すきなひと
龍麻が怪我をした。
「 げっ…。何これ…」
思わずそんな素っ頓狂な声をあげてしまった龍麻は、
自分の額から頬からそして耳からだらだらと流れる鮮血を手につけてのけぞった。
「 どくどく出てる〜。ひえ〜」
独りでそんな事をつぶやいていると、どこからともなく甲高い悲鳴が…否、驚愕の声が龍麻の流血している耳に届いた。
「 ア、ア、ア……アニキ〜!」
劉の絶叫だった。
もの凄い高速移動で龍麻の傍に駆け寄ってきた劉は、見るからに瀕死の( しかし当人は平然としているのだが )龍麻を前にしておろおろおろおろそれはみっともなく動揺してうろたえた。
「 だ、大丈夫か〜!? アニキ〜!? 何があってん〜〜!?」
「 何がって…。何か攻撃避けきれなかったみたい」
「 避けきれなかったって…ここ、5階やで〜!?」
そうなのだ。
龍麻と劉は、2人で旧校舎に来ている。
何となく飯でも食うかという話になっていたのだが、その前に腹ごなしでもしようと気楽な気持ちで下りたのだ。
しかもたった5階。敵はちんけ。そう、ちんけなのだ。
今の2人の実力なら、いくら2人だけとはいえ相当奥まで潜れるはずなのだが、あまり遠出をして夕食が遅くなるのも嫌で、本当に軽い「ノリ」で下りた5階だった。
それなのに。
「 劉〜何か血が止まらないんだけどさ、どうしよ〜?」
「 ど、ど、どうしようやないで〜!」
劉は落ち着き払った龍麻を見て余計に焦ったらしくおたおたとしていたが、とにかく血を止めようと着ていたシャツを脱ぐと、ビリビリに破いたそれで龍麻の傷口を抑えた。
「 なあ、劉。 お前のそのばっちい服で止血されたら、俺、ばい菌とか入って病気になんないかな」
「 あほかッ! その前に出血多量で死んでまうわッ!」
「 俺、回復技持ってんだけど」
「 はっ!」
劉はそうだったと思い、「 ならはよかけや〜!」とまるでどちらが兄貴か分からないような勢いで、のんびりとした龍麻を叱りつけた。
そして。
どたばたとした感じで、2人は地上に戻った。
龍麻は結局「力が入らない」と言って回復技をかけなかったのだが、劉の応急処置が効いたのか、はたまた黄龍の器の為せる業か、あんなに大量に流れ出ていた血も止まり、ひとまずは大丈夫のようだった。
「 さ、アニキ。病院へ行くで!」
しかし劉は当然のようにそう言って先を歩き出した。
「 え〜? だってお前、飯は?」
「 そんなん後やっ!」
「 それにお前、シャツ裂いちゃったから寒いだろ? じゃ、ひとまず俺ん家行って服をさ…」
「 病院ッ! 何を置いても病院病院病院やー!」
「 劉、うるさい〜」
「 アニキがのんびりすぎるんや! もうもう、ほんまにさっきはびっくりしたで!」
劉は呆れを通り越してやや怒り口調で龍麻に言った。
龍麻はそれでも何を感じるでもないのか、
額に当てていた劉の無残なシャツの切れ端を取り去ってから「げっ、真っ赤」などとつぶやいている。
劉はその龍麻の態度にぴくりと怒筋を浮かび上がらせた。
「 アニキッ!」
「 わっ! な、何だよ…」
「 アニキはわいらのリーダーたる自覚が足りないのと違うか? アニキがこんな怪我して、心配するのわいだけやない! みんなかて心配するし、大体、アニキにもしもの事があったら!」
「 困る?」
「 当たり前やッ!」
劉のもの凄い勢いに押されて、龍麻は「分かったよ」と言った。
「 何がどう分かったんや」
「 病院行く」
「 ……さよか」
「 でもさ、劉」
龍麻は劉の横まで来てから少しだけ憮然として言った。
「 お前が俺の心配するのって、俺が黄龍だからなの?」
「 は? 何言うとるん?」
龍麻の態度に多少不審の目をして、劉は聞き返した。
「 だってそうじゃん。俺が死んだら困るのって結局そういうことだろ? 何かそういうのってショックだ」
「 ………あほか」
「 むっ! 何だよその言い草は! 俺がこんなに淋しい気持ちでいるってのに!」
「 あほやからあほやて言うてんのや。アニキはあほや!」
劉は今度は本当に怒ったようになって、 珍しく冷たい目をして龍麻を見据えてきた。龍麻はその目線に少し負けたようになったが、それでも何とか気勢を張る。
「 だって…だってそういう風に聞こえたんだ! リーダーの自覚なんて…俺は俺だ! 俺はリーダーなんかじゃない!」
劉のことは見ずに目一杯の声で龍麻はそう言った。
どいつもこいつも、黄龍だリーダーだ救世主だって、ちっとも本当の俺を見ていないじゃないか、と思ったのである。
この劉にまでそんな風に扱われるのも、また龍麻には嫌だった。
すると、そんな龍麻の様子をじっと見ていた劉が、ようやく何かを理解したような目をしてから、言葉を出してきた。
「 ……何や、分かったわ」
それから劉はこともあろうに、何やら楽しそうにははっと笑い出した。
これには龍麻もかっとした。
「 な、何だよその言い草は! もう劉なんか――」
「 緋勇龍麻!」
「 ………っ!?」
いきなりフルネームで呼ばれて龍麻は度肝を抜かれ、絶句した。 しかも依然として怖い顔をしたままの劉に、龍麻は何だかひどく怒られるような気がして、すっかり萎縮してしまったのだった。
けれど劉はそんな龍麻をいきなり強い力で引き寄せると、そのままぎゅっと抱きしめてきた。
「 なっ…何だよ、劉……っ」
「 淋しいんやろ? ……まったく、アニキは甘えん坊やからなあ」
そして劉は途端にそう優しい声を発してきた。
「 こうやってやるさかい、機嫌直しや」
「 べ、別に…劉の方じゃん、怒ってたの」
すぐ傍で劉の温度を感じながら、龍麻がぽつと言った。すると、龍麻を抱く腕には力がこめられてきて。
「 当たり前や。アニキ、全然分かってないんやもん」
「 な、何を…?」
「 わいのこと」
劉はそう言ってからより一層強く龍麻を自分の元に包み込むようにして抱きしめた。
そして傷を負った龍麻の耳に自分の唇を寄せて。
自らの舌で龍麻の傷を舐めた。
「 ひぁっ…!? りゅ、劉、やめ……」
突然耳元を襲ったくすぐったい感触に、龍麻は悲鳴を上げた。
けれども劉は平然としていて。
「 アニキ、知らんの? 動物ってな、 家族の誰かが怪我すると、こうやって傷口舐めてあげるんやで」
「 そ、そんなの知らないよ…っ。わわっ! だ、だから舐めるなっての」
「 アニキ、嫌か?」
「 …………え」
そう改めて聞かれると困った。
何故かというと。
「 ……………嫌じゃない」
そういうわけだから。
「 アニキな、別に怪我なんかせんでも、わいはいつでもアニキのこと見ててあげるで? だからあんまり心配かけんといてな」
「 お! 俺はわざと怪我したわけじゃないぞ!」
「 はいはい」
言って劉は、今度は龍麻の額に軽いキスを与えた。
「 あー! お前、全然信用してないな!」
龍麻はみるみる自分の顔が熱くなるのを感じながら、それを誤魔化すように声を張り上げた。それでも頭の中のごちゃごちゃをどうすることもできなかった。
だって思い出してしまったのだ。
怪我する寸前。
あ、何で劉、あんな遠くで戦ってんだよ。
そう思って劉の背中をずっと追い続けていたことを。
「 劉! お前、何にやにやしてんだよ!」
「 そら、言いがかりやで。アニキ、それより病院行こ」
「 や、やだ! もう行く気なくした! 絶対行かない!」
「 またそんな我がまま言うて…」
「 行かないったら行かないぞ! もう、離せっての!」
そう言って龍麻は劉による拘束を無理やり解くと、恥ずかしさを紛らわせるように一人で先を歩き出した。
けれど、どんどんどんどん身体が熱くなって。
耳がじんじんとしてしまって。
「 アニキ、わいが悪かった〜! 頼むから病院行ってや〜!」
後ろから劉がまたいつもの情けない声を出して懇願してきた。
「 うるさい! もうついてくるなッ!」
「 アニキ〜!」
「 うるさい! もうアニキじゃない! 兄弟の縁切った!」
「 えええー!?」
背後でショックを受けたような劉の声を耳にしつつ。
それでも、龍麻はまだまだ真っ赤なままだった。
ああ、やばい。
龍麻はそんな上気した頭の中でそう思う。
どんどんコイツを好きになっている、と。
|