ボーイフレンド



「 俺はてっきりたこやき屋だと思ったのに」
「 んー。アニキ、わいのこの格好似合わん?」
「 んーん。可愛いかも」
「 くはっ。可愛いアニキに可愛い言われてしもたわ!」
「 ばか。お前はいつもそうやってくだらない冗談を言う…」
「 ……本気なんやけど」
  龍麻にすげなく返されて、劉は苦笑しながら帽子の中の髪の毛をぐしゃりとかきまぜた。
  劉はピンクと白の細かいチェック入りの半袖シャツにジーパン、それに黒の野球帽を目深に被った格好で、先刻までしきりにキウイだのオレンジだのの皮を剥いていた。たくさん用意していたつもりが、今日は思いのほかいつも人気の「バナナチョコ」や「ラズベリー」よりそちらがよく売れたとかで、急遽裏方で材料の再準備に追われたというわけなのである。
  龍麻はそんな劉の傍で、劉が用意してくれた折り畳み式の椅子に座ってその様子を観察していた。
  ワゴンを改造したその出張クレープ屋はいつもそこそこの人で賑わっている。けれど今まで龍麻はその車を駅や今いる公園などで見かけても、まともに気に掛けた事など一度もなかった。龍麻は基本的に甘い物が好きだが、何故かクレープだけは自ら買って食べたいと思った事がなかったのだ。不味いとまではいかないが、美味いと思った事もなかったから。
「 アニキはイイ生地で食った事がないんやな」
  そんな龍麻に劉は心底憐れみの目を向け、同情するように首を左右に振った。龍麻に言わせればこんな所で小銭稼ぎのアルバイトをしている劉の方がよほど哀れだと思うのだが、当人はどうやらこの労働を心の底から楽しんでいるようだった。
「 わい、基本的に動いてないと駄目な人なんや。だから社長がうちの仕事手伝ってくれるー?言うてくれた時、報酬とか関係なしに何や嬉しかった」
「 ふうん」
  裏方にいる劉の代わりに表でクレープを焼いている「社長」は割と恰幅の良い中年女性で、にこにことした笑顔が印象的な人だった。いつも一緒に仕事をしている夫が腰を捻って暫く入院する事になってしまったらしいのだが、病院と家と仕事の往復にも疲れた様子は微塵も見せない、「女の鑑」みたいな人なのだと劉は語った。
「 旦那はんが戻ってくるまでの臨時やけど、そういう労働は殊の外清々しいもんやで」
「 ……そう」
  龍麻は曖昧な答え方をしてから、鼻歌交じりに作業を続けている劉の横顔をじっと見詰めた。
  龍麻はアルバイトをした事が一度もなかった。親の情には恵まれていないが、金銭面では苦労を感じた事がない。だから自ら働いて金を稼ぎたいと思った事も一度もなかった。こちらの意思とは無関係に強いられる毎日の戦闘だけでもいっぱいいっぱいなのに、それ以上の事をするなどまっぴらだと思う気持ちもあった。
「 劉ちゃーん。今日は売り子さんしてないのー?」
「 んー? あぁ、あんたらか。いつもおおきに!」
  その時、劉の傍にいた龍麻の視界に飛び込んできたのは、見慣れない制服を着た女子高生数人の姿だった。皆一様に明るい茶髪に短いスカートを履いていて、ぱっと見龍麻には彼女たちの区別がつかなかったのだが、劉はその1人1人を親し気に名前で呼び、包丁の手を休めて人懐こい笑顔を向けていた。
  彼女たちもまたそんな劉の周りに群がり、嬉しそうに次々と話しかけてくる。
「 劉ちゃんの作ったクレープすっごい美味しいんだもん。皆に宣伝しまくってるよ!」
「 そうだよー。私ねー、今日はバターシュガーがいいな!」
「 私はキウイ!」
「 おっ。グッドなタイミングや。それ今用意したばっかやで!」
「 ええ、劉ちゃんが切ったのー? じゃあ私もそれー!」
「 私もー!」
「 おおきにおおきに。生地作ったんは社長やけどな!」
「 いつもありがとう」
  店の表、カウンターのある車の内部で生地を焼いていた「社長」がにっこり笑って劉たちのいる所に顔だけ出してきた。そうして彼女は売り子の仕事を劉に任せ、今度は自分がと裏方の仕事に回ってきた。
「 劉君来てからね、売り上げずーっと上がったのよ」
  女子高生たちと店の表へ移っていった劉の姿を追いながら社長が龍麻に話しかけた。
「 ハンサムさんな上にあれだけ気さくで優しいと、そりゃあ女の子たちも夢中になるわ」
「 ……でしょうね」
  何となくすぐに返事ができなくて、龍麻は思わず言い淀んだ。
  確かに劉は男の自分から見てもイイ男だと思う。頼りになるし、その上楽しい。あの女子高生たちにちやほやされるのも道理というものだ。
  けれど、どうしてだろう。ふと龍麻は考えこんだ。
  劉は龍麻だけでなく、他の仲間たちからもただのふざけた奴と思われる事が多い。いつもどんな真面目な話をしていてもどこかでボケツッコミを入れたがるし、泣き上戸でやかましく、どことなくおちゃらけた雰囲気があるから。
  劉がそれだけの男ではない事は共に戦っている龍麻や皆も知っているはずなのに。
  劉がそれを感じさせないのか。
「 君は劉君のお友達なの? でもさっき兄貴って呼ばれていたけど?」
「 あ……」
  ぼうっとしているところを話しかけられて、龍麻は慌てて顔を上げた。
「 まあその…そんなようなもんです」
「 ……? そうなの?」
  分かったような分からないような顔をした社長は首をかしげた後、ふんふんと頷いた。
「 へえーそうなの。劉君、おうちの事あんまり話さなかったけど、ハーフなの? へえー」
「 え…? はは…」
  どうやら社長は劉のことを日本人と中国人のハーフだと思ったらしい。龍麻は曖昧に笑って見せてから、逃げるように立ち上がって車の脇を通ると、店先で女の子たちにクレープを売っている劉の横顔をこっそりと眺めた。
  戦闘の時に見える、劉のあの精悍とした厳しく鋭い眼光は今はない。
「 ………」
「 ねーねー劉ちゃん!」
  その時、女子高生の1人が突然劉に甘い声で話しかけた。
「 ねー劉ちゃん、本当に彼女いないの? 絶対信じられないよー」
「 本当! あたしらの周りでも劉ちゃん狙ってるのすっごいいるよお?」
  隣の子がまたそう叫んで興味津々の目を向ける。
  劉はにこにこ笑って「そらありがたい話やなぁ」などとさらりと答えている。こいつは案外女の子に慣れているのじゃないかと龍麻が疑いたくなる程のかわし方だった。
「 ねー、じゃあ好きな人は?」
「 んー…おるよ?」
「 ええ〜マジで!? 誰だれ教えて〜!!」
「 知りた〜い!!」
「 ははは、そら内緒や。トップシークレットってやつや」
「 えーずるーい」
「 教えてよ、劉ちゃーん!!」
「 ………」
  わいわいと騒ぐその空気に辟易して、龍麻は踵を返した。あんな風に自分が見た事のない劉の姿は新鮮ではあるけれど、ずっと見ていたい風景でもなかった。
「 アニキ」
  けれどいつから気づいていたのだろう、立ち去ろうとした龍麻に劉がすかさず声をかけてきた。
「 これ終わったらメシ食いに行こ。待っててな」
「 え…。あ、ああ……」
  見ている事がバレたことに気まずさを感じたものの、龍麻は気づいた時にはもう頷いていた。
  恐る恐る顔を上げると、そこには優しい目でこちらを見やっている劉の視線があった。





  夜もすっかり更け、店を畳んだ社長がワゴンと共に公園を後にすると、それを見送った劉は手にしていた2つのクレープをさっと龍麻に差し出した。
「 さっ、アニキどっちがええ?」
「 ……メシ食いに行くんじゃないの?」
「 その前にここで一服してこ!」
「 はあ? 一服がクレープ?」
  不満そうな龍麻に劉はまるで動じた風もない。ベンチに腰掛けたままの龍麻に相変わらずの笑みを浮かべ、目の前で両方の手に握られたクレープをゆさゆさと揺らして見せる。
「 ええやん、たまにこういうんも。ほらほら、どっちがええ? 定番のチョコバナナとスペシャルオレンジメロンキウイクレープ! アニキの好きな方あげるわ」
「 そのスペシャルってやつ…メニューになかったじゃないか」
「 余ったもん、わいが全部トッピングしたんや。豪華やろ。小倉あんの方が良かった?」
「 ……俺なんでもいい」
「 んじゃ、わいが作ったスペシャルあげる!」
「 ……やだ。チョコバナナ」
「 どっちやねん!」
  わざと大袈裟にこけるフリをしてから、劉は苦笑しつつ「まあええわ」と言って龍麻にバナナの方を差し出した。そして自分もベンチに腰かけると、残ったスペシャルクレープの方をぱくりと口にする。
「 はー、労働の後のクレープはまためっちゃうまいなァ」
  劉はそう言ってから「ぷはー」と、まるで酒屋にいるサラリーマンよろしく満足そうに息を吐いた。
「 ……なあ劉」
「 んー?」
  龍麻はそんな劉を呼んだものの、チョコバナナを一口かじるとじっと黙り込んだ。
「 ………」
  しんとしたベンチに2人きり。
  劉は沈黙した龍麻に特に聞き返そうとはしなかったが、やがてその重い空気を破るとニッといつもの明るい笑顔を向けた。
「 アニキ、何真面目な顔してんねん!」
「 俺はいつも真面目だろ」
「 ……そらそうやけど」
  劉はおどけた調子が通用しないと見ると不服そうに頬を膨らませたが、すぐにまたいつもの柔らかい笑みと共に小首をかしげ、龍麻を見つめた。
  そのくるくる変わる輝かしい瞳に龍麻は少しだけ眩しい思いがした。
  辛い思いをしてきたはずだ。自分などよりずっと。
  それなのにそれを億尾にも見せない劉を龍麻は時々尊敬を通りこして畏怖の目で見てしまう。
  その秘められた激情が破裂する事はないのだろうか。
「 アニキ」
  そんな事を考えている龍麻に劉が突然言った。
「 好きやで」
「 なっ…何だよ急に!」
  驚いてそれを隠す為に龍麻が怒ったように声を上げると、劉はくっくと低く笑い、視線を空に上げた。
  夜の空にぽっかり浮かぶ月夜に目を向け、劉は相変わらず涼しい顔をしている。
  龍麻は憮然としてそんな劉の横顔を見つめた。こいつは時々、こんな風に大人っぽい顔をすると思いながら。
「 ……じゃあさっきのあれって俺のことかよ」
  何となく悔しくて、今度は龍麻が沈黙を破った。
「 ん」
「 さっき女の子たちに好きな奴いるって答えてただろ」
「 そやったか?」
「 そ、そうだよ!」
  何をとぼけているのかと思い、龍麻はむっとして唇を尖らせたが、当の劉はそんな龍麻の態度を何とも思っていないようだった。
  そんな劉に何か言ってやりたくて龍麻はくぐもった声で続けた。
「 モテてたよな。お前もやたら愛想振りまいて…」
「 そら商売やもん」
「 ……っ」
  あっさりと返す劉に龍麻は胸の奥がちりりと燻るのを感じた。
  何なのだろう、このイラついた気持ちは。今日はただ劉の働く姿というやつを気紛れで見に来ただけだ。それだけのはずなのに。
「 ……あの子たち、明らかにお前目当てで店来てた」
「 ………」
「 社長さんも言ってたよ。劉は女の子たちにとって理想のボーイフレンドだって」
「 そうなん? わいにはよう分からん」
  劉の言いように龍麻はいよいよむっとして、だから逆に唇の端を上げ皮肉な顔を向けた。
「 分からないわけないだろ。まったく嫌味な奴だな、あんなにちやほやされて―」
「 ………」
  けれど言いかけた龍麻は劉の不意に向けられたひどく真面目な顔にぴたりと動きを止めた。
「 なん…だよ?」
「 ………」
「 何黙ってんだよ…っ」
  精々虚勢を張って聞き返したが、劉は応えない。焦る気持ちがして、龍麻は手にしたままのクレープの存在をすっかり忘れ、横にいる劉のことをただ見つめた。
  暫くの間そんな風にして見詰め合っていると、まるで時が止まったような気持ちになる。戦う時はいつも刹那の中だ。劉の殺気立った眼も振り下ろされた刀の鋭い切っ先も、それはまるで夢の中の出来事のようにどこか他人事でもある。
  それが今はこんなにも近くに劉の息遣いを感じていた。
「 劉―」
「 なぁ」
  その時、劉が動いた。
「 りゅ……」
「 しーっ」
  静かにしといて。
  そう言わんとするように劉は目だけで訴えるとすぐに顔を寄せ、そのまま龍麻の唇にそっと優しいキスをした。
「 ……!」
  鼻先を掠める甘い砂糖の匂い。
「 ん…っ」
  龍麻は目を見開いたまま、挑むようにして自分を見つめてくる劉の唇を受け入れた。
「 ……っ、はぁ!」
「 ………んー」
  やがて距離を取り気まずそうに目線を逸らした劉に、龍麻は荒く息を吐いて茫然とした目を向けた。
「 お、お前…っ。今俺にした事、分かってんのか…?」
「 是」(はい)
「 は?」
  眉をひそめたまま龍麻が聞き返すと、劉はそんな龍麻に半分背を向けて心底まずったというように髪の毛をかきむしっていた。
「 おい劉…」
「 對不起」(ごめんなさい)
「 はああ?」
  劉の口から発する意味不明の呟きに龍麻は混乱してただ目を丸くした。
  抗議しようとすると、劉がまた言った。
「 請原諒」(すみません)
「 おいって」
「 真對不起」(本当に申し訳ございません)
「 わっかんねーんだよ!!」
「 ぎゃっ」
  龍麻に思い切り殴られて劉はクレープを手から零しそうになり、慌てて口に食んだ。龍麻のチョコバナナも、殴っていない方の手にあるとはいえ、もう既にぐにゃりと折れ曲がっている。
「 ひっ…ひっほいはぁハニヒ…。危ふく落とすとこ…」
「 お前が俺に分からん言葉で喋るからだ!」
「 ……だって照れくさいんやもん」
  クレープを咥えたまま口元でもごもごとしていた劉は、しかし龍麻が本当に怒っているのを見るとすぐにまともな声でしゅんと項垂れてみせた。
「 何が」
  こういうところはやっぱり年下の弟に見えると思いながら龍麻が依然として怒った態度を崩さずにいると、劉はぽつりと決まり悪そうに呟いた。
「 人様に素直に謝るのって、こう見えて苦手やねん」
「 え……」
「 ごめんな、アニキ」
「 ………」
  劉の言葉に龍麻は何も言えなかった。驚いたままただ開きかけた口をそのままにしていると、劉が細い目を更に細めてにこりと笑った。
「 けどアニキかて悪いんや。女の子たちがどうのこうの、しょーもない事ばっか言うんやもん。わいの気持ちなんかとっくに知ってると思ってた。わいってそんなに分かりにくい男やった?」
「 ………」
  尚も答えない龍麻に、劉は今度はびしりと背筋を正して改まって言う。
「 けど、あんないきなしはやっぱ男らしゅうなかった。うん。それは、謝る!」
「 ………」
  まったくこいつは。
「 ……るな」
  龍麻は未だ感じる劉の唇の感触に溺れそうになりながら、必死に平静を保とうとした。劉が堂々と自分に対してこんな風にを言ってくる事も、自分は何でもない事のようにしてかわさなければならないのだ。
  そうでなければ年上の「アニキ」なのに、何だかみっともなく泣いてしまいそうで。
「 アニキ…? どないしたん…?」
  不安そうに顔を覗きこんでくる劉に、だから龍麻はがばりと顔をあげるともう叫んでいた。
「 謝るな!」
「 アニ―」
「 それ寄越せ!」
「 はいぃっ?」
  驚く劉に構わず、龍麻は自分の分をあっという間に口に詰め込み、劉の分のクレープも奪い取るとばくばくと物凄い勢いでそれを食べた。
「 アニキ……」
  劉はきょとんとしつつも、しかしやがてそんな龍麻を嬉しそうにじっと見つめた。
「 ……っ」 
  龍麻はそんな劉の視線にわざと気づかない風を装って、ただ無心に劉が作ったスペシャルクレープを頬張った。劉の気持ちに気づかなかったんじゃない、自分の気持ちに気づくのが怖かったから目を逸らしていただけなんだとは、意地でも言いたくなかった。だからクレープを食べた。
  口に広がる甘く柔らかい感触も、これはこれで悪くないなと思いながら。



<完>





■後記…年下×年上もいいなあと思うようになったのは、何か明らかに劉ちゃんの影響のような気がします。劉ちゃんって普段はへらへらしているけど、あんな暗い過去背負っているのにいつでも平気そうな顔して、そんでもっていつでも命をなげうつ覚悟で戦ってる。くうっ…切ない。切ないよ劉ちゃん!ちなみに、また分かりもしないくせに中国語使ってますが、反転すると劉ちゃんが言っていた言葉の意味が訳されております。劉ちゃん、「素直に謝るのは照れくさい」と言っているので、何を言っているかは大体予想できると思いますし、別段分からなくても構わないと思うんですが、気になる方は確認してみて下さい。