キミが遠くを見つめていても
先日の席替えで小蒔はこれでもかという程ラッキーな位置を獲得した。
それは窓際の最後方、龍麻の左斜め後ろの席である。
「 へへへ…やった…!」
くじでその席が決まった時、小蒔は机の下でぐっと拳を握り締めて小さなガッツポーズをした。
普通、他のクラスメイトたちなどは龍麻と話す機会が増えるだろう隣の席辺りを希望したがるものだが、小蒔にしてみれば彼らが憧れる「龍麻との仲良し会話」などはいつでもできた。だからそんな席には元々興味がない。小蒔にとっては、「いつでも好きな時に龍麻の横顔が眺められる」場所こそが、自分にとってのベストポジションなのだった。
「 あ〜、ボクは本当にラッキーだなあ」
だから放課後、小蒔は帰り支度や部活の準備でざわついている教室内で龍麻を前にそう正直な感想を述べた。こっそりと眺めているのが好きなくせに、そういう事をしている自分を告げずにはおれないところが小蒔らしいと言えば小蒔らしい。
「 幸せなの?」
そんな相手の想いを知っているのかいないのか、龍麻は椅子の背に肩肘を乗せた格好で斜め後ろの小蒔に微笑みかけた。
龍麻はいつもそうだ。
柔和な笑みと共に相手に投げかける言葉はいつも穏やかで優しい。そんな龍麻が小蒔は大好きだった。無論その他の仲間たち―親友の美里や頼りになる醍醐、少々問題行動が多いが奔放な京一のことも小蒔は好きだと思っているのだけれど、それでも龍麻は別格なのだ。
「 うん。ボクひーちゃんに会えて良かったなぁ」
「 何だよ急に」
しみじみと言う小蒔に龍麻は苦笑した。あ、ちょっと困っていると小蒔はその顔を眺めてちらと思った。
龍麻が人から過度に誉められたり懐かれたりする事を苦手としている事は知っている。顔は笑っているけれど、「そんな話ならもう帰るよ」と暗に言っているのが小蒔には分かった。ずっと見つめてきたのだ、少しは龍麻の性格も分かってきているつもりだった。
それでも小蒔は机の上に両肘を立てて顔を手のひらに預けたまま、ぶうと口を膨らませた。
「 仕方ないよ、だってそう思うんだ。ボク、ひーちゃんに会えなかったら絶対人生損してたと思うもん。ひーちゃんに会えたからこそ、今こんなに学校も楽しいンだしね」
「 そう。俺はあんまり楽しくないけどねえ?」
「 あーっ、また! そんな悲しい事を言う!」
「 ははは」
「 もう…」
龍麻の時々吐かれるこの冗談のような「本気」の発言に、小蒔は思い切り嫌そうな顔をして見せた。もっともこうして口に出してくれるようになっただけマシになったとは思うけれど。
小蒔は探るように龍麻を見つめ、真剣な口調で問い質した。
「 ねぇひーちゃん。ひーちゃんはボクたちの事が好きだよね?」
「 ん…。さぁどうだろうね」
「 あ〜ひっどい!」
「 好きでなくちゃ、桜井は俺のこと好きになってくれない?」
「 え?」
龍麻のその問いに小蒔は一瞬言い淀んだ。
「 俺が嫌いって言ったら…桜井は俺のこと嫌いになる?」
「 ひーちゃん…?」
試すように紡がれるその台詞に小蒔は手の平に乗せていた顔を浮かした。
それでもすぐ焦ったようになって言葉を返した。
「 う、ううん! ひーちゃんがボクたちを嫌いでもいいんだ。ボクたちはひーちゃんの事変わらずに好きだよっ」
「 『たち』って言うのは変じゃない? 桜井が皆の気持ちを代弁するのはおかしいよ」
「 どうして? だって仲間だもん。皆が考えている事はきっとボクと同じだよ!」
「 ……そっか」
目を細めて笑う龍麻に小蒔はわだかまりを感じながらも「そうだよ!」と意地になったように声を荒げた。けれど後の言葉を継ごうとして、何だ何だと近づいてきた他の仲間たちに気づき、小蒔は開いていた口を一旦閉じた。
「 よーっし、ひーちゃん! ラーメン食って帰ろうぜ!」
いつものようにおちゃらけて言う京一。
「 うむ。今日も何事もなく終わりそうで何よりだ」
同じ年のくせにいやに年寄りくさい言い回しをする醍醐。
「 うふふ…そうね。平和なのが一番よね」
そんな皆を慈愛の表情で見守り、笑む美里。
「 ………」
皆の中央に座ったまま笑っている龍麻。
仲良しだと思う。分かり合えていると思う。何としても龍麻の隣の席をキープして少しでも近づきになりたいとささやかな願いを抱く他のクラスメイトたちよりも、自分たちは龍麻の傍にいて、龍麻も自分たちの傍にいて。
だから幸せ、だから分かり合えている。そう思っているのに。
龍麻はまるで牽制のように、そう言ってそれを確認したがる小蒔のことをやんわりと否定するような事を口にする。
「 まったくひどいや…」
「 え、何が?」
ぽつりと呟いた小蒔に美里が素早く反応して聞き返してきた。小蒔はそれに「えっ」となり、声に出していただろうかと焦ったのだが、何でもないと言いかけた瞬間、京一の大きな掌によって思い切り頭を撫でられた。殆ど叩かれているといった勢いだったが。
「 どーしたどーした小太郎、何か元気ねーじゃねーかよ? あ、分かった、俺がひーちゃんにだけラーメン食いに行くかっつったからいじけたんだろ。へへへ、ンな心配しなくても、お前もちゃんと連れてってやるよ! ただし、金は自分で払えよ?」
「 何だ京一、その偉そうな言い方は…」
「 そうなの小蒔?」
「 あ、ち、違うよ! ったく、離せこのバカ!」
「 バカとは何だ、バカとは!」
「 バカだからバカって言ってんだよ、この大バカ!」
小蒔は怒鳴りちらして乱暴に京一の手を振り解いた後、ふうと大きく息をついた。それから皆をぐるりと見回す。
「 あのね」
そして最後にきょとんとしている龍麻を見据え、小蒔はびしりと指を差してその目の前の大好きな人を呼んだ。
「 ひーちゃん!」
「 何?」
驚いて反射的に即応する龍麻に小蒔はわざと厳しい目をして続けた。
「 ラーメンの前に言っておく事があるよっ。あのね、ボクはひーちゃんの事が大好きだから!」
「 え?」
「 こ、こらお前いきなり何言ってんだ!?」
「 さ、桜井…!?」
「 小蒔…」
周りの仰天したような反応を無視して小蒔は続けた。
「 ボクたちじゃなくて、ボクがっ。このボクが、ひーちゃんを好きだから! これは間違いのない事だから!」
「 ……はあ」
「 何その無感動な返答は!? こんな可愛いボクがひーちゃんを好きって言ってんだよっ? ちょっとは照れたり感謝したりしなよー!」
自棄になったように小蒔は上げた腕をぶんぶんと振り回し、あまりに無反応な龍麻を殴る真似すらしてみせた。そうして、ああ確かにこんな龍麻が好きなんだけれど、この「好き」というのはどうにも恋とか何とか言う、そういう甘ったるいものではないような気がした。
「 お前…。よく公衆の面前でそういう事言うよなあ…」
すると一間隔後、皆を代表して京一が呆れたようにそう言い、そんな小蒔の事をぐいと後ろへ押しやった。それから未だ席に座ったままの龍麻の首に腕を回し、得意気な笑みを向ける。
「 だが諦めろ。ひーちゃんはとっくの昔にこの俺のものなんだよ!」
「 は、はああ!?」
「 ……そういう事言うなよ、お前も」
にやにやしている京一に龍麻は心底嫌そうな顔をしてため息をついた。傍では醍醐が固まっており、美里は不気味な笑みを湛えたままその場に佇んでいたが、何よりもあんぐりとその場で立ち尽くしていたのはやはり小蒔だった。
「 ひ、ひーちゃん、嘘だよね…?」
「 桜井、嘘だって思ってない顔してるよ?」
そっちの方が嘘だよねと言いたいよと、龍麻は京一の腕をゆっくりと振り解きながら言った。
「 だ、だって……」
そんな龍麻の仕草ひとつひとつをじっと見つめながら、小蒔はどうしてこんな状況でも龍麻はこんな風に静かで、そしてカッコいいのだろうと思った。
「 あ…」
ああ、そうか。
その時、小蒔は気がついた。
だから自分はくじ引きで決まったこの自分の席が嬉しいのだ。龍麻を斜め後ろからこっそり見つめられる場所。見守れる場所。始終「仲良し」でいられる隣には、自分はいなくとも良い。誰に何の気兼ねもなく、龍麻にすら気づかれずに自分のこの想いに浸れる最高の位置にいられれば、自分はそれで良いのだ。
小蒔はもうとうに分かっていたはずのそんな事実に気づき、改めてまじまじと龍麻の顔を見つめた。
「 そっか…。ひーちゃんのそのカッコ良さとか、京一がバカな行動に出てもおかしくないくらいのその可愛いさとか…そういうのに真正面から当てられ続けたりしたら、ひーちゃんの事ちゃんと守れないもんね」
「 は? 何言ってんだお前」
ぶつぶつと呟く小蒔に今度は京一が気味悪いような顔をして眉をひそめた。小蒔は完全にそんな京一を黙殺したが、それでも傍の龍麻に視線を向けると、恐る恐るという風に声を出した。
「 ひーちゃんってさあ…。やっぱりスッゴイ人なんだよね」
「 え〜?」
「 そんな嫌そうな顔しても駄目だよ。ボクなんか、もう決まってるんだ。ひーちゃんの為に生きるって」
「 そう? そうかぁ、頑張れよ」
「 本気だぞ!」
「 はいはい」
素っ気無く手のひらを振りながら「もういいだろ」と辟易したような龍麻に、それでも小蒔は一向懲りずにポーっとした視線を向けたまま言った。
「 そういうさあ…冷たい態度とかも。うん、むしろ。そういうひーちゃんだから、ボクひーちゃんの事好きだなあって、護ってあげたいなあって思うよ!」
「 ………」
すると龍麻は暫く口を閉じて小蒔を見つめた後、凛とした声で言った。
「 俺が桜井の事嫌いって言っても?」
「 うん。いいよ、そんなのどうでも!」
小蒔は龍麻のその2度目の問いには即答した。
別にいい。
龍麻が自分をどう思おうが、嫌いだろうが何とも思っていなかろうが、そんな事は自分のこの感情には何の関係もない事だ。いや、むしろだからこそ、こんな風に誰にも寄り添おうとしない龍麻だからこそ、龍麻は自分にとっての特別で、絶対の存在だと思うのだ。
だから傍にいられるだけでいい。龍麻が何処を見ていようと、自分が龍麻を見ていられれば。
「 えへへ…」
それは普通の女の子が異性に抱くようなレンアイとは、やはりどうも毛色が違うようだったが。
「 ボクねえ、頑張るよ! ボク、これから一番強くなって、ひーちゃんに『おっ、コイツ』って思わせるような人になるから!」
「 ……もう十分、思ってるけどね」
小蒔のあまりに堂々とした宣言に遂に降参したのだろうか。
龍麻はすっかり破顔し、傍の京一の腹を拳で突付きながら「お前にこんなカッコいい告白ができるかよ?」と言った。
「 桜井」
そうして龍麻は小蒔をもう一度見つめると、今度こそ害のない笑いを見せて言った。
「 俺も桜井の事好きだよ」
「 えっ! あ、あはは、皆と同じくらいの好きのくせに〜」
「 それじゃ駄目?」
龍麻が悪戯っぽく笑んでそう言った台詞に、小蒔はすぐに笑い返すと首を振った。
「 んーん。いい。いいって言ってるじゃん!」
「 …そう」
「 うん!」
傍目から見たら体よくフラれたようにしか見えない、そんな場面。
それでも小蒔は幸せだった。また一歩龍麻の事を知れたようで。龍麻に近づけたようで。
「 さっ、じゃあーすっきりしたとこでラーメン行こう、ラーメン! ボクはミソがいいなあ」
「 俺も」
「 わーい、ひーちゃんとお揃いだあ!」
「 ちっ、ったく2人急に仲良くなりやがって…」
京一が呆れたような、どことなく恨みがましいような声を出したが、小蒔はそれをを完全に無視した。ついでに未だ動きのない醍醐や美里にも気づかないフリをさせてもらって、小蒔はようやく立ち上がった龍麻の隣に立つと、明日からの学校はますます楽しくなるなと思った。
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