キミのそれはホンモノ
「 どうしたのマリイ? 折角のデートなのに何だか元気ない」
「 龍麻オ兄チャン…」
ぽかぽかと暖かい秋晴れの日。龍麻は以前からのマリイとの約束、「日曜デート」をしていた。
場所は龍麻のアパート。
普段のマリイであったなら折角のこの天気、遊園地か動物園に行きたいと答えていたはずだ。
だから出会った早々「外には出たくない」と言ったマリイに、龍麻ははじめからいつもと違う空気を感じ取ってはいた。
「 折角うち来たんだからゲームでもやる? 俺ン家、あんまり気の利いたのないんだけどさ…。この間、京一が脱衣麻雀置いていってくれたから。それで遊ぶとか!」
「 ………」
「 ……おーいマリイ。そこ突っ込むところだぞー?」
「 ……ウン」
「 ………」
やっぱりヘンだ。龍麻は窓際に座って膝を抱えたきり、こちらが出したジュースに手を出そうともしないマリイに首をかしげた。
いつも明るい子だけに、こういう表情をされると途端に困ってしまう。元々小さい子どもは苦手なのだ。
「 ……ホント、どうしたのかなマリイは……。ご機嫌ナナメ……」
ぼそりと呟いてから、龍麻はマリイとは向かいの、そして少しだけ離れた位置に腰をおろして自分用に出したコーヒーをすすった。お互いが喋らないからひどい沈黙が部屋を満たしている。龍麻はもう1度、今度はより大きな音を出してコーヒーを一口やった後、わざとらしくゴホリと咳き込んだ。
「 ハッポウビジン……」
その時、ようやっとマリイが口を開いた。
「 は?」
妙な発音だったからか、それとも突然言い出されたその単語に面食らったのか。龍麻はびくんと肩を揺らすとそう呟いたマリイに視線をやった。マリイは相変わらず膝を抱えたまま憂鬱そうな目をして足元を見つめている。
「 ……何? どうかしたのかマリイ?」
「 あのネ…。マリイ、この間学校のお友達ニそう言われたノ…」
「 ん…。八方美人って?」
何だ学校の事だったのか。戦いの事とか美里の家での事、或いは龍麻自身の事を言われるのかと思って多少身構えていた龍麻は、そのマリイの答えに心なしか安堵したように肩を揺らした。
そんな龍麻には気づく風もなくマリイは龍麻からは横を向いた姿勢で続けた。
「 嬉しかったノ…。学校、たくさんお友達デキテ…。皆と仲良くしたかったカラ。だから笑っていただけナノ…。皆に笑いかけたかったノ…」
「 それの一体何がいけないんだよ」
どこの世界にも、人気者を妬む人間はいるものだ。恐らくは、そのクラスメイトは誰にでも愛想が良く誰にでも好かれるマリイに嫉妬したのだ。それで意地悪な言葉を投げつけてここにいるマリイを傷つけてしまったのだろう。龍麻は苦笑気味になりながら落ち込んだ顔のマリイに言った。
「 そういうの、あんまり気にするなよ。マリイ、八方美人の意味知ってる?」
「 この間葵オ姉チャンに聞いタ…」
「 なら分かるだろ。マリイは八方美人なんかじゃないよ。ただいい加減に人と接しているのとは違う。誰ともいい加減に接してなんかいないんだから。八方美人ってそういう意味だろ。悪い意味で誰にでもいい顔してるって、そういう意味だろ」
「 ワタシ…誰にでもイイ顔シテタ…」
「 だからそれはそういう意味の『イイ顔』じゃなくて…」
「 NO…」
龍麻の言葉を遮るようにしてマリイはぎゅっと目をつむった。そしてより深く膝に顔を埋めると、その時の悲しみを思い出すようにじんわりと瞳を翳らして言った。
「 マリイ…。嫌われたくなかったノ」
龍麻の方を見ないでマリイは言った。
「 イイ子にシテ…。笑っていたラ…。そうしたら、もう誰もマリイを捨てないでショウ…? 皆愛してくれルでショウ…? あのね、ダカラ…。だから、マリイは、笑っていたのヨ…」
「 ………」
「 そうだったの…マリイ、そうだったノ…」
ワタシ、悪い子。
「 マリイ…」
言葉にせずともマリイがそう言って自分を卑下したような気がして龍麻は思わず立ち上がった。最近は美里とも美里の家族ともすっかり打ち解けて、学校でも友達がたくさんできて楽しいと。そういう話ばかり聞いていたからすっかり失念していた。誰よりも愛情を欲していて、誰よりも怯えている子ども。そう、マリイはやっぱり子どもなのだなと龍麻は思った。
そして。
そして、どこか。
「 な、マリイ…。そっちに行っても、いい?」
「 え…」
もう向かいにいる相手のすぐ傍にまで行っているくせに龍麻がわざわざそう言った事で、当のマリイは面食らったようになりながらも機械的に振り返ってただ「ウン」と頷いた。
「 良かった」
だから龍麻はそんなマリイが驚かないように、なるべく平静を装いながらマリイの背後に座った。
そしてそのまま、マリイの身体を包みこむようにして両腕を回し抱きしめた。
「 オ…兄チャン…?」
「 あのなあマリイ」
龍麻は薄く笑いながらマリイの耳元にそっと言った。
「 八方美人ってさあ…。きっと、俺の事なんだなあ」
「 龍麻オ兄チャンが…?」
「 そうだよ」
驚くマリイにあっさりと肯定の意を述べて龍麻は続けた。
「 誰にでも如才ないのは俺…。あっ、こんな言い方したらマリイには難しいかな…。でも、そうなんだよ。誰にでも笑って、でもその笑顔がいい加減なのは…この俺なの」
「 チガウヨ…? オ兄チャン、いい加減、チガウ…」
「 マリイはイイ子だなあ」
これはきっと自分の本心だろうと思いながら龍麻はマリイに優しく言った。けれど、だからこそそんな「
良い子」が「そんな事」に心を痛めているなんて、自分にはこれ以上痛い事もないだろうと、その痛みを運んできたマリイを少しだけ恨めしくも思った。
いつも蓋をして考えないようにしている事を、さらりと持ってこられてしまった。
「 でもそうなんだよ。俺は、皆が必要だから笑ってる。必要って言葉に嘘はない。けど、その意味はきっと皆が考えている事とは違う。だから俺はマリイとは比べ物にならないほど、数百倍も酷い奴なんだ」
「 ………」
「 だからマリイが自分の事を責めたり悲しんだりする事はないんだよ? 絶対」
「 ………」
こんな慰め方じゃ分からないかな?
そう思いながら龍麻がすっと身体を離してマリイの様子を伺うと。
「 オ兄チャン…」
「 ん…? って、わあっ」
「 オ兄チャン!!」
「 マ、マリイ!?」
突然くるりと振り返り、自分の事を押し倒さんばかりの勢いで抱きついてきたマリイに龍麻は思い切り意表をつかれた。
「 ど、どうしたマリイ?」
「 違うノ、オ兄チャンのネ、笑顔はネ! 皆もマリイもとっても元気にするヨ!」
「 ………」
マリイの小さい両手にぐっと両肩を掴まれて、そのまままるで凄むように見つめられた龍麻は半ばぽかんとしたままそんな相手の事を見やった。
マリイは必死の顔で龍麻に続けた。
「 マリイ、お友達に注意されても…。きっと皆に笑いかけるの、やめられないノ…! だってマリイ、皆が好きダカラ…! 誰にも嫌われたくないノ! 我がままだけど、そうナノ!」
「 う、うん…? だからそれでいいんだよ…?」
「 ダカラ、マリイ、オ兄チャンの事を見習うノ! マリイは龍麻オ兄チャンになりタイ!!」
「 お、俺?」
「 ウン!」
「 ………」
力いっぱい頷くマリイに、逆に龍麻の体は空気が抜けていった。
本当に違うんだよ、マリイ。俺はそんなイイモンじゃないんだよ。
「 ………」
そう言ってやりたいのに、否定したいのに、その言葉はとうとう出てくる事がなかった。夢を壊したくなかったから?
いいや、そうじゃない。
「 マリイ…ありがとな…」
「 ……? チガウ、マリイの愚痴聞いてくれたのオ兄チャン…。マリイ、龍麻オ兄チャンの事、大好き!!」
「 ……うん。俺も、マリイ好きだよ」
そう言ってにっこりとマリイに笑いかけた龍麻は、「あ、この笑顔はホンモノかもしれない」と頭の隅だけでちらりと思った。
「 ……それにしてもマリイは本当に綺麗な瞳の色してるなあ」
そうして、自分の間近にいる少女の顔を覗きこみながら、龍麻は先刻とは違う事を考えていた。
そうか、もしかするとマリイに意地悪を言った人間は。
「 あのさマリイ。マリイにその事言った友達、男? 女?」
「 エ? あのね、男の子ヨ。クラスで一番仲良くしてたノ」
「 ……ふふ。そう、か」
「 ??」
ああ、何だ。
龍麻は一気に頬が緩んで、不思議そうにしているマリイにもう一度ゆっくりと微笑みかけた。
意地悪ではない。マリイという少女の純粋さに嫉妬していたのとも違う。そのクラスメイトの男の子は、ただ大好きな人が自分以外の全ての人に平等に笑いかけるのが面白くなかったのだ。それだけだった。
「 良かったな、マリイ」
君を愛している人はこんなにいるよ。
「 ………」
そう言ってあげたくて、でもこんな自分にはそんな台詞は吐けないという気がして。
龍麻はただマリイの金に輝く髪を優しくそっと梳いてやった。
いつもはいい加減だなと思う大嫌いな自分の笑顔を、今日は少しだけ意識せずに出して。
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