彼女に似合う彼
その日、またしても数十通のラブレターを自宅に持ち帰った雪乃は妹である雛乃に慣れたような目を向けられ笑われた。
「 姉様、またですの?」
妹とは言っても双子だし、したたかさでは向こうが上だ。雛乃にからかわれる事が苦手な雪乃はぶすくれた表情のまま乱暴に学校カバンを畳の上に投げ捨て唇を尖らせた。
「 煩ェな。いらねっつっても寄越してくるんだから仕方ねーだろ!」
「 別に責めていませんわよ。それより姉様」
「 う…わ、分かってるよ!」
言外に注意を受けた事で雪乃は一気にしょぼくれ、乱暴に扱ったカバンを隅の茶箪笥の横に置いた。雛乃はこういう所は母親のように口やかましい。同じ環境で育ってきてどうしてこうも違うのかと雪乃は心底不思議に思う。
「 姉様」
テーブルに置かれたお茶を前に胡坐をかくそんな雪乃に対し、雛乃は依然として冷静だ。やんわりと落ち着いた笑みはそのままに、テーブルの上にドサリと置かれた手紙に目をやる。
「 それでこれ、どうなさいますの」
「 どうって…いつも通りだよ。どうもしねー」
「 私もいつも思っていたのですけれど。貰うだけ貰って何もしないのは悪くはございませんか? だって皆様、こんなに姉様の事を好いていて下さるんですもの」
雛乃はまるで自分の事のようにそう言って再び嬉しそうに微笑し、それから自分もゆっくりとお茶を啜った。
「 あのなあ…」
そんな妹の仕草に雪乃は多少のイラつきを感じ、そのむっとした気持ちのまま唾を飛ばした。
帰ってきた早々、こんな不快な話はしたくないというのに。
「 だったらお前は俺にどーしろってんだ? これをくれた奴ら1人1人にキスの1つでもしてやれって? ……同じ女に!」
最後の台詞を言うのすら躊躇われた雪乃だったが、どうやら雛乃はまるで堪えていないようだ。しれっとしたまま手紙の1つを手に取り、首をかしげる。
「 あら女の人というのが気に食わなかったんですの? …こちらは殿方のようですけれど」
「 だーっ! 勝手に見るな、人のもんを!」
「 だってここにぶちまけるのですもの」
「 煩い煩い!」
山のように積まれた手紙を必死にかき集めながら、雪乃は自分より一枚も二枚も上手の妹を前に顔を真っ赤にさせた。男からも来ていたのかとはちらと思ったが、この際問題はそこにはなかった。
「 とにかく! 男だろーと女だろーと、こういう事する奴に俺の触手は動かねーんだよ! ほっとんど顔も名前も初めての奴らばっかだぞ? しかも人づてとかそういうパターンも多いしよ! 俺はそういうの好かねーんだ!」
「 恥ずかしがり屋さんなんですよ。ただでさえ、姉様勇ましいから」
「 何の関係があるんだ!」
「 暴れないで下さい。お茶が零れます」
「 うぐ…! だ、大体なあ、人の事ばっか言ってないで、お前も俺の事構ってる暇があったら、たまに彼氏の1人でも連れてこいや!」
「 まあ意地悪ですこと…。私が姉様よりもモテない事を知っていて…」
「 お前こそ嫌味か…」
雛乃が近隣の男子校生たちから多大なる熱いメッセージを受け取っていることを雪乃はクラスメイトたちなどから聞いてよく知っていた。怒らせると自分よりもえげつないこの妹は、しかし表向きは「おしとやかで笑顔の可愛い美少女」という事になっている。普段の雛乃の戦いっぷりを見たら誰もそんな事は言えないだろうに、とにかく猫被りなこの妹のせいで自分の男勝りな面は余計に目立ってしまっている…と、雪乃は憎からず思うところがあった。
本当は自分ほど女らしい女はいないと思っているのに。
「 俺たちの仲間ってよー、どうも色気が足りなくねーか?」
そんなある日、旧校舎を潜ってきた後の京一が男仲間たちを前にしてそんな事を言っているのが耳に入った。
京一は背後に雪乃がいる事も知らず、親友の龍麻や醍醐、それにその日集まっていた雨紋や劉や紫暮、それにアランに向かってぺらぺらと好き勝手に喋っていた。
「 顔はよ、結構まあまあだと思うわけよ。で、最初は『おっ』とか思うじゃねーか。けど、日を追う毎に見えてくる奴らの恐ろしいバカ力とか…何つーの、敵を容赦なく粉砕する姿とかを見るとこう…どうも萎えるんだよなあ」
「 むう…相変わらず真神の2人も物凄かったしな」
すると堅物で戦闘一辺倒に見える紫暮も珍しく京一のその発言に賛同し、「女子はもう少しか弱くあって欲しいものだ」などと言い出した。
更に年下の生意気金髪ロッカー雨紋もにやにやと笑いながら頷く。
「 美里サンたちだけじゃねーよ。織部姉妹も恐ろしーゼっ。今日の雪乃サン、あれ見たか? 『八つ裂きの刑だー!』っなんつって敵ギザギザにしちゃってよ〜、お〜こわ!」
「 女じゃねーな、ありゃあ…」
京一はウンウンと頷き、それからはーっとため息をついた。
「 俺らの青春も暗いよなあ。……ま、その分ひーちゃんが奴らの百倍くらい可愛いから癒されてるけど」
「 は…? な、何言ってんだよ、京一」
突然視線を向けられそんな風に言われた事に焦ったのか、仲間の中心的存在である緋勇龍麻は焦ったように京一のことを見やった。龍麻はブロックを積み重ねて作られた花壇の所に腰を下ろしていたのだが、なるほど水道のある昇降口付近へ手を洗いに行った女子たちについて行った男子は1人もおらず、皆が皆そんな龍麻を取り囲むようにして立っている事に雪乃は気づいた。
何だありゃ…。アイドル総囲み状態だな…。
半ば呆れた風にそんな事を思う雪乃に気づく者は、相変わらず誰もいない。
そんな中、仲間たちは次々と龍麻の話で盛り上がる。
「 オーそれは言えてるネ! ボク、アミーゴの為だったら頑張れるモン!」
「 わいも〜。わい、アニキの為なら頑張れるー!」
「 龍麻サン、俺サマも俺サマも!」
アランや劉、雨紋がアプローチした後は醍醐、紫暮が暑苦しく続く。
「 龍麻、俺もだ。俺はお前の為に死力を尽くすぞ!」
「 俺もだ、龍麻! お前の為ならばこの命惜しくはないッ!」
「 あ、あのなあ…」
それに対し明らかに引いているのは当の龍麻本人だ。
龍麻はぽりぽりと頭をかきながら「皆大袈裟だよ」と控えめに笑った。
そんな笑い顔1つで仲間たちは既に舞い上がっているようだったが。
「 あほらし…」
雪乃はぽつりとつぶやいて踵を返した。こんな所にはもういられない。自分も先刻何やら散々言われたし、またここにいてどんな引き合いネタを聞かされるか分かったものではないと思った。
しかし雪乃が立ち去ろうとした、まさにその時。
「 あ、雪乃さん」
龍麻が呼んだ。
そしてその瞬間、皆が一斉に龍麻を振り返った雪乃の事を見やった。
「 ……げ」
京一はそう声を漏らしたが、後の者はほぼ絶句状態だ。
( 仕方ねえな……)
雪乃ははーっと深くため息をついた後、わざとらしい笑みを頬に張り付かせながら努めて優しい声で言ってやった。
「 ようお前ら。随分と楽しい話をしてたみたいだな」
こんな数人を相手にいちいちがなりたてる気は、雪乃にはなかった。実際龍麻が可愛らしいのは事実だし、その事をどうこう言う気もなかったのだ。
しかし雪乃のその冷静な態度はその場にいた全員を凍りつかせるのに十分だった。
「 は…ははははは…。さ、か、帰るか?」
京一のその引きつった声と同時に、皆がこくこくと一斉に頷き逃げの体勢に入る。
「 帰りましょう! もうソッコーでッ!」
「 う、うむ。実は俺もそろそろ道場に戻らねば…!」
「 俺も用事が」
「 ボクも大切なヨージあったネ〜!」
「 わいもわいも〜!」
「 というわけで、ひーちゃん後は任せた!!」
「 え!? ちょっ…お前ら」
その素早さは賞賛に値するものだった。
驚き制止の声を掛ける龍麻には一切構わず、京一たちは蜘蛛の子を散らすようにしてあっという間に去って行ってしまった。
「 ……何だあいつら」
1人ぽかんとした雪乃はその場に取り残され口を開けたままの龍麻を同情するような目で見やった。それからゆっくり近づき、はっと息を吐く。
「 すっげー素早いな。俺に取って食われるとでも思ったのかね」
「 だろうね」
「 おいおい、お前も俺をそういう奴だと思ってんのかよ!」
「 え、だって今すっごい怖いオーラ放ってたよ? 笑ってるから余計に殺気立って見えたんだけど…違ったの?」
「 ちげーよ!」
がくりとなったものの、雪乃は仕方ないなというように自分も龍麻の横に腰をおろした。
色とりどりの花が咲くその花壇の縁に腰を下ろすと、龍麻の横顔は格段によく見える。うっすらと笑むその端麗な顔は、確かに仲間の男連中がちやほやするだけのことはあると改めて思った。
むしろ俺より女っぽい、コイツ…。
「 お前…龍麻」
「 ん」
「 お前、何でそんな色っぽいんだよ?」
だから雪乃は迷わずストレートにそう訊いてみた。今まで龍麻とはそういう類の話を一切した事がなかったが、いつかはしてみたいと思っていた。仲間になった当初は、確かに好きなタイプだと思っていたから。
ただ今まではあまりにその機会がなかった。
「 え?」
しかし訊かれた方の龍麻は目を丸くすると横にいる雪乃からやや身体を後退させて訝し気な声を出した。
「 い、いきなり何言い出すの?」
「 マジだ。お前は色っぽい。あいつらがイカれるのも無理はねー」
「 はあ…。ど、どうも…」
「 お前、俺が冗談言ってると思ってんのか? ちょっとよく顔見せてみろよ」
「 ちょ…」
話し始めると雪乃は自然もう止められなくなっていた。どうした事か、龍麻はその距離を縮めれば縮める程にもっと近づきたいと思わせるような氣を発していた。
その衝動のままに雪乃は龍麻の頬を片手で掴んだ。
「 ぐっ」
「 おぉ…やっぱりだ…。俺よりほっぺたぷにぷにしてるし、この唇!」
「 むっ」
「 こんな柔らかいしよ! ピンクだし! お前、これ犯罪だぞ! 何なんだ一体! お前、本当は女として生まれた方が良かったんじゃねー!?」
「 ……っ! やめろっての!」
さすがにそういつまでもされるがままの龍麻ではなかった。
乱暴に雪乃の手を払うと、強く捕まれ触られた顔をゆっくりと撫で、恨めしい顔をきっと向ける。
「 あのね。雪乃さんは京一たちが雪乃さんのこと女じゃないとか何とか言った事、頭にこなかったの?」
「 あん? きたよ…当たり前だろ。ホント失礼な奴らだよ」
「 だろ? それなのに、男の俺にそんな事言って悪いと思わない?」
「 あ…そうだな。わり…」
「 もう」
何だかなあと呟いて龍麻は苦笑した。
途端、雪乃の心臓はどくんと鳴り響いた。やっぱり、誰が何と言おうと龍麻は可愛いし綺麗だと思う。自分は他のどの仲間よりも女っぽいと思っていたが、龍麻には負けるかもしれない。
本気でそう思った。
「 ……お前凄いな」
だから素直にそんな言葉が出たのだが、当然の事ながらそれだけでは相手には伝わらなかったらしい。龍麻は怪訝な顔をして首を捻った。
「 何が」
「 ああ、いや…。強くて綺麗だからさ」
「 またぁ。だから何言ってんの」
「 俺は真面目に言ってんだって!」
実際雪乃は真剣だった。
こんな気持ちは初めてだった。
自分に言い寄る全ての男にも女にも雪乃は恋した事がない。元々やたらとアプローチを受ける同性には興味がないし、かといって自分より弱い男にはそれ以上に感じ入るところがなかった。更に力があるだろう仲間たち、たとえば京一や紫暮のようないかついパワーを持ち得る男も雪乃はそれはそれで大嫌いなのだ。そんな奴らに組み敷かれる自分を想像しただけで寒気がしてしまうから。
つまりは、雪乃は非常に我がままな趣味の持ち主だった。
自分より強く、しかし自分に組み従ってくれるような儚い美しさを持った人間。
それが雪乃の好みなわけで。
「 そんな奴いないと思ってたけど…」
「 ん?」
「 なあ龍麻!」
雪乃はぐぐっと迫った後、真剣な口調で言った。
「 お前よー、お前は支配されるのとするのとどっちが好きなタイプよ?」
「 は?」
「 だからー上と下とどっちがいい?」
「 ……言ってる意味が分からないんだけど」
「 いいから答えろ!」
「 もう、雪乃さんはいつもそうやって強引に突っ走るんだからな」
龍麻は困ったようになりながら苦い笑いを浮かべ、必死な形相の雪乃を見つめた。
一方で雪乃は「あぁこの顔だ」とうっとりした。今までは京一たちがいたせいで龍麻の顔を長く見る事も叶わなかったが、随分と損をしたものだ。先刻の彼らの自分に対する台詞にはそれほどの怒りは湧かないが、この事に関しては今からでも「ずっと抜けがけしてやがって」と1人1人に鉄槌を食らわしてやりたい気分だった。
「 よく分からないけどさ」
その時、暫し考えていた風の龍麻が言った。
「 どういう意味で言ってんのか知らないけど、どっちかしか答えられないなら…まぁ下かな」
「 本当か!」
「 だからどういう意味だって」
「 色んな意味でだよ!」
雪乃はキラキラとした目を向けてそう言い捨てると、すかさずぐっと龍麻の両手を握りしめ、自らの顔を近づけた。
「 俺ら、マジでぴったりかも!」
「 相性のこと?」
「 そうそう!」
両手を握っていても龍麻がそれを振り解く気配はない。これはイケると雪乃は1人で先走った気持ちになりながらにやけた目で言った。
「 お前はとにかくライバルが多いのが大変そうだが! 俺はそういうのの方が結構燃えるしな! 今は色々忙しいだろうから遠慮して、とりあえずこの戦いが終わったらマジでアタックする事にするわ!」
「 はあ…」
「 それまでテメエー、誰にもその唇を奪わせるんじゃねーぞ! 特に今日の奴ら…京一とかは要注意だかんな!」
「 ……俺、男と女だったら女の子の方がいいよ?」
雪乃の告白はそれなりに龍麻に通じているようだ。
龍麻は相変わらず苦笑したままだったが、雪乃に手を握らせたまま柔らかい口調でそう言った。
「 それにしても気を遣ってくれるんだ。俺、今大変だからってアプローチしないの?」
「 ああ、せいぜいこうやって手を握るくらいにしといてやるよ!」
「 へえ…」
「 それにしても龍麻! 俺ら本当にすごいベストカップルだぜ! 何つってもお前は男だけど下希望だろ! 俺は女だけど上希望! ぴったりだな!」
「 ははは、雪乃さんは面白いなあー」
本当に分かっているのかいないのか、龍麻は呑気にそんなことを言って、今度は声を立てて笑った。
そんな龍麻の明るい表情に雪乃もめいっぱいの笑みで返した。
そう、これは運命だ。
男らしくない男。でも男。
女らしくない女。でも女。
こんなにバランスのとれた2人は自分たち以外ないだろう。
「 何か俺俄然やる気出てきたあー。よーっし、俺もいっちょうお前の為に頑張るかなあ!」
そうして雪乃は京一たちが言っていたのと同じような台詞を夕闇の空に向かって吐き出し、ぐんと大きく伸びをした。
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