鼻先を掠めるそれは
「 あれ…?」
妙に首元が苦しいと思って龍麻が目を冷ますと、自分を抱き枕のようにしてしているその太い腕からは仄かな石鹸の匂いがした。
「 お前には似合わないぞ…」
ぼそりと呟きながら遠慮がちにその腕をを取り去ろうとすると、相手はむにゅむにゅと寝言のようなものを呟きながら更にぎゅっと強く抱きついてきた。
「 こら。アラン」
龍麻が迷惑そうにしながらベッドの中でもがくと、その人物…アランは、もう一度口元に気持ちの良さそうな笑みを浮かべ、やがて薄っすらと目を開いた。
「 ン……アミーゴ」
「 重いんだよ。お前の腕。首絞まる」
「 Oh……」
ごめんネ、と小さく謝り、アランは素直に龍麻へ向けていた腕をぱっと解いた。ただし完全に離れる気はないらしく、今度は布団の中へ手を差し入れて、龍麻の腰をぐっと掴んで引き寄せる。
「 暑い」
迷惑そうに龍麻はそう不平を述べたが、相手はびくともしなかった。
「 ダイジョブ。今、冬ネ。こうしてた方が寒くナイ」
「 俺は暑いって言ってんの」
「 ソウ? でももうチョットこうしてまショウ?」
「 もうちょっとって…。もう…」
龍麻は少しだけ憮然とし考える素振りをしながらも、しかし無理にその手を引き剥がそうとはせず、おとなしくアランの胸に顔を寄せた。その厚い胸板からも先刻の石鹸の香りがする。くんと鼻を寄せ、龍麻はその心地良さに思わずクスリと微笑んだ。
「 何?」
「 南国男に似合わない匂いだなと思って。いつの間に風呂入ったんだ?」
「 ンー。アミーゴが寝た後…かナ?」
「 お前の方が先に寝たのに」
一体いつ起き上がって浴室に行ったのだろうと思ったが、どうにも記憶がない。久しぶりだった。誰かをこの部屋に呼んで、こんな風に無防備に寝てしまったこと。
こんな風に甘えるように誰かの胸に顔を寄せたこと。
「 でも不思議だなあ…」
「 何ガデス?」
「 自分が寝たのも記憶ないけど、何だって2人で1つのベッドに寝てんの? お前には下に布団引いてやっただろ」
「 Oh、そんなの知りまセン。ボクはアミーゴとこうして一緒ネル為にお泊まり来たネ。布団イラナイ」
「 あのな…」
呆れたように龍麻は声を出しかけたが、アランがおもむろに顔を寄せ髪の毛にキスをしてきたので、その後の言葉は飲み込んでしまった。この男にとってキスは日常茶飯事なのかもしれないが自分は違うと龍麻は思う。こんな風に肌を寄せ合い、唇が降りてくる事に途惑いを隠せない。かといって、あたふたとしてみっともない様子を見せるのも嫌だ。
そんな事をつい考えこんでいた龍麻に、アランは代わりのように口を開いた。
「 タツマ。アミーゴもトッテモ良い匂いするネ。お日様の匂い?」
「 ええ…? 俺、そんないいもんじゃないよ」
「 イイモン?」
「 ……お日様の匂いなんてしないってこと」
多少抗議するように龍麻はそう言って唇を尖らし、アランの胸を軽く手で押した。そのせいで少しだけ出来た隙間を何となく見やりながら、龍麻は太陽というものを連想するならお前ほどふさわしい男はいないだろうと心内だけで呟いた。声に出してやっても良かったのだが、そこから妙な展開になりでもしたら嫌だったので黙っていた。アランと真剣な話はしたくなかった。
「 アランてさ」
わざと口調を変えて龍麻は言った。
「 もっと胸毛とかあると思った。もじゃもじゃってなってて、そんでさ、すごく男臭いの。暑苦しくて…まあ、それはいつも暑苦しいけど、もっともっと一緒にいて鬱陶しい奴って」
「 ひどいネ。デモ龍麻そう言ウ、思ってた程ボクは暑苦しくナイってコト?」
「 うーん……うん。そうかも」
「 嬉しいデス」
素直な目をしてアランはそう言い、それから2人の間に距離を作りたくはないとばかりに龍麻の腰を再度引き寄せた。
それで龍麻もまた逆らう事なくそんなアランの胸に顔を寄せた。嫌じゃなかったから。
「 ………」
どくんどくんと静かに鳴るアランの心臓の音を聞く為、龍麻は目を閉じた。ああ、コイツはいつだったか俺に「自分は時々死んでるんじゃないかと思う時がある」と言った事があったけれど、しっかり生きているじゃないかと思った。
そう、アランとはそんな話を1度だけした事があったのだ。
死んでるんじゃないか、生きているという感じがしない…と。
アランは確かにそう言った。いつもいつも底抜けに明るい顔をしてただバカみたいに笑って女の子を追いかけて、時々こちらを見て「好き」と告白してくるだけの。
異国人のおかしな男のはずだったのに。
「 ……なあアラン」
「 ハイ」
そこまで考えて、しかし龍麻はそれらの思考を振り払うように首を振った。何かに急かされるようにアランの名前を呼び、そうして龍麻は茶化すように目元を緩めた。
「 みんながこんなところ見たらどう思うだろうな。お前は風呂上がりでパンツ一丁。俺はパジャマ着てるけど、お前にこうやって抱きしめられててさ。怪しいだろ。どう見ても」
「 ウーン。デモ、まだヤッてないデス」
「 ……露骨に言うなよ」
龍麻の引きつった笑いにもアランは同じように微笑みつつも結構真剣な口調で返した。
「 ミンナが見たらきっと誤解するネ。ケド、実際はアミーゴとは何もしてないカラ、ボクはチョトダケ損。別に構わないケドネ」
「 へえ? 何で?」
「別にいい」と言ったアランに意外な気持ちがして龍麻は咄嗟にそう訊いていた。実際不思議だった。嘘か本当かいつも熱烈な愛の告白をするアランに部屋へ来いと言ったのは自分だ。それなのにアランはただこうして同じベッドで眠っただけ。別に手を出されたいなどと積極的に思うわけでもなかったが、相手の心意が分からない事は確かだった。
「 何で俺が寝てる時に手、出さなかったの?」
「 ウーン」
「 やっぱいつものは冗談で、お前は女の子が好きなのかな?」
「 ウン? 女の子は勿論好きだケド、ボクはアミーゴの方がもっと好きだヨ?」
アランは苦笑しながらそう答え、相手の機嫌を取るような仕草で「良い子良い子」と龍麻の背中を何度となく撫でた。
そして言った。
「 昨日ネ、アミーゴやキョーチたちとミンナで食事して楽しかったネ。トッテモ。だからボクはそのまま帰ってもイイ思ってタのに、アミーゴがうちに来い言っタでショ? ボク、スゴクびっくりシタ」
「 そうなの? テンション高くてノリノリだったじゃん」
「 ああ、ああいうボクにアミーゴは安心してルみたいナノデ」
「 は……?」
何かとんでもない事をさらり言われてしまった気がした。
「 …………」
思わず唖然として動きを止めると、アランはそんな龍麻にまた苦笑し、再度「何でもない」と優しく背中を撫でてきた。
それで龍麻も逃げるタイミングを逸してしまった。
「 ねえ龍麻」
その声が聞こえたのはその直後だった。
「 え……」
幻聴か。
まるで日本人のようなすらりと滑らかなその音に、龍麻は思わず顔をあげた。
「 アラン…?」
いや、幻聴ではない。
視線の先には自分の名を呼んだ男…アランの強い眼差しがあった。
「 龍麻」
そのアランがもう一度龍麻を呼んだ。そして言った。
「 こうやって一緒に眠る。それだけでも、ボクはいっぱい、幸せだから」
「 …………」
「 どうしまシタ?」
黙りこむ龍麻にアランは少しだけ困ったように覗きこむような瞳を向けた。龍麻はそんなアランを何故かまともに見ていられなくて、逃げるように元いた懐に逃げ込んだ。ぎゅっと縋るようにしてその胸に顔を埋めると、またとくんとくんという心臓の音が聞こえて、そして――。
石鹸の香りがした。
「 昨日……お前に声を掛けたのは、気紛れだよ」
意地悪かなと思いながらも龍麻はそう言った。
仲間たちと顔をあわせた帰りはいつも一騒動あって、彼ら彼女らは「誰が龍麻を家まで送るか」で無益な火花を散らす。誰とも帰らない選択肢はないのだろうかと心密かに思うのだが、口を挟む余地は与えられないから大抵は黙ってその光景を眺めている。
けれど昨日は言ったのだ。みんなの前で、アランに。
お前がいい、お前が送っていけと。
「 何でかな…。暑苦しいって、煩いって思ってたお前を選んだのは」
「 そういう日もあるって事ネ」
「 んー?」
あっさりとしたその返答に不思議そうに声を返すと、アランはそんな龍麻の頭を撫でながら言った。
「 お日様だってたまには自分以外の違う光当たりたくナル。ボクはアミーゴと違ってウソモノの太陽だケド…アミーゴの為なら頑張って照らすカラ。安心して日向ボッコして?」
「 ……お前の話は相変わらずよく分からないな」
「 ソウ? 簡単な話だけド」
「 ……まあいい」
お前と小難しい話はしたくないから。
きちんと声になっていたかは分からなかったが、確かにそれだけを思い、龍麻はその後考えるのをやめた。
そうして今度は自分がとばかりにアランの背中に自らの腕を回し、ぎゅっと強く抱きついた。男らしいがっちりとした体躯に少し羨ましさを感じながら、それとは相反するような香りには、龍麻はやはりまた笑ってしまった。
「 何か…眠くなってきた。リラックス効果有りなの、この香り…?」
「 何? アミーゴの家の石鹸ヨ?」
「 嘘だあ…」
自分はこんなに安らぐ匂いを纏ったりしていない。
龍麻はアランの言葉に力なくかぶりを振った後、まあ何でもいいやというように深く瞼を閉じた。その瞬間、ふわりと額に優しいキスが降りてきて、龍麻はこういうのは好きだなと何となく思った。
だからその後何度も繰り返されるアランからのキスを当然のように受け取りながら、龍麻は鼻先を掠める心地良い香りの中、もう1度深い眠りに落ちたのだった。
|