大嫌い
「 わいなぁ、緋勇のそういうとこが嫌いなんや」
そう言ってきた劉の目は笑っていなかった。
龍麻はそんな劉に何と返して良いのか分からずに、ただ呆然としてしまった。
みんなに優しくていつもニコニコしている奴なのに。
「 どうして…」
自分にだけ、そんな目をするんだ?
訊きたいのに、訊けなくて。龍麻は、そのまま。
目を、覚ました。
随分と寒い風が吹く季節を迎えていたが、今日はことの他暖かい日和だった。
旧校舎に潜る面々も、皆それなりに気を引き締めようとはしているものの、 陽気のせいなのか休日だからか、どことなく明るく楽しげな雰囲気を醸し出していて今一つ緊張感というものは足りないようだった。
「 ひーちゃん、これで今日のメンバーは全員揃ったよ!」
小蒔が明るい声で言った。
今回潜るメンバーは7人。
龍麻、小蒔、雨紋、裏密、織部姉妹、それに劉だった。
大抵一緒に潜る京一や醍醐、 それに美里はそれぞれに用事があるらしく、今日は顔を出していなかった。
「 なーんか、珍しいメンバーっスね!」
誰もが思った事を、雨紋が代表して口にした。
「 だな。 けど、うるせェ奴もいないし、丁度いいんじゃねェのか? 俺はこの間コスモの連中と一緒に潜って、マジキレそうになったぞ」
「 もう姉様ったら」
雪乃が物騒な発言をするのを、いつもの調子で妹の雛乃が止める。
「 あはは。ま、じゃあとにかく行こっか、ひーちゃん? 今回は劉君にとっては初めての旧校舎だし、手始めに浅い所からさ」
小蒔が珍しそうに校舎の中を覗いている劉を見ながら龍麻に言った。
劉は先ごろ龍麻たちの新しい仲間になったばかりで、修練の場であるこの旧校舎に入るのは今日が初めてだったのだ。
龍麻はそんな劉の夢…しかもひどくショックな夢を見たばかりだったので、途惑いながら新しい仲間の背中を見やり、考えるように言った。
「 え、と。 じゃあ、何階から始めようか」
「 龍麻サン、あんま浅い所はよして下さいよ」
「 俺も雨紋に同じ。つまんねー階だったら帰るぞ!」
「 もう姉様! 劉様にしてみれば、初めての場所なのですから…」
「 え?」
自分の話をされているらしいことに気づいた劉がここでようやく振り返り仲間たちを見やった。
「 何や、何の話や? わいは別に何処でもええよ。
皆さんが潜りたいとこ行ってくれてかまへんで? わいのことなら気にせんといてな」
「 おっ、イイ事言うじゃねェか、劉!」
雪乃が嬉しそうに言って、 雨紋も満足そうに笑った。
雛乃は心配そうな顔をしていたが、どちらにしろ、決定権は龍麻にあるようだ。みんなが龍麻の言葉を待っているような感じだった。
「 あ、じゃあ…60階くらいから行こうか」
こうして、全員がその決定に従った。
当たり前だが、中は暗い。
下りれば下りる程、その闇は潜る者に見えざる圧力を与えてくるし、実際敵の強さもそれに比例して増していく。
さすがに慣れてきたとはいえ、日替わりで変わるメンバーのバランスを考えながら激しい戦闘に気を配る龍麻の心労は半端なものではなかった。
おまけに、今朝方の夢。
『 わいなぁ、緋勇のそういうとこが嫌いなんや』
いやにリアルな劉の声だった。
無論、あれは夢である。実際の劉は本当に人当たりが良くて龍麻のことも気に入ってくれて、仲間に入ってくれたはずだった。実際今日のことだって、龍麻の誘いに劉は二つ返事でやってきたのだ。
なのに、何故あんな夢を見たのだろう。
「 おい! 後ろ!」
その時、雪乃が激しく叫ぶ声がして、龍麻ははっとして振り返った。
しまった。
背後からの気配に気づかず、一歩遅れを取った。
「 く…っ!」
完全に避けるのはもう無理だ。
咄嗟に受身の態勢を取った。 相手は力ある異形だから、それ相当のダメージがあるだろう。それを無意識のうちに頭の中で計算する。
が、その時。
「 ガアアアアアー!」
龍麻に攻撃してくるはずの異形が、倒れた。
「 ……っ!?」
はっとし、消滅していく魔性の姿を認めてから、それに攻撃してきた方向を見やる。
劉だった。
「 あ……」
龍麻がいる所からは少し離れていたが、こちらにも注意を向けてくれていたのだろう。一瞬で相手を粉砕する強力な大技。
龍麻が一瞬唖然としていると、遠くから劉はにっこりと笑って見せた。
それに慌てて、龍麻は「ありがとう」と声をかける。
劉はそれに対してまた笑顔だけで返すと、また別の敵に向かって走り出していた。
龍麻はそんな劉の背中を黙って見つめた。
「 う〜ふ〜ふ〜」
「 わっ!」
その時、不意にすぐ背後から不気味な笑い声が聞こえ、その声の持ち主、裏密が龍麻のことをグリグリ眼鏡の奥から楽しそうに見やってきていた。
「 な、何だよ裏密、急に……っ!」
「 気〜にな〜る〜ようね〜」
「 な、何がだ…よ?」
どことなく醍醐のように恐れおののく龍麻を見ながら、
裏密はくるりと背中を見せてから低く笑うと言った。
「 好きは〜嫌い〜嫌いは〜好き〜」
「 ……?」
龍麻が怪訝な顔をしていると、 裏密は怪しげな唄(?)を口ずさみながら、ゆるりゆらりと歩いて行ってしまった。
「 もう…本当に、あいつは訳分からないんだからな」
龍麻は自分の混乱する気持ちを裏密に当てるようにつぶやいてから、再び戦闘に没頭していった。
数時間ほどして7人が地上に戻ってきた時には、もうすっかり辺りも薄暗くなり始めていた。
「 ふう〜、結構潜ったなぁ」
「 うんッ! レベルアップしたって感じだね!」
皆一様に腕を上げたようだったが、特に女性陣はなかなか満足そうな面持ちである。それから山のように手に入れたアイテムをどさりと一つの袋に詰め替えてから、それを当然のように雨紋に渡す。
龍麻があれ?という顔をしていると、雨紋が笑った。
「 あ、俺様、これから如月サンの所に行く用があるもんスから、今日の取得アイテムの整理は任せて下さいッス! 龍麻サンもお疲れでしょうから、どうぞ帰って休んで下さいよ!」
「 え? でもこんなにたくさんあるのに、一人じゃ大変じゃん」
「 ほっといていいって、緋勇! こいつ、今夜は如月ン家で麻雀だってよ。
遊びなんだから、一緒に行ったら飲まされるぞ。村雨も来るらしいから」
雪乃が笑いながら龍麻に手を振って「近寄らない方がいいぞ」と忠告する。
「 あ、そう…?」
龍麻がそれでも煮え切らないようにしている間に、しかし女性陣の方はさっさと武器も仕舞いこみ、これから皆で食事に行くと言ってあっという間にいなくなってしまった。
そして雨紋も、重いアイテムをバイクに積むと、颯爽と走り去ってしまった。
一気にしんとなった校庭でいきなり劉と2人だけの展開にされ、龍麻は少なからず途惑った。別に何ということもないはずだと心では思っているのだが、どうにも落ち着かない。
その時、傍にいた劉が最初に口を開いた。
「 緋勇」
「 えっ、な、な、何?」
何故かどもる龍麻に、劉は別段不思議がるようでもなく実に爽やかに言った。
「 今日は楽しかったで! 誘ってくれてありがとさん」
「 あ、ああ、そんな……」
何だその返答は。もっと何か言うことがあるだろう。
龍麻は自分のその返した言葉に一人突っ込みながらも、
しかしどうもそわそわとして焦る自分をどうすることもできなかった。
「 緋勇の家は学校の近くかいな?」
「 あ、う、うん。電車には乗るけど」
「 さよか。ほな、気をつけて帰りや」
「 あ、うん…。あ、そうだ、劉。今日はありがとな」
「 へ? 何がや?」
「 ほら、あの時助けてくれたじゃん」
「 ああ、そんな事かいな。仲間なんやさかい、助けるのは当たり前や。そやろ?」
「 うん……」
良い奴だ。
劉は自分が思っていた通りで、いつも笑っていて優しくて。
とてもあの夢の劉と同一人物とは思えない。 いや、そもそもあれは龍麻が勝手に見た夢に過ぎないのだ。
「 それより、緋勇。 あんた何か疲れているようやし、ほんまに早帰って寝た方がええで! みんなもそれで気を遣っていなくなったんと違う?」
「 え…?」
そういえば今日のみんなは引きがやけに早かったななどと龍麻は今更ながらに思った。
いつもはご飯を食べに行こうだの、遊びに行こうだの言うはずだ。雨紋にしたって、如月宅で麻雀なら絶対に龍麻を誘うはずなのに一人で行ってしまったし。
今日俺が戦闘中ぼーっとしていたからかな…。
「 ごめん、何か…。心配させちゃったみたいで」
「 ははは、わいは何も心配しとらんわ。礼なら、みんなに言わなあかんで?」
「 うん…明日言う」
「 ああ、違う違う」
劉はそう言ってから髪の毛を乱暴にかきむしってから笑った。
「 言い方がまずかったなぁ。 あのな、感謝の気持ちは別に口で言わなくてもええんや。緋勇がちゃんとみんなに心配かけへんように、余所見せんでいたらええんや」
「 え……」
ぎくりとして龍麻は劉を見た。
確かに、今日の自分の戦闘はひどいものだった。劉に助けてもらった時といい、その後の気の抜けた戦いぶりといい…。
何だか一日中、雑念が入ったままだったような気がする。
みんなそれに気づいていたのか。
「 緋勇」
劉が呼んで、龍麻はまた驚いて顔を上げた。
「 リーダーだから言うて、何もかんも背負うのはあかん」
「 ………!」
劉の目は笑っていなかった。 声はとても優しいものだったし、龍麻のことを想ってくれての発言だという事も身にしみて感じられた。
けれど、龍麻にはキツイ一言だった。
「 あはは、新参者が偉そうな事言ってもうたな。堪忍してや」
「 いや、そんな事…」
「 けど、わい、あんたらと初めて一緒に戦った時に、ちょっとそういう事気になっとったから。緋勇、せっかくええ力持っとるのに、もったいないなあて」
龍麻が何も言えずにいると、劉は声の調子を変えて困ったように声を大きくした。
「 あかん〜! こんな事言うの、柄やないのになぁ! ほんまあんま気にせんといてな!」
気にするよ。
そう思ったが、もう言葉にはできなかった。
そして、「あ、そうか」とも思った。
自分の弱いとこ、もう気づかれていたのか。だから、劉の夢なんか見てしまったんだ。
気づかれたら、嫌われるかもしれないと怯えていたから。
「 劉……」
「 ああ〜緋勇ッ! そんな哀しそうな顔せんといて〜? わい、どうしたらええのか分からなくなってまうわ!」
「 違う、劉……」
龍麻は俯きながらも何とかかぶりを振って、さっと劉を見つめた。
「 もう、お前って凄い奴…」
「 ……? 緋勇…? わ、な、何!? 緋勇、何泣いとんの!?」
「 バカっ!! 泣いてないよ!!」
けれど、気づいたら涙がぽろりとこぼれていて。
龍麻はそれを誤魔化すように目の前の劉を怒鳴りつけた。
「 もう! 俺、泣いてなんかなかったのに! これ、お前のせいだ!」
「 ええ〜? 何や何や〜?」
焦る劉に、 龍麻はますますこぼれる涙に訳が分からなくなり、それを誤魔化すように目の前の相手に怒鳴りつけた。
「 もう、俺、お前なんか大ッ嫌い!」
「 えええ!?」
「 ………」
ショック&驚愕の劉に対し、しかし龍麻の方は照れ隠しでそう言ったら何だか大分すっとしてしまった。
そして段々とおかしくなってきて。
「 ああ、何だか胸のつかえがおりた。帰って寝よっ!」
「 はああ〜? あ、あのなぁ…」
訳の分からんお人やなあ。
そうつぶやいて頭に手をやる劉を、龍麻はえへへと笑って見やった。
「 嘘だよ」
そして、龍麻がそう言った時――。
「 う〜ふ〜ふ〜」
「 わっ、う、裏密!? お前、いたのか!」
突然、背後からぬうっと現れた裏密に、龍麻が驚いたように飛び退った。劉は裏密の存在を知っていたのか知らなかったのか、ともかくも龍麻の言葉がショックだったらしく、未だに固まったままだ。
「 ひーちゃんは〜やっぱり〜かわいいの〜」
「 も、もう、何だよ、お前!」
何もかも見透かしたような裏密に龍麻は焦ったようにそっぽを向いた。
「 言ったでしょ〜好きは〜嫌い〜」
「 もう、分かったよ!」
龍麻は裏密の言葉をかき消して、それからまたちらと劉を見やった。
『 わいなあ、緋勇のそういうとこが……』
「 俺は、すごい好き…」
それから自分の声を聞いていない劉に、龍麻はそっとそうつぶやいた。
|