その温度で



  みんなの前ではいつも平気な顔をして。


「 あ〜もうやだ……」
  龍麻がぽつりとそう言ったのを耳に入れた劉は、不審な顔をして言った当人を見つめた。隣に座る「黄龍の器様」は、別段悲壮にくれた顔をしているわけではないのだが、確かに「 嫌だ」と愚痴を言い、それに対して劉が何を言ってくるのか待っているという感じだった。
「 何が嫌なんや?」
  だから素直にそう聞いてやった。龍麻が何か泣き言を言いたがっているのは明らかだし、それならそれで聞いてやらねばならないだろうと思ったのである。
  そんな劉に、龍麻は少しだけ不愉快そうな顔をしてからそっぽを向いた。
「 お前とここにいるのが」
「 へ?」
  いきなりの発言に、劉はしばしぽかんとした。
  場所は新宿・中央公園。
  周囲には散歩をしている人だとか犬だとかが結構いて、都会の割にはいやにのんびりとした時間がそこには流れていた。2人はそんな公園のベンチに腰かけていたのだが、何故そうやってその場所にいるのかというと、龍麻が劉を呼んだのである。「暇だから来いよ」と。
  それなのに、龍麻の冷たいそんな一言。
「 アニキ…。わいといるの、嫌なんか」
「 もうすっごく嫌だ」
「 じゃあ何で呼んだん?」
「 文句言うため」
「 はあ?」
「 何でお前とこんな所で何するでもなくいなきゃいけないわけ? あ〜嫌だ!」
「 ………アニキ」
  何で?という意味も含めた呼びかけは、しかし当の龍麻によって無視された。
  しかしつまるところ龍麻はそういう「嫌がらせ」を自分に言うことで、ストレスを発散したいのだなと劉は考えた。いつもいつも完璧な黄龍様をやっている龍麻だから、誰かに当たりたいのだろう。劉はそこまで考えると、ふっと思い出したように口を開いた。
「 ……今日、京一はんはどないしたんや?」
「 部活だって」
「 醍醐はんや桜井はん、菩薩の姉さんは?」
「 みーんな用があるんだって」
「 如月はんや壬生はんや、とにかく他のお仲間はどないしたん?」
「 何だよ、劉」
  ここでさすがに龍麻はもの凄く不快な表情を閃かせて劉のことを睨みつけた。
「 お前、俺に呼びつけられたこと迷惑なわけ? だから他の奴のとこ行けって言いたいの?」
「 わいはええんやけど、だってアニキがわいといるのが嫌やて言うたんやん」
「 そう! だからお前に文句言ってんの!」
「 無茶苦茶やなあ」
「 どこが!」
  龍麻は劉に、というよりは見えない何かに八つ当たりをするように声を荒げた。 それからそれに疲れたように、はあと大きく息を吐き出した。
  龍麻がそうして黙りこむと、一気に2人の間は静かになった。
  劉がどうしたものかと頭をかくと、その態度に龍麻がまたむっとしたような顔を見せた。
「 俺の相手が嫌なら帰っていいよ!」
「 嫌なわけないやろ」
「 だってお前、もの凄く面倒臭そうな顔してるぞ!」
「 してないて」
「 してる!」
「 アニキ〜一体どないしたん?」
  劉は多少苦笑してイライラしっぱなしの龍麻を見やったのだが、どうにも相手の方は落ち着かないらしく、ただかっかとしたまま、やり場のないように俯くだけだった。
「 アニキ、何やストレスたまっとんのやったら相手してあげよか? わいじゃアニキに太刀打ちできひんかもしれんけど、少し動けば案外すっきりするかもしれへんで」
「 ヤだよ、疲れるじゃん」
「 へ…」
「 せっかく今別段事件も起きてないのに。 何でわざわざ旧校舎行く以外で修行しなきゃなんないわけ? 俺は醍醐や紫暮じゃないんだからな」
「 んーだったら何してあげたらええの?」
「 別にいいよ! 何もしなくても!」
「 でもつまんないんやろ?」
「 つまんなくないよ!」
  龍麻は投げやりにそう言って、また黙りこくった。それから突然目をごしごしとこすって、くしゅんと小さくくしゃみをした。
「 アニキ…?」
  そんな龍麻のことをよくよく観察すると、どうやら目が赤い。 顔も何だか紅潮しているようで、熱でもあるのだろうかと劉は今更に訝った。
「 アニキ、具合でも悪いんか?」
「 え? 別に悪くないよ」
  龍麻は心配そうな劉の視線が窮屈だったのか、意地を張るようにそう言った。
「 けど、何や赤いで。目も濁ってる。あ、何や充血してるやん!」
「 平気だよ!」
  龍麻はそう言って益々ごしごしと目をこすった。
「 あかんて、アニキ! そういう時にそんなこすったら!」
「 うるさいな! 何でもないったら!」
「 何でもないなら、ちょお見せてみって」
「 やだ!」
「 アニキ!」
  さすがに劉がきつく呼ぶと、龍麻ははっとして動きを止めた。 渋々抵抗の手を止めて、劉に抑えられるままに大人しくなった。
  それで劉が龍麻の額に優しく触れる。
「 熱は…ないみたいやな」
  劉が多少ほっとしたように言うと、龍麻はぽつりと言った。
「 あるわけないよ。俺、元気だもん」
「 そうか? あんま元気には見えへんけどなあ」
「 元気だよ、うるさいな」
「 うるさいて…。ふう〜。もうアニキには参るわ」
「 参るなよ!」
  龍麻は投げ捨てるようにそう言ってから、またふいと横を向いた。
「 ………そう言われてもなあ」
  劉はそんな龍麻をじっと見つめたまま、言葉をなくして黙りこくった。
  こうやって龍麻といることは劉にはとても嬉しいのだけれど。
  どうもその喜びをうまく伝えてあげられていないなと劉は思う。 いつも道化のように笑って、冗談を言って。龍麻をアニキと呼んで擦り寄って。
  それでも、この自分の好意はこちらの黄龍の器様にはあまり伝わっていないと思う。
  そしてそれは多分、自分がいけないのだと劉は思う。
「 なあ、劉」
  そんな事を考えていると、龍麻が不意に声を出した。
「 ん……何や」
「 俺…目、赤い?」
「 ……赤いけど」
  劉は改めて充血しているような龍麻の目を見やって正直にそう答えた。龍麻はそう言われるとまた眉間に皺を寄せて、ちらと劉のことを見やって言った。
「 俺…こういう時はマジでヤバイ」
「 え? 何がや?」
  訳が分からなくて訊き返すと、龍麻は今度ははっきりと劉の方に身体を向けて言ってきた。
「 何か…何かな、《力》がすごく溢れてる時は、こんな風に目が赤くなって痒くなって…すっごくすっごく止められなくなるんだ」
「 ………アニキ?」
「 頭の中で冷静な自分が『ブレーキ』って言ってるけど、でもそんなの全然意味なくて……」
「……何やそれ」
  劉が怪訝な顔で問いただすと、龍麻はより一層不安な顔をしてから絞り出すような声で言った。
「 知らない…知らないけど、俺、この手が…何か壊しそうで」
  そう言って、小刻みに震えている自らの手に平を龍麻は泣き出しそうな顔で凝視していた。
  劉はそんな龍麻を驚きながら黙って見つめた。

  さっきまでは、ただ駄々をこねているだけだったのに。

「 何だよ、これ…。何でこうなっちゃうんだろうな」
「 ………アニキ」
「 いつもはさ…みんながいるから……俺はギリギリのところで立ち止まってる。 全然平気だ。でもさ」
  ここで龍麻は劉を真っ直ぐに見詰め、真剣な目で訊ねてきた。
「 でも劉はどうして……一人でずっとこんな力を抑えていられたんだ?」
「 …………」
「 お前は今まで…ずっと独りでやってこれたんだろ……」

  ああ、そうか。だから自分を呼んだのか。

  劉はようやく龍麻が自分を選んだ理由を飲み込んだ。
  単身で中国から日本のここ東京にやってきて。単身で復讐を遂げようとしている自分のことを、龍麻は奇異の目で見ていたに違いない。 初めて会った時、あんなに明るく振舞う自分だったのに、龍麻は開口一番こう言ったのだ。


『 お前って何でそんなに無理ができるの?』


  別段好きでしていたわけじゃない。 周りに誰もいなかったから、そうやって生きるしかなかっただけだ。けれど龍麻はそうやって生きてきた劉をどこかで尊敬し、そして厭っていたのだ。


『 俺はお前みたいにできないから』


「 アニキ…」
「 俺、だからお前なんか嫌いなんだよ…。お前なんかと一緒にいたくないんだよ…」
  震えた手を見つめながら龍麻は言った。
「 ………一緒にいたくないんか」
  劉が静かに問い直すと、龍麻はびくりとしながらも、虚勢を張ったような顔で言った。
「 ………そうだよ、お前なんか」
「 嘘やな」

  だったらあんたは何で俺のそばにいる?

  劉は龍麻の震える手を、両手でそっと包み込むように握った。
「 あ……?」
「 こうしたら止まる?」
  そして、優しくそう訊いた。
「 …………」
  更に段々力を込めて。自らの熱を龍麻に伝えるように、劉は龍麻の手を握った。
「 ………劉」
「 アニキ……怖くないで」
  劉は言って、しばらく龍麻の手を包んでやった。
  そして。
「 止まった……」
  龍麻が言った。
  龍麻の手の震えは消えていた。
  それと同時に、劉自身、自らの内に隠し持っていた震えが止まったような気がした。
  龍麻が自分の手をじっと見つめている劉の方に視線をやった。
「 もう……」
  平気、という龍麻の声は、しかし劉には聞こえなかった。
  言ったのかもしれないし、言わなかったのかもしれない。 いずれにしろ、その声がなかったから、劉はその後もしばらく自らの想いを込めるかのように、 龍麻の手に触れ続けていた。

  龍麻も、もう何も言わなかった。



<了>





■後記…わたあき様に奉げる劉主シリーズ第6弾。実は一箇所だけ劉が「俺」って言ってるとこがあるんですけど(台詞内じゃなく)。ちょっと雰囲気的に「わい」より「俺」の方がいいかと思って。あと、龍麻が「みんな用がある」って言ってたのは、あれは嘘ですから。そんなねーひーを置いてまで行かなきゃならない用事なんか、あの人たちにはないでしょー(←決め付け)。