しるし 龍麻がマンションの前で待ち構えているのを発見した時、壬生はついいつものような皮肉な口調を発してしまった。 「 僕の顔、二度と見たくないって言わなかった?」 口に出した瞬間「しまった」と思ったが、発せられてしまった言葉は、当然の事ながら取り消すことなどできない。 「 ………言った」 最初に壬生の姿を見つけ、ドアに寄りかからせていた背中を浮かせた時の龍麻は、本当にしおらしく、心細そうな顔をしていた。けれども、壬生のそんな棘のある言葉を聞いた途端、その表情は一変した。 「 見たくないよ、お前の冷酷な顔なんか!」 「 なら何しに来たんだい」 「 ………うるさい」 龍麻は段々と小さな声になりながらも何とかそう反撃し、けれど後はぐっと押し黙って俯いてしまった。 喧嘩の後は、いつもこうだった。 「 ……とにかく、そこどきなよ。鍵、開けるから」 壬生はわざと大袈裟にため息をついて見せて、ズボンのポケットから鍵を取り出すとドアの鍵穴にそれを差し込んだ。龍麻はしんとしたまま、そんな壬生の仕草をさリ気なく視界に入れている。 「 寒い」 そして龍麻は壬生が何かを言う前にさっさと中に入りこみ、開口一番そう言って口を尖らせた。壬生は慣れたような顔をしてそんな龍麻を追い抜いて部屋に入ると、暖房を入れるリモコンのスイッチを押した。 「 僕はお茶を飲むけど。龍麻、君はどうする」 「 ……飲む」 「 同じでいいよね」 「 いい」 あっさりと交わされる会話。龍麻のややほっとしたような空気が壬生に伝わる。 壬生は敢えてそんな龍麻を見ないように、台所でお茶の用意を始めたが、背中越し、ひどく落ち着いたような雰囲気が辺りに漂って、自分自身、一気に力が抜けるのを感じた。 龍麻のことを、好きだと思う。 「 ……どう、味は」 仲直りにと差し出したケーキとお茶を、龍麻は何も言わずにもくもくと食している。始めこそ黙ってそれを見やっていた壬生だったが、いつまでも龍麻のこんな仏頂面ばかりを見ていたくはないと思う。 「 うまいよ」 しかし龍麻は素っ気無く答え、それからちらと壬生を見てから「俺はまだ怒っているんだからな」と言わんばかりの顔をして見せた。 「 ……僕はもう怒ってないよ」 だから壬生は先読みして言った。 いつもそうだ。 何があっても、どんな理由でお互いの仲がこじれても、いつも先に折れて相手に接近するのは自分。仲直りをしたいといつも強く願うのは自分なのだ。 「 龍麻」 仲直りをしなければいつまで経っても龍麻に触れられない。龍麻に触ってもらえない。龍麻に名前を呼んでもらえないし、龍麻の笑顔も見られない。だったら、自分のちっぽけなプライドなどどうでも良いと思う。謝って元に戻るならそれでいい。 「 俺は……こんなの嫌だ」 けれど龍麻は頑固にそう言い張った。そして口に運んでいたフォークを途中で止め、それを乱暴に皿に投げ捨てると、ここで初めてイライラしたような声を出した。 「 壬生はいつもそうなんだ。いつも自分は悪くないのに妥協して、俺に謝る。お前、そんなんでいいの?」 「 ……龍麻、自分の方が悪いっていう自覚があったのかい」 「 あるよ、馬鹿」 喧嘩の非は自分にあると認めているくせに、随分横柄な態度で龍麻は吐き捨てるようにそう言った。それから、どうにも落ち着かないように視線をあちこちにやりながら、ぽつぽつと喋り出す。 「 いっつもそうだ。いっつも俺が頭冷えて、壬生に謝ろうと思って来ると、壬生はいっつも先に俺に助け船を出すよな。けど、そんなのは駄目だ。そんなのは壬生、そんなのは何か平等じゃないよ」 「 ………そう思うのかい」 「 思うよ」 「 ……分かったよ」 壬生があっさり返すと、龍麻はそれで益々かっとなったようで、頬を紅潮させた。 「 どう分かったんだよ? 俺は今日は絶対自分から謝ろうと思ってたのに、また勝手に優しくしちゃってさ。それで俺がまたイラついても、そうやって落ち着いた顔してさ。ズルイんだよ、お前は! いつもいつも」 ぜえぜえと荒く息をついで龍麻が一気に言う姿を、壬生は傍観者のような気分で眺めた。 こんな風に一生懸命になって自分に怒っている龍麻、自分から謝りたいという気持ちでいっぱいなのに、それがなかなかできずにジレンマに陥っている龍麻、そのどれもに壬生は愛しさを感じた。 そんな壬生の様子に気づかず、龍麻は下を向きながら実に小さな声でぼそっと口を開いた。 「 だから…俺…。だから俺が言いたいのは……壬生、ご、ごめんな………」 「 …………」 「 ごめんなって言ってるだろ!!」 壬生が何も答えず、ただ自分のことを見つめていると知ると、龍麻はひどく決まりの悪い顔をして、それを誤魔化すように声を荒げた。そして、早くこれに対しての返答をくれと全身で催促してくる。 壬生は心の中で密かに笑った。 「 ……許さないよ」 「 え……」 龍麻の思い切り意表をつかれた顔にも、壬生は動じなかった。 「 ここで簡単に君を許しては同じ事だろう。すぐに君を許す僕が許せないんだろう? なら、たったそれくらいの事で許すわけにはいかないな」 「 な、何だよ、人がせっかく謝っているのに!!」 龍麻は自分の言った事を棚に上げ、壬生の言い様にかなり憤慨した様子で叫んだ。 「 何だよ! 俺は本当に悪いと思ってるのに! これじゃ仲直りできないじゃないか!」 「 ……したいのかい、仲直り」 「 そう言ってるだろ!」 「 ……その態度。とてもそうは見えないけどね」 「 お、お前! 壬生は意地悪だ! 俺は、この3日間、お前と全然話せなくて会えなくてすごく―」 寂しかった。 けれど、龍麻はその後の言葉を継ぐことができなかった。必死に伝えようとしている龍麻を、壬生が強引に引き寄せたせいだった。 「 み、壬生…っ」 「 龍麻、言葉はいらないよ」 「 え…? あ…ッ」 龍麻が壬生を見上げた瞬間。 当然のように、龍麻の唇は壬生のそれによって塞がれた。 「 ………ッ」 壬生の熱が唇を通して伝わってくる。そして、その想いも。 ぎゅっと目をつむり、けれど自然に強く壬生の腕にしがみつく龍麻は、いつの間にかそのいきなりの行為を当然のように許容していた。それで壬生も龍麻を抱きしめる手に力を込め、3日分のキスを施す。 本当は、ただこうしたかっただけなんだ。 「 ………壬生」 やがて唇が離された時、龍麻はそれを惜しむ仕草すら見せて壬生の事を見上げた。そして、壬生が先刻言ったようにただ沈黙し、視線だけを交わす。 「 龍麻……」 だから壬生も。 喧嘩の後だから、特に。 お互いが必要なのだという印に、もう一度確かめ合うような、熱いキスをした。 ただこうしたかっただけだから。 |
<完> |
■後記…これは前作の「五色の遊園地」と繋がっているところがあります(話的にというのではなく)。単に「龍麻に甘い壬生、それに苛立つ龍麻」っていうのがどちらにもいえるってだけですけどね。でも私の理想の壬生主はそんなスタイルなのです。 |