たとえばこんな風に
「 兄さん、何処行くん」
龍麻が所在なげに埃臭い道中に突っ立っていた時に、その青年は声をかけてきた。
「 思いっきり日本の観光客やな〜。けど、この村に来るやなんて、結構見る目あるやん!」
「 君…変な日本語喋るね」
龍麻は青年の屈託の無い明るさに多少引きながらも、ようやく同じ言葉を話す人間に会えたことで安堵していた。
「 あ〜、わいなあ、昔日本に留学していたことがあったんや。そん時に世話なった人がけったいな言葉喋っとったから、うつってもうたんや。まあ、気にせんといてな」
「 うん、でも本当に嬉しいよ。俺、中国語も英語もさっぱりだからさ。まさかこんな奥地で日本語話す人に会えるなんて」
「 ははっ。奥地、言われてもうたわ。まあ、確かにそうやけどな。けど、あんさんかて観光ブックに載っとる泉、見に来たんやろ?」
「 ああ、そう…なのかな?」
龍麻は言いながら手にしている本をぱらぱらとやり、曖昧な返事をした。目の前の青年はそんな龍麻に不思議そうな顔で問い返した。
「 何や、兄さん。自分の行くとこ知らんのか? 変な話やな」
「 ああ、そうだよね。うん、実は俺もよく分からないんだけどさ…。何か…ここに来たかったんだよね」
「 中国にかいな」
「 中国っていうよりも…この村に、かな」
「 ……へえ」
青年は意味ありげな龍麻の顔を興味深そうな顔で見やった後、すぐに、にぱっと明るい笑顔になって言った。
「 なら、わいがこの村の代表として、兄さんの案内役買ってあげるわ! わいは劉弦月! 兄さんは?」
「 ああ、俺…。俺、緋勇龍麻っていうんだ」
「 緋勇かいな。よろしゅうな、緋勇!」
「 こっちこそ」
龍麻はとことん気さくな劉に、不安な気持ちがすっとなくなるのを感じていた。
今まで平凡な生活を送ってきた龍麻にとって、この一人旅はかなりの冒険旅行だった。
高校を卒業した後、大学へ進学した龍麻は、長い春期休暇を利用して何故か中国へ行こうと思い立った。どうして中国なのかは自分でも分からなかったが、以前からあまり夢を見ない自分が、何故か中国らしき風景の夢はよく見ていたから…というのが、ここまで来た理由だった。
ただこの劉が住むという福建省客家の村に来たのは、ほとんど偶然だった。劉には「この村に来たかったのだ」などと言ったが、始まりは行き当たりばったりの大胆なものだたのだ。その時間に来た汽車に乗る、ふと引かれた地名へ向かう…そんな事を繰り返していただけで。
「 なあ、緋勇」
歩きながら劉が言った。幾つなのかは分からなかったが、多分同じくらいの年だろう。向こうの方がやや背は高かったが、のんびりとした空気が落ち着く奴だった。
「 わいなあ…何か変な気分やねん」
「 ん…?」
龍麻が意味も分からずに問い直すと、劉は歩いていた足を止めてふいと振り返り途惑ったような笑みを見せてきた。
「 緋勇は…この村に来たの、初めてかいな?」
「 え? 俺、そう言わなかったっけ?」
「 ああ、そやな。観光やったな。けど…うーん、何かうまく言えへんのやけど……」
「 ???」
「 緋勇はわいの顔見て、何とも思わん?」
「 うん? うーん…ああ、お前って結構二枚目だよな」
「 ほんまか!? 嬉しいわあ…って、そういうこととちゃうんやけど……」
最初はひどく嬉しそうな顔をした劉だったが、すぐにがっくりとうなだれると、しかし諦めたようになってまた踵を返した。
「 まあ、ええわ。とにかく、ここで会ったのも何かの縁! まずはわいのとっておきの場所へ連れてったるわ! 観光名所とかには、その後でな!」
「 へ〜地元の人の一押しスポットかあ〜。得したな」
「 へへへ、そうやろそうやろ」
劉は得意そうな顔を閃かせてから、ずんずんと先導して歩いて行った。龍麻は何だかおかしな奴だな、と、ふっと笑みがこぼれた。
「 ここや! どや、眺め最高やろ!」
そう言って劉が連れてきてくれた場所は、村の集落からいくらも離れていない、小高い丘の上だった。
心地良い風が吹く丘陵の頂には、春の季節に芳しい幾つかの花々も咲いていて、眼下からは壮大な自然も一望できた。
「 うわー、最高! ホント、すっごい気持ちいい!!」
龍麻がもの珍しそうに辺りを眺め、嬉しそうに伸びをすると、劉も満足そうににっこりと笑った。
「 へへへ、そやろそやろ。ここなあ、わいのお気に入りの場所なん」
「 へえー! そんな場所に連れてきてもらっちゃって、何か悪いなあ」
「 ……うーん」
清々とした龍麻の顔をまじまじと見やって、ここで劉はまた困ったように腕を組み首をかしげた。
「 何か…ほんま、どうも変やなあ」
「 んー?」
「 わいなあ、さっきも言うたけど…どうにも引っかかってん」
「 何が」
「 緋勇と…何処かで会ったことあるような気がするん」
「 ええ? 俺と?」
こっくりと頷いてから、やがてその場にあぐらをかいて座りこんだ劉は相変わらず腕を組んだまま考えこむような顔をしていた。
「 …そうかなあ。会ったかなあ。俺、お前みたいなインパクトのある奴と会ったら、絶対忘れないと思うけど」
「 わいもや。緋勇みたいな別嬪さんと会うていたら、何があっても忘れるわけない」
「 ……別嬪さんてなあ。俺、男なんですけど」
「 ああ〜、でも何かこう、胸の辺りがもやもやするわ」
「 ……聞いてねえ」
「 あ、そや、緋勇!」
劉は一人でどんどんと話を進めると、未だ立ち尽くしている龍麻に自分の隣に座るように手招きした。龍麻が素直に言う通りにすると、劉は龍麻の額に自らの手のひらを当てて、すうっと目を閉じた。
「 お、おい、劉?」
「 ちょお、黙ってて。緋勇の『氣』をちっと見せてや」
「 き? きって何だ?」
龍麻が訳も分からずにもう一度聞いた声は、しかし劉には届かなかったようだ。そうして、やがて劉の手のひらから、ぼうっとした光が浮き出たような気が、龍麻にはした。
「 わっ!! りゅ、劉…?」
「 ………」
劉は答えなかったが、やがてその光が消えた時、ぱっちりと目を開いてにこっと笑った。龍麻は未だどきどきする鼓動を抑えられなくて、驚いた顔のまま劉のことを見つめた。
「 緋勇は…すっごい奴なんやな」
「 お前…今、何かした?」
「 何もせえへん。緋勇の中にある《力》をちょっと見せてもらっただけや。いや〜。すごい! ほんま、びっくりしたわ」
「 びっくりしたのは俺の方だよ。何だったんだよ、今の?」
「 だから今のは緋勇の内にある《力》をちょっと表に出しただけやて。うん、世が世なら緋勇は世界の救世主になっとったかもしれんで」
「 何それ」
「 けど、ええんや。そんな《力》出さなくても。緋勇は、このままでも十分綺麗やもん!」
「 ………俺」
「 ん?」
「 お前のこと、よく分からない」
「 あははっ。そうか?」
劉は未だ状況についてこられない緋勇をひどく愛しそうな目で見つめた後、まるで子供をあやすような仕草でぽんぽんと頭を叩いた。
「 なら、わいの事よう分かるまでこの村におったらええわ。ここはええ所やで。この村はわいの誇りや」
「 ……ふーん」
龍麻には郷土愛みたいなものがなかったから、自慢気にそんなことを平気で言う劉を不思議な気持ちで眺めた。
そして、はたと感じてしまった。
「 あれ…?」
「 んー?どした、緋勇?」
「 いや、あれ? 変だな。俺も今、お前のことどっかで会ったような気がするって…思っちゃった」
「 ほんまかいな」
「 うん。何だろう? あれあれ?」
「 まあ、ええんやん」
劉は柔らかく笑んでから、もう一度龍麻の頭をよしよしとなでた。それから楽しそうに笑う。
「 きっとなあ、わいら運命の二人やで! ここで会うたんも。あんたがここに来たのも、ずっと昔から決まってたことなんや」
「 ……どうでもいいけど、さっきから頭叩くな」
龍麻が不満そうに劉の手を振り払うと、劉は益々嬉しそうな顔であっさりと言い返してきた。
「 だって緋勇、わいの好みなんやもん! ほんま別嬪さんやわ。わいの嫁さんにならへん?」
「 あほか! 俺は男だってーの!!」
「 わい、細かいことは気にせん性質やから安心してや」
「 俺は気にする!」
龍麻がムキになって言い返すと、劉はまた楽しそうにはははと笑った。ひょうきんな奴のくせに、そんな笑顔は何故か大人っぽい。龍麻は思わず口をつぐんでしまった。
そんな龍麻に、劉が周囲の景色を楽しみながら、涼し気な顔で言う。
「 ほんま今日はええ日やわ。さすが誕生日なだけあるわな」
「 え、お前誕生日なの? 今日?」
「 そや。何か祝ってや」
「 …初対面の人間に祝ってはないだろ」
そうは言いつつも、もうこんなに親しく話してしまっている自分もいて。龍麻は戸惑いつつも、すっかりこの劉のペースにのまれてしまっていた。
「 …で? 幾つになったわけ?」
「 んー。18歳」
「 げっ!! てめー、年下かよっ!!」
劉の言葉に龍麻は少なからずショックを受けた。さっきは大人っぽいなどと思ってしまったし。
「 そういう緋勇はわいより年上かいな? うー、でもまあ、年上女房もええって聞くからな。わいはどっちでも構わんわ」
「 こだわるな、おい」
龍麻は多少笑顔をひきつらせながらも、もう劉のペースにすっかリ慣れて、笑みをもらした。そうして、相変わらず飄々とした雰囲気の劉に、改まって言ってみた。
「 じゃあ…劉。誕生日、おめでとう」
言われて劉は龍麻の方へ視線を向けてこの上もなく嬉しそうに。
「 おおきに、アニキ」
そう言って、笑んだ。
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