乙女の憂鬱
私の名前は美里葵。誰もが振り返る絶世の美女よ。
顔が美しいだけではなくて、心も身体も美しいんだけれど。
控えめで清楚な私はその事実をあまり大っぴらに口に出したりはしないわ。うふふふふ……。
でもそんな美しい私も今日は憂鬱…。
何故って…今日はあの日なのよ…。
月に一度女の子だけを襲う、あの憂鬱な…。
「 葵! おっはよー!」
今日は朝から今にも雨が降りそうな曇り空だったのだけれど、私の背後から元気に声を掛けてきた親友の小蒔は、相変わらず万年お天気みたいな顔をしていたわ。
「 小蒔…いつも元気ね」
そっと微笑み返してあげたら、小蒔は逸早く私の不調に気づいたみたい。不思議そうな顔をして私の顔を覗きこんできたの。
「 どうしたの、葵? 何だか今日は元気ないね」
「 いいえ…大丈夫よ、小蒔」
「 そう? そうは見えないけど…。お腹でも痛いの?」
「 ええ…ちょっと…」
私のあの日のお腹の痛さはハンパではないわ。2日目は特にそう。絶対薬が手放せないもの。同じ女でも2日目だろうが何だろうが、「ボクは軽くて全然平気ッ!」なんて言って飛び回っている小蒔とは苦しみ度が違うのよ。
「 あっ、もしかして葵、今日生理なの!?」
「 こ、小蒔…声が…!」
小蒔の声はとにかく響くから通りの道だと特に大きく聞こえるわ。純粋で恥ずかしがり屋の私に恥をかかせないでちょうだい。
「 あーそうなんだ! 大丈夫? 葵は重い方だから大変だよね。ボクは全然痛くないし多くないからさー」
そうよね、何てったって小太郎君ですもんね(毒)。
「 ええ…でも大丈夫だから」
「 そう? 無理しないでね。今日は体育だけど見学したら?」
勿論そうするつもりよ。誰が何と言おうと教室で本でも読んでいるわ。
「 そ、そうね…。でも私、頑張ってやろうかなって思っていたのだけれど…」
「 駄目だよ! 無理しちゃー! 辛いコはホント辛いって聞くからね! 葵は成績がいいんだから、たまに休んだって平気だよ!」
それはそうよ。勿論よ。
「 そうね…じゃあ…そうするわね」
「 うん! 気持ち悪くなったらすぐボクに言ってね!」
「 ええ…ありがとう小蒔」
私ったらいよいよ下腹部にもの凄い鈍痛を抱え始めたっていうのに、親友の小蒔にトリプルAの笑顔をサービスしちゃったわ。ああ、何て優しいのかしら、私って。
……でも今日は学校が終わったらすぐに帰りましょ。
「 おーっす、小蒔、美里!」
「 おはよう、桜井、美里」
教室に入ると、いつものむさくるしい2人が私たちに挨拶をしてきたの。……でもどうでもいいけど、何でいつも小蒔の名前が先に来るのかしら。失礼しちゃうわ。
「 おっはよー! 京一、醍醐クン! あ、ひーちゃーん! おっはよー!!」
え、もう龍麻が来ているの? どきどき…。
「 あ…」
龍麻は私たちの存在に気づいて、座っていた席から顔をあげてにっこり微笑んでくれたわ(多分私だけに)。どうやら窓の外をじっと見ていたみたい。物思いに耽る龍麻ってホントにステキ…。もしかして私のことを待っていてくれたのかしら…。
「 おはよう美里、桜井」
「 うんっ! ひーちゃん、おはようッ!」
元気にもう一度挨拶をする小蒔の後ろで私は喜びに打ち震えたわ。だって龍麻はやっぱり私の名前を先に言ってくれたもの…!
「 龍麻、おはよう」
近づいて挨拶をする私…。完璧の笑みも添えてね。
うふふふふ…これで親密度もまたアップね…。
「 美里? 何だか顔色悪いけど、大丈夫?」
「 え?」
まあ、龍麻。会った瞬間私の不調が分かるなんて…!
「 何だあ? 美里、具合でも悪いのかあ?」
「 貧血か何かか?」
すると龍麻の席にむさい男2人がそう言いながらぞろぞろと近づいてきて…。こらこら、邪魔だから来るんじゃないわよ。
「 ええ…大丈夫よ、大したことはないの」
「 そうか? ……ん? ところで何か……」
「 え? どうしたの、京一?」
小蒔が素早く訊いているところに、赤猿の京一君は何だか急に私の周りでくんくんと臭いを嗅ぎ出したの。
「 何かよ…臭わねえか?」
ぎくっ。
「 ええー? ニオイ? 何のニオイさ、ボクは全然分からないけど?」
「 うむ。俺にも分からないが…」
やややややばい…っ。
私ってば血が大量に出る方だから、時々その臭いがするのよねっ。ああっ、一応ちょっと香水とかつけておいたんだけど。駄目だったかしら。
うっ、緊張すると出血が…っ。
「 あ、それ俺かも」
でもその時、龍麻が急に声を出したの。
「 俺さ、今日弁当作って来たんだ。それじゃない?」
そう言って龍麻は鞄から綺麗に包まれた四角いお弁当箱を私たちの前に出してにっこり笑った。それがすっごく可愛らしくって…ああもうっ…。
しかも確かに、そのお弁当箱からはおにぎりやおかずの美味しそうな匂いがよりはっきりしてきたの。
「 あー何だこれかあ! すげーな、ひーちゃん! 自分で弁当作ってくるなんてよお!」
京一君がそう言って龍麻の首に片腕を巻きつけた…んだけど、何でいちいちくっつく必要があるのかしら。
しかも延々とまたいつもの「じゃれあい」が…ぎりり。
「 どういう風の吹き回しだよ、ひーちゃん!」
「 うん。たまにはね…」
「 へへへ…ちょっと味見させてくれよ」
「 言うと思った。だめ。これは俺の為に作ったんだから」
「 そんな事言うなよ、ひーちゃん〜! ひーちゃんと俺の仲だろッ!」
「 こらー京一! ボクだって欲しいのを我慢してるんだから意地汚い真似するな!」
…………。
「 ハハハ。桜井、お前も結局龍麻の弁当が欲しいんじゃないか」
醍醐クンが可笑しそうに笑ったけれど、私はその時自分がちゃんと笑えていたか自信がないわ。ほら、だって今日はゼッ不調だから。
色々と余裕がないのよ。
「 ほら、予鈴なったよ。みんな席ついて」
「 ひーちゃん、じゃ、一口だけ! な! そしたら俺の焼きそばパンやるからよ!」
京一君、いい加減しつこいわね。
「 京一君、鳴ったから席についてね」
「 あ…? ……はいはい、分かったよ」
私の不穏なオーラを感じ取ったのか、京一君はやっと席に戻っていったわ。ほっとする私を龍麻はにっこり笑って「委員長は大変だね」なんて言ってくれて…ああ…龍麻…。
それによく考えるともしかして、今のお弁当の話は私を助けるためにしてくれたものなのかも…。そうよ、きっとそうだわ、ピンチに陥った私を龍麻は決死の覚悟で救ってくれたのよ! ああ何てステキなのかしら、私の龍麻っ!
あ、ヤバイ、興奮したらまた出血が…。ちょっとじっとしていなくちゃね♪ ああ、でも龍麻…。(エンドレス)
そんなこんなで、苦しいはずの腹痛がこの時はすっかり忘れられた私だったの。
…………でも。
やっぱり休み時間の度にトイレに行かなくちゃいけないこの辛さ。少しでも授業を延長しようものなら、その教師は私が元気な時に厳罰ものよ。覚えてらっしゃい。特に英語教師で私たちの担任でもあるマリア。この女、いつも扇情的な格好をして龍麻に言い寄って、かなりウザイわ。かなりヤバイ存在だわ。それでいて授業を延長するわ、私に音読を当てるわ。今の私はちょっと席を立つだけでふらつくのよ。まるで吸血鬼みたいに血に敏感な女だわ。私が生理の時に限って当てまくるんですもの…!
ああイライラする…。やっぱりアノ日は格別にイライラ度が増すわね。
佐久間とかが今私に話しかけてきたら殺しかねないわよ。何だか今日はいないみたいだけど。ってか、ずっといなくていいんだけれど。
でもそういう時に限って、障害が多いのよね…。
「 みんなー! 大変よ、大変よ!」
「 おお、どうしたアンコ。また事件かよ」
そうなの、こういう時に限って。
「 もうすっごいネタを仕入れてきたのよー聞いて聞いて!」
アンコちゃんは何だかもの凄く興奮しているわ…。どうでもいいけど、私は一刻も早くトイレに駆け込みたいんだけれど。これは知らないフリして行っちゃうに限るわね。
「 おい、美里? どうした?」
その時、目敏い醍醐君が私に声を…。
「 葵ー。アンコが何か事件を入手したんだって」
小蒔、あんたまで!私が今日生理だって知ってるでしょうが!!私はトイレに行きたいのよ【怒】!!
「 で、何があったんだ? とりあえずみんないるから話せよ」
うふ…うふふふふ…京一君の声が何だかとてつもなく悪魔に聞こえるわ…。う…そうこうしているうちにまた血が…っ。
「 うん、じゃあよく聞いて。実はね…」
その時。
「 ねえ、遠野さん」
「 え?」
龍麻?
「 それって長くなる話じゃないの? あと一時間で昼休みだしさ。話はその時にしたら?」
「 え…? え…ええ…別にいいけど…でも…」
アンコちゃんの戸惑った顔、それにみんなも…。
「 おいおい、どうしたんだ、ひーちゃん? そりゃ、昼休みに聞いてもいいが、大体の事だけでも今聞きたくねえか? 俺はいくらコイツのネタっていってもすげえ気になるんだけどよ…」
「 ちょっと、その言い方って何よ。引っかかるわねえ!」
「 まあまあ、遠野。うむ、しかし龍麻。俺も京一の意見に賛成なのだが」
龍麻の言葉にえらっそうな顔をしてそう言う醍醐君。邪魔。果てしなく邪魔だわこの男。
でも私の龍麻は負けなかったの。
「 うーん、でも俺さ、ちょっとこれから犬神先生の所にレポート持っていかなくちゃいけないから。今の時間までに出さないとアウトなんだよね」
「 え、それって任意で出せって言うレポートじゃない? ひええ、ひーちゃん、あれちゃんとやったんだ〜」
小蒔が尊敬と驚きに満ちた声を出して龍麻に向き合ってる。席を立ったそんな龍麻の手には確かにレポートがあって…。
いけない、そう言えば私もあれせっかく手をつけたのに、出しに行くのをすっかり忘れてたわ…。
「 あの…」
「 ん、どうした美里?」
「 ご、ごめんなさい。私もそれ出しに行くの忘れていて」
「 はああ〜? 何だよ、さすがに優等生の2人は違うな〜。俺なんかやろうとも思わなかったぜ!」
「 いばる事〜? でも、うちのクラスもあれ出したの片手ほどの人数だったのに。さすがね」
「 じゃあ、美里。一緒に行こう?」
龍麻は私のことを見てそう言ったの。私の顔をじーっと熱い愛の視線で見つめたのよ。それでみんなも諦めの顔で「じゃあ話は昼休みな」などと言っていて…。
ああっ、神様!
いいえ、龍麻っ! 【愛】連打! もうもう貴方に激【愛】連打よっ!!
ししししかもっ。一緒に行こうと言って教室を出た龍麻だったけれど、まるでふと思い出したようなさり気ない口調と表情で、「俺がついでに出してきてあげる」なんて言ってくれて!ああ龍麻!私が1分1秒を争う状態だって事を分かってくれたの!?
………こうして私は幸せな気持ちで龍麻と廊下のあたりで別れた後、軽い足取りでもって念願のトイレに行く事ができたの♪
何かにつけて今日の龍麻は私の守り神のよう…うっとり。
その後の私は薬が効いてきた事もあって、幾らかマシになった腹痛と付き合いながら昼休み・午後の授業と難関を乗り越える事ができた…。それに私には龍麻がついているって考えただけですっごく幸せな気持ちで…。
だってね、その難関の一つ、昼休みの時にもちょっとしたエピソードがあったのよ。
「 ごめん、またちょっと待ってて」
「 ひ、ひーちゃん、何なんだよもう!」
「 ちょっと龍麻クン、あたしの話の腰折るのやめてくれないーッ!?」
中休みでの話題を龍麻によって中断されてしまったアンコちゃんが待ってましたとばかりにやってきた時。
「 ごめんごめん、すぐ戻ってくるからさ」
「 ホント、早くしろよひーちゃん?」
「 俺たちにとって大事な事件かもしれないからな」
「 ひーちゃん、お昼も食べないで待ってるからね!」
「 うん、ホントごめんな」
アンコちゃんが来た時、またしても私はトイレに行き損ねていたのだけれど(てーかあの子が来るのが早いのよ!)、その時龍麻はまたあの休み時間の時と同じ、「ちょっと待って」の言葉を出してくれたの!私を助けてくれたの!何でも、授業でほんのちょっとだけ分からないところがあったらしくて、それが気になって仕方ないから質問に行きたいから、その間だけちょっと待っていてって。すっかりアンコちゃんからの特ダネ(なのかしらね?)を聞きたがっていたみんなは、龍麻のその発言でまたがくっとなっていたのだけれど、やっぱり他でもない龍麻の頼みですものね。誰も断れなかったわ。
それで私も龍麻が教室を出た後、さり気なくちょっと席を外すわという感じに、無事トイレへ行く事ができたのよ!本当に…きっと龍麻は今日の私の事情を察して、何だかんだと用事を作って私を救出してくれたのよねっ。そうに違いないわ。だってこんな事が二度三度も続くなんて…!
興奮する度出血はひどくなるのだけれど…。でも幸せ【愛】。
そんなこんなで、何とか数多の難関を乗り切った私。でもやっぱり何故こんなに出るのかしらってくらいスゴイ出血だから、本当に今日はもう帰りのHRの終了と同時に教室を出たかった。それが正直な気持ちね。
もしまた今日京一君が「ラーメン食いに…」なんて芸のない台詞を言ったらはっ倒しものだとも思ったわ。とてもじゃないけれどラーメンなんて気分じゃないし、かと言って龍麻が行く所に私抜きで彼らを行かせるだなんて嫌過ぎるし…ううっ。
だから私は帰りたい、無事龍麻も寄り道しないで帰って欲しいという祈るような気持ちで、黙々と帰りの支度をしていたの。
そして運命の瞬間、放課後。
「 ごめん。俺、今日はパス」
また私に奇跡をくれたのは、当の龍麻からの言葉だった。
「 えー何でだよ、ひーちゃん! マジで今日付き合い悪過ぎ!」
予想通り「ラーメン」という単語を口にした京一君、私が渾身の力をこめてこっそり攻撃を仕掛けようとした時…龍麻はそう言ったの。ウザイウザイ京一君はそんな龍麻の台詞にとても不満そうな顔をして甘えるように唇を尖らせてた。
それでも龍麻はそんな京一君やその他の仲間たちにただ苦笑するだけで…(ああその笑顔も素敵)。
「 たまにはさ、そんな日もあるだろ。な、美里?」
そして龍麻はそう言って私を見たの!
私としたことが、そんな龍麻の瞳に吸い寄せられて言葉を出すのが一瞬遅れてしまって。
「 美里、今日ばかりは寄り道推奨しないでよ、ね?」
「 え…え、ええ。そうね。たまには…真っ直ぐ帰りましょうか」
「 けーっ、ったくやってらんねえ!」
京一君が私たちを見ていよいよふてくされた声を出した…けど、そんなもの私の視界には最早入らなくて。
今日1日本当にお腹が痛くてトイレに行く事ばかり考えていた私をその都度救ってくれた龍麻が…本当に眩しくて。確かに辛い1日だったけれど、これによっていよいよ私は確信したの。
そう、龍麻の私への愛に!
………公の恋人同士になる日も近いわ…!
「 それじゃ、俺、お先!」
そして龍麻はそう言ってそよ風のような爽やかな笑顔と共に教室を出て行った…。ああ、一緒に帰りましょう…って思ったけれど、何だか教室を出て行く龍麻の足は早くて。うふふ…でも、きっと照れくさかったのね。私は思わず笑みを浮かべたわ。今日1日の私に対する龍麻のアピール♪彼が恥ずかしがって私から急いで逃げてしまうのも無理ないもの。ふふ…ふふふふふ……。まあ…いいわ。明日一緒に帰りましょうと私から誘えばいいのよね。
「 あーあ、ひーちゃんも帰っちゃったし、ボクたちも帰ろうか、葵?」
「 ええ、そうね」
「 ちぇっ」
まだしつこくぶすくれている京一君、残念そうな小蒔、それに台詞すら与えられない醍醐君の傍で、私はただ龍麻の去っていった教室の入り口を見つめていたの。
本当に…今日は素敵な1日だったと思いながらね。
龍麻、私の龍麻。今日は本当にありがとう【愛】。私の憂鬱を吹き飛ばしてくれるのは、やっぱり貴方だけなのよね…!
ふふ…うふふふふふふ……!
+++++++
しかして、その真相は。
龍麻はうきうきとした足取りで、生物準備室のドアを開けた。
「 先生ー!」
そこにいたのは、生物担当の犬神杜人。
そして目下龍麻が片想いをしている相手。とてもガードの固い相手だ。
「 ……何だ、またお前か。仲間たちと遊びには行かないのか」
「 うん」
けれど龍麻はそんな半ば素っ気無い態度の犬神が好きだった。この空間が、この人の傍がひどく居心地良いと思う。龍麻は慣れた手つきで犬神の傍にあった椅子に腰掛けると、伺うような目を相手に向けた。
「 たまにはいいんだ。俺は先生といたかったんだから。それで、俺が作った弁当はどうだった?」
「 ……塩が効きすぎだな」
犬神が視線をずらしてそう言うと、龍麻は目を細めて笑った。
「 そっか。へへ…じゃあ、明日も頑張るよ」
「 ………お前」
「 みんなが怪しむ中出てくるの苦労したー。でも今日は何かと美里が助けてくれたから一緒に出てきやすかったんだけどね」
「 …………」
そうして「何となくタイミング良かったなあ」と首をかしげながら龍麻は笑った。そんな龍麻に犬神の方はまじまじと視線を送った後、手にしていた煙草を傍の灰皿に押し付けてからふうとため息をついた。龍麻はそんな犬神の態度に不思議そうな顔を一瞬だけ向けたが、すぐに気を取り直すと、自分の分のコーヒーも淹れようと愛用のカップを取り出すのだった。
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