子守り
周りからは「子どもは嫌いだろう」と思われているが、実際のところはそうでもない。
「 好きでもありませんが…ね」
持っていた扇子を口元のところでパチリと閉じて見せて、御門は足元で寝転んでいる小さな子どもを冷めた目で見下ろした。ここを何処だと思っているのか、否、そもそもどうやって入り込んだのか。人の屋敷の庭先で、まるで死んでいるかのような静かな様子で…。
その黒髪の子どもは猫のように小さく丸まり眠っていた。
「 起きなさい」
別段大きくもない声で一言そう言う。けれど御門の声が怒りを含んでいない事もあってか、熟睡しきっているような子どもは指先ひとつ動かさない。一向に目覚める気配がなかった。
「 起きなさい」
今度は多少強めに言ってみた。目覚めない。仄かな苛立ちを感じたけれど、御門は暫く黙ったまま眠りの国に入っている「それ」を見下ろし続けた。すぐに使用人を呼んで追い出せば良いのに、何故かそれをする事には躊躇いがあった。
似ている……と、思ったのだ。
「 ……龍麻さん」
一旦思ってしまうとその考えはより強くなった。声に出してその名を口にすると、今度は、それは確信に変わった。
「 龍麻さん。龍麻さん、起きなさい。こんな所で寝ていては風邪を引きますよ」
「 ………ん」
屈みこんでこつこつと扇子の先で頭をこずくと、相手はやっと微かな反応を見せた。1度痙攣するようにびくびくと瞼が動き、それからややあってゆっくりとその双眸が開く。
「 ……んん」
「 龍麻さん」
やっぱりだ。これは龍麻だ。御門はその瞳を見て心内だけで頷くと、今度は扇子ではなく自らの手でその小さな額をさらりと撫でた。
「 あ……」
少年ははじめぼんやりと未だ夢の中にいるような顔をしていたが、御門の手の熱によって現実に引き戻されたのだろう、徐々に意識をはっきりさせながら何度か瞬きをし、傍の御門へ目を向けた。
そして言った。
「 何…? あれ…僕…どうしたの…」
「 眠っていたのですよ」
御門がすぐにそう答えると、子どもはもう一度ぱちぱちと両目を瞬かせ、のろのろとした動作で上体を起こした。まだ状況が飲み込めないのだろうか、どことなく怯えた目をしている。
「 ここ…何処?」
「 私の家です」
「 お兄さん…誰」
「 ……御門晴明と言います。貴方の友人ですよ」
「 僕の?」
「 ええ。貴方は龍麻さんでしょう。緋勇龍麻さん」
「 ……うん」
御門に言われ、そのどう見ても6、7才くらいにしか見えない小さな子ども…龍麻はおずおずと頷いた。
そうして自分の額を何度も優しく撫でてくる御門の手を遠慮がちに解くと、その「龍麻」は体勢を立て直しその場にちょこんと正座した。利発そうな子どもだ、まあ龍麻なのだから当たり前か…と、御門は胸の内でふっと笑った。
「 僕…何か迷惑掛けた?」
「 いいえ。何故そのように思うのです」
「 分からないけど…。僕、自分が知らない間に眠ってしまってて、知らない所で起きた時って…。大抵良くない事をしちゃっているから」
「 ……ほう?」
「 起きた時は、いつも嫌な気持ちだし…怖いし…寒いんだ」
「 それは良くありませんね」
御門はすうと目を細めると小さな龍麻の頬をさらりと撫でた。先ほど額に触れた時はさり気なく拒絶しているようだったのですぐに放したが、その場から離れる事はしなかった。
子どもをあやす事くらい自分とて出来るのだ。ましてや、ここにいるのは龍麻ではないか。過去の、自分が見たいと願い、しかし決して叶う事などないと思っていたあの頃の。
「 怖いならいつまでもここにいて構いませんよ。私の屋敷で眠りなさい。悪い夢を見なくなるまで、私が守ってさしあげましょう」
御門が優しく優しくそう言うと、龍麻は一瞬ぽかんとして何を言われたのか分からないという風な顔を見せた……が、やがて気分を害したようになると、ぐっと俯き唇を噛んだ。
「 どうしました?」
それに御門が驚いて訊くと、龍麻はぶんぶんと激しく首を左右に振って両の拳を握りこんだ。何かを言いたくて言えない、我慢しているような仕草だった。
「 ……何か私は貴方の気に触る事を言ってしまったのでしょうか?」
「 ………何処で寝ても一緒だよ」
「 ん……」
「 僕は何処で寝ても一緒。何処で寝ても…怖い夢、見るよ。逃げられないもん。だから…だけど、逃げるの…っ」
「 ………」
「 お兄さんは、守れないよ!」
弾かれたように顔をあげ、龍麻は強い口調でそう言った。それはどことなく八つ当たりをするような態度にも見えたが、その必死な様子が愛しくて御門は不謹慎にもつい苦笑してしまった。
「 なっ…何が可笑しいのっ」
「 ああ…。申し訳ありません。貴方があまりに可愛らしいから」
「 か、可愛くない…っ」
「 いいえ。可愛いですよ」
普段なら誰にも見せないだろう笑みを唇に浮かべ、御門は今度はしっかりとした手つで龍麻の髪の毛に触れた。何度もかき混ぜるようにして撫でてやると、龍麻は最初こそ逆らう所作を見せたものの、やがて静かになり、泣き出しそうになりながら両膝に手を置き俯いた。
どれくらい2人でそうして庭の片隅に座っていたのだろうか。屋敷の使用人が御門の子どもとしゃがみ込んでいるこんな姿を見たら、卒倒していたかもしれない。
しかし幸か不幸その光景を見る者はその場には誰もおらず、暫くして龍麻の方がゆっくりと顔をあげ、そろりと言った。
「 僕……可愛いなんて言われたの、初めてだよ」
「 おや…。今の貴方は誰にも彼にもそう言われていますよ?」
「 今…?」
「 何でもありません。しかし、そうですか。貴方が子どもの頃は、貴方の事を可愛いと言う人間はいなかったのですか。……許せませんね」
「 ねえ…お兄さんは、どうして僕を知ってるの?」
「 言ったでしょう。貴方の友人だからです」
「 僕…友達なんかいない」
「 ……今は私がいます。だから貴方は、ここにいらした」
「 ……?」
御門の言葉に龍麻は分からないという風に軽く小首をかしげた。けれども自分に触れる御門の手を今度は両手で大事そうに包むと、龍麻は遠慮がちに言葉を出した。
「 御門……?」
「 はい」
「 友達、なの?」
「 ええ、そうですよ。貴方は私の大切な人です」
はっきりと言ってやって、御門はおもむろに立ち上がりながら小さな龍麻を両腕で持ち上げ、自らの懐に抱え込んだ。その細腕のどこにそんな力があるのかと思われたが、驚く龍麻に御門は何という事もなく、己の胸にしがみつくようにして抱かれる龍麻に唇を寄せた。
「 さあ寒いのでしょう。中へ入りましょう。そしてもう一度眠る前に、美味しいお菓子を食べましょうか。ご馳走しますよ」
「 中へ…?」
「 そうですよ。貴方はいつも疲れるとこちらへいらっしゃる。珍しい事ではないのですよ。……まあ、さすがの私も貴方がこんな風になって現れるとは思いませんでしたが」
「 ………」
「 どうしました?」
「 ……ううん」
最初こそ御門の言葉に考え込むようにして黙りこんでいた龍麻も、すぐに首を振ると静かになった。御門に優しく微笑まれてどうでもよくなったのか、甘えるようにその胸にぎゅっと縋りつき、顔を埋める。
「 たまにはこういうのも良いですね」
御門はそんな龍麻の額に軽く唇を押し当てると、もう一度ふっと笑んでから歩き出した。龍麻は何かというと自分を試したり、自棄になって無口になったりするところがあるけれど、今回は「目覚めた」後にどういう反応を取るかがとても楽しみだと思った。
とりあえずその際の自分の台詞は決まっている。
どうです、私は子どもの相手だって出来るのです。それが貴方なら、尚更……と。
「 お菓子は何が良いですか? 貴方の好きなものを何でも用意させましょう」
「 僕……何でも良いよ」
「 それは欲のない事で」
子どもである龍麻の控え目な言に御門はいよいよ楽しそうに表情を緩めた。
扱いやすい子どもだ、折角なのだからもう少し我がままになっても良いのになどと思いながら、御門は抱きかかえた龍麻の髪にもう一度、情愛のキスを落とした。
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