龍麻や彼の仲間たちは皆、普通の人間にはない特別な《力》を持っている。
――が、それと《霊感》とは全く別のものである。
「あ〜、ひーちゃん、幽霊が憑いてる〜。キシシシシ……」
「ひいっ!?」
無論、仲間内には裏密のようにその《霊感》とやらが鋭い者もいる。…けれど、そんな彼女が放った台詞にさっと青褪め飛び退ってしまう醍醐のような男がいるのもまた事実だ。「幽霊が憑いてる」と言われた当の龍麻はひょうひょうとしていたが、隣を歩いていた醍醐は学校の廊下でばったり出くわした裏密にすっかり冷や汗状態だった。
「な、なな何を裏密、また馬鹿なことを…! 龍麻に幽霊などと…!」
「だって〜、憑いてるものは憑いてるんだもん、キシシシシ……」
「ひいいっ」
いつもは豪快でどっしりと落ち着いて構えているはずの醍醐が実に情けない声をあげる。普段は努めて「怖がりな自分」を隠そうとしているのだが、不意打ちをされるとどうにも弱いらしい。
「ったく、しょうもねェな…」
それに対して、実に胡散臭そうな声を出したのは、同じく龍麻の傍を歩いていた京一だ。醍醐よりは幽霊話に耐性のある彼は、しかし特別好きな話でもないのだろう、とことん迷惑そうな顔をして思い切り舌を打った。
「で? 裏密よ。そのひーちゃんに憑いてる幽霊とやらは、イイ霊なのか? それともヤバイ系なのかよ?」
「何だよ京一、その言い方〜」
するとこれには龍麻がとても嫌そうな顔をして眉をひそめた。別段、普段が普段なので、龍麻は幽霊の1人や2人が憑いていても構わないと思っているが、その霊が良いのか悪いのか、そんな細かい話までは知りたくないというのが本音だった。
「他人事だと思って軽く訊くなよ。俺は別に知りたくないんだから」
「つってもよー、もし悪いモンだったら放っておくわけにもいかないだろ? 悪霊だったら祓っておかねェとな」
「京一、そういうの信じる方だっけ?」
「べっつに。けど、ひーちゃんに何かが憑いてるってのは、単純に面白くはねェな」
だって誰かが見てると思うと、こうしてしょっちゅうくっついていられねェだろ?と、京一はおどけたように言いながらも龍麻の首に腕を絡めてきた。
「って、もう! そうやってくっついてくるなって!」
「何だよひーちゃん、冷てェなぁ。俺とひーちゃんの仲だろう?」
龍麻の迷惑そうな顔にも、京一はしれっとして悪戯小僧のように笑うのみだ。以前から京一の龍麻に対するスキンシップは実に激しいものがあったが、最近はそれに加速度が増している。本人は「寒くなってきたから」などととぼけているが。
しかし、龍麻がいよいよ「本当にやめろって」とその腕を振り払おうとした、その時だ。
「いってえ!」
京一が突然頭を抱えてその場に崩折れた。
「え…? 京一?」
これには龍麻も驚いて自分の足元に膝をついた京一に目を見開いた。龍麻自身はまだ何もしていない。確かに多少力を込めて振り払おうとしたけれど、それもまだ実行前だ。
京一はいきなり誰からの干渉もなく、突然倒れたように見えた。
「っててて…。くっしょう、誰だよいきなり叩いたの!」
「俺じゃないよ…」
「ウシシシ……ミサちゃんも〜知らな〜い」
裏密はつぎはぎだらけの人形を掻き抱きながら緩く首を振った。醍醐はただならぬものを感じてフリーズしている。
ここにいる3人は本当に京一に何もしていないようだ。それを察して、被害者である京一も後頭部を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
「マジかよ…? けど確かに何かがゴッツーン!ってきたんだぜ…?」
「頭痛じゃないのか?」
「こんな頭痛あるか?」
「キシシシシ……」
京一と龍麻の間の抜けた会話に、裏密が白い歯をにったりと見せてからずいと一歩近づいてきた。その迫力に2人が思わず仰け反ると、裏密はそんな2人(+フリーズ中の醍醐)をわざと順繰りに見やってから、世にも恐ろしい低音で言い放った。
「今京一く〜んを〜、叩いた〜のは〜、ひーちゃんに憑いてる〜幽霊だよ〜」
「はあ?」
「ええ?」
「ひいいいっ!」
最後の1人だけ悲鳴のような声をあげて飛びあがったが、当の京一と龍麻だけはぽかんとしてそう言った裏密を見やった。
それから龍麻が改めて裏密に問い質す。
「幽霊が?」
「うん〜」
「京一の頭を叩いたの? 俺に憑いてる幽霊が」
「そうだよ〜」
「何で?」
至極もっともな質問をする龍麻に、裏密は「あれあれ〜」と間延びしたような声を出した後、まるで分かっていない、駄目だなというような態度で緩く首を振った。
それからびしりと龍麻を指差し、言う。
「そんなの〜決まっているでしょ〜? 幽霊はね〜、京一く〜んを〜怒ったの〜。自分のひーちゃんに馴れ馴れしくするから〜」
「はあ!?」
しかしこれには京一が目を吊り上げて怒声を上げた。
「何っで、俺が幽霊に怒られなくちゃなんねーんだよっ。俺がひーちゃんにいつ触ろうがどう触ろうが、勝手だろうがッ! 何て生意気なユーレーだ! こうなったらもっと触ってやる! ほれほれ!」
「ちょっ…! やめろって、京一!」
何をムキになっているのか、京一がいきなり龍麻を羽交い絞めするようにして抱きついてきた。龍麻はいきなりの事で勿論抵抗しようとしたのだが、しかしそれを制止するよりも前に、京一からの拘束はまたぷっつりと止んだ。
「……あ」
何の事はない、京一が再度正体不明の衝撃を受けてその場に倒れこんだのだ。しかも今度は相当な打撃だったらしい。京一は床に突っ伏したまま全く動かなくなってしまった。
龍麻は暫し唖然としてそんな相棒の無残な姿を見やったが、やがて裏密に恐る恐るという風に問いかけた。
「今のも幽霊?」
「そうだよ〜」
「俺に触っただけで、こう?」
「嫉妬深い幽霊ちゃんなんだね〜キシシシシ……」
「うーん」
龍麻は楽しそうにする裏密をよそに、困ったものだという風に腕を組んで首をかしげた。
別に幽霊を怖いとは思わない。むしろ傍でいよいよ涙を滲ませてきている醍醐という友人の存在の方が稀有だ。いつもそれよりよほど恐ろしくて凶暴な異形や、そんな「化け物」たちよりも相当に空寒いヒトとの戦いを繰り広げている自分たちなのに。
今さら幽霊が憑いているからと言って、怯える方がどうかしている。
「あのさ、醍醐。今日は別々に帰ろうか? 俺なら独りで平気だし」
「し、ししし、しかし、龍麻…!」
「ああ、いいからいいから。幽霊なら、俺が何とかするしさ。ね?」
しかし、基本的には「別にいい」のだが、醍醐のような幽霊が駄目と言っている仲間たちと思うようにコンタクトが取れないのは今後の戦いにも響くし、困る。
龍麻は廊下で突っ伏している相棒の事を裏密と醍醐に任せた後、とりあえずは独りで校舎を出る事にした。姿は見えないけれど、どうやら本当に憑いているらしい幽霊と話をしなければと思いながら。
「さて、と。ここが俺の家」
独り暮らしのアパートに着いてから、龍麻は一見誰もいない状況下で気さくな感じで話し始めた。
「もしかしたらもうとっくに俺に憑いてて、この部屋の事も知ってるのかもしれないけど、一応案内するね」
そうして律儀にここがリビングでここが台所。風呂とトイレはあっちで、寝室もあるけど、眠い時はリビングでそのまま寝ちゃったりするよなどと普段の自分の生活を紹介してみせた。
冷蔵庫にはあまり食べ物は入っていないけど、時々遊びに来る仲間たちが料理を作ってくれたり奢ってくれたりもするから、食べるのには困らないという話もした。
「……あ。でも、俺が仲間と仲良くしてるなんて話したら、キミはもしかしてヤキモチ妬いちゃうのかな? 俺に優しくしてくれるヒトに酷い事したりする?」
苦笑したように龍麻は訊いてみたが、当然の事ながら返事はない。元々龍麻自身、霊感とやらを持っているという自覚はなかった。確かに普通の人間が見えないモノを見たりするが、それも己の宿星とやらで備えつけられた能力だ。別段自分自身が鋭い方ではないと思うし、実際知らぬ間に憑かれていたというのだから、その存在を教えてもらったところで、急にその姿を認識出来るわけはない事も分かっていた。
それでも龍麻は居間のローテーブルの上に麦茶の入ったコップを2つ置くと、辛抱強く話し続けた。
「さっきのさ、京一あたりになら、多少こづいても大丈夫だけど。ははっ、あいつって結構頑丈だからさ。でも、その横にいた醍醐にはあんまり意地悪しないで欲しいな。あいつ、さっきの見てて分かったと思うけど、すっごい怖がりなんだ。キミが気を悪くしないといいけど、幽霊って聞いただけで震えあがっちゃうから。あんなでかい図体してて」
話しているうちに、根拠はないけれど「きっとこの幽霊は女の人だな」と龍麻は思った。分からない、まだ実際に何も感じてはいないのだけれど、自分の周りを流れる空気がとても繊細で弱々しいものに思えたから。
しかもこれは、どこかで感じた事のある氣……?
「あ、あとね。俺と同じ学校の美里さんや桜井さんって子たちも、しょっちゅう一緒にいるけど、あの子たちにも何もしない方がいいよ? これはね、醍醐に対する気遣いとはちょっと違うんだ。どっちかって言うとキミの為に言ってる」
はははと龍麻は1人で笑って、きっと意味が分かっていないだろう幽霊に親切に付け加えてあげた。
「だってね、彼女たちってきっとキミより断然強くて怖いんだ。もし俺にキミが憑いてるって分かったら、きっとすぐに何とかしようとしちゃうよ。女の子って男より断然怖いよね」
そういうキミも女の子みたいだけど、と龍麻は言ってから、不意にしんと口を閉ざした。
目の前のグラスに入った液体が微かに揺れ動いたように見えたのだ。
「……俺さ」
それをじっと見据えながら龍麻は続けた。
「みんなと仲良くて、実際みんなの事好き、だけど。きっと……あのさ、もしキミが俺が考えているように俺の事を想ってくれているなら、きっと心配するような事は何もないんじゃないかな?って思うんだ。……だって俺は、どこまでいっても、きっとずっと独り、だし」
それは偽らざる龍麻の本心だった。
きっと一生誰にも明かす事のない本当の気持ち。
「本当だよ? この世にいられないキミに嘘はつかない。だから、さ。キミと、同じだね?」
チ、ガ、ウ………。
けれど龍麻の台詞に、不意に酷く悲しそうな、それでいて怒ったような声が周囲の空気をぶらせながら湧き上がってきた。
「え?」
龍麻がそれに驚いて眉をひそめると、突然目の前のグラスがカタカタと激しく揺れた。中の液体が零れそうになって龍麻が慌ててそれを掴むと、同時にそうした手首に強い力が加わった。
「わっ……。キミが、触れて、るの?」
確かにそこにいる感触。思わずゾワリとしたが、怖いとは思わなかった。
心を落ち着かせ、その触れられている感触だけに意識を集中する。
そうしてキミを見たいと龍麻が願うと、目の前にはすうとその人物が現れた。
それは黒髪の、いつか出会ったあの少女。
「ああ……やっぱり。会った事ある人だと思ってた」
龍麻が別段驚いた風もなく言うと、龍麻の手を掴んでいたその細く白い手はすっと離され、目の前の少女はやや翳りのある顔をして俯いた。
「ごめんなさい……」
そうして透き通った声でそう謝る。どうしてと訝しむと、「お友達を…」と言いかけたので、龍麻はすぐに「ああ」と頷いた。
「京一の事なら気にしなくていいって言っただろ? あれくらいじゃ、びくともしないよ、あいつ」
「……ヤキモチ、だったの」
「うん」
少女の正直な告白に龍麻は笑って頷いた。
けれど少女は龍麻を見ない。ゆっくりとかぶりを振りながら続ける。
「あの人……あのクリスマスの夜にも緋勇さんと一緒にいて…。私……凄く、羨ましかった」
「一緒にいた事、知ってたんだ?」
「いつも見てたから……」
少女は半透明な姿ながらも頬を薄っすらと赤く染めて素直に告白した。
そうして初めて顔を上げると、困ったように口を開いた。
「ごめんなさい…。こんな風に取り憑く気なんてなかったんです。ちょっと……ほんの、ちょっとだけ。緋勇さんの傍にいたいと思って」
「別にいいよ? 俺の生活なんて、別段見てても面白くないと思うけど」
「成仏……しなくて、いいんですか?」
龍麻のいやにあっさりとした返答に少女の方が驚いたようになって目をぱちくりさせた。
龍麻はそんな彼女の表情が可笑しくて「ははっ」と噴き出した後、「うん」とあっさり頷いた。
「別にしたくないならしなくていいよ。あ、よく成仏させないと霊が困るって言うけど…どうなんだろう? キミが困るなら、した方がいいんだろうけど」
「……私、最期にもう一度……緋勇さんとお話したかったんです」
少女の言葉に龍麻は浮かべていた笑顔を引っ込めた。
それを言うなら、それはきっと自分の方だと龍麻は思った。
彼女の―六道世羅―という、この少女を救えなかった、その事は龍麻の中でも随分と深い棘になって心の中に残っていたから。失ってしまったどの敵も、どんな人でさえ龍麻にとっては痛手なのだけれど、何故か彼女の事だけはより強い悔恨として忘れられずに胸に在った。
だから彼女がこうして現れたのは、そんな自分の願望こそが彼女を引き寄せてしまったに違いないのだと思う。
「俺、基本的に薄情だから」
世羅を前にして龍麻は自嘲気味に言った。
「さっき言ったでしょ。きっと俺はずっと独りだって。みんなのこと、好きだよ? それに嘘はないけど、でもきっと誰も受け入れられない。それはキミも例外じゃないけど……でも、俺はそんな自分を捨てられない。嫌いだけど、捨てられない」
「……でも、貴方は私の事も見捨てようとしない」
「忘れられないだけだよ」
世羅のいやにきっぱりとした言い様に、龍麻は少しだけ困ったようになって苦笑した。
「俺が勝手に……君に申し訳ないって思ってて……君を忘れられないだけ」
「私のことを……?」
「うん。どうしたって忘れられない。でもそれはきっと君の為じゃない。俺自身の為に」
「……十分です」
世羅は龍麻にふっと慈しみの笑顔を浮かべるとぎゅっと目を瞑った。
それからすうと身体を透明にしていきながら、「ありがとう」と龍麻に礼を言った。
「遊びに来ます…。もし貴方が私を必要としてくれるのなら、いつだってまた来る」
「……男に利用されてばっかりの人生でいいの?」
龍麻の自嘲気味な台詞に世羅はふっと薄い唇を上げた。
「いいです。だってそれが私の……そういう運命だったんですから」
その台詞は諦めでも厭味でもなく、彼女の純粋な想いからきた心からの言葉のようだった。
世羅は初めて色艶のある大人の女性のような顔をした後、今度こそ本当に龍麻の目の前から消えてしまった。
最期にちゃんぷん、と。
グラスのお茶を飲み干して。
「ははっ。お酒にしたらもっと凄い飲みっぷりになりそう」
龍麻はそれを楽しそうに見やった後、暫くして自らも「ありがとう」と礼を言った。
そうして。
「明日は京一や醍醐に自慢してやらなきゃ。すっごい美人の彼女が出来ちゃったって」
龍麻はおどけたようにそう独りごち、それからごろんと横になって手足を伸ばした。
もう周りに先ほどの空気は感じられない。
龍麻は目を瞑った。そうして「ああ何て理不尽な世の中だ」と、心の中だけで毒づいた。
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