「 ……1つ訊いていい?」
「 はい? どうかしたんですか、龍麻さん?」
「 えーと。何で舞園さんが俺んちにいるのかなって」
「 はい、お邪魔してます!」
「 いや…だからどうやって…」
「 だって鍵、開いていましたよ?」
「 え? ……そうなの?」
「 はいっ!」
元気良く返事をしてにっこりと笑う年下の女の子に、龍麻は胡散臭そうな目を向けつつも後の言葉を続ける事ができなかった。
ほんのちょっとの勇気で
龍麻が日本のトップアイドルである舞園さやかと知り合ったのは先月だ。例によって東京を取り巻く事件の最中、同じ《力》を持つ者同士引かれ合い、出逢った。その際、このさやかだけでなく、龍麻は彼女の幼馴染であるという霧島諸羽という少年とも知り合ったのだが、2人共真っ直ぐな直情タイプというところだろうか、いずれにしろ苦手なタイプだと龍麻は思っていた。
「 それで舞園さんは、俺の部屋で何してんの?」
「 はいっ。ビデオ観てます! 私のコンサートの時の!」
「 ……まあそれは見れば分かるけど」
今日も1日くたくただ。
若さに似合わず龍麻がぐったりとして家路に着くと、果たして憩いの場所である部屋にはさやかがいた。確かにさやかは大事な仲間だが、こうして留守中の自宅に入れるのを許す程の間柄ではない。
そのはず、なのだが。
「 あ、龍麻さん。龍麻さんが好きかと思って通りがかりのケーキ屋さんで美味しそうなの色々買ったんです。食べますよね?」
「 あ…うん。ありがとう…」
そうではなくて、さっさと帰ってもらわなくては。
そう思っているのだが、性格上なかなか強く出られない。京一や醍醐になら幾らでも悪態をついて蹴飛ばし追い出す事ができるが、それほどの仲にもなっていない女の子を無碍にするなど、龍麻にはできなかった。
しかし、実際その「それほどの仲でない」さやかが何故こうして我が物顔で自分の部屋にいるのか。
「 それに鍵…。俺、何で掛け忘れてたんだろ」
「 きっと龍麻さん、疲れてるんですよ。はい、紅茶も淹れました!」
「 あ、ありがと…って。そのカップ…?」
「 あ、これも通りがかりの瀬戸物屋さんで買ってきたんです! さやかとお揃いなんですよ!」
「 へ、へえ……」
もしかしなくても自分はさやかに気に入られている?
龍麻は今更その考えに至り、心の中で思い切り嘆息した。
東京に来るまでなかった事だが、相手の調子にとことん合わせるという特技のせいか何なのか、龍麻はこの半年で非常によくモテるようになっていた。同じ学校の美里や小蒔、それに同じ男である京一や醍醐にまで。そういえばさやかと一緒に知り合った霧島までもが、何かと用を思いついてはこちらにやってきて親しげに擦り寄ってくるようになった。
さやかはその仕事から言っても、こちらにしつこくしてくるような事はないと思っていたのだが。
「 どうかしたんですか、龍麻さん? ぼーっとして」
「 あっ…。うん、何でもないよ…」
「 ケーキどれがいいですか? やっぱり龍麻さんならショートケーキかなあ?」
「 え、何で…?」
「 何でって?」
「 何で俺だとショートケーキなの?」
「 イメージです!」
「 イメージ…」
「 はいっ」
「 ………」
さやかの屈託ない笑顔はどことなく毒に感じる。
龍麻は口元を引きつらせた後、今度はあからさまにため息をついた。
どういう娘か元々良く分かってはいなかったが、最初にふと感じた「苦手だ」という印象は間違っていないようだ。
それは決して「嫌い」という意味ではないのだけれど。
「 アイドルの仕事って大変?」
渡された銀のフォークでてっぺんのいちごを突付きながら龍麻は何気なく訊いた。テレビに興味はないからあまりピンとこなかったが、京一や、意外なところでは紫暮までもがやたらと興奮して騒いでいたから、さやかが世間にどれだけの知名度があるかは分かるつもりでいた。常に周囲に注目され、言ってみれば「監視」されているような生活だ。
龍麻はそんな仕事を選んでいる人間の気が知れなかった。
「 私、お仕事好きです! ちょっと辛い事もあるけど…でも、全然平気です!」
しかしさやかは眩しく微笑むと可愛らしく首をかしげた。
「 それに」
そして龍麻がそれに返す前に更に続けた。
「 龍麻さんの方がもっともっと大変ですから」
「 ………俺は別に」
「 いいえ」
さやかはふっと相手を労わるような優しい目をして龍麻を見つめた。龍麻はおや、と思った。さやかはいつでも元気に、それこそ相手の事には構わず突っ走るようなところがあると思ったのに。
こんな静かな表情もできるのか。「大変」だなどと、こちらを気遣って。
「 龍麻さん。私、実は持ってきたものがあって」
しかし、やや感慨に耽っていた龍麻の気持ちをさやかは自らの声であっという間に掻き消した。
「 え…何を?」
龍麻が意表をつかれたように顔を上げると、さやかはそれには直接答えず、傍に置いていたカバンからビデオカセットを取り出した。
「 何これ?」
「 ビデオです」
「 いや、それは分かるんだけど…」
「 これ、お勉強用のなんです。こっち系に目醒めてからすぐに発注掛けたんですよ。やっぱり本や写真だけじゃわからない事もありますもんね」
「 何の話?」
「 見ます?」
「 え…いや、別に…。内容は?」
「 見たいですよね、じゃあ見て下さい!」
「 あのね…」
さやかの勢いに辟易としながら、龍麻はしかしすっかり諦めたようになって手にしたフォークでいちごを突きさし、口へと運んだ。もう何でも良いからビデオを観て早々にお帰り願おうと思った。強引な人には何を言っても無駄だろうから。
『 くくくく…ほれ、早くねだれ! 言えッ!』
『 ん…あぁっ…。あん、挿れてっ。早く挿れてえぇッ…!』
『 ぐえへへへ…。この淫乱がぁ…仕方ねえ、くれてやるよ、俺のこの特大マグナムをなぁ…!』
『 いやああぁ…ッ』
『 ぐへっ…ぐえへへへ…! ほれ、ほれえッ…!』
『 あああああッ』
「 ……………舞園さん」
いちごの突き刺さったフォークをぽろりと皿へ落とし、龍麻は呆けた声を出した。ビデオのリモコンを手に握りこんだまま画面に釘付けのさやかには、どうやら龍麻のその声は届いていないようだったが。
ビデオの再生ボタンを押されたブラウン管からは、華奢な姿をした少女紛いの「少年」が両手を縛られた状態で全裸で仰向けにされ両足を開かされ、下卑た声を上げる太った中年男に激しく攻めたてられていた。
「 ………何これ」
『 ああッ、あん、あんッ! いや、いやぁ…ッ』
『 ぐっへぐっへ…! いやいや言うて、こんなに咥えこんどるだろうが…!』
「 あの、舞園さん。それ、消してくれない?」
「 ………すごー…」
「 舞園さんって」
「 龍麻さん、これって最近流行りのホ○アニメビデオって言うんですよ。実写のホンモノよりこういうのの方がいいって人も多いみたいですよ。ほら、ホンモノだとこんな風に可愛く泣いてくれないでしょう、受けさんは」
「 受け?」
「 はい、受け」
「 ………」
「 でもこの作品はちょっとマニアック過ぎますよね。だって相手が全然カッコ良くない中年オヤジさんなんですから。私はもっと愛がある作品が好きです。これ無理やり系じゃないですか。しかも薬とか飲まされちゃってるんですよ。あ、これ導入部分は早送りしてあるから龍麻さん、分かりづらいと思うんですけど。最初から巻き戻して見ますか?」
「 ……俺は消してって言ってんの」
龍麻が怒りを通りこして半ば呆れて脱力していると、さやかは不思議そうな顔をしてからやがて不満そうに唇を尖らせた。
そして言った。
「 あまり驚かないんですね」
「 ん…」
「 こういうの。見た事あるんですか?」
「 ないよ。あったら怖いだろ」
「 怖くないですよ。それより、現実にあるのかなって」
「 ええ?」
さやかの真剣過ぎる視線に多少怯みながら、龍麻は手持ち無沙汰のように片手を口元へやった。何だか嫌な空気がどんどんと濃くなっているような気がした。
「 龍麻さん…京一さんとか醍醐さんとこういう関係って事はないですよね?」
「 ……舞園さん」
「 もし龍麻さんがそういう経験が豊富だったら…恥をかくかもしれないって、だから霧島君もこういうビデオ手に入れて勉強しようって思ったと思うんです」
「 霧島?」
「 これ、霧島君が買ったんですよ」
唖然とする龍麻にさやかは言ってからふっと寂しそうに笑った。
テレビ画面の向こうでは未だ「受け」少年がやたらと大袈裟な声であんあんと喘いでいる。「攻め」の中年男もゆっさゆっさと三重にもなっている贅肉を揺らしながら、自分の下で泣く少年の尻を激しく突きまくっていた。
そこに龍麻とさやか、2人。
それはとても異様な光景だった。
「 霧島君って私に似てあれで案外内気なので、龍麻さんに自分の気持ちをなかなか言えないみたいで」
「 内気?」
前半の台詞に突っ込みを入れたくなりながらも、既に十分疲弊している龍麻は1つの単語しか発せられなかった。
さやかは構わずほうとため息をつく。
「 でも、こんなビデオこそこそ見てるだけなんて…。何だか私、居た堪れなくなって」
「 俺には今のこの状況が居た堪れないよ」
「 龍麻さん!!」
「 わっ…」
突然大声を出したさやかに面食らい、隙を作ってしまった一瞬、龍麻はいきなり自分に襲い掛かってきたさやかによって押し倒された。
「 ま…舞園さん…?」
「 ほら、女の子の私にだって押し倒せるのに。なのに霧島君…」
「 いや…あの」
「 ほんのちょっとの勇気で運命は変えられるんですよ」
さやかは龍麻の肩口を両手で押さえつけながら言った。
「 ほんのちょっと一歩を踏み出すだけでいいんです。逆にただ佇んでいるだけじゃ…何も変わりません」
「 良い事言ってるとは思うけど…」
勇気を出して嫌がる相手を無理やり押し倒したら……それは犯罪だよ。
「 あのね…」
しかし龍麻がその一言を言おうと口を開き掛けた時だった。
「 さやかちゃんっ!!!」
バーンとドアが開いてダダダと激しい足音が近づいてきたと思うや否や、鬼のような形相をした霧島が2人の前に現れた。
「 さ、さやかちゃん、君って人は…!」
「 ……霧島君」
「 龍麻先輩、無事ですか!? まだ何もされてませんね!?」
「 う、ん。たぶん。押し倒されてるだけだから」
「 さやかちゃん、早く先輩から離れて!!」
「 ……離れないって言ったら?」
「 斬る!!」
「 えっ」
「 ひどい…」
驚く龍麻に眉をひそめるさやか。しかし迷いなく幼馴染に刃を向けると言い放った霧島は、既に手にした剣をすらりと鞘から抜いて殺気立った顔を向けた。
「 ひどいのはどっちだよ、さやかちゃん…! やる事が汚いよ!!」
「 汚いのは霧島君でしょ!! さやかを差し置いて…!!」
「 あのビデオはっ。本当に一昨日届いたばっかりだったんだよ! 確かに一緒に見る約束したけど、君はロケで遅くなるって聞いて、それで…!」
「 それでさやかを待たないで独りで見るなんて酷すぎるわ! 友達のやる事じゃない! 裏切りよ!」
「 だからって龍麻先輩にバラす事ないじゃないか!」
「 2人の約束を破ったんだから、2人の秘密だってもう反故よ!」
「 ………」
上に跨られたまま霧島に罵声を浴びせるさやか、そしてそんなさやかに剣を向けて唾を飛ばす霧島。
龍麻はぼーっとしながらそんな2人の言い合いを暫くの間黙って聞いていた。さやかに抑え付けられて自由が利かなかったし、何だかもう何もかもどうでもいいような、そんな無気力な気持ちになってしまったから。
「 大体さやかちゃんはいつも自分の都合の良いようにし過ぎなんだよ。それで僕がどれだけ迷惑しているか!」
「 ひどいっ。今までそんな事言った事なかったのに! 大体、勝手なのは霧島君よ! いつでも何でも一緒だったのに、抜け駆けして何度も龍麻さんに近づいて!」
「 だから最近僕に余計な仕事を押し付けるんだね!」
「 ふん、あんなの大した事ないわよ!」
延々と続く言い合いを耳に入れながら、龍麻はふと前方にあるビデオに視線をやった。知らない間にエンディングロールが流れており、話は終わったようだった。ビデオは放っておけばこうしていつか終わりが来るが、この2人の争いは一体いつ終わるのだろうかとふと思う。
「 俺も勇気出してこいつら叱ってみようかな…」
「 何だよさやかちゃんなんか!」
「 何よ霧島君なんて!」
さやかの華奢な手を、それでいて凄まじい力を肩先に感じながら、龍麻は一体何度目か分からないため息をつき、そっと「もう嫌だ」呟いた。
|