笑顔の君
美里葵。
彼女は真神学園高等学校の生徒会長だ。人前に出て話すことも、その他色々と降りかかってくる多少の修羅場も、今まで難なくこなしてきた。何だか分からないが、突然課せられた「菩薩眼」としての使命も、実にうまくこなせている。周りは彼女のことを「完璧な女性」「永遠の理想」と言って持ち上げる。
「 美里、どうした? 早く来いよ」
「 あ…ご、ごめんなさい。今行くわ」
突然呼ばれて、美里は慌てて我に返った。
今日は「霊宝五色方陣」を使えるメンバーだけで、旧校舎に潜ることになっていた。
先日、ギャンブル好きの村雨と陰陽師の御門、それに芙蓉が仲間に加わった折、また幾つか新たな包囲陣を組めることを発見したわけだが、その事を一番喜んだのが、リーダーの緋勇龍麻だった。
「 この6人だけでさ、今度潜らないか?」
龍麻が声をかければもっと大人数の仲間たちがすぐに喜んで駆けつけるというのに、その時の「黄龍の器様」は何を思ったのか、どことなく嬉しそうにそんな提案をしたのだった。
霊宝五色方陣のメンバーと言えば。
緋勇龍麻。
如月翡翠。
織部雪乃、雛乃姉妹。この二人のどちらかで方陣を組む。
そして、御門晴明と・・・。
美里葵の、計六人だった。
「 ったく、龍麻の奴は何だって急にこんな事言い出したんだ? さすがにこの人数じゃ、あんまり深くまで行くと戻って来るの大変だし、何より疲れるんだよな」
雪乃がのろのろと階段を降りながら、ぶつくさと文句を言った。
「 でも姉様、楽しいじゃありませんか。私は、とっても嬉しいです」
雛乃がおっとりと笑む。別に遠足に行くわけでもないのに、どことなく嬉しそうだ。美里はちらりとそんな雛乃を、それから不平たらたらの割に、実は満更でもなさそうな姉である雪乃を、交互にじっと見やった。
…彼女たちだけではない。
この企画を持ち出した龍麻は勿論、彼の横を歩いている如月や御門も、気のせいかいつもより明るい。美里たち女性陣とは少し距離を取って先を歩いているので何を話しているのかは聞き取り難いが、
何やら談笑しているその様子は如何にも 「 仲良し3人組」という感じだ。珍しい取り合わせであるが、そんな和気藹々とした空気を、美里は心の中で密かに恨めしく思った。
本当は私も一緒に歩きたいのに…。
しかしおしとやかで控えめな女性で通っている自分がそんな事をできるわけもない。美里は先を行く龍麻の背中を眺めながら、はあとため息をついた。
「 ん? おい、どうした美里」
その時、雪乃がそんな美里の様子に気がついて訊いてきた。
「 えっ、いえ、何でもないの・・・」
「 っていう風には見えないぜ? …ははあん」
「 な、なあに?」
「 本当は、俺らなんかナシで龍麻と2人っきりになりたかったのにってか? 図星だろ」
「 姉様、そんな言い方、美里様が気分を悪くされますよ」
雛乃がからかうような姉の言い方をたしなめた。
美里はかっと顔を赤らめて、慌てて否定した。
「 そ、そんな事はないのよ? 私は…っ」
慌てて口をついて否定だけはしたが、美里はその後の台詞をうまく出せずに口ごもった。
実際は、その通りなのだ。
はっきり言って美里は龍麻が好きで。
出来得ることならば、いや、多少無茶だと思えるようなシチュエーションでも何でも、美里は龍麻と2人きりになりたいと思っていた。ゆっくりお喋りがしたい、ゆっくりお互いの事を知り合いたいと思っていた。
だが、度重なる闘い、次々と現れる新しい仲間たち、それに加えて皆の中心である龍麻は、いつも周囲から注目され、慕われていた。2人きりになることなど、ましてや会話することすら、最近では少なくなってきていたのだ。同じクラスと言っても、龍麻はいつも京一や元気な小蒔と話をしてしまうような節があった。
しかし何と言っても今日はたったの6人で旧校舎入りである。
美里は密かに、今日こそは龍麻と触れ合える機会が持てるかと楽しみにしていた。
「 はははっ。そんなに真っ赤になって言い訳するなんて、そうだって言っているようなもんだぜ? やっぱ可愛いんだな、美里は」
そんな美里の思いは十分に理解しているのだろうか、雪乃がいよいよからかうような表情をして笑った。それから威勢よく妹である雛乃の肩を抱いて続ける。
「 けどよ。俺の妹だって結構イイ線いってるからな。美里もうかうかしてらんねえぜ?」
「 えっ・・・」
「 姉様!!」
叫んだ雛乃がうっすらと頬を染めるのを美里は見逃さなかった。まさか雛乃もライバル…?脳裏に嫌な予感が走る。
「 それに小蒔も、あれでいて結構美人だろ。龍麻の好感度だって高いだろうし」
「 龍麻が小蒔のことを…?」
「 可能性のことを言ってるんだよ。俺らの仲間内じゃ、綺麗なのから可愛いのまで選り取りみどりだろ? おまけにそんな奴らの殆どが龍麻にぞっこん。けど当の龍麻は鈍くせーときてる。
…こりゃ、積極的にいった奴の勝ちって感じがしねェか? あいつ、案外コロっといっちまいそうじゃんか」
「 姉様ったら…。龍麻様のことそんな風に仰るなんてひどいです」
割とおっとりしている雛乃が、雪乃に対して再び表情を曇らせる。本来なら美里も雪乃の言動に眉をひそめそうなものなのだが、
今は却って雛乃の反応が気になってしまう。
それに加えて「積極的な者の勝ち」という台詞も…。
「 あ、あの……」
「 おーい、3人とも何してるんだ? 早く来いよっ!」
けれど美里が口を開こうとした瞬間、そんな龍麻の明るい声が聞こえてきた。織部姉妹はさっとそちらに視線をやり、それに応じるように歩を速めてしまった。
美里はそんな彼女たちに一歩遅れて後を追うことになった。
旧校舎の戦闘は、たった6人と言えども楽勝であった。
何より龍麻は強い。地下深くから沸いて出てくる異形をものともせず、次々と力強い拳を繰り出していく。その姿はやはり美しく、惚れ惚れとするものであった。
「 俺ら、結構暇だなあ」
雪乃が手にしていた長刀を肩に抱え、ふああと欠伸をして傍の大岩に腰を下ろした。雛乃もうきうきとした様子で敵を打ち払った後、姉の元へと駆け寄ってくる。どうやら余裕らしい。
「 雛もそろそろ打ち止めか」
「 はい。龍麻様や翡翠様、御門様が全部やって下さるものですから」
「 せっかく方陣技使えるこの面子で潜っても意味ねえな」
「 龍麻様は試してみたい感じではあったのですけど」
「 お、そうか? なら、やるか?」
「 闘いは遊びではないからと翡翠様にたしなめられていましたわ」
「 ええ、なーんだ。ちぇっ、つまんねえの」
雪乃は余計なことを言ったなと言わんばかりの顔で遠くにいる如月を一瞥し、それから再び退屈そうに欠伸をした。
「 うう、マ〜ジで暇だ。そろそろ上がるのかな」
「 あ、この後皆さんでお食事に行こうと龍麻様が」
雛乃が嬉しそうに言う。それで雪乃もぱっと表情を明るくさせた。
「 ラッキー! 御門か如月のおごりかな」
「 ふふ、姉様ったら」
しかし実際そのようだった。雛乃は否定しない。龍麻と一緒にいる時の御門や如月は大分羽振りがいいようだったから、そのおこぼれに預かれることはまず間違いないようだった。
美里はほのぼのとした空気を出しながら男性陣の戦いを眺めている織部姉妹を見、それから遠くの龍麻を見つめた。
この後も…まだ2人きりにはなれない。
分かっていたことだけれど、やはり期待していた分、気分が落ち込む。
「 それにしてもさあ…」
その時、雪乃がにやにやと笑いながら言った。
「 如月も御門も。あいつら強いな」
「 ええ、とっても」
雛乃が害のない顔で微笑む。雪乃は次に美里の方を振り返って話を振ってきた。
「 なあ、美里。京一や醍醐も大分強いだろ」
「 ? ええ、それは勿論……」
「 けどよ、龍麻がいる時といない時とじゃ大分違くねえ?」
「 え……」
「 まあ…そういえば皆様の強さも3割増しといったところでしょうか」
雛乃がきょとんとした顔で応えた。雪乃は腕を組み、うんうんと頷いてから言った。
「 あいつら、どうにも《力》の使い方に差があるんだよな。同じ旧校舎に潜っててもさ、龍麻と離れている時はあそこまでじゃねえぜ? けど、近くにいると鬼のように強ぇ」
「それはやはり龍麻様を護りたいと思う気持ちが強いのでしょうね」
姉の言葉を付け足すように雛乃が言う。
美里はその会話を聞きながら、しかし改まってそんな話を持ち出す2人を不思議そうに見やった。
「 みんな龍麻のことが好きなのよね」
「 あん? あ、ああ、そうだよな。そりゃそうだ」
美里の当然だろうという言葉に、雪乃は少しだけ気まずそうな顔をしながらも律儀に応えた。美里はそんな雪乃の様子には気づかずに続ける。
「 京一君なんてそれはもうすごい違いなのよ。龍麻のこと、自分一人が護るんだってくらいの勢い」
「 はあ、そうだろうなあ」
「 でも、その気持ちは私たちも同じですわよね、姉様」
雛乃の一言に、美里はぎくりとして動きを止めた。
「 え…?」
「 龍麻様を想う気持ちは、私たちだって殿方らと何ら変わりありませんもの」
「 まあ…そうだな」
雪乃も照れながらも肯定した。
美里は、そんな雪乃の態度を見てますます凍りついた。
「 一緒って……彼らと貴女たちの想いが……?」
「 ええ、そうですわ美里様。美里様もそうでしょう?」
「 私……?」
呆然とする美里に、雛乃が追い討ちをかける。
「 私たちだけではありませんわ。小蒔様も他のここにはいないお仲間も、みんな龍麻様のことをお慕いしていますもの」
「 ……おーい、雛。あんまり言うと美里が誤解するぞ」
雪乃が少々慌てたように妹を止めたが、しかし美里はそんな雪乃の声を聞いてはいなかった。
まさか。
男連中に関しては、それはそうだろうという思いはあった。あの彼らの露骨な態度を見れば一目瞭然ではあるし、そもそも「逆」など恐ろしくて身の毛がよだつ。龍麻は確かに強いが、そういう問題ではない。
しかし、それにしても男性陣だけでなく、この織部姉妹を始めとした女性陣までが自分と同じ考えだったとは…。如何にも男っぽい雪乃はともかく、見た目こんなにおしとやかな雛乃がこうも堂々と自らの嗜好を吐露するとは意外だった。
瞬間、美里の中で何かが弾けた。
「 雛乃さん……」
「 はい、何でしょうか」
「 貴女はいつから龍麻のことを?」
「 はい? いつからと申しますと?」
「 ほーら、雛。言わんこっちゃねえ。おいおい、美里。誤解するなよ」
雪乃が片手をひらひらと振って口を挟んだが、やはり美里の耳には届いていなかった。
「 私……ずっと龍麻のことが好きで……」
「 美里様……」
「 分かっていたの。皆も私と同じように龍麻に惹かれているって。龍麻のことが好きだって。分かっていたけれど、でもそれでも私、まさかみんなも私と同じ事を考えていたなんて思わなかった」
「 ん? …おいおい美里。みんな龍麻のこと気にいっているのは分かってたのに、何で自分と同じだなんて思わなかったんだ? お前の言ってること、よく分からないんだけどよ」
「 京一君や、如月君たちはいいの。分かっていたの。だってそれしか考えられないもの」
「 は?」
「 だけど…」
美里はやや身体を震わせ、必死に何かを抑える風になりながらも、2人の姉妹に向かって言葉を出した。
「 まさか貴女たちも龍麻の《攻》になりたいと思っていたなんてー!」
しーん。
「 ……………は?」
雪乃が大分時間も経過した頃になって、ようやく間の抜けた声を出した。
「 何? 何だって?」
「 確かに龍麻は可愛らしいけれど…あれでも男の子なのだから、いくら何でもみんなが私と同じことを考えているなんて思わないもの…」
「 いや、だから何の話だって?」
焦る雪乃に、雛乃が平然とした声で言う。
「 でも美里様。そのような事仰るなら、殿方の皆様は全員攻役希望ですわよ。私たちのことよりも…」
「 ええ、だから彼らがライバルだということは分かっていたの。でも分かっているから、それほどダメージはなかったの。ほら、ああやって守銭奴亀が龍麻の肩を抱いていたとしても…。白ラン長髪がキザな瞳で龍麻を見つめたとしても…。でも貴女たちや、ましてや親友の小蒔まで龍麻の攻になりたいと思っていたなんて……」
「 ……おいちょっと待て」
しかし美里は(ついでに雛乃も)、常識派である雪乃の話はやはりまるで聞いていない。完全に自分の世界に埋没してしまっているようだった。
「 …私、これからは自分に正直に生きようと思うわ。龍麻に遠慮したりせず、自分の今の地位に甘んじたりせず、考えていることははっきりと龍麻に言おうと思うの。そうでないと…」
「 そうですわね。自分の気持ちというものは、いつでも相手に伝わるとは限りませんものね」
雛乃はおっとりと笑んでから、美里に「お互いに頑張りましょうね」などと言い放った。美里は心の中でぴくりとその態度の雛乃に反応を返したが、ここはおとなしく笑顔で返した。何と言っても彼女は他の仲間たちも皆自分と同じであるという貴重な情報を流してくれた相手なのだ。今回は素直に礼を述べておくことにした。
「 ああ、すっごくレベルアップしたな!」
夕暮れ時、旧校舎奥から戻ってきた龍麻は、実に晴れ晴れとした顔で言った。美里たち女性陣が何やら不埒な話をしていたとは露程にも思っていない。如月や御門も、今日は余程充実していたのだろう、満足気な表情で美里の不穏な空気にはやはり全く気づかなかった。
「 それじゃ、飯行こうか! あ、でもその前に…」
龍麻は急に視線を美里に向けると、にこっと人好きのする笑みを向けてきた。美里がどきんとして固まると、龍麻は皆に「ちょっと待ってて」と言った後、美里の手を掴んで走り出した。
「 た、龍麻…?」
「 美里、ちょっと来てよ」
龍麻は軽快にそう言うと、戸惑い半分、期待半分の美里を皆から離れた所まで引っ張って行った。
そして。
「 美里、何かあったの?」
開口一番、そう訊いてきた。
「 え…?」
美里が意味が分からないというような顔をすると、龍麻は少しだけ困ったような顔をしてから首をかしげた。
「 今日の美里、何だか元気がないように見えたから」
「 そんな事はないわ」
美里は踊る胸を必死に抑え、あくまでも普通の態度で応えた。それにしても龍麻が自分を心配してくれた。龍麻が自分を見ていてくれた。そう考えるだけで、逸る心が波打ち立った。
「 私はいつもと同じよ。龍麻、心配してくれたの?」
「 う、うん。そっか。気のせいだった? ならいいんだけど」
美里は優しい微笑の龍麻にますます心が騒ぎ、今すぐにでもこの場で押し倒したいという衝動に駆られたが、ここは落ち着いていつもの態度をと思い、咄嗟に気遣いの言葉を投げかけた。
「 龍麻こそ、何か心配なことはない? 貴方こそ、疲れているのじゃないかと」
別段そんな事は感じていなかったが、美里は敢えてそう言った。いつでも貴方のことを気にかけているのよ、ということをアピールしたかったから。
すると、龍麻は意外にも大層驚いた顔で美里を見やった。
「 え! どうして分かるの!?」
「 え?」
美里がきょとんとすると、龍麻は困った顔になりながらもぽつりと言った。
「 俺…いつもと同じつもりだったのに。すごいな、美里。やっぱり美里には隠し事できないや」
「 え、え…?」
何、本当に心配事があったのか?
美里は呆気に取られ、次に出す言葉のタイミングを完全に逸してしまった。龍麻はそんな美里を、自分が何か言うのを待っていると勘違いしたのか、勝手に喋り出した。
「 だってさ、京一がいけないんだ。アイツ、今日俺らだけで潜った事、すっげーむかついてたけど、怒ってるのは俺だっての! あいつ、この間霧島と劉と3人で方陣技使えること発見したじゃん? それで自慢気に何回もそれ使ってさ。いつもは俺や醍醐とずっと一緒にいたのに、あの時はずっとさ…」
「 あの時…?」
「 ほら、この間潜ったじゃん。みんなでさ」
龍麻は劉や霧島らと潜った日のことを思い出して益々怒りが蘇ってきたのか、口を尖らせてここにはいない相手に文句を言い始めた。
「 龍麻。だから今日はこの6人だけで潜ろうなんて言ったのね?」
美里が訊くと、龍麻は少しだけ決まり悪そうに頷いた後、「如月や御門には内緒な。あいつら、それ聞いたらきっと怒るから」などと言った。
それはそうだろう。いつも一緒だった京一から突然仲間外れにされたように感じ、その事を子供のように悔しがる龍麻。それはそれで十分可愛い行動ではあるが、実際問題面白くないと思うのが普通だ。龍麻を想う人間ならば、誰でも。
それは勿論、自分とて例外ではない。
「 あはは、何か…。俺が美里のこと心配するはずが、俺が愚痴っちゃった。ごめんな」
「 ………いいのよ、龍麻」
「 美里っていっつも俺と京一の仲も気にしていてくれてるし。ホント、ありがとな」
「 ううん」
美里はゆっくりと首を横に振り、そして実に神々しく微笑んで見せた。
そして、しきりにみんなで夕食に行こうと誘う龍麻にやんわりと断りを入れ、一人学園の門を後にした。
それから数日後。
美里葵が何やら変わった、という噂が仲間たちの間で瞬く間に広まった。
その噂と付随して、親友である小蒔が美里の執拗な「ある質問」に憔悴したとか、京一の姿が一週間ほど学園から消えていたとか、しばらく真神メンバーの噂はしきりと他校の仲間たちの間で立ち上った。
しかし、彼らにとって1番の存在である龍麻はいつもと変わらず。
また、真実を知っているはずの京一たちが美里の変貌に関しては一切口を開かなかったせいで、結局詳しい事は同じ学校に所属していない彼らには分からずじまいだった。
自分自身でその嵐を体験するまでは。
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