誰にでも優しいから
学校の校門前で、龍麻は驚いて目の前の人物を見やった。
「 ど、うしたんだ? 珍しいな」
「 …ふん。ちっと顔貸せよ」
「 え? 俺? 桜井じゃなくて?」
「 お前だよ、緋勇! 俺はお前に用があるんだ!」
「 あ、はい……」
すっかり萎縮して、龍麻は素直に言う事をきいた。
龍麻を待ち伏せ(?)していた相手―織部雪乃は、大層不機嫌な顔で訳が分かっていない龍麻の前をずんずんと歩いて行く。
「 なあ、どこ行くわけ?」
「 別にどこでもねえよ! ただ落ち着く所だ!」
雪乃はそう言ったきり、もうだんまりを決め込んでしまった。
連れて来られた場所は、何という事もない駅の近くの喫茶店だった。
何かを頼もうとする龍麻に、雪乃は突然切り出した。
「 お前さ、気づいてたか?」
「 は? 何が? あ、俺ね、クリームソーダ。雪乃は?」
「 うるせえ! 真面目に聞きやがれ!!」
「 ぎえっ…。き、聞いてるよ。だけどさ、ほらお姉さんも待ってるわけじゃん?」
龍麻は半ば助けを求めるように、オーダーを聞きにきているウエイトレスに「ねえ?」などと力なげに笑いかけた。
しかし若いウエイトレスの方は、彼女の尻にしかれているような彼氏を助ける気持ちはないらしい。苦笑したまま首をかしげただけだった。
「 ……ふん。コーヒー」
「 雪乃って絶対ブラック派だろうー?」
「 ………緋勇」
「 ごめんなさいすみません。ちゃんと聞きます。で、何なの?」
雪乃は改まった龍麻に浮いていた怒筋をしまってから、「俺は砂糖をどばどばいれる派だよ」と嘘か誠か分からないことを言ってから、ようやく本題に入った。
「 最近、雛の様子がおかしい」
「 へ? あ、そうなの? 具合でも悪いの?」
「 そうじゃねえ! そういうおかしさじゃねえ!! てめえ、この間一緒に旧校舎潜って分からなかったのか?」
「 何が?」
「 雛と劉の態度だ!!」
「 え、劉?」
いきなり予期せぬ名前が出たことで、龍麻はさすがに面食らった。
「 ……雛のアイツを見る目。どうもおかしい」
「 何それ」
雪乃はすぐに答えない。一瞬、気まずい空気が流れた。
ただ間もなくして頼んでいた物が来ると、龍麻は思い切りそちらに意識が削がれ、雪乃の翳った表情に気づかなかった。
そうして子供のようにソーダに目を輝かせる龍麻をよそに、雪乃はようやく口を開いた。
「 雛の奴。 やたらと気にしやがるんだな、奴のことをよ。
何かな、一回悪鬼に襲われたのを助けてもらったことがあるみたいなんだけど。どうもそれからじゃねえかと俺は思う」
「 えっ、雛乃ちゃんそんな事あったの!? 大丈夫だったのか!?」
さすがにそれには驚いて、龍麻はストローを持つ手を離した。
「 ……ああ。 だからそん時は、たまたまそこを通りかかった劉が助けてくれたんだ。それはまあ、感謝してんだけどよ」
「 何、それで雛乃ちゃんが劉に惚れちゃったとかそういう話?」
「 ま!! まだそれは分からないだろーがっ!!」
雪乃はやたらとムキになってから、 はっとしたようになって、浮かしかけた腰を下ろした。
「 とにかくだな。それから雛の奴、アイツのことやたらと気に掛けてだな。劉の奴も公園でフラフラしてたりするから、あんな所で風邪引かないのかとか、飯は食ってんのかとかだな」
「 へ〜。かわいいなあ、雛乃ちゃん」
「 けど問題はその雛じゃねえ、劉だ!!」
「 え? どういう事?」
今いち雪乃の言いたい事が分からずに、龍麻はソーダの上にのっかっているアイスクリームを食べながら何ともなしに聞いた。
雪乃はコーヒーには一切手をつけずに先を続ける。
「 ……この間、旧校舎潜った時、ほら、アイドル来てただろ…」
「 ああ、さやかちゃんのこと? そうそう、初めてだったよな、みんなと会うの。
あの子忙しいから潜らないもん。 あん時も別にいいって言ったんだけど、来たいからって無理してさ」
「 ンな事は聞いてねえんだよ! 俺の話を聞け!!」
「 はい……」
「 あの野郎、雛を無視してあのアイドルとばっか一緒だったじゃねえか…?」
「 はあ?」
雪乃のイラつき具合がどうも龍麻にまで伝染しない。それでもその言葉で、龍麻はようやく雪乃の言いたい事が分かった。
「 雛の奴、ずーっとそれ見てんだよ。それがよ、何かすっげー辛そうでさ…。俺はあいつの姉貴として、そういうのを見逃せねーってんだ! 分かるか、緋勇!?」
「 まあ分かるけど」
「 ったく、蓬莱寺じゃあるまいし、どいつにもこいつにも愛想ふりまきやがって、一体あいつは雛のことどう思ってんだ!? それともあのアイドルの方が好きだってのか!?」
「 し、知らないよ、そんな事…」
「 お前、あいつの兄貴だろーがッ」
「 んな事言ったって…。だ、大体雛乃ちゃんの気持ちだって分からないのに」
「 ……そりゃま、そうなんだけどよ」
雪乃のトーンが下がったことで、ようやく龍麻は言葉を紡げた。
「 そうだろ? 大体さ、雛乃ちゃんだってあんま劉のこと言えたもんじゃないよ。あの子だって誰にでも優しいし、他人のことすっごく気にかけるタイプだもん。だから劉のことだって――」
「 てめえ! 雛が誰彼構わず尻尾振る八方美人だとでも言いたいのか!?」
「 い、言ってないじゃん…。大体、八方美人って俺好きだけど」
「 俺は嫌いだ!!」
「 あ、あのなあ、どうでもいいけど叫ぶなっての。みんな見るじゃないかよ…」
「 そんな事どうでもいいだろうがッ! 男のくせに小さい事気にしてんじゃねえよ!!」
……そうして何だかとことんかみ合わない会話が不毛に続いた後。
雪乃は店を出て別れる間際に、龍麻にこう言い渡した。
「 ……とにかく。 今度の日曜日にまたあのメンバーで潜るぞ! その時にお前も劉のことよく観察してろよ! んで、あいつに真意を聞け、いいな!!」
「 はーい…」
「 ……おい、緋勇」
「 わ、分かりました!!」
龍麻はどうにも雪乃には頭が上がらない。美里や小蒔といった、普段近くにいる女性たちが龍麻を甘やかしてきた結果だろうか。
とにかくひたすら下手に出て、龍麻は雪乃を見送った後、ようやく口を尖らせた。
「 もう、何だって俺がそんな事しなきゃならないんだよ…」
面倒臭いことになった。
「 雪乃はまるで雛乃のお父さんだ」
一人そんな事をつぶやいてみて、 その想像は何となく楽しかったのだが、しかし龍麻は重い気持ちのまま、はあとため息をついたのだった。
そうして、次の日曜日。
先週のメンバーに召集をかけた龍麻は、「先週潜れなかったから今週潜りたい」と言った仲間を何とかなだめすかして、既に大分疲れていた。
大体、舞園を呼ぶのは気が引けた。何しろアイドルである。早々鬼だの蛇だのがいる物騒な所には連れていけない。
ところが、舞園の方は一も二もなくその誘いに乗ったのだった。
「 お声をかけて頂けて、すごく嬉しいです!!」
いつもの爽やかな笑顔と共に舞園はそう言ったものだった。
かわいい。思わずえへへと緩んだ笑顔で返すと、その背後で雪乃のじとーとした視線が突き刺さってきた。
( うげっ…。に、睨んでいる…っ!!)
龍麻は慌ててきりりとした表情を無理矢理作って舞園から視線を逸らした。
ところで、そんな今回の旧校舎メンバーは。
龍麻に織部姉妹、舞園に霧島。真神メンバーに……。
劉、である。
「 さやかちゃん! 仕事大丈夫なのかよ? 先週も無理して来たみたいなのによ」
何も知らない京一は、しかしこのメンバーがいたく気に入った模様だ。…といっても、単に憧れのアイドル舞園さやかがいるから、なのだが。
龍麻はちらちらと劉と雛乃に視線を送ってみた。
別段何ということもない。 互いに別の所に立っていて、目を合わせるといったこともないし、やはり雪乃の過剰反応なのではないかと龍麻は思う。
その時、京一らと話をしていた舞園が、急に視線を劉の方へとやった。
ぎくっとしてそれを見ていた龍麻をよそに、舞園は何を思ったのか霧島や京一の元を離れ、一人で劉のいる所へ向かって声をかけた。
( わわっ…何だ何だ…?)
アイドルといっても舞園は控えめな、どちらかというとおとなし系の女の子という印象がある。それが何を思って劉に話しかけているのだろうか。しかしそれは京一や霧島にしてもそうらしく、更に雪乃や雛乃まで耳をそばだてているように、龍麻には感じられてしまった。
そんな人々の思惑をよそに、舞園はぺこりと頭を下げて言った。
「 劉さん、この間はありがとうございました!」
この間――?
恐らく、耳をそばだてていた者全員がそう思ったであろう。
まさか2人きりで会ったとかはないと思うが、しかしそんな疑問を解消するべく、真っ先に質問したのは京一だった。
「 おいおい、劉! お前、さやかちゃんに何したんだ?」
( 何したって事はないだろう、礼言ってんだから…)
頭がヘンな方向にしかいかない相棒にため息をつきながら、龍麻はしかし一方で「ナイス、京一!」と思いながら更に劉の反応を待った。
しかし劉はすっとぼけているのか、きょとんとしていた。
「 は? えーと、何やったのかな?」
「 何ィ? てめえ、さやかちゃんに何したか覚えてないのか?」
「 んー。何やったやろ。別に礼言われることは何も」
劉が首をかしげながらそう言うと、舞園はいつもの爽やか笑顔のまますぐに言った。
「 いいえ! 劉さんはこの間の旧校舎の帰りに、私が怪我をしていたの気づいて、応急手当をしてくださったんです!」
「 えっ!? さやかちゃん、君、怪我なんかしていたの!?」
それは聞き捨てならないとばかりに、今度は霧島がやってきて言った。
「 大した事はないの。ほんのかすり傷。でも、霧島君はそうやって心配すると思ったから…」
「 さやかちゃん! 怪我したなら言ってくれなきゃ…! あ、で、でも劉さん、本当にありがとうございます!!」
「 あ? ああ、いやいや別にかまへんよ。そん時わいがたまたま一番近くにおったんとちゃう? そんな事いちいち感謝されてたら、何やくすぐったいわ」
「 そんな! 私、とっても嬉しかったです!!」
「 おい、劉! お前、さやかちゃんのどこを手当てしたんだ?」
「 はあ?」
「 くそう、羨ましいぜッ!! お前、さやかちゃんの怪我の手当てと称して、さやかちゃんに触れたわけだもんなー!!」
( あほ京一…)
心の中で龍麻が思っていると、どうやら同じことを考えていたような小蒔の一撃が京一の脳天に決まっていた。
まったく、潜る前から大騒ぎである。
しかし龍麻はその時はっとして舞園を見やった。
うーん、確かに彼女の視線は。
劉を、見ているな。
( しかも熱い視線と見えなくもないかも?)
そして同時にはっとして雛乃の方を見た龍麻は、またしてもどきんとしてしまった。
雛乃もまた。
劉を、見ているようなのだ。
ついでに雪乃も。
当の劉は相変わらずのほほんとしていて、何も感じていないようなのだが。
( これは本当に劉はモテモテなのかもしれない……)
龍麻がそんなことを思いながらぼうっとしていると、またしても背後から雪乃の痛い視線がやってきた。それで龍麻は慌てて、「そろそろ潜るか」と号令をかけた。
みんなの配置にはとことん気を遣った。
とりあえず舞園と劉は離してみて、様子を伺うことにした。
まったく修行に来ているというのに、恋愛シュミレーションをやっているかのようだった。龍麻は半ばそんな自分に呆れながら、雛乃の傍で戦う劉の姿を見やった。
確かに。
ああやって戦う劉は格好いいかもしれないと思う。
元々あの細い切れ長の目が戦いになるとより一層鋭くなってとても男らしい顔つきになる。
劉は年下ではあるが、戦闘時の判断力といい、俊敏さといい、それはとても優れていて、頼りになって。そんな劉を大人っぽく感じることも多々あるのだ。
劉は龍麻のことを「アニキ」などと言って慕っているが、龍麻の方が甘えている部分も大いにある。
もし劉が雪乃の言う通り、雛乃や、もしかすると天下のアイドル舞園に惚れられていたとしても、
よくよく考えればそれは何も不思議なことではないのだろうと龍麻は思った。
「 そうだよ。別に困ることでも何でもないし」
思わずそう口に出してしまい、龍麻は慌てて誰かが聞いていなかっただろうかときょろきょろと辺りを見回した。幸い、周囲には非常にヨワッチイ敵しかいない(龍麻にとっては、というだけだが)。
龍麻は、はあと息をついてから、改めて劉を見やった。
劉にも彼女ができるんだあ。
何となくそんな事を考えて。そして龍麻は再びため息をついた。
「 ………っ!!」
そして、どうしてこんな憂鬱な気分にならなければならないんだと思った。
龍麻は慌ててかぶりを振った。
良いことなんだから素直に喜ばなきゃ。
雛乃は良い子だし、舞園だって可愛いじゃないか。実際2人の心根も劉の気持ちも知りはしないが、龍麻は何故か自分の中で勝手にそう結論をつけて、まあ結ばれる方と幸せになれればいいなと思った。
思って、また龍麻はため息をつくのだった。
そうしてそんな恋愛交じり(?)の旧校舎・修行の旅が終わって。
「 おいひーちゃん、ラーメン食って帰ろうぜ!」
京一がいつものように笑って声をかけてくる。
「 諸羽とさやかちゃんも行くってよ! おい、みんなも行くかー?」
京一がそうして織部姉妹や劉にも声をかけていく。
「 ラーメン…」
食べたくなかった。
いや、実際空腹には違いないはずなのだ。
それでも、みんなでラーメンを食べに行く気はしなかった。
それでも当然のようにみんなで行くことになっていて、ぞろぞろと歩き始める集団の背中を龍麻は半ば諦めたように眺めた。
「 アニキ、どないしたん?」
その時、不意に声がしたと思うと、驚く龍麻の後ろにはいつものにこにこした劉の顔があった。
「 りゅ、劉……」
「 みんな行ってまうで? アニキ、早行こ?」
「 あ……」
俺はいいよ。その一言が何故か言えなかった。馬鹿みたいじゃないか。みんな行くと言っているのに、何だかダダをこねている子供みたいで。
それでも、劉はそんな龍麻の意図を読み取ったようだった。
「 アニキ…。もしかして気が乗らんの?」
「 あ、う、うん……」
多分嘘をついてもバレるだろうと、龍麻は正直に頷いた。
「 ごめんな、何かそういう気分じゃなくてさ。京一に謝っといてくれるか」
「 ………ほな、わいも行かん」
「 え?」
劉のその言葉に龍麻は驚いて聞き返した。劉は相変わらずの笑顔で言った。
「 だってアニキ行かんのに、行ってもおもろないもん。わいも行かんわ」
「 え、だって……」
「 後で謝ったらええわ。もうみんないないしな。わざわざ断りに行くのも面倒やんか?」
「 でも、何で劉……」
雛乃だって舞園だって行ったのだから、劉も行けばいいのだ。
もしかしたら彼女たちだって待っているかもしれないし。
「 何でて。言ったやろ? アニキ行かんのに、行ってもしょうがないわ」
「 …………」
「 それにしても、今日のアニキはどないしたん?」
「 え…何が……?」
「 元気なかったもん。 今日潜ってる間、ずっと変やったやんか。わい、ずーっと気になっとったんや」
「 え」
見ていたのろうか?ずっと?自分のことを?
龍麻が途惑っていると、劉は心配そうな顔を向けた。
「 何や悩みあるならわいに話してな。アニキはすぐ一人で抱え込むタイプやから、ほんま放っておけんわ」
「 そ、そんなの平気だよ! お前、俺なんかより―」
「 ん?」
劉が覗きこむようにこちらを見てくるのを、龍麻は何故か焦ったように視線を逸らしながら言った。
「 俺なんかより、もっと他の子に目向けろって言ってんの。お前のこと…好きな子だっているかもしれないだろ」
「 何やそれ?」
「 だ、だから、兄貴の心配より…俺らの仲間には可愛くていい子がたくさんいるんだから…」
「 はあ」
気の抜けたような声で劉は言ってから、何やら困ったように髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。
「 何やアニキの言いたい事よう分からんのやけど…。わいが一番心配で 一番護らなならんのはアニキなんやさかい、そんな事言われても困ってしまうわ」
「 だって…お前…」
「 何や」
「 好きな子……いないの?」
龍麻は何故か赤面し、俯いたままようやく聞くことができた。
返事がない。
困っているのだろうか。 いきなりそんな事を聞かれて。
しかし龍麻が思い切って顔をあげると、そこにはひどく真面目な顔をした劉の顔があった。
思わずどきりとした。
「 好きな子…いるのか?」
もう一度聞いた。
すると劉は言った。
「 おるよ」
割とあっさりとした答だった。
「 あ……そう」
自分から聞いておいて「あ、そう」も何もあったものではなかったが、そう言っていた。龍麻はそれから、劉と再び視線を逸らし、一生懸命声を出した。
「 なら、さ。やっぱりラーメン屋、行けよ。俺は平気だから」
「 ……そういう事か」
「 え……何が?」
急に低い声で劉がそう言った言葉に反応して、龍麻がもう一度顔を上げると。
そこにはじっとこちらを見やっている、苦笑した劉の顔があった。
「 言ったやろ。わいの一番はアニキやって。他の人も、そら大切で仲間やけど。ああ、わいなあ。自分のこの性格、ちょお考え直そうかと思うわ。こんな風に勘違いされるのやったら」
「 ……? 何の話?」
しかしその龍麻の問いには劉は直接答えずに、また少しだけ笑ってから龍麻に言った。
「 アニキ。今夜はわいとずっと一緒にいてくれる?」
その時にその理由を話すから。
劉は瞳だけで暗にそう言い、それからまた困ったような笑顔を見せた。
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