ひーちゃんはライダーを知らない
龍麻は新宿某所の映画館内で1人、大層居心地が悪かった。
先ほどから肩身の狭い様子で壁際の長いすにちょこんと座っているのだが、前を過ぎる子どもたちが皆こちらを見ているようで居た堪れない。実際は誰も龍麻の事など気にしていないし、気にする事など何もないとは分かっている。今も昔もヒーローもの映画に傾倒する人間は子どもに限らずたくさんいるし、現に我が子の付き添いでここへ来ているのだろう母親たちも、上映を前に誰それの役者がかっこいいのよねなどと嬉しそうな顔でお喋りをしている。
つまりは客層の9割が子どもだからとて、ヒーロー映画を観に来ている龍麻を嘲笑う者などここには1人たりともいないのだ。
「 でも場違いだよやっぱり…」
それでも、何度自分に言い聞かせても龍麻は今のこの状況を受け入れる事に苦労していた。一体どうしてこんな事になってしまったのだろうと思う。
「 おーい、ひーちゃんお待たせ!」
「 師匠ー! 見てくれよこの侠鬼ライダー限定グッズ! 苦労して早く来た甲斐があったぜ〜!」
上映を待ち切れずにそこらを走り回っている小学生たちよろしく、そんな彼らと何ら変わらぬ様子で龍麻に向かって声を張り上げたのは、何処にいても目立ちまくりなコスモレンジャーこと紅井猛と黒崎隼人であった。館内の売店を覗きに行ってくると出掛けてから大分経っていたが、なるほど限定グッズを漁っていたのかと、龍麻は心の中だけでため息をついた。
「 この必殺ブレードな、もうあと残り10人くらいで完売らしいぜ! 今日の初日上映逃したら絶対手に入れられないと踏んでた俺っちの読みはバッチリだったな!」
「 ひーちゃんひーちゃん、あと俺はこれ! 侠鬼の変身用ウォッチ! 洒落てるだろ、ここを押すとキラリと光って絵柄が変わるんだぜ!?」
「 ふうん……良かったね」
前を完全に封鎖された状態で覆いかぶさるように自分たちの「戦利品」を見せびらかす紅井たちに、龍麻は引きつった笑顔で何とか返した。そんな物、何で欲しいのか全然分からない。ただの棒だしただの時計じゃん。……本音ではそういう台詞がバシバシ出てきているのだが、折角喜んでいる彼らの気持ちを害してはいけない。
「 侠鬼って人気なの?」
仕方なく話をあわせようと無理して質問してみる。しかしそれが失敗の始まりだった。
「 あったりまだろー!? 何言ってんだよ、師匠!!」
「 侠鬼は今ヒーローものの中じゃ、抜群に優れた芸術作品なんだぜ!? だから映画化もされてるわけだし!」
「 へ、へえ…」
椅子の端っこに座っていたはずがいつの間にか紅井と黒崎に両脇を固められるように挟まれ、龍麻はその窮屈さに顔をしかめた。2人は途惑う龍麻には構わず、両サイドからそれぞれ勝手に今自分たちが夢中になっているヒーローの話を実に熱心に語り始めた。正直龍麻には興味のない話で、しかも彼らがそれぞれにまくしたてるので意味がさっぱり分からない。いっその事早く映画が始まってくれればこの拘束から逃れられるのに…と、ただ龍麻は2人のマシンガントークに翻弄され続けた。
「 ちょーっと、あんたたち!」
しかし龍麻にとってのその「拷問」は、思いのほか早くに解放された。
「 何を煩く騒いでいるの!? あんたらのバカ声、お化粧室のある通りの向こうにまで聞こえたわよ! 館内では静かに! そんなルールも守れないの?」
「 うっ…」
「 そ、そんなに騒いでたか、俺たち?」
「 騒いでた」
絶句する紅井、しまったというような顔をする黒崎にぴしゃりと容赦ない口調を浴びせかけ、その人物…コスモレンジャー最後の1人、コスモピンクこと本郷桃香は、呆れたように両手を腰にやった格好でため息をついた。
「 楽しみで興奮するのは分かるけれど、ヒーローらしからぬ態度はやめてよね。大体、龍麻君が困ってるじゃない! ヒーローたる前に、紳士だったらそれくらいの気遣いはしなさいよ。少なくとも、侠鬼ならそうしてるわ!」
「 えっ…師匠、困ってたのか!?」
「 本当か、ひーちゃん!?」
「 え? い、いや、まあ…その…」
「 こいつらを庇わなくてもいいのよ龍麻君」
両隣から悲しそうな視線を受けてもごもごと口篭る龍麻に、本郷がまたしてもきっぱりとした声で言った。そうして2人に挟まれ身動きが取れないような龍麻の手を強引に取ると、さっさとその背中を抱きながら歩き出す。
「 さ、こんな奴らは放って置いて私たちは早速中に入りましょ! 指定席だから場所は保証つきよ? 龍麻君もきっと面白いって言うと思うなぁ」
「 はあ…」
「 お、おいピンク! 待てよ俺たちも…!」
「 そうだぞピンク! お前、俺っちたちを出し抜いて師匠を独り占めすんなよなー!!」
背後から2人がガーガーと文句を言うのを龍麻は気にしたようにちらちらと振り返ったが、当の本郷は慣れたもので「無視していいから」と最後までつれなかった。
結局、4つ並んだ席でも「誰が龍麻の隣に座るか」という彼らの最大(?)の問題に、リーダー然とした本郷が一方的に決めて事なきを得た。
勿論、龍麻の隣は本郷。しかも、紅井と黒崎はその本郷の隣という配置であった。
そもそも何故4人でちびっ子たちに大人気のヒーロー映画を観に行く事になったのかというと、それは龍麻が「仮面ライダーって何?」と発した台詞に端を発する。
「 えええええええ!? ひひひひーちゃんっ。おまっ…ひーちゃん、仮面ライダーを知らないのか!?」
仰け反って驚きの声を上げた黒崎に龍麻の方こそが度肝を抜かれて先の言葉を失ったのだが、ふと横を見ると黒崎の相棒である紅井などは殆ど茫然自失の体でそのままその場に固まっていた。
「 そ、そんなにおかしい事なの…?」
まるで自分が悪い事をしてしまったかのようだ。
龍麻が困惑しながらぽつりと言うと、すぐに我に返った黒埼は「いやいやいや…っ」と一応首を振ったものの、後のフォローが見つからないのか、やはり紅井同様黙ってしまった。
「 うん。変。すっごく変!」
するとだんまりになってしまった男性陣の代わりのように、突然本郷桃香がびしりと龍麻の鼻先を指差しながら言ったのだ。
「 龍麻君、同じヒーローとして龍麻君がライダーを知らないなんて駄目よそんなの!」
「 そ、そうなの? だって俺、子どもの頃からテレビってあんまり見なかったし…」
小学校の頃からクラスの子たちがやっていた「ヒーローごっこ」などにも龍麻はあまり興味がなかった。彼らと一緒に遊びたいという気持ちはあったが、「正義が悪を倒す」というその単純な筋書きが何故か理解できなかった。
幼い頃から龍麻は己に襲い掛かってくる異形のモノたちを葬ってきたが、それは彼らがやっているごっこ遊びのように勇ましく心躍る行為などでは決してなかったから。
「 あ、ウルトラマンなら知ってるけど」
はっと思い出したような龍麻に、しかし本郷は冷徹だ。
「 そーお? それじゃ、初代から今現在テレビ放映された歴代のウルトラマンを全員述べよ」
「 ………い、言えないと何かマズイ?」
「 うん!!」
冗談なのか本気なのかイマイチよく分からないニヤリとした笑みで本郷は力強く頷き、それから何故か龍麻の両手をぎゅっと握って言った。
「 それじゃあ、今度の日曜日は私たちと映画を観に行きましょ! 龍麻君もきっと大ハマリするヒーロー映画やってるから! 日曜日は4人でヒーロー勉強会ね!」
「 ……勉強会」
今となっては何故そんな無理やりな誘いを素直に受けたのか、龍麻には分からない。ただあの時の状況は、いつもなら「大きなお世話だよ」とか「無理に押し付けないでくれよ」と思うようなものだったのに、龍麻は本郷らに対してまるで不快な気持ちを抱かなかった。普段なら絶対に暑苦しい彼らのそのノリに辟易していたはずなのに。
それがどうしてか分からないままに、龍麻は「分かったよ」と返事してしまっていた。
結局、ヒーローもの映画はあまり面白いとは思わなかった。
( まぁあんなもんだよな…。でも、子どもの頃見たら面白いと思ったのかな)
上映が終了し、明るくなった館内。嬉しさで頬を上気させ目をキラキラさせながら外へ出て行く子どもたちを見やりながら、龍麻は何ともなしに昔の自分を思い返した。
「 龍麻君の子どもの頃もあんなだった?」
横に立った本郷が話しかけてきた。彼女も作品の出来に満足しているのだろう、背後で何だかんだと物語の批評を始めた2人の仲間をちらと見ながら嬉しそうに口元を緩める。
「 カッコ良かったでしょ、侠鬼!」
「 あ…う、うん、そうだね…」
嘘のつけない龍麻である。
無理に肯定して頷いたものの、その表情で感動などしていない事はバレバレだ。折角誘ってくれたのに悪かったなと慌てて感想を付け足そうとしたが、先を読んだ本郷に片手で制せられ、代わりに腕をぎゅっと組まれた。
「 あ…?」
「 ふふ。ちょっとこうして歩こうよ、龍麻君」
「 う、うん…?」
本郷さんってこんな性格だったんだ…?
なかなか積極的な人だなとは思っていたが、こんな風にあからさまに腕など組んで、紅井か黒崎かが嫉妬しないだろうかと妙なところで心配になる。幸い2人はまだ席の所でヒーロー談義に花を咲かせていて、ロビーに出た龍麻たちにはまるで気づいていなかった。
「 あいつらは映画を観た後はいっつもああなのよ。復活するのに時間かかるから、ちょっとこのへんで待ってましょ?」
「 うん。あ…じゃ、じゃあ何か買ってこようか? 飲み物とか…」
「 んーん。いいよ。私は、今こうして龍麻君と腕を組んでいたいから!」
「 は、はは……」
映画を観る前に座っていた椅子に再び腰をおろし、龍麻は今度は本郷に身体を擦り付けられた格好で所在なく壁際に空いている方の肩を寄りかからせた。本郷から逃げるような所作で自然そうなってしまったのだが、当の彼女はそんな相手にまるで気にした風もなく、実に楽しそうな様子で龍麻の腕を両手でがっちりキープしてご満悦だ。
そして言った。
「 テレビや映画のヒーローってみんなカッコがド派手なのよね。勿論必殺技や、その他キャラの設定自体もド派手なんだけど」
「 キャラの設定?」
「 うん。大体不遇。元は悪っていう強烈なものも案外多いし。あとは子どもの頃に両親を悪に殺されていて孤独だとか」
「 ……そういえばそうだよね」
何となく引っかかるものを感じて、龍麻は一瞬言葉を出すのが遅れた。この本郷と知り合って暫くした後、龍麻は彼女からこう言われた事があるのだ。
龍麻君って、本当に理想のヒーローだよね!
「 人って『かわいそう』な設定が好きなのよ」
はっとして我に返ると本郷ともろに目があった。何故か焦ってしまい視線を逸らすと、彼女はそんな龍麻に苦笑いしたようだった。龍麻にはその表情は見えなかったが。
「 でもね、まあ…色々なヒーローがいるから一概にこうとは言いきれないけど、彼らって大抵天然だから。たぶん、ファンが思う程に彼らは自分の事不遇だなんて思ってない。ただやっぱり目立ちたくはないから、人々の知らない間に悪を倒し、人々からの賞賛も受け取らずに去っていく…! その正体を隠したままね」
「 正体がバレたら番組が続かないからじゃない?」
龍麻の思わず発したツッコミに、本郷はがくりとずっこけるフリをした後、声を立てて笑った。そうしてべしべしと片手で龍麻の腕を叩き、可笑しそうに言う。
「 もう何言ってんの! 本物のヒーローってね、つまりは、奥ゆかしいものなの。ド派手、不遇、当たり前だけど強い…。そういう当然の要素は実は大した問題じゃないわけね。肝心なのはその部分なわけよ」
「 奥ゆかしい…?」
「 そう!」
フフンと何故か得意気にそう言い切った後、本郷は「ちなみに」と偉そうにそのヒーロー考察につけ足しをした。
「 苦難から這い上がって頑張る姿も無条件にカッコイけどね。私ははじめっから大富豪なお坊ちゃんヒーローって設定も大好物なんだ!」
龍麻が「そういうのもあるんだ?」と訊くと、本郷はうんうんと深く頷いてから次の上映を待っているのだろう、整理券を持って並んでいる客たちに目をやった。
「 女の子は特にお金持ちのナイスガイには弱いものよ。エリートで更に裏では秘密のヒーロー業やってるなんて、それはそれでたまんないシチュエーションでしょ!」
「 そうかあ…」
龍麻にはイマイチぴんとくるものがないが、そういえば子どもばかりだと思っていた館内も、よくよく見れば若い女の子たちの姿も多く見受けられた。今もそうだ、本郷が目をやった先には彼女と同じ年、もしくはそれ以上というような層の女性たちが嬉しそうにパンフレットを握り締めて列を作っている。主役のヒーローは今注目の二枚目若手俳優というから、なるほどそのせいもあるのだろうとは思ったが。
「 奥が深いんだね、ヒーローものって」
龍麻がお世辞ではなく本心からそう言うと、本郷は「うん」と嬉しそうに笑った後、「で」と窺い見るように続けた。
「 龍麻君は立派なヒーローになれると思う?」
「 俺が?」
「 そうよ」
「 何で?」
「 だって龍麻君、これでもかって程理想のヒーローだもん」
「 誰の?」
「 私の」
「 ………俺、今の話に繋がる?」
「 そりゃそうよ! 一体何を聞いていたのおおお!」
大袈裟にそう言って更に腕をぴしばしと叩く本郷に翻弄されながら、龍麻は困ったように眉をひそめた。彼女が自分をこの映画に誘ったのはヒーロー業について勉強させたいからだと言っていたし、実際その気持ちについては理解しているつもりなのだが、はっきり言って役には立っていない。それに自分にはやっぱりヒーローなんて無理だと思う。
「 あのさ、だって柄じゃないよ俺は。ヒーローなんて」
「 んん?」
「 よく分からないもん。本郷さんたちコスモレンジャーみたいにヒーローの自覚ないし」
「 ………」
「 勉強会は……まあ、たまにならこういうのも面白いと思うし、仮面ライダーも分かったから良かったけどね」
「 ……何だ」
本郷の言葉に龍麻は申し訳なさそうに「ごめん」と言った。
けれど、その直後。
「 違う違う龍麻君。謝らなくていいの。だって、やっぱり君はちゃんと分かってるから」
「 え?」
「 龍麻君はやっぱり私の理想のヒーローだわ! 今日一緒に来て良かった!」
「 ……何で? 俺、何も分かってな……」
「 いいのいいの! 分からないんでしょ? それがヒーローよ! うんうん、よく出来ました!」
「 あの…?」
1人で納得しているような本郷に龍麻はますます混乱しながら、先ほどの会話を反芻してみた。
けれどやっぱりよく分からない。
「 あー…あいつら、遂に係の人に追い出されてんの」
するとそんな龍麻の耳に本郷の心底呆れたというような低い声が聞こえた。えっとなって顔をあげると、扉の向こうから館内係の男性に引っ張られるようにしてロビーに出てきた紅井と黒崎の姿が見えた。どうやら議論に白熱し過ぎて、次の上映時間になってもまだ席の所にいたらしい。ざわざわと周囲の注目を浴びているが、彼らにはどうという事もないのか、まだ愚にもつかない言い合いをしている。
「 ド派手で、目立つつもりがなくても目立ってる。…けど、残り2つの点でNGね。まったく修行の足りない連中だわ」
まるでお姉さんか保護者のような口ぶりで本郷が何やらぽつりと呟いた。その嘆息は彼らに対する情愛のようにも受け取れて、龍麻はちょっとだけ「いいなあ」などと思った。
そうして先刻からずっと自分の腕に絡み付いている彼女の両手を初めて意識しながら、こんな風に気軽な気持ちで他人と身体を寄せ合える彼女の屈託のなさこそが、1番ヒーローの理想に近い素晴らしいもののように感じられた。
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