はんぶんだけ



「……何だか外が騒がしいなぁ。何かあったの?」
  出された茶菓子に舌鼓を打つ龍麻が呑気にそんな事を訊いてくるものだから、傍で本を開いていた御門はページを手繰る手をぴたと止め、形の良い眉をさっと上げた。
「別に何もありません…と、言いたいところですが、誤魔化しても意味はありませんね。自覚がおありでない?」
「え?」
「龍麻さん、貴方のせいじゃないですか」
「俺の?」
  むぐむぐと口を動かしていた龍麻は湯のみに伸ばしかけていた手を止めて不思議そうに御門を見つめた。
  御門はそんな龍麻の所作をいつも可愛らしいと思ってしまうのだが、かと言って他の仲間たちのように早々甘やかしてばかりいるわけにもいかないので、ここは厳しい表情を崩さずにいる。
  手にしていた本を横に置くと、御門は呆れたように溜息をついてみせた。
「私の結界と芙蓉だけでは心許無い。何せ相手は聖女に剣聖、それに…貴方が最も信頼を置く真神の仲間たちですからね。ここへ踏み込んでくるのも時間の問題かと思いますよ」
「……あぁ。何だ、もうバレたのか」
  凄いなぁ早いなぁと龍麻は他人事のように呟いてから、さすがに申し訳なさそうな目でちろりと御門の顔色を伺った。先刻まで立て続けに伸ばしていた菓子からも身体を遠ざけ、急に畏まったように正座をする。肩を窄めて項垂れる。
「追い出す?」
  そうしてそんな事を訊くものだから、御門は思わずいつも以上のしかめ面をしてしまった。
「追い出すって、誰をです」
「勿論、俺を」
「何をバカな」
「真面目な話」
  龍麻は少しだけ笑ってみせてからふうと嘆息し、おもむろに障子向こうに広がっているだろう庭先へと視線を移した。締め切った室内で外の景色を認める事は出来ないけれど、注意を払えば確かに聞こえてくる「轟音」には、いよいよ困ったように瞳が翳る。
「近所迷惑になってない?」
「大丈夫です。その辺は一応こちらも向こうも心得ていますから」
「芙蓉さんは疲れてない?」
「芙蓉は疲れなど感じません」
  きっぱりと言ってから御門は改めて龍麻の顔をまじまじと眺めた。
  戦闘の時は信じられないくらいに「切れる」この男が、どうにも普段のこういった時だけは、いつもぼうとして抜けていて、とんでもなく世話の掛かる「可愛い子ども」と化してしまう。特に御門の家に押しかけてきた時、龍麻は御門には甘えたい放題で、菓子はねだる、遊べ構えと我がままを言う、そうして仕舞いには「昼寝がしたいから膝枕」などと、平気な顔ですり寄ってくるのだ。それは御門晴明という男を知る者なら決して言えない台詞だし、出来ない行為だ。
  それでも龍麻は御門にそれを「言える」し、御門の方も龍麻の要求を何だかんだと聞き入れてしまう。
「それより。どうするんです」
  じっと見つめても龍麻の反応が今イチ鈍いので、御門は痺れを切らせた。
「芙蓉の心配は無用ですが、実際時間稼ぎもそろそろ限界ですよ。龍麻さんにも腹を決めて頂かないと」
「俺の腹は決まっているけど」
「そうなんですか」
「うん。だからここにいるんだし」
  皆は怒っているようだけどねと龍麻は薄く笑ってから、ごろりとその場に横になって片手を御門の方へ伸ばした。
「………」
  御門はそんな龍麻のだらしない格好を黙って見やっていたものの、やがて「その位置では届きませんよ」とわざと怒った風な声を出した。
「私に身体を預けるおつもりなら、もっと近くに寄って下さい」
「御門が来てくれないの」
  龍麻の平坦な言い様に御門は失笑した。
「行きません。貴方がはっきりと私を選ぶと言わない限り、私はもうこれ以上は動きません」
「ケチ」
  龍麻は自らもわざと唇を尖らせて怒ったフリをして見せてから、くっと喉元で笑って首を横へ向けた。それによって御門の位置から龍麻の顔を見る事は叶わなくなったのだが、それを不満に思いつつもやはり「動くのは得策ではない」と思って、御門はぴくりとも動かなかった。
「御門」
  すると案の定龍麻が先に声を出した。
「『誰でもいい』なんて、実際失礼な話だろ」
「…ええ」
「でも、その中でも、お前ならまだいいかなって思ったのも本当なんだよ?」
  龍麻の顔は依然として見えない。御門は龍麻の後頭部を眺めながら応えた。
「光栄なような、腹立たしいような。そんな気持ちですよ。今の私の率直な気持ちです」
「うん」
「けれど、あの者たちにも解せません。こんな状況で、何だって今誰かを選ばなくてはならないのです? この大事な時に…自業自得ではありますが、貴方の仲間…いいえ、貴方に恋焦がれている者たちは皆、ひどく心を乱してしまった」
「そうだね」
「実際貴方は分かっているのですか? 彼らの、貴方への強い想いを」
「多分ね」
「………」
「でもね、御門」
  龍麻がようやく首をぐるりと動かして再び御門の方を見てきた。その眼にいつもの精彩さはなく、どこか濁っていて何かを酷く憂いていて…そして何か大切なものを諦めてしまっている風にも見えた。
  その龍麻が言った。
「分かっていても、どうしようも出来ない事ってあるもんだよ。分かり過ぎているから動けないって事もあるしね」
  御門が唇を半分動かしかけると龍麻は緩く首を振り、また横を向いてしまった。何も言うな、それは許さないというような絶対的な雰囲気が感じられて、御門はらしくもなく何も言えなかった。

  柳生との決戦を前に何がどうしてそうなったのか。
  緋勇龍麻の仲間たちがこぞって彼に「告白」をしたのだ。それが事のはじまり。
  この戦いが終わったら。もしも生き残る事が出来たのなら、その先も龍麻と共に歩みたい、龍麻の傍にありたい、と。誰からともなくその声は発せられ、そうしてその数は短期間で驚く程に増えていった。それはとても純粋で切実な願いではあったのだけれど、御門にしてみれば「何を不謹慎な」と思わずにはおれなかったし、村雨が「俺も先生に告白してくる」と嬉々として出掛けて行った時には、半ば本気でその腐れ縁の背中を蹴り倒したい衝動に駆られた。勿論、「友」のその台詞が半分以上本気で発せられたものだとは知っていたが、何せ自分たちが龍麻の仲間となったのはたかだか半月ほど前の話で、幾ら何でも「早過ぎるだろう」と思ったのだ。―そう、つい愚痴ってしまったら、「マサキ」には「御門は分かっていないね」と笑われてしまったのだが。
  けれど、ともかく。
  そんな仲間たちの熱い告白に対し、当の龍麻は曖昧に笑った後、言ったのだった。

  みんなのことは大好き。でも、それは駄目。

  龍麻は元から博愛主義的なところがあり、味方だけでなく敵をも包み込んで全てを受け入れてしまうような、そんな人間離れした面を持っていた。それこそそれはあの菩薩眼と呼ばれる少女の役目であったように思うのだけれど、龍麻という1人の人間を愛してしまった彼女にその《力》はもう本来の勤めを果たせなくなっていた。
  だからだろうか、代わりとでも言うように龍麻は皆を愛し、皆に平等の笑顔を振りまいた。
  そうして皆が好きだと言った。
  けれど、誰か1人を選んで欲しいと言う仲間たちの要求には、龍麻は全て「ノー」で返した。

「それでも、どうしても誰かを選んで欲しいと皆が無茶を言ったんだ。だからね、それなら御門って言ったの。そうしたら皆は凄く驚いて、で、怒った。だから置き手紙して、家出」
  最初御門の所へやってきた龍麻は平然としてそう言い、「それでもお前を選ぶ事に決めたのでここへ置いてくれ」とのたまった。御門は最初そんな龍麻に当然腹が立ったし、呆れたし、それにごくごく自然に哀しいと思ってしまった。落胆した。
  それでも追い出す事が出来なかったのは―……。
「私だってね。彼らとおんなじなんですよ」
  珍しくぶすくれた表情で、御門はやっと口を開いた。
「貴方が私を知ったのが最近だとしても…私は貴方の事をずっと以前から知っていましたしね。惹かれていたんですよ、最初から」
「俺が黄龍だから?」
「…私と会話をする気があるなら、そんなつまらない僻み根性はお止めなさい」
「……うん」
  またくるりと龍麻が首を動かして御門を見る。少しだけ明るい表情をしていたので御門もまた少しだけ安心した。
  だからいつものぶっきらぼうな口調で言ってやった。
「誰も愛せないなら、いいですよ。龍麻さん。ここにいなさい。私が貴方の分まで愛してさしあげます」
「俺みたいなしょーもない男を?」
「ええ」
「薫さんよりも?」
  龍麻が彼女の名前を出すとは思わなかったので、御門は思わず破顔した。少し、いや、かなり嬉しいと感じた。
「そうですね。薫も許してくれると思いますよ。そもそも貴方が来る前から、こうなる事は分かっていたみたいですしね。珍しく大笑いをしているから何事かと思ったら、『御門が困ったり怒ったりしているのが嬉しい』と言ってくれましたよ」
「ふうん」
  それを聞いて龍麻はふっと軽く笑って天井を見上げると、心底呆れたように言った。
「そんないい子なのに俺の方を取ってしまうなんて、お前も見る目がないな」
「そうかもしれませんね」
  でもね、と御門は視線を外の方へやりながら言った。
「つまるところ、それは貴方が外で暴れているあの方たちを選ばないのと同じ理由からですよ。…恐らくね」
「恐らく〜?」
「ええ。自分の事なのにこんな風に曖昧に答えるのは本意ではないですが」
  龍麻が意外そうな様子で目を見開くのを見て、御門は挑み返すように笑んで見せた。何だ、この男はこんな顔も出来るのかと思いながら。
「龍麻さん。私たちは、案外似た者同士なのかもしれませんよ」
「そんな風に言うと、御門。俺たちは永遠に愛し合えないよ?」
  龍麻がハッと鼻で笑い、だらりと伸ばしていた両足をくっと曲げた。それからごろりと寝返りを打ち、いよいよ御門から背中を向けてしまう。
  御門はそんな龍麻の背に優しく語りかけた。
「そんな事はありませんよ。貴方がその手を少しだけ伸ばしてくれれば、ね」
  そうすれば私の所へ届きますからね、と。
  御門が試すようにそう言うと、龍麻は一瞬だけまた御門を顧みたものの、「駄目だね」と言ってまたそっぽを向いてしまった。
「恋だ、愛だの、いらないんだよ。俺はただ、戦うだけ。今はそれだけ。それを一番分かっているお前だから、俺はお前を選んだだけ」
「そうですかねえ…?」
「そうなんだよ」
  お前も意外に煩い奴だったんだなと龍麻は言ってからごろりとまた仰向けになり、後はすうと氣を鎮めてぴくりとも動かなくなってしまった。
「……それだけ、ですか」
  御門はそんな龍麻を見つめてぽつりと呟いてから、ふっと何という事もなく息を吐き出し、首を振った。それから、「仕方がありませんね」と独りごちて立ち上がる。芙蓉の所へ行って、もう少しだけこの男を休めてやる助力をしてやろうと思った。
  龍麻のだらしなく向けられた掌は御門の方を向いたままだった。
  それでも御門は敢えてそこから目を逸らし、黙ってその部屋を立ち去った。



<完>




■後記…龍麻にも御門にもそれぞれとても大切な人たちがいる。互いの事はまだちょっと惹かれ始めてるってとこです。知り合ったばかりなのでそんな温い関係ですが、今後かなり濃くなっていきそうな予感はあります。御門自身このSSでも言ってますが、龍麻の事は「マサキ」から聞いていてちょくちょく視姦しており、前から知ってたし…後は色々なきっかけだけでGO!です(何)。ただ理性の人なので、そうそう簡単に陥落するとも思えず、まだ「はんぶんだけ」って感じです。龍麻もこんな人なので半分だけ。曖昧SSですみません〜。