たこやき魔法



「 なあひーちゃん。500円貸して」
「 いいよ」
「 だめーッ!!」


  それはいつもの日常、いつもの昼休みの事だった。
  退屈な午前中の授業が終わると同時、擦り寄るようにしてやってきた相棒の京一に龍麻は「昼飯代がない」と両手を合わされた。それで龍麻が何の抵抗もなく財布から五百円玉を取り出した瞬間、その声は嵐のようにやってきたのだ。
「 ひーちゃんっ。駄目っ!!」
  自分の席から龍麻の席までは大分あるだろうに、猛烈なダッシュでそこまで駆けて来た桜井小蒔は、ゼエゼエと息を吐き出しながら龍麻の財布を取り上げた。
「 あ…」
「 あーテメエっ。何ひーちゃんの財布盗ってんだよっ」
「 るさい、このバカ京一!!」
「 んだとォ…!」
「 ひーちゃんもひーちゃんだよっ。どうしてそうやってすぐ京一を甘やかすの!?」
「 え…」
「 そうだぞ龍麻」
  腕組をしながら3人の間にそう言って割って入ってきたのは醍醐だ。その背後には心配そうな顔をした美里の姿もある。
「 龍麻。今月に入ってから京一にもう幾ら貸している?」
「 ん…。今月はまだ1週間しか経ってないからそんなに…」
「 じゃあ先月からあわせて幾ら貸してるのさッ! 駄目だよ、どうせ返ってこないんだからっ!!」
「 人聞きの悪い事言ってんじゃねえよ! ちゃんと返してるぜ、なァひーちゃん!?」
「 うん」
「 でも…返す回数より借りる回数の方が多い気がするもの」
「 うっ、美里。お前まで…」
  考え込むような仕草で冷静なツッコミをした美里に京一が詰まる。その雰囲気に乗るように、小蒔が龍麻の財布を持ったまま両手を腰に当てた。
「 それに京一のバカがそのお金を何に使ってるか、ひーちゃんは知らないでしょ。こいつは夜の新宿・歓楽街であっちの筋の人たちと賭け麻雀とか花札とか、そういうお日様の下では堂々と出来ないような悪い遊びをしてるんだよ。コイツがどうなろうがそれはどうでもいいけど、ひーちゃんまでそんな犯罪に加担しちゃ駄目!」
「 京一って夜中そんな事して遊んでたのか」
「 アホか! たった500円ぽっちでそんな遊びができるわけねーだろっ。大体、何だそのあっちの筋ってのは! 俺がンなヤバイ遊びに手を出すかっての!」
「 じゃあ何でいつもそんな金欠なんだよっ。この間だってアン子が身包みはがされた京一を歌舞伎町の近くで見たって言ってたぞ」
「 うっ…。あ、あれはほんの気紛れで1回だけ…」
「 ほら見ろやっぱり遊んでるんじゃないかーっ」
「 だから、してねー!!」
  その後もぎゃーぎゃーとやかましく喚き散らす2人と、それに時々まともな意見を介入させる醍醐と美里の姿とを、龍麻は半ば部外者のように黙って見守っていた。
  京一が金を貸してくれと言う事は確かに多かったが、この相棒がただ単に月の小遣いの割り振りがうまくできないだけだろう事を龍麻はここ数ヶ月の付き合いでよく理解していた。実際五百円程度では昼代くらいで終わりだろうし、そういう貸しを作っている分、どんと懐が温かくなった時などは京一は龍麻にも過剰に気前が良かった。そういうところがすぐ貧乏になる所以だと気づいていないのだろうが、それでも龍麻はそういう京一が嫌いではなかった。
  憎めない可愛い奴と言ったところか。
「 賭け麻雀ね…」
  意図せずぽつりと呟いた龍麻に、ふっと京一が気づいたようになって視線を寄越してきた。そうして何を思ったのか、たちまちぶうたれた顔になる。
「 んだよ、ひーちゃん。ひーちゃんまで俺が本当にそういうのに手を染めてるって思ってるのか?」
「 え? いや別に」
「 でもひーちゃん、実際嫌だよねっ。賭け事なんて不毛だよ! 大体ボクたちまだ高校生なのにさッ」
「 うむ、そうだな。あまり好ましい事とは言えないだろうな。何せ楽して金を手に入れようと言うのだから」
「 そうよね。そんなのは良くないわよね」
「 ……お前ら俺を見ながら何が言いたいんだ?」
  げんなりしたような京一の声を遠くで聞きながら、龍麻はただ黙っていた。はじめは「この場合だとどちら側に賛成の意を唱えるのがベストなんだろうか」などと考えていたのだが、考えているうちにどうでも良くなってきて結局そのまま無反応でやり過ごしてしまったのだ。
  自身の本心がどうであれ、龍麻はいつも仲間たちが大体自分に対してプラスの印象を抱くような返答をするよう心掛けている。皆が「〜だよね?」と半ば同意を求めてくればそうするし、「どうしたら良い?」と意見を求めてくる場合は、さり気なく色々と探りを入れて「皆が求めているだろう答え」を予測しそのように答える。
  それが彼らとの人間関係を円滑に進めていくコツだった。
  で、実際に龍麻自身が賭け事が好きかどうかと言うと、「好きではないが嫌いでもない」という程度だった。
  龍麻は普段から金に困っているような境遇になく、またスリルを求めたり退屈を凌ぐといった事柄とも無縁だった。これと言った趣味もせいぜい読書くらいだったが、かといってギャンブルを趣味にしたいとも思わなかった。
  大体にして龍麻は賭けの類とは縁遠い「体質」にあったから。





「 よぉ兄さん。買ってかねえか」
「 ……ん」
  その日、結局京一に五百円を貸した事で他の仲間たちからさんざ責められた龍麻は逃げ出すように1人先に下校していた。
  声を掛けられたのは、その帰り道の途中にある新宿公園内での広場でだ。
「 たこ焼きかぁ…」
  香ばしいソースの匂いは悪くなかった。「するめ」と書かれた看板を掲げる屋台で器用にくるくるとたこ焼きを転がす無精ひげの男の傍に、龍麻はふらふらと引き寄せられた。
「 美味しそう」
「 だろう。コイツはただのたこ焼きじゃねえ。特別な魔法が掛かってるんでね」
「 魔法?」
  突然胡散臭い言い方をするその男に龍麻はきょとんとした。普段あまりこういった屋台ものに手は出さないが、何だかんだおかしな事を言って売りつけるのはここでは当たり前なんだろうかなどと考える。
  それにしてもと、龍麻はいやに楽しそうな表情の男をまじまじと見て思った。
  何だか年齢不詳な男だ。見た目は自分よりも大分上に見えるが、纏っている氣はどことなく「若」い。がたいの良い身体に羽織っている派手なアロハもどうかと思い目を引いたが、目深に被った鍔のボロボロな帽子がどこかの学生帽のようで、龍麻はそちらの方に「おや」と視線がいった。
  おまけにその帽子の隙間から見える瞳はいやに鋭い。
「 どんな魔法?」
  だからだろうか、突っ込んで会話する気などなかったのに龍麻はそう訊いていた。ばらばらと程よくまぶされていく青海苔をさり気なく見つめる。
「 コイツを食うと運が良くなるんだよ」
「 運が?」
「 あァ。何せ世界一の強運を持つ俺が作ってるたこ焼きだ。その効果はお墨付きだぜ」
「 誰の?」
「 うん?」
「 誰のお墨付き?」
「 俺のだよ」
「 ………」
「 どうだい。買うか、買わないか?」
「 うーん」
  顎に片手を当てて、龍麻は考え込むようにして唸った。
  さっきまでは「買っても良いかな」と思っていたのだが、男のセールストークを聞いていたら逆に買う気が削がれてきた。運なんてあまり信じていないし、これが本当にただの笑いを取る為の話ならまだしも、どうやら目の前の男が本気らしい事に気づいてしまったから。
  こいつはただのたこ焼き屋ではない。
「 ………」
  それに気づいてしまったから、龍麻はしたくもないのに男に警戒しなくてはならなくなった。
  したくないのに。
「 どうしたい? もう箱に詰めちまうぜ」
  別段催促するようでもない口調で男は言った。本当に楽しそうだ。龍麻はそんな相手の顔をじっと見ながら、「何で」と口を開いた。
「 ん? 何だい」
「 何で世界一なんて言い切れるの」
「 うん?」
「 世界一運がいいなんてさ。もしかするとおじさんはホントにラッキーな人なのかもしれないけど、世界一かどうかは分からないじゃん」
「 分かるね」
「 何で」
「 どうでもいいが、おじさんってのは聞き捨てならねえな」
「 え、何歳?」
「 何歳に見えるよ?」
「 うーん。30歳くらい? って、そんな事はどうでもいいからさ…」
「 ……よくねえよ」
  むっとした男は、けれどその後すぐさま帽子の中の髪の毛をぐしゃりとかきむしり苦笑した。
  それからさっと目の前の龍麻を見下ろすようにし、男は手にしていた蛸刺しをついと向けてきて言った。
「 なら勝負しようぜ。賭けるもんはこのたこ焼きだ」
「 俺が負けたらこれ買うの?」
「 そうだな」
「 俺が勝ったらタダでくれんの」
「 そうだ」
「 ………」
「 何だよ不満かい?」
  探るような目を向ける男に龍麻はゆるりと首を振った。
「 そんな事はないけど。こんな事ばっかりしてたら、おじさん、商売にならないんじゃない?」
「 別にコイツでメシ食ってるわけじゃねえよ。今日は偶々な。…つーかよォ、だからおじさんじゃねえって言ってんだろ? ―祇孔だ」
「 シコウ?」
「 ああ。俺の名前だ」
「 ふうん…」
「 お前は?」
「 龍麻」
「 タツマね。覚えたぜ」
「 ………」
  にっと笑う祇孔に龍麻も何となく笑い返した。不思議だ、たった今出会ったばかりだというのに、そして先刻まで警戒しなくてはと思っていたのに、、もう肩から力が抜けていた。
「 いいよ」
  だから龍麻は頷いていた。
「 賭け、乗った。でも言っておくけど、俺強いから」
「 へえ?」
「 本当だよ。だから…俺、賭け事って嫌いじゃないけど好きでもない」
「 いつも勝っちまうからか?」
「 そう。そういう体質なんだ」
「 ……なるほどねえ」
  唇の端で微かに笑いながら祇孔は俯き、何事か考えるような顔をした。ただ龍麻がそれに不思議そうな顔を向けると、祇孔はすぐさま「賭けるもんはアレにしようぜ」と前方を指差した。
「 何?」
  振り返って祇孔の指し示した方を見る。そこにはロールブレードで遊び回っている数人の子どもの姿があるだけだった。
「 あの子らで何を賭けるの?」
「 あいつらのうちの1人でも、あと3周する間にこけるかどうかってのはどうだい」
「 ええ…」
「 つまんねえ?」
「 まあ何だっていいけど…。じゃ、先に賭けていいよ」
「 そうか? じゃ、俺はこけない方」
「 じゃ、俺こける方でいいよ」
「 ホントにいいのかい。俺、勝っちまうぜ」
  祇孔がそう言っている間にも、子どもたちはきゃーきゃーと笑い合いながら列を組んだりバラバラになったりしつつ、くるくると同じ敷地内を憑かれたように走り続けていた。この分ではすぐに3周してしまうだろう。
  龍麻はその姿をぼーっと眺めながら言った。
「 まあ。転んで怪我してもかわいそうだから俺負けてもいいけど、あんなに飛ばしてたら1人くらい転んでもおかしくないよ」
「 いいや、転ばないね」
「 何で?」
  きっぱりと言い切る祇孔に龍麻はくるりと視線を戻した。
  自信に満ち溢れた顔。自分が勝つと信じて疑わない顔。
  どうしてこんな顔ができるのだろうと思った。
「 タツマ。アンタ随分と勝ち慣れしてるみたいだな」
  祇孔が言った。
「 けどな、俺には分かるぜ。アンタ、勝っててもその勝ちに酔った事ねえだろ」
「 ………」
「 まあそれも、恐らくはアンタにとっての本当の勝負ってやつがまだついてねえからなんだろうな」
「 ……何それ」
「 分かんねえか?」
「 うん」
「 ………」
「 俺、勝ち慣れてるように見える?」
「 あぁ」
「 そっか…」
「 どうでもいいが、あいつらとっくに3周し終わってるぜ」
  自分の方ばかり見ている龍麻に祇孔が可笑しそうに目を細めた。ちらと振り返ると、なるほど子どもらは1つの場所に固まり立ち止まってわいわいと何やらお喋りに興じていた。
  賭けの結果を聞きもせずに龍麻は視線を祇孔に戻した。
「 俺の勝ちの手法は常に無難でいる事なんだ」
  龍麻の言葉に祇孔は別段驚きもせず返した。
「 手堅く賭けるってやつだな」
「 そう」
  祇孔に頷いて見せながら龍麻は財布を取り出した。昼休み、小蒔から喰らった長過ぎる説教の後戻ってきた貰い物だ。相棒の京一とは違い、その中身が空になった事はなかった。ある人からこの街で戦う為に必要な物は全部用意してもらっている。お金もその1つなのだ。
  龍麻は何1つ不自由した事がない。
「 祇孔みたいに自信があるわけじゃないけど、その方法で大体勝ってるしね。俺は、だからこれからもそんな感じでいくんじゃないかなって思う」
「 それでアンタの最後の賭けには勝てると思うかい」
「 分かんない……けど」
  そうしないと、そういう風にして生きていかないと、この先に必要なものはきっと手に入らないと思うから。
「 ………」
  そう思った事は口には出さず、龍麻は財布から千円札を取り出した。黙って差し出すと祇孔は物珍しい物でも見るような顔で黙って龍麻からそれを受け取った。
  そして既に箱詰めされたたこ焼きを差し出す。
「 ありがとう」
  龍麻が礼を言ってそれを受け取り踵を返すと、祇孔が突然引き止めるように張りのある声をあげた。
「 俺の手法はアンタとは逆だよ」
  龍麻が立ち止まって振り返ると、祇孔は首筋を掻きながら清々とした顔で言った。その顔に龍麻は「あ、やはり若いのかもしれない」と思った。
「 アンタのそのやり方でちょっと足りないと思ったら、そん時は俺を呼びな。アンタみたいな奴には俺のような人材が必要になるぜ。そのうちな」
「 ……そうかな」
「 あぁ。間違いねえ」
  自信満々に言い切る祇孔に龍麻は思わず破顔した。
  手にした袋を掲げて龍麻が「これありがとう」ともう一度礼を言うと、相手は「また来いよ」と言った後、とぼけた調子で言った。
「 そいつには魔法が掛かってるって言ったろ。俺の強運と、あと1つ」
「 あと1つ?」
「 ああ。それを作った奴に惚れちまう魔法」
「 何それ」
  渋い顔をする龍麻に祇孔はひらひらと片手を振った。
「 食えば分かる。賭けてもいいぜ」
「 ……嫌な自信だなあ」
  ヘンな奴。
  龍麻は口元だけでそう呟き、今度こそ背を向けた。祇孔の方も話し掛けてくる事はなかった。公園を出る間際一度だけ屋台の方を見ると、祇孔は龍麻がやってきた時と同じように何食わぬ顔でたこ焼きを作っているようだった。
「 変な奴…」
  今度ははっきりと口にし、龍麻はそっと微笑むと手にしていた袋を握り直した。淡々と流れるようにして過ぎ去るはずだった午後の時間が、少しだけぴりりと龍麻の背中を突っついた。
  普段あまり感じる事のない、それはいつもとは別種の刺激だった。 



<完>





■後記…久々に書きました村主。村雨は喋り方というか雰囲気が既にエロい感じがするので思い切りエロを書きたいという欲求は逆に沸きません。むしろ淡々と会話させているだけで楽しいから(自己満足の極み)。龍麻は冷めているってわけでもないけど、やっぱり擦れているところが多少あります。村雨に言わせれば「お前の方がよほどオヤジ」という事になるでしょうね。ちなみに今回のタイトルは超テケトーです。何となく響きがいいかなあって(汗)。