女の子の恋
劉のことが気になるようになったのは、一体いつの頃からだったろうか。
「 ああ、嫌だ」
気がつくと、目で追ってしまっている自分がいたのだ。
始めはただ単に気が合って、話しやすくて、甘えやすくて。年下の劉に甘えるというのもおかしな話だったが、どうにもやめることができずに、ついつい駄々をこねたり、我がままを言ったりしてしまっていた。
そんな時でも劉はいつも笑ってそれを許容してくれて。
気がついたら、「好きだなあ」と思うようになっていたのだ。
「 ああ、嫌だ」
けれど、龍麻はそんな自分を嫌だと思う。
それで思わず1人きりの部屋の中、胸の中の靄を払うように、龍麻はその気持ちを吐き出してしまった。それから、大きくため息をもらす。
最近は劉と目が合っただけで嬉しくなってしまう自分がいた。好きな相手だからどうしても一緒にいると見つめてしまう。そうすると、当然だがその視線を感じた相手の方は龍麻のそれに気がついて顔を向けてくれる。
そして、その後は。
劉は龍麻に、にっこりと笑いかけてくるのだ。
それはとても優しい目で。
「 ううう」
けれど龍麻はそんな劉の笑顔に、喜びとは逆の感情を抱いてしまう事もある。
「 くそ、むかつく」
何だか癪に障ってしまうのだ。イライラしてしまうのだ。何故なら、劉のあの笑顔は。
「 あの八方美人め……」
みんなにやるのと同じ、平等の笑みだから。
「 劉は誰にでも優しいんだ。誰にでもああいう態度なんだ」
だから劉が自分だけでなく、他の仲間たちからも頼りにされていることを、龍麻は知っている。みんな劉のことを、おふざけな奴、あやしげな関西系中国人などなどと暴言を吐いていても、どこかでそんな劉に寄りかかっているところがある。
龍麻にはそれが面白くなかった。
最近では、特にだ。
「 やだやだ……」
そんな風に考えてしまう自分も嫌だし、みんなに優しい劉もやっぱり嫌だと思ってしまう。
龍麻は悶々とそんな事を考えて、また大きくため息をついてしまうのだった。
「 ひーちゃん、どうかしたか」
「 何が」
翌日、放課後の教室で、真っ先に龍麻に声をかけてきたのは、やはり京一であった。のろのろと帰り支度を整えている龍麻をじっと見やりながら、京一は眉をひそめて言った。
「 何がじゃねェよ。今日ひーちゃん、自分が何回ため息ついたか、知ってるか?」
「 ため息?」
「 そうだよ。はーはーはーはー、今日だけでひーちゃんの幸せ度はかなり下がったな」
「 むっ! な、何だよそれ!」
「 知らないのか、ひーちゃん? ため息つくと幸せは逃げていっちまうものなんだぜ。だから、そういうもんはたとえ憂鬱な時でもついちゃいけねェんだよ」
「 ……何か京一らしくない台詞」
「 あん、そうか? とにかくだな」
京一は言いながら、やはり覇気のない親友を覗きこむようにして、改めて言葉を出した。
「 何か悩みがあるんだったら、この相棒の京一様に話してみろって! 1人で悩みこんじまうのは良くないぜ?」
「 ……別に悩みなんか」
いくら親友でも、言えることと言えないことがあると龍麻は思う。
ましてや、こんな一時の気の迷いで。
そうなのだ。きっと一時の気の迷いなのだと龍麻は思う。
劉は確かにいい奴で、優しくて、芯が強くて、一緒にいると心強いけれど、そんな事を言うならば、たとえばこの目の前の京一だってそうではないか。それなのに、劉にだけこういう気持ちを抱くのは、やはり何かの気の迷いなのだろう。そう思う。
「 だから多分時が解決してくれるはずなんだ」
「 あん? 何だそりゃ」
「 いいんだよ。 何でもないの。 ところで、俺の心配してくれんだったら、ラーメンでもおごってよ。そしたら俺、ため息つくのやめるから」
「 はあ? …まあ、 いいけどよ。 そんな安上がりな悩みなのか、ひーちゃんの悩みは?」
「 分かんない」
龍麻は曖昧に答えてから、のそりと席を立った。
しかしその後不意に視線を窓の外へとやって、龍麻は目を見開いた。
「 な…っ!」
「 ん? どうした?」
京一が不審の声をあげ、龍麻がやった視線の方へと自分も目をやる。
それから、自身でも驚いたような声を上げた。
「 何だ? 劉じゃねェか。どしたんだ、アイツ?」
「 きょ、京一が呼んだのか…?」
「 いんや。ひーちゃんが旧校舎への召集でもかけたんじゃねェ?」
「 か、かけてない……」
龍麻は軽い足取りで校舎の方へ歩いてくる劉を、恐る恐るといった目で見やった。
何で来るんだ。まだ自分の中の「気の迷い」は収まっていないというのに。
そんな思いが脳裏をよぎる。
「 ああ劉、来たのか」
すると、龍麻たちのすぐ背後からそんな声が聞こえて、振り返ると醍醐が鞄を持ちながらこちらに近づいてきていた。
「 何だよ、醍醐が呼んだのか?」
「 ああ。一緒に潜ろうと思ってな。紫暮やコスモの連中も来るはずだぞ」
「 はあ? 何か濃いメンバーだな、おい」
「 修行熱心だと言ってくれ。 いつもは龍麻が呼びかけないとなかなかまとまった人数が集まらないだろう? それでいて潜る人数も限られているしな。それで今回特に潜りたいと劉が言ってきたので――」
「 劉が?」
醍醐の言葉を最後まで聞かずに龍麻が声を出した。
「 ん? ああ、あいつ道心師範があまり相手をしてくれないらしく、力の振るい場所に飢えているんだろうな。だからまあ俺も以前から紫暮と潜ろうと話していたし、丁度良いと思って呼んだんだ」
「 何でそこにコスモの奴らも入るんだ?」
京一がかったるそうに聞いた。 醍醐はこれには苦笑して、「たまたまそこに居合わせたからだな」とだけ答えた。
「 どうだ、お前らも潜るか」
「 げえ、冗談じゃねえよ。なあひーちゃん」
京一が多少のけぞって首を大きく横に振った。
京一とて力を奮うことが嫌いというわけではないが、せっかく気持ちがラーメンに向いているのに、今更血生臭い場所には行きたくないというところなのだろう。
「 俺らはこれからうまいラーメンをだな」
「 俺行く」
「 ひ、ひーちゃん!?」
しかし、龍麻は京一の方を見ずにもう答えてしまっていた。
会いたくないけれど、会いたい。
そう思ってしまったから。
地下での戦闘は、はっきり言ってめちゃくちゃだった。
…京一と龍麻はほとんど何もしていない。他の連中が張り切りすぎているのである。京一などは岩陰に座りこんで、特に自分に近づいたモノにしか剣を奮っていない。
あちこちで聞こえる(特にコスモの)怒涛の声に、かなり疲弊している感じだ。
「 あいつら、よくあんなにはきはき動くよなあ」
京一のぶつくさ言う声を尻目に、龍麻も大して動かず、ただ一点を見つめていた。
やっぱり劉を「好きだなあ」と思ってしまう。
( 何でアイツ、あんなカッコいいんだ?)
馬鹿な事を思っている自覚がある。 何を考えているのかとも思う。しかしそう思ってしまうのだ。
戦っている時の劉の目は本当にいつもとは別人だ。
凛としていて、鋭くて。何者をも貫いてしまうような迫力がある。
いいなあ、あいつの《力》。
何となくそんな風にも思ってしまう。
「 はあ…」
そして龍麻は、また知らぬ間にため息をついてしまった。
苦しい。 何か胸が苦しいぞと思う。
「 おーい、ひーちゃん。そろそろ帰ろうぜー」
その時京一が心底ウンザリしたような声を出した。
「 うん…」
「 ったく、 ひーちゃんも結局やる気ねーんじゃねえかよ。
俺はてっきり潜ってストレス解消でもしたいのかと思ったんだぜ?」
「 逆…何か余計…」
「 そんな感じだ。な、ひーちゃん、ラーメン食って帰ろうぜ!」
「 うん……」
龍麻は京一の明るさに何となく救われて、少しだけ笑うことができた。
が、その時。
「 ………っ!」
今回の戦いで、初めて劉と目があった。
( こ、こっち見るな…! って、俺が見てたからいけないんだけど…っ!)
龍麻は自分の方に視線をやってきた劉から目が離せなくて思わず硬直した。
当の劉の方はといえば、龍麻の方を見ると、いつものようににっと笑顔を見せてきた。それに龍麻が動揺していることなど知りもせずに。
一体何が起きたのか、龍麻自身にも分からない。 劉を見つめてため息をついたり、目が合ったら合ったで胸が高鳴って硬くなったり。
やはり。
いや、まさかとは思うが。
こ、これが。
( や、やばい…これが「女の子の恋」ってやつでは…)
それは三日ほど前のことだった。
「 ねえ、龍麻」
龍麻が美里と珍しく2人で下校していた時のことだ。
いつもは大抵京一や小蒔がいるのだが、その時は何故か2人だけだった。
美里は龍麻と2人だけの時、やたらと口数が増える。
龍麻はそういう美里が嫌いではないが、いつもと違うオーラを纏ったその態度に本当に時々ではあるが畏怖感を抱く。相手がそんな龍麻の心根に気づいているかどうかは分からないのだが。
「 ねえ、龍麻。貴方最近とても変わったわね」
「 え? 変わった? どこが」
「 何だか可愛らしくなったみたい」
「 かっ…!?」
思わず言われた意味を掴みそこねて、龍麻は絶句した。
美里は女で、自分は男だ。自分が美里にそういう台詞を吐くならまだ分かるが(多分吐かないとは思うが)、何故自分が美里にそのような事を言われるのか、
龍麻は割り切れぬ思いに包まれ、眉をしかめた。
「 何言ってるんだよ…?」
「 あら、だってその物憂げな瞳とか」
「 ……っ、な、何だよ」
「 龍麻。貴方、何か思い悩んでいるわよね」
「 えっ…べっ、別に!」
「 駄目よ、私に隠し事なんて」
うふふと笑って美里は龍麻の事を見やった。どきどきとする鼓動を必死に抑え、龍麻はできる限り平静を装った。それでも、そんな態度は菩薩眼には通じないのだが。
「 ため息つくことも多くなったわよね。 何か思い出してぽっと赤くなったりとか。見ていて本当に飽きないのよね」
「 な、何を…っ!」
「 いいのよ、龍麻。そういう龍麻ってとっても可愛いの。女の子みたいで」
「 お、女の子って…」
本来なら 「 失礼な事を言うな」と怒鳴りちらしてやりたいくらいなのだが、如何せん龍麻は美里の怪しげなこの笑みにとても弱い。 反撃の糸口を見つけられないまま、先に言葉を取られてしまう。
「 龍麻、知っている? 最近は絶滅寸前なんですってよ、そういう女の子って。つまりね。好きな人のことを想ってため息をついたり、その人の一挙手一投足を思い出しては喜んだり腹を立てたり…」
「 !」
「 そういうのをね。 恋っていうの。可愛いでしょ。女の子の恋ってやっぱりそうでなくてはね」
「 み、美里って…」
「 なあに?」
「 じ、実は男だったとか…」
「 龍麻」
「 わっ、う、嘘です! けど……」
「 うふふ。いいのよ」
美里は涼しげな目元のまま、 龍麻の慌てる様子を楽しそうに眺め、それからまたさらりと言ってのけた。
「 龍麻がそれを自覚した時が楽しみね…」
三日前の龍麻には、この美里の言葉の意味が今一つよく分からなかった。
でも、今は分かる。哀しいことに。
「 ああ、嫌だ」
悪寒すら感じてしまう。何を気色の悪い事を考えているのだろう。自分は男で力だってあって、絶対無敵の黄龍様なのだ。何が哀しくて「女の子の恋」患いなどになっているのだろうか。
「 アニキ」
「 わっ!」
その時だった。
急にかけられた声に、龍麻は驚いて飛び退った。自分の病の原因である劉がすぐ傍でにこにこと笑っていたから。
辺りはもう大分暗くなってきていた。
「 何してるんや? 帰らんの?」
旧校舎を出てから、皆早くに解散した。 というのも、戦闘でテンションが高くなった醍醐と紫暮は嫌がる京一を引き連れて道場へ、コスモレンジャーは練馬へパトロールに行ってしまったから。
そこで残されたのは、劉と龍麻で。
( ま、まままずい…今コイツと2人きりになんてなりたくないぞ!)
龍麻は思い切り焦り、じりじりと後退すると劉から視線を逸らせた。さっさとこの場を立ち去り、帰らなければ。
劉には軽く「さよなら」を言って、そのまま後ろを向けばいい。頭ではそう分かっているのだが、なかなか行動に移せない。心臓の音が高くなる。
「 ? アニキ、どないしたん?」
「 え? な、な、何が…」
「 ……何か変やんか。わいの顔に何かついてるか?」
「 べ、別に……」
「 …………」
しかし明らかに様子のおかしい龍麻に、劉は思い切り不審の顔を向けた。それからぽりぽりと頭をかいて、ゆっくりと龍麻に近づく。
「 !」
それに対して龍麻はまた反射的に後ずさり、それを誤魔化すように言葉をついだ。
「 な、何で劉は醍醐たちと道場行かなかったんだ?」
「 ……何でて?」
「 だって…暴れ足りなかったんだろ?」
「 もう十分動いたわ」
「 ふ、ふーん……」
「 な、アニキ。何で逃げてんの?」
「 はっ!?」
「 だから。わいから逃げてへん? そうやってずりずりと下がってしもて」
「 べっ、別にっ!」
明らかに不自然である。自分でも分かる。何だか理不尽な怒りすら湧いてきて、龍麻はきっと劉を見やった。
「 何でもないよっ。それより、お前ももう帰れば?」
何でこんな口しかきけないのだろうと思いつつも、止めることができなかった。
しかしそこは劉だ。 龍麻の意味不明な八つ当たりには慣れているのか、先刻の翳った顔をすぐに笑顔に戻すと、さらりと言葉を出してきた。
「 んー。アニキ、これから飯食って帰らん?」
「 えっ! お、お前と?」
「 うん」
にっこりと害のない微笑みを向けて劉は龍麻を見た。それにいちいち動揺する龍麻。
「 京一はんとラーメン食べて帰ろう思てたんやろ? けど、京一はん行ってしまったやんか。なら、わいと行こ?」
「 う……」
嫌ではないが、嫌だ。矛盾した気持ちがくるくると回った。
「 アニキ」
迷っていると、劉が困ったように笑んできた。
「 ……もしかして、わいとは行きたくない?」
「 えっ?」
いや、それは違う。咄嗟に思ったが声が出なかった。
「 ……京一はんと行きたかったんか?」
「 いや、俺は…」
けれど、言いかけて再び龍麻の思考はストップした。
劉がすっと距離を縮めてきて、龍麻のすぐ目の前にやってきたから。
「 ………っ!」
見下ろされて、益々どうしていいか分からなくなった。
しかもすぐ傍の劉からは、先ほどの笑顔が消えていた。
「 なあ、アニキ」
真摯な目だった。龍麻は自分が赤面していないことを願った。
「 アニキは…わいの事、嫌いなんか?」
「 ……はっ…?」
「 何やいっつも見ていてくれるくせに…全然近くには来てくれへんやろ? アニキ、わいの事、邪魔くさい思うてんのかなあって」
「 な! 何言ってんだよっ!」
「 じゃ、何であんな風に見るん? 何でそのくせ、わいの事避けるん?」
「 だって……」
「 ……わい、アニキの傍におったら迷惑なんかな?」
寂しそうにそう言われて、龍麻の頭の中は完全に混乱した。何もかも自分の意図とは逆の方向へ突っ走っていっているような気がした。
「 アニキの嫌がること、したくないんやけど……」
「 し、してないよ…。お前は何もしてないよ……」
龍麻は必死にそれだけを言って、それからまた無意識に後ずさってしまった。
とにかく近い距離が苦しくて。
しかし、そのすぐ後。
「 ……りゅ、劉っ!」
劉がそれを制するように、すぐさま龍麻を引き寄せ、そうして強く抱きしめてきた。
「 ………っ!」
「 ……離れるんやない」
「 劉…?」
「 あんたにそうやって離れられると…わいな、たまらんから……」
「 …え……」
「 ………」
「 劉……何でそんな哀しそうな声……」
「 アニキのせいやろが…」
劉の口調にいやに重いものを感じて、龍麻は言葉を失った。
劉はより一層龍麻を抱きしめる腕に力をこめて、そっと言った。
「 わいな…とりあえず、不安になったりした時はいっつも馬鹿みたいに笑うんや。笑うことにしてるんや。
…自分、ごまかしてるだけやけどな。 今までかて大抵それで乗り切ってきたし。…けどな、アニキにこうやって避けられるのは、耐えられそうもないわ」
「 劉……」
「 最近そればっかりずーっと気になっとって。けど、自分からアニキのとこ行く勇気もなくて。だから」
今日はここに来たんや。
「………」
劉の言葉に龍麻はただ胸が熱くなって、 声を出せず、
ただ気持ちを返すように自分からもぎゅっと抱きついた。劉がぴくりと身体を揺らしたのを感じて龍麻は言った。
「 離すなよ! 今、俺の顔…見るなよっ!」
「 アニキ…?」
「 もうちょっとこうしてろ! 命令! な、いいだろ!」
「 な……?」
戸惑う劉にはお構いなしに、 龍麻は自らの顔を劉の胸に摺り寄せると、赤くなった頬を感じたくないとばかりに、ぎゅっと目をつむった。
「 なあ、お前…。俺に避けられるのヤなの?」
「 ……嫌やで」
「 ホント?」
「 さっきからそう言うてるやろ?」
「 …………」
「 そんなん嘘ついてどうするんや」
「………」
「アニキ…?」
「 馬鹿……俺、嫌いな奴のこと、ずっと見てたりしないよ」
龍麻は劉に顔をこすりつけたまま、つぶやいた。
「 へへ……俺…すっごい嬉しい」
「 アニ―」
「 劉…俺な…」
龍麻は言ってからそっと顔を上げ、ようやく劉を見やった。
そこには不思議そうな、途惑ったような顔があって。
龍麻は、やっぱり「好きだなあ」と思ってしまった。
だから。
「 ………俺、お前のことばっかりなんだ」
女の子みたいだけれど、まあいいかと龍麻は思った。
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