甘える人、甘やかす人



  その日は、放課後の教室に2人きりだった。
「 こんなの珍しいね…」
  龍麻は自分の席に座ったまま、その横の席に寄りかかってこちらを見ている醍醐に声を掛けた。机の上には読みかけの本が開いてあったが、龍麻がそれに目を落としている様子はなかった。
「 ん…そうだな」
  醍醐は醍醐で慣れないこんな状況に少々落ち着かないのか、龍麻の方を向きつつ手持ち無沙汰のように窓から見える景色に目をやっていた。
「 みんな戻ってこないなあ。なあ、もう帰っちゃおうか?」
「 まあ、そう言わずにもう少し待ってやろう。あいつら、それぞれの用を済ませたらすぐに戻って来ると言っていたし。京一などお前とラーメンを食って帰るのが1日の唯一の楽しみと言って憚らないのだからな」
「 あいつは大袈裟だから…」
  醍醐の言いように龍麻は苦笑してから、遂に開いていた本をぱたんと閉じた。疲れているのだろうか。窓の外へと視線をやる龍麻の横顔を盗み見ながら醍醐はちらとそんな事を思った。
「 ……美里と桜井は」
「 ん?」
  不意に発せられた龍麻の声を聞き漏らして、醍醐は慌てて我に返り、何とか返答した。龍麻はそんな醍醐に柔らかな微笑を向けて小首をかしげた。
「 鞄置いて何しに行ったの? 何か…あまり言いたそうじゃなかったから訊かなかったけど」
「 ああ……」
「 京一は妙に浮かれていたし」
「 うむ…」
  実は醍醐は彼女たちだけでなく、京一が何処へ行ったのかも全部知っていた。知った上で自分は龍麻の見張り役…というか、彼をこの場にとどめる役目を担っている。
  先日、不意に小蒔が龍麻の誕生日を訊いたことで、仲間たちは彼のその日が夏のはじめの頃とっくに過ぎ去ってしまっていたという事を知った。美里は深く残念がり、小蒔は「どうして教えてくれなかったのか」と嘆き、京一は「水臭い」と言って怒りすらしたが、龍麻は困ったようにただ笑っただけだった。

  誕生日なんて…大した事ないじゃない。

  龍麻はそれだけを言って仲間たちの追求から逃れたのだが、それで納得する皆ではなかった。
「 ねえ、遅れちゃったけどさ、ひーちゃんの誕生日祝いしようよ!」
  小蒔の底抜けに明るい声でその計画はたちまち実行に移される事になった。美里や小蒔はプレゼントや御馳走を買いに、京一も荷物持ちで一緒に行った。そして龍麻が1人で帰ってしまわないようにと、醍醐が1人引き止め役に留まったというわけである。
「 あーあ。腹減ったな…」
「 む…」
  突然ぽつりとつぶやいた龍麻の声で、醍醐はまた自分がぼうっとしてしまっている事に気づいた。こんな時は龍麻が退屈しないように何か気の利いた話の一つや二つするべきだと思うのに、どうにもうまく言葉が出て来ない。やはり京一がここにいるべきだったのではないか、そんな考えがぐるぐる回る。
「 た、龍麻…」
「 んー?」
  何か話さなければ。京一にはとにかく龍麻が怪しまないようにごく自然に時間を稼げと言われている。何かあっただろうか。龍麻と自然に話せる材料は…。
「 さ、最近…」
「 うん?」
「 …旧校舎での修行のお陰か、互いに腕が上がったな…!」
「 あー…うん、そうだね」
「 …………」
  楽しくもない話だ。
  いや自分は楽しい。醍醐は素直にそう思う。自分はこういう話が好きだし、闘いの話をするのが大好きだ。元々将来はプロレスラーになろうと思っているくらいだし、できる事なら龍麻のような実力者とはもっともっと力を磨く為に役立つ話をしたいと思う。
  けれど、龍麻にとっては。
「 でもさ…強い事って、そんなに良い事かな」
  龍麻が遠慮がちながらも言った。
  ああ、やっぱりだ。
「 ……そうだな。必ずしも良い事、とは言えないのだろうが」
「 俺はさ…どうにも…はは、悲観的だからかもしれないけど。こうやって腕を磨いていても相手を傷つけて自分も傷ついて…ロクでもないなあって思っちゃうから」
「 龍麻…」
「 醍醐みたいに純粋に強さを求めているのとは…俺は、違うから」
「 …………」
  龍麻は自分とは背負っているものが違う。そう感じる。
  初めて出会った時から、龍麻という男がどこか自分とは「異質」であるという事を醍醐は感じていた。そしてその異質さ故の「強さ」に惹かれもしたが、一方でまたその「儚さ」に危ういものを感じもした。
  ずっと、目が離せなかった。
「 ……あ、醍醐、ごめん」
「 ん…?」
  困った顔でもしていたのだろうか、突然龍麻が申し訳なさそうに謝ってきた。
「 ごめんごめん。お前にはつい愚痴っちゃうな。こんな事言っても仕方ないのに…さ」
「 いや…」
「 ホント…俺、醍醐にはすぐ甘えちゃうな……」
「 ……甘えていいさ」
  控えめに、けれど力強く言うと、龍麻は「ホント?」と言った後、静かに笑った。
「 ありがとう……」
  どきり。
「 ………龍麻」
  一体、俺は何を考えているのか。
「 ………龍麻」
「 うん?」
  どうしたことか、龍麻から目を逸らせない。2人きりだからだろうか、夕暮れ刻だからだろうか、それとも。
  これが以前からの自分の望みだったから―?
「 …………」
「 醍、醐……?」
  怪訝な顔をする龍麻の腕を不意に醍醐は掴んでいた。答えようとしたが声が出ず、ただ真摯な目を向け相手の顔を凝視する。龍麻は明らかに困惑しているようだったが、しかしその掴まれた腕を振り払おうとはしなかった。
  しばらく2人は見つめあい、しんとした時間がただ流れた。
「 ………どうしたの、醍醐」
  根負けしたように先に声を出したのは龍麻だった。醍醐に腕を掴まれたまま、すっと顔を上げる。
「 おかしいよ…? ヘンな顔してさ…」
「 ヘンな顔は…生まれつきだ…」
「 何言ってんの。色男君」
「 馬鹿を言うな……」
「 本気なのに」
「 そんな事は…どうでも、いい……」
  乾いた声が漏れた。緊張しているのだと醍醐は自分自身で分かった。
  ふっと、赤髪の親友の顔が浮かんだがすぐにそれをかき消す。
「 ……俺も分からない…分からないんだがな……」
「 ……うん……」
  龍麻は静かだ。ただ見上げていた顔は机に落とし、俯いてそれきり声が聞こえなくなった。
  醍醐は焦った。
「 俺はな…龍麻。俺は…お前を……」
「 …………」
  龍麻は答えない。どっと身体中から汗が噴出すのを醍醐は感じた。
  何を言おうとしているのか。どうしたいのか。
「 俺は……お前を……護りたい……」
  違う。そう思ったが、既にこぼれてしまった言葉は、もう取り返しがつかない。
「 ………そう……」
  そして冷めた声が返ってきた。
  ぎくりとして目を見開くと、龍麻はふっとため息をついた後、醍醐の自分の腕を掴んでいる手に触れ、そっとそれをふり解いてきた。
「 た……」
「 ねえ、悪いけど帰るね……」
「 龍麻……?」
「 何だか…疲れちゃったからさ…。また明日って、みんなに―」
「 待て、龍麻…!」
  ここで別れてはいけない。帰してはいけない。
「 は…っ!」
  立ち上がって自分の前から去ろうとする龍麻に、醍醐は反射的に叫んでそのまま強く抱きしめていた。抱きしめてしまっていた。びくりと震える身体が自分の胸にすっぽりと包み込まれた。それによって醍醐の胸は余計にどきんと高鳴った。

  初めて。初めてだった。

  こんな風に龍麻に触れたこと。
「 醍醐……?」
「 俺は…龍麻……。違う、俺は…情けない男だな……」
  ハアっと大きく息を吐き出し、それでも醍醐は決して離したくないと言わんばかりに龍麻を拘束している腕に力を込めた。こんな風にキツく締め付けて龍麻は痛がっていないだろうか。そう思ったが、それでもそれを緩める事はできなかった。
「 俺は…ずっとお前が好きで…」
「 ………」
  掠れた声でそう言うと、やや震えていたように身じろいでいた龍麻がぴたりと動きを止めた。それで醍醐も声を出しやすくなった。
「 ずっと…お前に寄りかかって欲しいと……。俺を頼って欲しいと…」
「 ……そんな風に思っていたの?」
「 ………ああ。思っていた。思っていたんだ」
  息が思うようにできず、醍醐はやや呼吸困難になりながらも何とかそれだけを言った。石のようにどんどんと硬くなる身体。それでも龍麻に触れている全ての場所が熱くなっているのは分かった。
「 醍醐は……」
  その時、龍麻がすっと顔を上げて言った。見上げてきたその瞳に醍醐はくらりと目眩を感じた。
「 知っている? 俺、男だよ…?」
「 知って、いる」
  答えると、龍麻は更に真面目な顔をして問い質してきた。
「 そういう趣味の奴だった?」
「 違う」
「 違う?」
「 俺は……だから、途惑った。俺が、お前をそんな風に、見ること…」
「 そんな風に?」
「 ………」
「 どんな風に?」
  まるでいたずらを仕掛けてくる子供のようだ。醍醐はそんな龍麻を少々意地悪く思いながらも、堪らなくなって龍麻の両肩を抱き直し、ぐっと体を浮かせるようにして自分の元へと引き寄せた。
  龍麻の多少意表をつかれたような顔がすぐ間近で見えた。
「 こんな…風に、だ」
  けれど、醍醐はそのままの勢いで龍麻の唇に自分の唇を重ねた。勢いがありすぎて最初はうまく触れられなかったが、すぐに軌道修正してぴったりと龍麻の唇に口付けた。
「 ………ん…」
  喉の奥で声を漏らす龍麻の声が聞こえた。目をつむっているから龍麻がどんな顔をしているかは分からなかったが、それでも醍醐には目を開く勇気がなかった。ただ龍麻の熱い唇に触れている。その事実だけが、この時間だけが自分には重要なのだと思った。
「 ん…んぅ…ッ」
  何度か確かめるように唇をつけたり離したりした。その度龍麻は困ったような、恥ずかしそうな声を出した。
「 ちょ…醍醐…っ」
  けれど、しばらくして。
「 もう…っ。長いよ…!」
  無理やり逆らって自分から離れる龍麻。そして抗議する声が聞こえてきて、醍醐ははっとして目を開いた。そこには思い切り呆れた顔をしている龍麻の真っ直ぐな視線があった。
「 ……初めてで…こんな長いキスするわけ? 醍醐って、もしかして意外とかなりヤラシイ奴?」
「 お、俺は…っ!」
  慌てて弁明しようとしたが、龍麻がこの時するりと腕から離れて距離を取ってしまったので、醍醐はただわたわたとしてしまった。
  けれど、その刹那。
「 ……ドキドキしたあ」
  醍醐に背を向けたまま、龍麻が楽しそうにそう言う声が聞こえた。
「 な……」
  あっ気に取られて醍醐がぽかんとしていると、くるりと振り返った龍麻は本当にいたずらっ子のような顔をしていた。そしてそんな表情に醍醐が見とれている間に―。
「 醍醐」
  龍麻の接近でまた互いの距離は縮まった。
「 あのさ…」
  龍麻は背伸びをし、硬直している醍醐の耳元にそっと囁いた。その際龍麻にぐいと片手で首筋を掴まれたのだが、このひっきりなしに噴き出す汗が龍麻のその手を濡らしてしまうのではと醍醐はそんな事が気になって仕方なかった。
「 あのさあ…」
  それでも龍麻はそんな事にはまるで構う風もなく醍醐の耳元に唇を近づけて言った。
「 ねえ…もう帰ろうよ。俺、醍醐とのH。すごく興味ある」
「 な…!」
  あまりの言葉に醍醐が度肝を抜かれて仰け反ると、龍麻はくすくすと笑ってちょいちょいと指を差した。醍醐がその指し示された自分の下半身に目を向けた瞬間、また声は聞こえた。
「 帰ろ。俺…お前にいっぱい甘えたいから……」
「 ………」
  欲望に素直な自分の熱がひたすらみっともなく情けなかった。けれど、それでも。そんな自分を直視しつつもそう言ってくれる龍麻が、醍醐は愛しくて仕方なかった。
「 甘えさせてやれるか…自信はないが……」
  精一杯虚勢を張ってやっとそれだけ言うと、龍麻は更に目を細めて笑った。
  そして軽快に、言う。
「 いいよ…その時は俺が甘えさせてあげる」
  それはいつも仲間たちの中で不敵に闘う強い龍麻の顔だった。思わず苦い笑いが漏れた。
「 ……俺は…まだまだだな」
  心底そう言って、それから醍醐はもう一度大きく息を吐いた。



<完>





■後記…初めて書いた…醍醐主。企画で色々「醍醐と龍麻」って感じのは書いていると思うのですが、SSは初めてです。元々好きな二人です。Hはどうかって言うと、そこまで記述するのは嫌だけど、読む分には読みたいかもしれないという感じです(自分で書けよ)。でも醍醐は最初は戸惑いまくりだろうけど、一旦一歩を踏み出した後はすごいでしょうな(何が)。