ほんの少しの間だけ
いじめられて泣いてしまった子供のような顔をしているよ。
最初に校門の所で自分を待っている劉を見た時、正直龍麻はそんなことをふっと思った。けれどまさかそんな思いを劉に告げるわけにもいかないと、龍麻は目の前の「弟」の顔を、まずはただ凝視した。
「 アニキ、お疲れさん」
すると龍麻の感想とは裏腹に、目の前に立つ劉弦月は、声だけはいつもの明るい調子で、今まで自分が待っていた「兄貴」の顔を見ると、にっこりと笑ってそう言った。
「 へへ、アニキのこと、待ってもうた。恋人待っているような気分やったわ」
「 どうしたんだよ? 何かあったのか?」
「 …えっ?」
自分は冗談を言いながら龍麻に接したのに、当の龍麻がそれに乗ってこないので、劉は戸惑ったような声で聞き返した。それで龍麻も焦ってしまう。まさか「劉が泣きそうな顔をしているから」心配してすぐに理由を聞いたのだとは言えない。
「 あっ…いや、お前が俺を待っているのなんて、珍しいからさ」
「 ああ…」
けれど龍麻が言葉を濁らせると、劉は別段いぶかりもせずにただ頷いた。
「 別に何があるってわけでもないんやけど。何や、急にアニキの顔見とうなって」
「 ………」
「 …迷惑やった?」
「 馬鹿、そんなことないよ。じゃ、ラーメンでも食べに行くか? 後から京一たちも来ると思うし」
「 ………」
劉は一瞬意表をつかれた顔を見せたが、すぐにいつもの表情になると、龍麻から多少視線をずらしてぽつと言った。
「 わい…やっぱ帰るわ…。ごめんな、アニキ」
「 えっ!? お、おい、劉!」
驚いた龍麻に構う風もなく、劉はまるで逃げるように踵を返し、去って行こうとした。
何が何やら分からないまま、けれど龍麻はとにかくこのままにはしておけなくて、そんな劉を追い、出し抜けその腕をつかんだ。
「 ちょ、ちょっと待てって、劉!」
「 ………」
ああ、やっぱり今日のコイツはおかしい。
振り向きざま見せた劉の頑なな顔、何かを必死に隠そうとしている顔を見て、龍麻は瞬間、自分の胸がひどく痛むのを感じた。
まるで昔の自分を見ているようだったから。
「 ……なあ、そんな風に帰られたら気になるだろ」
「 ごめんな、アニキ…」
「 何で謝るんだよ! いいからさ、どっかで話そうぜ? 京一たちに会いたくないんなら別のとこでもいいしさ」
「 違うんや…そんなことない…京一はんたちのこと、嫌がっているわけやない」
「 そんな事分かってるって。いいから行くぞ!」
龍麻はもう劉には言わせずに、今度は自分が劉を引きずって歩き始めた。
別段、どこへ連れて行こうという考えもなかったから、とりあえず龍麻は近くの公園へ劉と入った。
ひどく小規模なそこは、ブランコに滑り台、お粗末な砂場とニ、三の古びたベンチがあるだけだったが、小さな子供たちがその場所を所狭しと駈けずり回っていて、話をするにはひどく騒々しい場所だった。
「 はは…何で俺、こんな所に入っちまったんだろな…。すっごい浮いてない? 俺たち」
「 ………」
おどけたように言ったのに、劉は微かに笑っただけで、龍麻が期待するような反応を見せてはくれなかった。
いつも明るくて陽気な劉のはずなのに、一体どうしたことだろう。
「 ……な、劉――」
「 アニキ」
言いかけたところに、劉が声を出した。顔をあげてはくれないが、ようやく意を決したようなその顔に龍麻は押し黙る。
「 ……わい、わいな。今だけ…今だけ、アニキに甘えてもええか?」
「 ん…?」
「 こんな大事な時に…奴と闘おうって時期に、何ひ弱なこと言うてんのやろって思うかもしれんけど…けど、わいな、その前にどうしてもアニキに聞いてほしいって思ったんや」
「 …いいよ、何でも言えよ」
龍麻は劉が何を言おうが、とにかく自分を頼ってくれたその気持ちが嬉しくて、すぐにそう返答した。
いつもリーダーだ黄龍様だと皆から一目置かれていても。
自分の力の強さを自覚していても。
龍麻は正直、人から依存されることが好きではなかった。
自分が人に依存するのが嫌いだから、同じように他人に頼られるのがうっとおしいと思っていたのだ。
けれど、この劉には。自分と同じ劉にだけは、たまには弱さを見せてほしいと思っていた。
自分が弱さを見せない分だけ。
「 わい…怖いんや…」
「 ………」
「 こんな気持ちは初めてや。いつも何が起きても、何とか乗り越えられた。だから、全部何とかなるもんなんやろうって思った。自分の運命が決められたもんなら、何が起ころうと別段驚くこともないし、わいはそん中でも自分がやりたいことやって、それで死ねたらそれでええって…思ってたんや」
「 俺も…そう思うよ」
「 ………」
劉がようやく顔をあげたので、龍麻は少しだけ笑ってみせた。
「 俺が陽の器だってことも、弦麻って人の子供だってことも、全部決められていたことだけど。この新宿に来たことも全部決められていたことだけど。けど、そん中で俺は俺のやりたいようにやれているし、それでいいって思っているよ。戦うことがまったく怖くないって言えば嘘になるけど…物事なんて、なるようにしかならないだろ」
「 けど…それだけじゃ」
龍麻の言葉を、劉は眉間に皺を寄せて遮った。
「 わいはそれだけじゃ、もう嫌なんや…」
「 ………?」
「 わいも、そう思ってた。今までそう思って、これまでの自分の運命も、何もかんも飲み込んで、乗り越えて、わいはそれでええって思ってた。だからこそアニキにも会えたんやしな。けど、わいは…自分が死ぬことには耐えられても…」
劉は一旦言葉を止めてから、ひどくつらそうに後を続けた。
「 アニキが死ぬことには…耐えられないんや」
「 え…?」
「 ごめんな、縁起でもないこと言うて…」
「 ま、まったくだよ…」
怒って非難しようかとも思ったが、また劉が泣き出しそうになったので、龍麻はそれ以上言うのをやめて黙りこくった。
「 わいはアニキのことを絶対護る。どんな事あっても、アニキを死なせるなんて事はさせんつもりや…。けど…けど、自分の力のなさを実感すると無性に不安になるんや。無性に…怖くなるんや」
「 馬鹿…お前は、弱くなんかないよ」
龍麻が慰めるようにそう言うと、劉はきっとなって龍麻のことを見やった。
「 アニキ、わい、わいな…」
「 ん…」
けれど、聞こうとした瞬間、龍麻は自らの体の動きを止めた。
無意識に止まってしまったのだ。
劉がすっと龍麻の身体を自分の元へと引き寄せ。
唇を重ねてきたから。
「 ………っ!」
「 ………」
触れる程度の口付けだったけれど、思わず身体がびくりと反応を返してしまった。
龍麻が劉の肩をぐっとつかむと、瞬間、劉は逃げるように自らの唇を離した。
「 劉、お前…」
劉は龍麻のことをじっと見つめ、言った。
「 好きや…アニキのこと…」
「 え…?」
「 好きなんや…。自分のことなんかどうでもよくなるくらい…アニキのことばっかり考えてまう…わい、どうにかなってしまいそうなんや…」
すっと視線を逸らし、こちらを見ない劉。けれど、龍麻の方は目を離せなかった。
「 前は、わい、自分のことばっかりやった。自分のことしか考えてへんかった。人助けや何ややったって、そんなん全部自分の力上げるためや。腕磨くためや。誰かのために本気で何かをやるなんて…そんなん、したことなかった」
俺だってないよ。
そんな言葉が頭をよぎったけれど、やはり声は出なかった。
「 けど、今はアニキのためだけにこの力を使いたい…。アニキが好きやから。誰より、何より、大切なんや」
「 ………」
「 …奴との闘いの前に、わい、これだけは言いとうて…」
それだけつぶやくように言うと、劉はいきなり立ち上がり、今度ははっきりと龍麻のことを見据えてきた。
上から見下ろしてくるその眼光は、さっきまであんなに頼りなげだったというのに、今はもう迷いのない鋭い眼をしていた。
いつもの、不敵な劉の眼だった。
「 ああ〜! すっきりしたわっ!」
そして、劉は突然周りの子供たちがびっくりするくらいの声でそう叫ぶと、ようやく「ははっ」と小さく笑った。
「 アニキ。これでわいの甘えんぼうタイム、終わりや」
「 ………!」
絶句している龍麻に、劉は涼し気な顔をしたまま、遠くに視線をやった。
「 もうこんなカッコ悪いとこ、二度と見せんよって。アニキ、今度はアニキがわいを頼ってな!」
「 ………」
「 アニキのことはわいが護る! 絶対、護るからな! そのためにも、わいはもっと強うなる!」
「 劉……」
何なんだ、コイツは。
まったく、好き勝手なことを言う。勝手に泣きそうになって勝手に不安になって、勝手に人にキスして。
もう大丈夫って?
「 お前な…」
「 あ、アニキ! ラーメン食い行こか! 京一はんたち、アニキのこと待ってるのと違うか?」
「 ちょっとお前…」
「 はよ、行かな! アニキを独り占めしとることがバレたら、大変や! な、アニキ!」
「 ったく、劉! お前!」
こっちの話も聞かずに…そう言おうとして、龍麻は口をつぐんだ。
劉の一瞬、こちらに向けた目が。
こう、言っていたから。
返事は、この戦いが終わった後に…。
「 さ、アニキ、行くで!」
元気に言い自分の腕を取った劉に、龍麻はため息を一つついた。
そして、もう何も言わないよとばかりに笑ってから、素直に劉の誘いに従った。
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