光、 遠くにありて
あの時、すべてを失った。
だから、また何かを手にするなんて考えた事もなかった。
「 ああ、何やアニキ。 ここにおったん?」
「 ……ああ、劉か」
いつもの旧校舎での鍛錬の後みんなでラーメンを食べに行こうとなった時、
そこに龍麻の姿はなかった。 仲間になったばかりの劉が不審の声をあげると、龍麻の一番の親友である京一はあっさりと言った。
「 ひーちゃんは今ダイエット中だからな。行かねェんだ。気にすんな」
「 へ…?」
劉はその京一の言葉に一瞬呆気に取られたのだが、他の仲間は誰もその言葉に対して動じていない。
どうやら皆はその事を知っているようだった。
「 あんなに戦ったんやから腹減ってんのと違う? なのに一人寂しくこんな校舎裏で寝っ転がってるやなんて」
「 何処で寝ようが俺の勝手だろ」
劉が見つけた時、龍麻は京一の特等席である大木の上で両腕を頭の後ろに回して目をつむっていた。
「 そらまあ、そうやけどな……」
「 何だよ」
劉の腑に落ちない声に龍麻はようやく迷惑そうな顔をしつつも、瞳を開いた。
そして眼下に立ち尽くす劉を見やって素っ気なく言った。
「 …で? 何で劉まで行くのやめちゃったわけ?」
「 アニキ、どうかしたんか?」
「 ………どうって?」
劉の心配そうな声に龍麻はますます嫌そうな顔をした。
それから気だるそうに身体を起こすと、龍麻は軽い身のこなしで地面へと飛び降り、そのままその場に座りこんだ。そしてだらしなく両足を投げ出したまま、身体は大木に預けて目の前の劉を見上げた。
「 お前、 京一から聞いてないの?」
「 アニキ、ほんまにダイエットなんか?」
「 聞いてるじゃん」
「 ………」
「 ………何、心配してんだよ」
黙りこむ相手に龍麻は軽く笑い飛ばしてから、劉に隣に来て座るよう隣を片手でばんばんと叩いた。劉が素直に言う事をきくと、そのままがくんとそんな相手の肩に寄りかかる。
「 ダイエットもダイエット。お前、俺見て分からないわけ? もう最近ぶよぶよだろーがよ、俺の身体」
「 …アニキの発言は全国何千万かのダイエットしてるネェチャンらを敵に回すで」
「 何で」
「 何でやないわ。アニキのどこがぶよやねん! どっからどう見てもナイスバディ、ミラクルスタイルやん!」
「 ……やめろー、その言い方」
龍麻は苦笑してから劉に預けていた頭を起こした。 そうして隣にいる劉の額を軽くつついてから、ふいと横を向く。
「 ……俺はね、すっごいがっつき屋なの。 いつもいつも。だから、時々こうやってガス抜きしなきゃ保たないんだよ。
お前もそう言うこと覚えていけよ。 ……俺の戦力ならな」
「 ……アニキ偉そう」
「 おう、俺は偉いよ。 何と言っても黄龍の器様だからな」
「 何やそれ」
劉がやや眉をひそめると、龍麻はそんな相手により一層怪訝な顔で見つめ返した。
「 何って、知っているだろうが。 黄龍の器様。
様つけたのはな、俺が偉いから。小蒔なんかがさ、よく言うんだ。
だから俺も自分で使ってんの」
「 ………」
「 救世主なんだってさ。 俺は。 選ばれた勇者ってわけだな」
「 ふーん」
「 選ばれた勇者か。なあ、劉。 勇者は最後は絶対勝つんだよな、確か? 俺って絶対無敵な存在なんだよな?」
「 ……そうやろな」
「 何だよ、その気の無い返事は」
「 え? ……ああ、別に何でもないで」
劉は不機嫌そうな龍麻に誤魔化すような笑いを見せたが、その瞬間、何だか柄にもなく胸の中がむかむかとしてしまった。
龍麻が自分から一線を引いて、身をかわしている。
そんな感じがしたから。
けれど劉は同時に、そう言った龍麻に対しいたたまれない程の哀しみも感じていた。
仲間から本当の自分を隠そうとして、 虚勢を張って、 絶対無敵を名乗る勇者。
きっと、だからだ。 こんなに腹が立ってしまうのは。
そう結論をつけた瞬間、 劉は思わず立ち上がっていた。
「 な…っ? どうした、劉?」
いきなりの行動だったため、さすがに龍麻も驚いたように氣を揺らしたようだったが、何故だか顔を見ることができなかった。
「 ……アニキ、わいもう帰るわ」
「 ………え」
「 アニキも暗なるうちに帰りや。またいつ敵に襲われるかも分からんし。……黄龍様に何かあったら、それこそ一大事やで」
「 ………俺がやられるわけないだろ」
「 ははっ、そやったな! …絶対無敵、やもんな」
劉は軽く笑ってから龍麻に背を向けたまま、けれどやはり霞がかかった気分を払うことができなかった。
自分への怒りを龍麻にぶつけようとしているだけだ。 分かってはいたが、それでも劉は言葉を出してしまっていた。
「 なあ、アニキ」
「 …何だよ」
「 ……ガス抜きなんかしたって意味ないで」
「 ………」
緋勇龍麻という男に初めて出会った時。
その強さと自信に心惹かれた。
「 欲しいて気持ちは、絶対に取れんもんなんと違うか。欲張るのの何が悪いんや? ……みんなに甘えるのの、何が悪いん」
「 ……誰がそんな事言った」
龍麻が低い声で言った。 ああ、あの時の声に似ていると劉は思った。
自らの運命を真っ直ぐに受け入れた時の、あの不敵な声に。
それなのに、この人はこんなに弱い。
この人は畏れている。 大切な人たちを護りたいのに、逆にその者たちに護られている自分に憤っている。不安を抱いている。護られることによって仲間を失うことを畏れているのだ。
そんなこの人の傍にいたいと劉は思った。
「 おい、劉」
その時、龍麻が呼んだ。 劉は背を向けたままだった。
「 …何や?」
「 ………帰るな」
「 ………」
「 ここにいろよ。………行くなよ」
「 居ってもええんか」
「 一人に…なりたくない」
龍麻が言った。
消え入りそうな声だった。 振り返ると、そこには迷子のような目をした「選ばれた人間」が小さく小さく存在していて。
劉のことを見つめていた。
「 アニキ」
「 ああ、バカ、お前のせいで……」
劉が近づいてその肩を抱いた途端、龍麻はそのまま劉の胸に顔を押し付けて震えていた。
「 ……今日のこと誰かに言ったら……ぶっ殺す」
龍麻が嗚咽をもらしながらそう嘯いた。劉はそんな龍麻のことを優しく抱いた。
ああ、もう誰も求めないと思っていたのに。
「 聞いているのかよ、劉…っ」
龍麻は顔も上げずにそう言った。 まるで駄々をこねているようなその声に、劉は自然に笑んでいた。
答える代わりにより強く抱きしめてやると。
龍麻は、そのままおとなしくなった。
あの時、すべてを失ったけれど。 光はまだ遥か遠くだけれど。
けれど今、君とまた始めたい。
そう、思った。
|