可愛いあの子



「 雛乃ちゃんって可愛いよね」
  龍麻がそんな控え目な感想をぽつりと漏らした時、その場にいた人間たちは一斉に動きを止め、息を呑んだ。
「 ひ、ひーちゃん…。今何つった?」
「 龍麻…」
「 先輩…」
  ちなみに「その場にいた人物」とは相棒の京一と醍醐、それに霧島だった。龍麻も含めたその4名は、その日織部姉妹や美里、小蒔とで旧校舎に潜っていたのだが、帰り際女性陣が手を洗いに行ってくると姿を消した為、校門の所で彼女らが戻るのを待っていたのだ。
  龍麻がふとそう呟いたのはその時だ。
「 何か俺…変なこと言った?」
  あまりにも3人が唖然とした顔をするので、龍麻は戸惑って後ずさった。そのすぐ後ろにあった門にぴたりと背をつけ、龍麻は「自分は当然の事を言っただけなのに何がまずかったのだろうか」と色々な考えを巡らせた。
  しかしそんな龍麻に京一がはっと我に返ったような声を上げた。
「 駄目! 駄目だぞひーちゃんっ。そんなのは駄目だ!」
  そうしてぶんぶんと大袈裟に首を横に振り、京一は龍麻の両肩をがっちりと掴むと言い聞かせるように続けた。
「 ひーちゃん、落ち着いて考えてみろ。確かにあの子は可愛い。俺の可愛い子センサーにもばっちり入る顔だ、あれは。けど、雛乃ちゃんはやめとけ」
「 やめとけって…何で? まあ、でも俺は別に…」
「 う、うむ。京一の言う通りだ!」
  龍麻が言葉を継ぐのを阻止するように醍醐までもがうんうんと力強く頷いた。
「 桜井の親友だ。俺もあまり悪い事は言いたくないが、冷静な判断で言わせてもらうと…。その、龍麻にはだな、もうちょっとおしとやかな女子の方が…」
「 ……ねえ、もしかして雪乃さんと勘違いしてる? 確かに彼女はおしとやかって言う感じではないもんな。俺はさ、雛乃ちゃんが…」
「 先輩、間違ってなんかいませんよ」
  すると今度は霧島がきっぱりと言って、さり気なく京一の手を放させるように龍麻の腕を掴み自分の方を向かせた。それに先輩である京一がむっとしたのにも構わずである。
「 龍麻先輩、僕たちのお仲間である女性陣は本当に強くて芯のしっかりした方たちが多いですけど、その分、女性らしさは全くありません。さやかちゃんだって、アイドルのくせに野獣ですし」
「 やじゅ……」
「 しかし中でも雛乃さんは凶悪です」
「 きょ……」
「 諸羽の言う通りだ!」
  再び京一が同意してちらと校庭の方へと目をやる。渦中の人が来ていない事を確認する為だろう。
  そしてまだ大丈夫だと知ると京一は言った。
「 いいかひーちゃん、冷静になって考えろ。雪乃の方がまだ真っ当ってもんだ。普段あんな控え目な態度と声でだぞ? 旧校舎の時のあの殺戮っぷりは並じゃねえだろ。味方ながらに焦るな、あれは」
「 しかも異形の血を浴びても平然としてるしな……」
「 僕もあの姿は…戦いの仲間としては頼もしいと思いますが、龍麻先輩の彼女としてはふさわしくないと思います!」
「 いや…別にそういう意味で言ったんじゃ…」
「 だってひーちゃん、今可愛いって言ったじゃねえか! 騙されるな!」
「 いや、だから…」
「 京一の言う通りだ、龍麻。まあこれは彼女だけに限らないが、お前の前では女性ぶっていても実際は…というパターンが多いのでな、俺たちの仲間には。気をつけるに越した事はない」
「 そうですよ龍麻先輩。女性はしたたかです。油断していたら、先輩なんかあっという間に食べられちゃいますよ?」
「 き、霧島…。お前こそそういうキャラだったのか…」
  何だか押せ押せな3人に多少引き気味になりながら、それでも龍麻は最初に自分が発した言葉の意味を何とか彼らに伝えようとした。
  雛乃を「可愛い」と言ったのは、別段姉に隠れてもじもじしている従来のおとなしい態度や言葉遣い、それに容貌などから発したものではなかったのだ。
「 俺さ…雛乃ちゃんの事は…」
「 おーっす、お待たせ!」
  けれど龍麻の言葉は校舎の方から戻ってきた女性陣によってまた遮られた。最初に声を発した雪乃を筆頭に、美里と桜井の真神面子、それに雛乃の4名がずらりと勢揃いだ。京一たちが後ろめたさにぴたりと黙りこくる中、彼女たちは何やら様子のおかしい男性陣に逸早く気づいて不思議そうな顔を見せた。
「 どしたの京一? 何か変だよ?」
「 い、いや別に……」
  桜井の問いにも京一は歯切れが悪い。そこで今度は美里が口を開いた。
「 いいえ、おかしいわ。醍醐クン、何かあったの?」
「 いやっ。別に、大した事は…!」
「 ……んだよ、怪しいなあ。気分わりい」
  最後には雪乃も眉を吊り上げて3人を代わる代わる見やった。そうして最後に龍麻を見て、雪乃は探るような声を発した。
「 おい龍麻。こいつら何かしょーもない話してたんだろ? 教えろよ」
「 え……」
「 そうだよひーちゃん! 京一たち、まさかボクたちの悪口とか言ってたのお!?」
「 まあ…。龍麻、本当なの?」
  桜井と美里も迫ってきて、龍麻はオロオロとし始める京一たちを尻目に「何でもないんだよ」と曖昧に笑った。
  それからちろりと、姉である雪乃の背後に隠れるようにして立っていた雛乃に目をやった。
  不思議だ。戦闘の時はあれほど積極的に戦いに参加し、凛とした目を向けているのに。それが今は見る影もない。皆の前にいるのが恥ずかしくて仕方がないというような仕草、恥ずかしがり屋の女の子。
「 別人だな…」
「 え?」
  思わず呟いてしまった龍麻に美里が反応した。はっとしたが、すかさず雪乃に「何だよ」と厳しく問われて、龍麻は誤魔化す事もできずに口を割った。
「 えっと…。さっきさ、俺、みんなに雛乃ちゃんは可愛いなって話してたんだ」
「 え?」
「 な……」
「 えっ…ひーちゃん、それ本当?」
  龍麻の発言に、女性陣も京一たちと全く同じ反応をしてみせた。そうしてそんな彼女らに困惑したようになっている龍麻に、雪乃がぽりぽりと顎先を掻きながらその龍麻よりも困った顔をして言った。
「 えーと、な。龍麻? そりゃあ…雛の姉としては実にありがたい言葉だけどよ…」
「 ひーちゃん。確かに雛乃は可愛いけど、ちょっと誤解してない?」
「 何が?」
  雪乃や桜井まで自分の発言に異を唱えようとしている。龍麻はそれに驚きながらも、しかし傍の京一たちが途端にほっとしている様子を見て何だかむうっとした気持ちになった。
  何なんだ。俺が雛乃ちゃんをどう可愛いと思おうと勝手じゃないか。みんなどうしてそんな態度を取るんだ?
「 俺…別に誤解なんかしてないっ」
  だから半ばいじけたようにそう言ってみたが、その場にいる雛乃以外の全員が渋い顔をしていた。皆の考えは一致していて、雛乃は確かに可愛らしいけれど、その「本性」は違うのだから、妙な幻想は抱かない方がいいという風だった。
  それがそもそも違うのだと龍麻は言いたいのだが。
「 龍麻さま……」
  その時、先刻から一言も発していなかった雛乃がおずおずと声を出した。一同が一斉に視線をやると、雛乃はますます居た堪れないという顔をしてから、ぽっと頬を朱に染めた。
「 あの…龍麻さま、嬉しいお言葉をありがとうございます」
「 あ…ううん」
「 ですが…姉様たちの仰る通りです…。私は可愛くなどありませんから…」
「 いやっ。あのな、雛…。俺は別に…」
「 同じ血を分けた姉様の言葉ですもの。姉様の仰る事はいつでも正しいですわ。私は可愛くなどありません」
「 ………雛、またキレてんな」
  ぼそりと雪乃が毒づいたものの、雛乃は依然として弱々しい瞳を湛えいている。その場にいる全員が「どうせ演技だろう」という顔をしていたが、唯1人龍麻だけはきっとした顔で声を荒げた。
「 そんなことないよっ。雛乃ちゃんは可愛いよっ。みんなひどいよ、何なんだよ一体!」
「 だ、だってなひーちゃん…!」
「 そうだぞ龍麻、俺たちは…」
「 煩いなっ。あのな、何を誤解してるのか知らないけど、俺は雛乃ちゃんの≪こういう≫ところが好きなのっ」
「 は……?」
  雛乃を庇うようにしてその前に立ちはだかった龍麻は、ようやく言えるとばかりに全員を見据えながら言った。
「 俺はっ。雛乃ちゃんの、こういう二重人格みたいな…。いや、ちゃんと自覚してるから二重人格じゃないよなっ。とにかくっ。こういう使い分けてるとこが可愛くて好きなのっ」
「 ひーちゃん、そりゃ…」
「 おい、龍麻?」
  京一と雪乃はボー然とした声を出したが、後の人間は全員ぽかんとして声を出さない。それを好都合として龍麻はフンと鼻を鳴らした。
「 戦闘の時は容赦ない鬼みたいなとこ見せておいて、終わると『これ』って、なかなか出来ないよなっ。凄いよ、本当。な、雛乃ちゃん。雛乃ちゃんのそういう猫かぶりみたいなとこが、俺は好き」
「 ………何だか複雑ですけれど」
  素なのか演技なのか分からない微妙な表情で雛乃はそう言ったが、龍麻に笑顔を向けられてすぐに自分もふっと笑んだ。
  それから雛乃は龍麻へ向けて確認するように言った。
「 龍麻さま。でも私、猫は被っておりません。大切な龍麻さまを守る為ですから、戦いの時には鬼にもなります。でも本来は、やっぱり私は≪こういう≫私なんです。龍麻さまの仰る≪こういう≫ではなく」
「 あ、そうだよな。うん、そうだね。ごめん」
  大して反省していないような顔で龍麻はあっさりと謝ったが、雛乃の発言がどうにも嬉しくて仕方ないらしい。にこにことして龍麻は雛乃の手を取った。
「 でも俺、ああいう強い雛乃ちゃんが好きだから、普段もああいうテンションでいてくれればいいのにって思う」
「 まあ……そうですか。では、努力してみます」
  一同があんぐりと口を開いて何も言えない中、2人はいやにぽわわんとした空気を漂わせながらそんな会話を交わした。そうして「一体どんな珍妙なカップルなんだ」と京一が独りごちた時には、雛乃と龍麻は未だ立ち直れていない彼らを置きざりに、さっさと駅の通りへ向け歩いて行ってしまった。
  その時の彼らの後ろ姿は、如何にも「甘える弟にほくそ笑む姉」といった感じだったのだが…そんな事を言えば龍麻がまたむくれるだろう事は確実だったし、何を言っても無駄な事はその場にいる全員分かりきっていた。だから誰もそんな損な役回りをしようとは思わず、ただ「龍麻の好みはまったく難しい」と嘆息するのみだった。



<完>




■後記…総じて魔人の女性キャラはみんな勇ましい感じがしますが、その中で所謂「おとなしい系」に属するタイプ…美里様(?)、紗夜ちゃん、さやかちゃん、そして雛乃ちゃん…あたりには、何か特にしたたかなものを感じてしまいます。あ、勿論悪い意味でなく(笑)。中でも雛乃ちゃんは雪乃と比べられ余計におしとやか路線でいってる感がありますが、それは違うだろうと。またひーちゃんもそういうおとなしい雛乃ちゃんではなく、「使い分け」が出来ている彼女に魅力を感じているようです。自分もそういう事がしたいのにしきれてない、みたいなとこがあるからでしょう。雛乃ちゃんは強い子なので、そんな龍麻をぐいぐいと引っ張っていく事間違いなし。案外お似合いカップルかもですねー。無論龍麻が受けですが。