冬の雨



  あいつの眼はキライだと思った。
 
  別に新しい仲間なんかいらない。 どいつもこいつも、結局は俺の言う事だけ聞いて動いているだけじゃないか。 そんな仲間なんて、もう俺には必要ない。 あとは柳生を倒せばいいんだ。それだけだ。そうすれば俺は自由になって…。
 
  自由になった後、俺はどうすればいいんだろう。

「 よォ、先生」
  振り返ると、村雨ー最近仲間になったばかりのアイツーが自分のすぐ背後で笑っていた。
  学校の帰り、特に何をというわけでもなかったのだが、龍麻は新宿の街並を当てもなくぶらぶらと歩いていた。 みんなはラーメンを食べて帰ろうと言っていたが、龍麻は腹が痛いからと適当な事を言って、1人で帰ってきてしまった。
  誰も何も言わなかった。
  こういう冷めた自分という人間に、 もういい加減愛想をつかせたのかもしれない。 龍麻はそんな事を考えて、ふっとため息をついた。
  とりあえずは笑ってる。
  とりあえずは救世主してる。
  でも、それは俺の本心じゃない。 …そう考えてしまう自分がとてつもなく嫌だった。 それでも、そんな漠然とした不満めいた気持ちはいつも心の隅にあった。
  そんな考えを抱いている時に、 この男と会ってしまったものだから、 龍麻は心なしか動揺した。
  この男にはまだ慣れていなかった。

「 何呆けた面していたんだ? アンタらしくねェな」
「 …俺らしくない?」
  この間知り合ったばかりだというのに、 この男は何を知ったような口をきいているのだろうか。 龍麻はむっとした。 しかも、 普段ならそういう風に不快になっても、大抵はその気持ちを押し隠す事ができるのに、 この時はそれをやるのがひどく億劫だと思った。だから龍麻は目の前の村雨にただ冷たい表情を向けてしまった。
  しかし相手の方は依然涼し気な顔のまま、ふんと鼻で笑った。
「 そんな怖い顔しなさんな。キレイな顔が台無しだぜ」
「 は…?」
「 アンタの顔、俺は好きだぜ」
  村雨の如何にも軽い口調に、 龍麻は益々不快な気持ちになった。 調子のいい人間は嫌いだった。
「 バカじゃないのか」
  すると村雨は依然薄い笑いを浮かべたまま、龍麻のことを、それこそバカにするような目で見て言った。
「 おいおい、何ムキになってやがんだよ? 俺が何したってんだ。イラつくのは勝手だが、俺はただアンタのことを誉めただけだろ」
「 そういう風には思えなかったけど」
「 へっ、やれやれ。そんなひねくれた性格してっと、アンタ、友達できないぜ」
  言って村雨はまた一人でハッと笑った。
  龍麻自身、 村雨が「友達」などという、 本人に果てしなく似つかわしくない単語を突然出してきたものだから、 ひどい違和感を抱くと同時に少しだけ可笑しくもなったのだが、だからといってこの男に笑顔を見せてやるのも癪に障ると思った。
  だから黙っていた。
  そんな無愛想な龍麻に、村雨は何やら楽しそうな顔をしていたのだが、やがていつの間に手にしていたのか、錆びれたような硬貨を出すと龍麻に言った。
「 どうだ先生。暇なら一つ、勝負してみるか」
「 勝負?」
「 簡単だよ。俺が仲間になった時みたいにな。表か裏か。当てればいい」
  村雨は言って、手にした硬貨ー10円玉だーを龍麻に見せた。
  龍麻はその青カビでも生えていそうな硬貨に、 さも汚れたものでも見るかのような視線を向けてから、素っ気無く応えた。
「 やりたくない」
「 ハッキリ言うねえ」
  村雨は苦笑したが、龍麻は最早自分の仏頂面を消すことができなくなっていた。
「 やりたくないものはやりたくないんだ」
「 こんなもん、3秒もかからねえじゃねェか。当たれば儲けもんだしよ」
「 金…持ってない」
  頑なな態度の龍麻に、 村雨はまたどことなく嘲笑するような顔を閃かせた後、何を思ったのか静かな目で見下ろしてきた。
 
  ああ、またこの眼。
 
  龍麻は自然眉間に皺ができた。
  こいつの、この何もかもを見透かしたようなこの眼が俺はとてつもなく嫌なんだと龍麻は思う。だからと言って逃げるのは悔しいとも思い、龍麻はどういう行動を取って良いのか分からず、ただ村雨から視線をそらして俯いてしまった。
「 金はいらねェよ」
「 え?」
  その時、村雨が言った。 龍麻が弾かれたように顔を上げると村雨は相変わらずの飄々とした顔のままあっさりと言った。
「 俺が勝ったら、今日一日、アンタを俺の好きにさせてもらう…ってのはどうだ?」
「 何…言ってるんだ?」
  村雨の言いたい事の意味が分からず、龍麻は眉をひそめた。
「 言葉の通りだよ。 俺の言う事を何でも聞いてもらう。 逆にアンタが勝ったら、何でも言う事を聞いてやるよ」
「 別に俺は―」
  お前にしてほしいことなんかない。
  そう思ったが、 村雨の射るような視線がまた痛くて、 龍麻は口ごもったまま再び下を向いてしまった。
「 正直なところな、緋勇」
  すると村雨がひどく静かな声で龍麻を呼んできた。
「 俺ァ、お前らの仲間になったこと後悔してんだよ」
「 え……」
  村雨の顔に冗談の色はなかった。
「 どいつもこいつも、甘ったるくて気味が悪いぜ」
「 …………」
  言いたいことの意味が分からなかった。しかし、その言葉について村雨は説明する気などさらさらないようだった。
「 で? どうする。やるのかやらないのか。逃げるなら…それでも構わないんだぜ?」
「 …………やるよ」
  龍麻は応えた。どうしてかは分からなかったが、ここで拒絶はできないと思った。
  人通りの多い道端で、龍麻はこの不敵な男を前にして、何故か自分がひどく小さい存在のような気がして仕方なかった。だからかもしれない。この男を負かしてやりたいと思った。
  落ち着いた所で勝負をしようと、村雨は少しだけ歩いて建物と建物の間に挟まれるようにして存在している小さな袋小路に龍麻を誘った。
  龍麻は村雨が弄ぶ硬貨を何となく眺め、それから村雨の広い背中を見つめた。
  何を考えているのか皆目分からない男。 あの時、もしあの賭けに負けていれば、もうこの男と関わることはなかったのだ。けれど、どうしたことか龍麻は村雨との賭けに勝った。そしてこの男は仲間になり…。およそ仲間らしくはないが、それでもこの男は自分の近くにいることとなった。
  不思議な感じだった。
「 それじゃあ、やるか」
  村雨はそう言ったと思うや否や、硬貨を投げた。 キンッとそれが跳ねるキレイな音が聞こえて、錆びたそれは埃臭い街の空気の中で一瞬踊った。
  そしてそれはすぐに村雨の手の中に収まった。
「 さて。表か裏か?」
  村雨が訊いた。龍麻はほとんど何も考えずに応えた。
「 表」
「 …………じゃあ俺は裏だな」
  そうして村雨は龍麻の方に硬貨を見せた。
「 ……………」
「 表、だな」
  村雨が言った。
「 アンタの勝ちだ」
「 ……………」
  硬貨は表の顔を見せていた。 錆びれた色をしていて青みがかってはいたが、それは間違いなかった。
「 さすが、だな」
  村雨は言って、またにやりと笑った。
  龍麻は笑えず、何も嬉しくもなく、ただ黙って村雨の手にする硬貨に眼をやっていた。
  勝った?
  ちっともそんな感じはしなかった。
「 さて。それじゃあどうするか」
  村雨の声に、龍麻ははっとして顔を上げた。
「 約束通り、今日はアンタがして欲しいことを何だってしてやるぜ? 何が望みだ」
「 別に俺は……」
  村雨が徐々に自分との距離を縮めながらそう言ったので、龍麻はどうにも窮屈で、無意識に身体を後退させた。しかしそれを見てとると村雨は更に龍麻との距離を縮めて、面白そうに言い放つのだった。
「 どうした? 勝ったのはアンタだぜ。何かないのかよ。アンタには…望みってやつがよ」
「 望み……」
  望み。
  自分の望みとは何だろう。
  欲しいものは何だろう。
  何も思い浮かばない。ましてや、この男に頼んで何か満たされるような願いが自分にあるとは、龍麻にはどうしても思えなかった。
  そうこうしているうちに、 龍麻は村雨に追い詰められるまま、 建物の壁に背中を押し付けて、逃げ場を失ってしまっていた。 村雨は冷たい石の壁に片手をつけて、より龍麻の動きを封じると、顔を近づけて笑った。
「 どうした? 何を怯えてるんだ? アンタ…仲間の俺が怖いのか?」
「 な…何を…」
「 そうやって逃げようとしているのが何よりの証拠じゃねェか。 俺は化けモンじゃねえ。いくらアンタが可愛くてもな…まさか獲って食いやしねえよ」
「 あ、当たり前だ…! ど、どうでもいいけど、どけよ!」
「 何故」
「 何故って…! きゅ、窮屈なんだよ! 何で俺がこんな…」
  こんな所で、この男に行き場を塞がれて、戸惑っていなきゃならないんだ。
  その時、村雨がくくっ…と低く笑った。龍麻はびくりとして、それからまた急激に腹が立ってきて、村雨の胸を押すと、無理にその場から脱出しようとした。
「 何がおかしいんだよ! どけって言ってんだろ…!」
「 ………緋勇よォ」
  村雨が冷たく自分の名前を呼んできたが、 龍麻は聞こえないフリをして、必死に狭い空間でただもがいた。
「 俺の言うこと聞くんじゃないのかよ! どけって言ってんだろ!」
「 お前……そんなんで、よく今までもってたな」
「 ………っ!?」
  ぎくっとして村雨の方を見ると、 目の前のその不敵な男はひどく真面目な顔をして龍麻のことを見やっていた。
「 もっとふてぶてしい奴かと思ってたぜ。 どうにもその《力》とは……大分かけ離れた性格みてェだな」
「 どういう…意味だよ……」
「 そうやっていつも泣きそうなアンタを、一体誰が今まで慰めてたんだ?」
  村雨はそう言ってから、 手にしていた硬貨を空いている片手で閃かせて見せると、もう一度ピンッと飛ばして龍麻の前で掴んだ。
「 もう1回やってみな」
「 な、何で…」
「 いいからやれよ」
「 …………」
  村雨の眼が自分を貫いて離さない。この男の心はとても強くて、だから…自分はこの男が嫌いなのだと龍麻は思った。
  嫌い…?否、違う。
  怖い、のだ。
 
  自分の弱さを見抜かれそうで。

「 言えよ、緋勇」
「 う、裏……」
「 …………」
「 裏だ…」
「 ………当たり、だな」
  村雨は言って、硬貨を見せた。裏だった。
「 あ………」
「 また、俺の勝ちだ」
「 え?」
  龍麻が怪訝な顔をすると、 村雨は勝ち誇った表情を隠すこともなくにやりと笑うと、そのまま戸惑う相手の唇を強引に奪った。
「 ん……!?」
  突然のことに驚き、 身体を硬直させた龍麻には構わず、村雨は手だけで自分を押し返そうとする相手を嘲笑うかのように、平然と一方的な口付けを続けた。そしてもがく龍麻の口腔内に押し入ると楽しむように自らの舌を龍麻のそれに絡めてきた。
「 く…!」
「 ………っつ」
  しかしやがて村雨は唇を離すと、 龍麻の抗議によって出た自らの口許の血をぐいと手で拭い、そこについた赤い色を見てにやりと笑った。
「 ふ…やるじゃねェか」
「 何、何を……」
「 賭けは俺の勝ちだ。このくらいは当然だろうが」
「 俺は……」
「 まあこんなモン、まともな賭けにもなりゃしないがな。 アンタがどっちを言うか読むなんてこたァ……俺には造作もねェこった。ツキなんざ関係なく、な…」
  村雨はそう言ってから、もう一度硬貨を投げた。器用な手つき。
「 お前、イカサマはしないって……」
  龍麻がつぶやくように言うと、村雨は口の端をやや上げた。
「 イカサマ? そんなもんしてねえよ。 俺はただアンタが言うだろう方にこいつを投げただけさ。ま、もっとも嘘はついたがな。俺が負けたってよ」
  村雨はそう言ってから、瞬く間につまらなそうな顔をした。
「 陰気な面してるアンタに教えてやったのさ。 てめえの望みくらいてめえで考えろってな。……前が見えてねェ奴に人はついてきやしねえぜ」
「 …………」
「 ただ可愛いってだけじゃ、な」
「 俺は……」
  村雨に自分の内面まで見られたような気がして、龍麻は唇を噛んだ。 毎日何かに苦しんでいる自分が。
  嫌いで仕方なくて。何もかも嫌で。
  そんな龍麻に村雨は続けた。
「 俺は他の奴らみたいにアンタを甘やかしやしないぜ? 本気でムカついた時は…いつでも見限るからそのつもりでな」
「 いいよ……」
  龍麻がそう言うと、村雨はようやくいつもの笑顔になった。満足そうに龍麻を見下ろす。
「 ……そんな面すンなよ。せっかく縁あって知り合ったんだ。仲良くしようぜ…なぁ先生?」
  その時、ぱらぱらと細い雨が降り落ちてきた。
  冬の雨は冷たく、暗い空はより一層その空気を陰鬱なものにしていく。村雨は龍麻から背を向けると、うざったそうに、しかし静かな声でつぶやいた。
「 今日はもう店仕舞いだな」
  村雨の声を龍麻は何となく耳に入れていた。 そして、どうかこの男が自分の方を見ないようにとひたすらに願った。村雨は龍麻のそんな気持ちを知っているのかいないのか、龍麻には背を向けたまま、段々と強くなる雨の空を見上げていた。

  龍麻は雨と涙とどちらが自分の頬を濡らしているのか、よく分からなかった。



<完>





■後記…どうも…私の中の村雨は、他の人たちと違って必ずしも龍麻にべた惚れってわけじゃなさそうです。みんなより一歩離れた位置から「世界の救世主」を眺めていて、時々暇つぶしにちょっかい出すみたいな(「それじゃ単なるひでぇ奴じゃねえか」by村雨)。でもそんなカッコいい村雨が好き。