向かうと、横になっているかと思った龍麻は身体を起こした状態で、割にしゃっきりした顔をしていた。
「 来たな」
そして全てを見越していたかのように、そう言った。
「 ………」
壬生はそんな龍麻の横にまで来ると、その場に立ち尽くしたままの格好で不思議そうな目を向けた。おかしい。いつもの龍麻に見えるけれど、どことなく違う雰囲気を発しているようにも感じる。どこが違うのだろう、考えかけたけれど龍麻の呼ぶ声でその思考は遮断された。
「 人がいっぱいいてびっくりした?」
「 ああ。そうだね」
素直に頷くと龍麻はまたやんわりと目だけで笑った後、傍にあったペットボトルに手を伸ばし、中に入っているミネラルウオーターに口をつけた。喉が乾いていたのだろうか、ごくごくと勢いよく飲み続けた後、龍麻ははっと息を吐き出して早口に言った。
「 壬生は嫌だろうなと思ったから今日の事言い出せなかったんだ。お前はああいう大勢の集まりとか、好きじゃないだろ」
「 どうだろう、でも…。ああ、そうかもしれない」
「 そうだろ」
決め付けるように言う龍麻の口調に幾ばくかの反発を感じながらも、やはり今日の龍麻はどこか違うと壬生は思った。
けれど特には口にせずに黙っていると、龍麻は自分の横を軽く叩き「座れば」と壬生にベッドの脇に腰掛けるよう促した。
壬生が大人しく言うことをきくと龍麻は続けた。
「 慣れない?」
「 ……何が?」
「 ああいうの。大勢で行動したり話したりするの」
「 さあ」
そんな話はあまりしたくないと素っ気無く返したが、龍麻は別段気を悪くした風もなく、「俺は嫌だよ」とさらりと言った。
「 俺は嫌」
そしてもう一度言った。
「 え?」
それに壬生が怪訝な顔をすると、龍麻はふっと笑んだ後、もう一度蓋が開いたままのペットボトルに口をつけた。
「 ……美味しい」
「 疲れてるの?」
さすがに心配して訊くと、龍麻は「いや」と短く答えた後、先の話を続けた。
「 ただ、時々こうやって距離を取って休まないと駄目になるんだ。お前は仲間になったばっかりだから、こういう俺見るの初めてだと思うけど。これから覚えておいて。俺、時々不意に消えたり突然勝手言ったりする事あるけど、それは一種の病気だから。そういう時は京一なり醍醐なりが止めてくれるから、お前は見てればいい。ただ、覚えておいて」
「 ……何を」
「 俺がそういう人間だって事を」
「 ………」
何とも言えず、殆ど絶句状態の壬生に龍麻は再度薄く笑った。そうしてまた既に残り僅かになっている水に口をつけ、ほんの数ミリ残っているだけのそれを壬生に差し出した。
壬生は無意識のうちにそれを受け取った。
「 なあ壬生。俺はこうやって自分をコントロールしてるんだ。駄目そうになったらこうやって無理するのやめるの。抱え込み過ぎは身体によくないからな」
「 ……苦しいの?」
何となく口の端にその言葉をのせると、龍麻は苦く笑ってから「さあ」と先刻の壬生の口調を真似た。そうして壬生の髪の毛を子どもに対するように優しく撫でつけた後、「たぶん」と口を開き――。
「 お前と同じくらいかな」
そう、言った。
「 ………」
壬生がそれに黙っていると、龍麻はまた薄っすらと笑んだ。その笑顔は壬生が惹かれたあの時のものであり、けれどどこかで違和感を抱いたものでもあった。
拳武でのいざこざがあった時、龍麻は頑なな自分に怒ったり慈しみの目を向けたりと実にあれこれ働きかけてくれた。が、一方で自分を含めた多くの仲間を引き連れながら、彼はその根底の部分では決して他者を寄せ付けない空気も発していた。龍麻はこうして保健室を訪れた自分を優しく歓待しているけれど、恐らくはここに誰が来ても彼は同じような態度を取って、こんな曖昧な笑みを向けるのだろう。そう思った。
適当にあわせて、適当にこちらの気持ちを推し量り、そして。
彼はこちらの心だけを奪っていくのだ。
何て人だ。この人こそ異形の主だ。
「 ……龍麻」
そんな龍麻にやはりどうしようもなく惹かれてしまう自分の事が、壬生は悔しくもあり、また心地良くもあった。結局、今日こうして真神に来てしまったのも、この白い部屋で龍麻と向かいあわせで座っているのも、そんな薄情な人でも好きで好きで仕方がないから。
惹かれずにはいられないからだ。
身の程知らずの恋と分かっていても、止められない。
「 壬生。どうした」
黙りこくってしまった壬生に龍麻が訊いた。壬生が何も反応できずにいると「どうしたんだよ」と再度訊き、龍麻は苦笑しながら壬生の手の甲に自らの手のひらをそっと重ねた。
瞬間、壬生は手にしていたペットボトルをぽろりと放した。それによって数滴の水を撒き散らしながらベッドを転がったそれは、やがてぼとりと壬生の足元へ落ちて止まった。
「 龍――」
「 …悪い。消耗している時に俺の氣は毒だな」
しかし壬生が途惑いの声をあげかけた直後、龍麻は途端謝って差し出した手を引っ込めた。
「 あ……」
ほとんど反射的に壬生はその手を離して欲しくないと思ったが、龍麻は構ってはくれなかった。それどころか傍の壬生にはもうちらとも視線を向けず、ふいと顔を逸らすと素っ気無く言った。
「 ……もう行け、壬生。俺はここで眠っているから」
みんなが戻る頃までには、元に戻っていなければ。
そう言われたような気がしたが、壬生にはよく聞こえなかった。身体を横たわらせ、壬生に背を向けてしまった龍麻はそのまま布団を深く被って、もうぴくりとも動かなかった。呼吸する動きすら見えなくて。
「 龍麻」
「 ………」
不安に思って呼んだが、やはり返事はなかった。
「 ……龍麻」
それでも壬生はもう一度その名を呼び、情けないながらもか細い声で「聞いてよ」と龍麻の背中を布団ごしにそっと撫でた。やはり龍麻は微動だにしなかったのだが。
「 今日の食事会なんだけど…遠慮したいんだ。だって僕には興味のない事なんだ。そんなこと」
仲間になった理由はただ1つだけ。
僕は君の傍にいたかっただけだ。
「 龍麻がこうして充電をしなくちゃいけないのと同じだよ。僕もどこかで無理をやめないと、もたないから。……同じなんだ」
「 分かった」
龍麻が返事をした。
くぐもった声ながらも、それは実にしっかりとした口調だった。自分の声に反応してくれた事が嬉しくて、壬生はその勢いに乗ったままほとんど無意識にポロリと告げてしまっていた。まったく何の前触れもなく。
「 好きだよ」
それは決して言うはずのなかった台詞。罪深き己には決して許されないと思っていた感情だった。
それでも壬生は龍麻の背中にそう言っていた。言ってしまった。
「 急に……ごめん」
「 ………」
龍麻は何も答えなかった。
ただ布団の中で丸くなっているのだろうその身体が、ぴくんと動いた。龍麻の静かな動揺がそこに触れていた壬生にも伝わった。
「 龍麻」
それが確かな後押しになった。壬生は何かに急かされるまま唇を動かした。
「 それと君にも行って欲しくないんだ。……今日、彼らと」
「 ………」
「 今日1日だけでいいから…。今日だけ…」
「 何」
すると黙っていた龍麻がむくりと半身を起こし振り返りざま訊いてきた。その顔は怒っているようにも呆れているようにも見えた。
「 1日だけ何なんだ。1日お前といろって? 俺を貸してくれとでも言う気?」
「 貸すって…」
「 だろ? 1日だけなんてそんな言い方。そういうのは好きじゃない。なら幾ら出して俺を借りる気?」
「 龍麻…」
「 ……っ」
一気にまくしたてた事で疲れたのか、龍麻は壬生に身体を向けた格好のまま嘆息して目を伏せた。
そして言った。
「 ……ごめん」
「 ………」
「 急に…何かカッとしちゃって。俺はお前がここに来てくれた事が嬉しかったから」
「 龍麻……」
「 行って欲しくないなら、他に言いようがあるだろ?」
1日だけなんて言うな、卑屈な態度を取るのはよせよ。
けれどそんな龍麻の想いが分かっても、壬生は苦しい気持ちのままに眉をひそめ首を振った。
「 ……言えないよ」
「 弱虫」
壬生の回答を予測していたのか、龍麻は情けない笑みを浮かべながらもすかさずそう言い、顔をあげた。壬生を見やるその眼差しはやはり弱くて、けれど美しくて、壬生は思わず息を呑んだ。この表情だってきっと誰にでも見せるものなんだ。自分だけが特別なんかじゃない。勘違いするな……。
そう思っていても、壬生はそれでも龍麻の瞳に吸い寄せられるように、気づくと両手を差し出しその頬に触れていた。
龍麻のひやりと冷たいその肌にぎくりとした。まるで生きているように思えない。
けれどいつも経験している「あの」冷たさとも、それはひどく違っていた。
「 ……冷たいだろ」
「 うん」
龍麻の問いに壬生が素直に頷くと、龍麻は自らの手を壬生のそれにそっと添えた。やはりその手も冷たかった。
「 すぐ冷えちゃうんだ。戦いの時だけ俺の身体は熱を持つ。……普通じゃないから」
「 そんな事ないよ」
「 そうなんだよ」
「 ……じゃあ、こうしてるよ」
龍麻の言葉が悲しくて壬生は強い口調でそう言った。龍麻の両頬を普段は血で濡れたその手で努めて優しく包み込みながら、できればずっとこうしていたいと心から思った。
「 今日だけ?」
するとそんな壬生の意を読み取ったように龍麻が訊いた。今度はどう答えるんだと、それは挑むような双眸だった。
「 ……龍麻が」
だからもう我慢できなかった。自分などがそれを言って許されるのか不安で堪らない。だって龍麻は誰に対しても、みんなに平等の絶対の存在だから。
けれどもう言わずにはおれなかった。
「 龍麻が許してくれるまで」
ずっと触れていたい。
「 ………分かった」
すると不意に龍麻の肩先から力が抜けるのが分かった。壬生の手に触れたまま、そして自分に触れさせたまま、龍麻はやがて黒い瞳を燻らせたまま静かに言った。
「 じゃあ、もう暫くこうしててよ。俺がいいって言うまでさ……」
「 ……うん」
視線を交錯させたまま壬生は頷いた。一瞬そのすぐ先にある唇にも触れたいという激しい衝動に駆られたが、それはすぐに無理やり消した。
今はただこの冷たい、けれど自分に熱を与える愛しい人の近くにいたかった。
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