―2―



  その日の夜、比良坂が仕事を終えて着替えを済ませてから待ち合わせの場所へ行くと、既に壬生は来ていた。事前に電話で話を通していた藤崎と高見沢の2人もいる。
  壬生はいつも鉄面皮なので感情が読み取れない事が多いのだが、近づいてよく分かった。彼は明らかに機嫌が悪かった。
  傍に立っている藤咲と高見沢は何故か楽しそうな雰囲気なのだが。
「 ふふふ、面白過ぎるわね」
  開口一番藤咲が言った。高見沢は何の事やら分からないという風だったが、集った3人の顔を交互に見て「やーん、みんなの顔が怖〜い」と全然怖そうでない声で両手を口に当てた。
「 すみません、藤咲さんたちにも来てもらって…」
  比良坂が謝ると藤咲はちょいちょいと片手を振って笑った。
「 いいのいいの、アタシはこういうの大っ好きだから! 何なに美里葵、なかなかやるわよね! あんたら強力ライバルを2人いっぺんに消し去ろうとしたわけ?」
「 ……あの、私真剣なんですけど」
「 僕もです」
  すかさずそう発した壬生の暗い顔に比良坂は自分の怒りも忘れて思わずぎょっとしたのだが、それに気づいた藤咲は親指で壬生本人を指しながらふざけたように言った。
「 あら紗夜、この間教えてあげたでしょ。まだ気づいてなかったの? ここにいる壬生もアタシたちと一緒よ。龍麻にぞっこんの1人」
「 は……」
「 だからね、今回の事に怒ってるのはあんただけじゃないって事よ。壬生だって折角のデートをおじゃんにされて相当キてるんだから。ねえ?」
「 ……藤咲さん」
「 あー! はいはいごめんごめん! でも、こうしたのはアタシじゃなくてあの菩薩様でしょうが!」
「 ………美里さんは勝手過ぎる」
  ぽつりと言った壬生の台詞に比良坂はまたまた仰け反るくらいに驚いた。壬生は普段極端に口数が少ないが、仲間を非難するようなところは見た事がない。これは余程美里には頭にきているのだろうと容易に想像できた。
  勿論、それは自分とて同じ事なのだが。
「 ……あの、壬生さん」
  比良坂は傍に立つ端整な顔だちをした壬生をまじまじと見上げ、意を決して言った。最終的にはこの人も自分のライバルなのだろうけれど、今はそんな事を気にしている場合ではない。
「 壬生さん、これから一緒に龍麻さんの所へ行ってもらえますか。その…誤解を解きに。私たちだけじゃなくて藤咲さんたちからも言ってもらって、美里さんの言った事が嘘だって彼に分かってもらいたいんです」
「 壬生、勿論行くわよね? アタシらも当然行くわよ。ふふふ、修羅場大好き!」
「 どこ〜? やー、ダーリンのとこ〜!? 舞子も行く〜!」
「 ………電話での龍麻は僕の言う事なんか全く聞いてくれなかった」
  くぐもった壬生の声に比良坂はドキリとしたが、藤咲はそんな相手のテンションにも慣れているのかびくともしなかった。
「 単にあんたが照れてると思ったんでしょ。けど、既に電話してたの?、そうやって抜けがけしないでよね壬生。あんた、これを機にどさくさ紛れで告白しようとか思ってなかったでしょうねー? 駄目だからね、それは! 協定、忘れたの?」
「 ………」
「 ……ちょっと壬生」
「 協定?」
  比良坂が問い返すと、これには高見沢が「はーい」と言って手を挙げた。
「 あのねえ、ダーリンの事は〜。みんな大好きだからあ。先に告白するのは反則ッ。みんなで卒業式の日に告白する事を決めてるの。それでね、それまではぁ…」
「 それまでは、どういう風に龍麻にアプローチして好感度上げようとも自由。でも、告白は抜き」
「 ……そんなの初めて知りました」
「 おいおい言うつもりだったけど、あんた仲間になるの遅かったし、日常生活にいっぱいいっぱいぽかったから」
「 あのね〜、あと蹴落としもOKなんだよね〜」
  高見沢の発言に比良坂が目を丸くすると、藤咲がけらけらと笑った。
「 アプローチも自由だし、相手の好感度下げる為の画策も自由よ。だから美里の行動も言って見ればあたしら公認ってわけ」
「 そ、そんな…!」
「 でも実際にそんな事する奴はいなかったから。さすが美里」
「 ……行こう。龍麻が彼女といるかもしれない」
「 あ…!」
  比良坂たちの会話を掻き消すようにして、壬生が先を歩き出した。どうにも我慢がならないといったその様子に藤咲などは大袈裟に嘆息していたが、比良坂は慌てたようにそんな壬生の後を追った。





「 あれ、どうしたの。みんなして……」
「 きゃう〜ん、ダーリーン!!」
「 わっ」
  ドアが開かれた瞬間、その先にいた龍麻に抱きついた高見沢を比良坂はいいなあと単純に羨んだ。自分はわざとぶつかるくらいしか能がないから、ああいうのにはひどく憧れる。1度はやってみたいなどと思ってしまった。
「 どうしたの龍麻。……あら、舞子ちゃん?」
「 ……っ」
  その時、龍麻の部屋の奥から声がして美里葵…諸悪の根源が現れた。やっぱりまんまと龍麻の部屋に来ていたのだ。
  怒りで何も発せられない比良坂の代わりに藤咲がニヤニヤとした笑みと共に軽い挨拶をした。
「 はあい、美里。やるわねえ」
「 藤咲さん…? それに比良坂さん、壬生君も…。一体どうしたの、こんな時間にみんな揃って」
  白々しくそんな事を言う美里にメラリと怒りの炎を燃やしたのは何も自分だけではないはずだと比良坂は強く思った。
  しかしどうした事か藤咲は笑っているだけだし、高見沢は龍麻の首筋に抱きついたまま離れない。
  壬生は…と振り返ると、これは幸い、彼は怒った顔をしていた。
「 壬生…っ」
  しかしそんな彼の表情に1番途惑っていたのは龍麻だった。何故か妙に気まずそうな顔をして、何度か唇を開きかけては閉じ、やっと発せられた言葉もたどたどしかった。(…ちなみに龍麻のそういう顔もとても可愛いなどと、比良坂は頭の片隅でつい呑気に思ってしまっていたので、あまり藤咲たちを責められない。)
「 壬生、どうしたんだよ…。比良坂さんとデートは……」
「 僕は君と約束してたんだ」
「 え……だって」
  壬生のきっぱりとした言に龍麻は余計に萎縮したようだ。控え目ながら高見沢の腕を振り解き、龍麻は困ったように今度は比良坂の方を見やった。
「 これってどういう事? 比良坂さん…。壬生と出掛けるんじゃなかったの?」
  話を振られて比良坂ははっとして顔をあげた。そうだ、黙っているだけではいけない。病院では完全に意表をつかれて棒立ちになってしまったが、きちんと言う事は言わなければ。
  比良坂は必死な目をして目の前の大好きな人に向かって言葉を切った。
「 龍麻さんっ、あの! あの、私たち付き合ってるとか、そういうのじゃないです! 全然違います!」
「 え?」
「 そっ、そこのっ。そこの悪魔っ…いえ、美里さんが龍麻さんに嘘を言ったんですっ。私たちが付き合ってるだなんてっ」
「 嘘…?」
  すると比良坂をフォローするように藤咲が皮肉な笑いを浮かべながら付け足した。
「 どうなの美里〜? 確かにこいつらは付き合ってなんかないわよ。ここ最近紗夜とずっと一緒にいたアタシらが証人。ね、舞子?」
「 そうだよ〜? だって〜そもそもみんなダーリンにラブラブだしぃ!」
「 え?」
  さり気なく(というか思い切り)告白している高見沢に、龍麻はすっかり困惑したようになりながら背後の美里を見やった。
「 まあ…」
  すると一番の窮地に立たされているはずの美里はうろたえる事などまるでなく、何でもない事のように実にさらりとこう言った。
「 私の勘違いだったの。以前に2人がとても仲良さそうに歩いているのを見た事があったから…だから付き合っているのかもしれないって言っただけなんだけれど」
  するとこれを受け、今度は龍麻が美里を庇うような口調で皆に言った。
「 うん、そうだよ。美里は断定なんかしてないよ。ただ俺も勝手にそうかもなって思っただけ」
「 た、龍麻さん…?」
「 比良坂さん、美里はそんな嘘ついたりする奴じゃないよ。勘違いされたのが嫌だったのなら悪かったけど……。でも」
  ちらりと壬生の方を見てから、龍麻は少しだけ寂しそうな顔をして笑った。
「 でも今は嘘でも、これからは分からないだろ? だって…実際2人がお似合いなのは…本当の事だし」
「 龍麻さ……」
「 龍麻ッ!!」
  その時、比良坂が声をあげる前に壬生がこれでもかという程の大声を出した。誰もが彼のそんな声を聞いた事がなかったので驚き呆気に取られていると、壬生はそんな比良坂たちには一切構わず龍麻の手首をぐいと掴んで引っ張った。
「 ちょっ…壬生?」
「 来て、龍麻」
「 え、でも待っ…! 俺、俺、裸足で…!」
「 ………」
「 壬生!」
  必死に言う龍麻には構わず、壬生はそのまま比良坂たちには目もくれずに龍麻を階下へ連れて行ってしまった。
「 ………何あれ」
  藤咲が呆れたようにやっと声を出すと、美里がうふふと薄く笑って片手を頬に当てた。
「 ああでもしないと素直になれない困った2人よね」
「 は?」
「 あの2人、両想いよ。ずっと前からね」
「 ……ちょっと美里?」
  怪訝な顔をする藤崎に美里は依然あっさりとした口調で言った。
「 誰が何をしようが勝ち目はないわ。でもあんまりのろのろとお友達ごっこをしているから我慢できなくなったのよ。相手を蹴落とすのもOK…なら、手助けだってOKのはずでしょ」
「 そりゃそうだけど…」
「 美里ちゃんは〜。それでいいのぅ?」
  藤咲と高見沢がやや納得いかないというような顔でいるのを美里は悠々とした笑みでもって肯定した。そして未だ1人ボー然としている比良坂に同じような視線を向けると、彼女はこれでもかという程の厭味な美貌で静かに唇を動かした。
  比良坂に向けて、というよりはどこか独り言のような感じで。
「 …悲しいけれど…誰かさんに取られるよりはマシよ」
「 ……それって」
「 ………ハッ!?」
  藤咲がちらりと向けてきた視線に気づき、比良坂はようやっと意識を元に戻し焦ったようにきょろきょろ周りを見渡した。龍麻がいない、壬生もいない。ああ、そうだ。2人して何処かへ行ってしまったのだ。そして彼らは「両想い」だと美里は言って、その美里は…。
「 あ…!」
  その時になって初めて、比良坂は美里が言った「誰かさん」とやらが自分であるという事に思い至った。それで咄嗟にむかっとして頬を膨らませたのだが、それはその場にいる全員が心で「遅いだろう」とツッコミを入れずにはおれないような鈍い反応だった。
  もっともこの時の比良坂にとって、それはどうでも良い事だったのだが。
「 何で…っ。何で私よりマシなんですかっ。龍麻さんを取られちゃうなら同じ事じゃないですか」
「 あら、違うわよ」
「 どうしてっ」
「 どうしても」
  うふふと意味不明な笑みを浮かべられて、比良坂は気味の悪いものでも見るような目で一歩後ずさった。藤咲と高見沢はまだ慣れているようだが、比良坂はこの菩薩の微笑みには一生慣れそうにないと思っている。胡散臭い事この上ないし、この何もかも見透かされているような態度が気に食わない。
  龍麻が壬生を好きだというなら、自分だってたった今フラれたという事ではないか。何故そんなに余裕なのだ。
「 私…私、貴女のこと嫌いです!!」
  殆ど八つ当たりの体だったが、比良坂は必死の思いでそう言った。人前で、ましてやその当人を前に好き嫌いを口にする程わがままな人間ではないと思っていたが、比良坂は思った程素直にそんな感情が出せた自分に驚いていた。
「 結構よ」
  けれど比良坂にそう言われた美里は相変わらず悠然としていた。
  そして言った。
「 龍麻に好かれないのなら、誰にも好かれたくはないわ」
「 ……っ」
「 ふーん。長い間、何だかんだで辛い想いしてたのね、あんたも」
  絶句する比良坂の代わりとでもいうように、大して同情した風でもない様子で藤咲が苦笑して返した。
「 あれ〜? 下にもダーリンたちいないよ? 何処行っちゃったんだろうね? ダーリン靴履いてなかったのにぃ」
  女性陣で唯1人、未だ能天気な様子の高見沢の声を耳にしながら、比良坂は何だか急に脱力した思いで「はあぁ」と大袈裟なため息をつき、項垂れた。
  美里葵はちっともヒロインらしくない。
  男好きで派手な藤咲や、単純天然娘の高見沢も、龍麻に相応しい恋人ではないと思う。
「 ………」
  そして、自分も。
「 私……。まだ全然、龍麻さんのこと分かってないんですね…」
  思わず呟いてしまった弱音のようなものに自身で苦笑しながら、比良坂は「でも壬生さんに手を引かれて困っていた龍麻さんはやっぱり可愛かったな」と思った。





  後日、また病院で龍麻と会った時、比良坂は割とサバサバとした気持ちで彼の人と面と向かう事ができた。
「 こんにちは龍麻さん。お加減はどうですか?」
「 うん、いいよ。ありがとう比良坂さん。何だかすっかり看護士さんだね」
「 えへへ…まだまだ見習いです」
「 そんな事ないよ。ナース姿も素敵だよ」
「 ………」
  そんな風にさらりと誉めるこの人はヒドイと思ったが、不思議と腹は立たなかった。それはたぶん自分が美里や藤咲のようにこの龍麻を「男」として見ているのではないからだろうと、比良坂はごく自然にそんな事を思った。
  龍麻は不思議な人だ。とても好きで愛しいけれど、この男に抱かれたいとは思わない。
  そうではなくて……。
「 その後壬生さんとはどうですか? 仲良くしてますか?」
「 えっ…。あ、う、うん。仲良くしてるよ…。ご、ごめんな、あの時何か。みんな置いて…勝手に…」
「 壬生さんの家に泊まったんですよね。大丈夫でした?」
「 な、何が…」
  ぎくぎくとしている龍麻を本当に可愛いと思う。比良坂は今ではすっかり破顔して、龍麻に極上の笑みを見せた。
  龍麻が壬生のような男を好きだというのなら、可愛いだけの女では駄目だ。それは悔しいがあの時の美里葵を見て学んだ。同時に、自分の龍麻に対する「一風変わった感情」も。
「 龍麻さん」
  比良坂は元気な明るい声で龍麻を呼んだ。まだまだ諦める気など毛頭ない。それは美里たちにしてもそうなのだろうが。
「 龍麻さん、何か困った事があったら何でも私に言って下さい! 私、龍麻さんの為なら何だってしますから!」
「 え、ええ…? そ、そんなのおかしいよ…。俺こそ、比良坂さんが困ったら…」
「 私は大丈夫です! 強いですから!」
「 強い…?」
「 はい!」
  力強くそう返事する比良坂に、龍麻はまじまじと見やった後、尊敬するように途端目をきらきらさせた。
「 凄いね、そんな風に言えるなんてさ。俺、強い人は尊敬する」
「 そうですか! じゃあ私、もっと強くなりますね!」
「 ふふ…何か変だね比良坂さん…」
「 はい! 変じゃなきゃ、この競争の厳しい世界で生き残れませんから!」
  受身では駄目だ。常に攻めていかなければ。
「 私、参戦が遅かったからちょっと不利だと思うんですけど。でも頑張りますね龍麻さん! まだまだ先は長いですから!」
「 え? う、うん。頑張ってね…?」
「 はい!」
  押せ押せのムードで龍麻にそう言い切った比良坂はまた1つ大きく笑うと、胸に抱えていたカルテをぎゅっと改めて抱えこんだ。今度は落とさない。そしていつしか龍麻をこういう風に強く強く抱きしめたいと思った。




<完>






■後記…紗夜ちゃんって確か復活した後って看護士さんを目指すんでしたよね??違ったっけ(汗)?遠い昔の記憶を引っ張り出しながら、紗夜ちゃんナース奮闘記みたいにしようと思ったのに、何か妙な多角関係っぽい話になってしまった…(しかし所詮壬生主)。でもやっぱりブランクあるとライバルあんなにいる中でなかなか接近なんかできませんよね〜。ましてやいつでも菩薩様がくっついてるのに。うちでは紗夜ちゃんはホント第二ヒロインらしからぬ扱いなんで、今度はもうちょっといい目を見せてあげたいものです。