あの人はいつも言う。「程ほどにしなさい」と。
そして帰り際に1度だけのキスをくれる。
その度に俺は気持ちが暗くなって泣きたくなって、だからその「程ほど」をやめられなくなるんだ。
キスの相手
「 や…痛いっ」
龍麻が振り返りざま思い切り不機嫌な目で睨みつけると、そうされた相手―壬生―は、一瞬だけ驚いた表情になったもののすぐに苦い笑みを浮かべた。
「 ごめん」
「 謝るなら…っ。もう、離れろ、よ…!」
「 ……」
「 壬生っ」
どれだけ叫んでも怒っても、龍麻は背後からぎゅうと自分を押さえつけてくる壬生を振り払う事ができなかった。先ほどからその事が物凄いストレスになっているのだが、幾ら精一杯身じろいでも首を振っても、壬生はびくともしないのだ。
「 ひっ…んぅ…ッ…!」
それもそのはず、今2人はぴったりと密着したまま完全に「繋がった」状態にあった。
「 も…苦し、よ…!」
「 ごめん。でも僕は気持ちいいよ」
「 ひど……あッ! も……んっ! 急に動っ…あッ!」
「 ごめん」
「 あっ、あっ。――ッ!」
「 龍麻…ッ」
「 やぁッ…ん、んぅっ…!」
壬生が腰を揺らす度に龍麻は自分の身体も一緒に揺れ、同時に性器が震えるのもダイレクトに感じた。獣のように四つん這いの格好にされ、両手で尻を掴まれたまま、龍麻は壬生からもう一体何度目か分からない程の射精を中に受け続けていた。
「 あ、あ、あ…」
壬生のどくどくと脈打つ性の波動が自分の心臓を鷲掴みにしてしまうのではないかと錯覚する。もう何度もやめてくれと懇願しているのに、壬生は謝るばかりでその行為をやめようとはしない。
本気で殺そうとしているのか。
「 も…痛いよ…。嫌だ…」
それともこうして泣き言を言えば許してくれるのか。
「 ごめん」
「 ん…」
「 ごめん、龍麻」
それでも壬生はただそう言うばかりだった。龍麻は諦めて目を閉じた。
シングルサイズのベッドは2人の男が激しく揺れ動く度にギイギイとひどく苦しそうな悲鳴を上げた。龍麻はその軋む音に意識を集中させながら、なるべく自分の情けない声を聞かないようにと心の奥にも蓋をした。
龍麻が壬生とセックスするのはこの夜が初めてではなかった。
けれどこんな無茶な抱かれ方をされたのは今日が初めてだった。
「 もう壬生とはしない」
目を覚まして最初に言ったのはその台詞だった。
「 壬生とはしないからな」
「 ごめん」
「 ……他に言う事ないの?」
呆れたように眉をひそめたが、そんな龍麻に壬生はただ小さく笑みを漏らすだけだった。けれど目覚めたばかりの龍麻にすぐさま冷たい飲み物を持ってくるところなどは、やはりいつもの気の利く壬生で、だから龍麻は安心して当たり続ける事ができた。
「 お前があんなしつこいエロオヤジみたいなセックスするなんてさ。お前の事ファンな女の子とかが知ったら絶対失望するよ」
「 失望しないよ」
「 何で!」
「 だって女の子と寝る事なんてこの先1度だってないから。僕は龍麻としかしないから」
「 ……俺はもうしないって言ってるだろ」
壬生のきっぱりと言うその台詞に思い切り狼狽しながら、龍麻は俯いたままぼそりと言った。壬生から受け取った透明のグラスをじっと見つめながらなるべく視線を合わせないようにする。
「 龍麻」
けれど壬生はそんな龍麻には構う事なく、ベッドの端に腰を下ろすといつもの抑揚のない調子で一言言った。
「 龍麻。キスしてもいい?」
「 ………」
「 さっきは龍麻のこと、ずっと後ろから抱いてただろ。だからキス、1回も出来なかった」
「 知るかよ。背中とかにはいっぱいしただろ。そこ、まだべたべたする」
「 そんなにしてないよ」
「 した!」
「 龍麻」
壬生の困ったような声に龍麻は思わずカッとした。何だか我がままを言っているのは自分のような、そんな理不尽な想いに駆られてしまう。
「 何なんだよ。勝手に後ろから襲い掛かってきたのはお前だろ? それを今度はそのせいでキスできなかったからさせろ? 何だよそれ。大体人が寝ようとしてるところをいきなり上がりこんできてさ…」
「 うん」
「 ……お前がそんな強引な奴だったなんてさ」
「 強引だよ僕は。人一倍我がままだしね」
「 ………」
「 龍麻」
「 嫌だっ」
「 ………」
きっぱりと拒絶した龍麻に、しかし壬生は表情を変えなかった。ただ先ほどさんざ無理やり犯したくせに、口づけに限っては強引にしようとはしない。それは普段のセックスの時でもそうだった。必ず許可を得てから。
しかし今日はその許可が得られないと思ったのか、やがて壬生は諦めたように立ち上がった。
「 ……帰るの」
キスは嫌だけれど、この夜は共に越して欲しい。
龍麻がそんな想いで顔を上げその背中を追うと、壬生の方は黙ったままただじっと一点を見つめ微動だにしなかった。
そしてやがて一言、「ううん」とくぐもった声を上げた。
「 壬生?」
その様子がどこかおかしくて龍麻は首をかしげた。黙って壬生が見つめている方向へ目をやっていると、やがて壬生は部屋の角にある戸棚の裏を何やらつっと指でたどり、「それ」を摘んだ。
「 何?」
龍麻が訊くと壬生はあっさりと答えた。
「 盗聴器」
「 え」
「 潰したから。今」
「 ………」
龍麻が沈黙していると、振り返った壬生も黙ったままそんな龍麻を見つめてきた。
その顔はどことなく泣き出しそうで寂しそうで、龍麻は今までさんざ壬生の事を貶したり避けたりする態度を取っていたくせに、その顔を見ただけでもう全てを許してしまいたくなってしまった。
「 ……大丈夫だよ」
だから言ってやった。
「 別にさ…。俺がちゃんと言っておいてやるから。壬生が悪いんじゃなくて、俺が最初にお前の事無理やり誘ったのが始めだったんだからって。今日のはむかついたけど…それはちゃんと言っといてやるから」
「 何を。僕は別に構わないよ」
龍麻の勘違いな慰めに壬生は冷たく笑い、顔を背けた。
龍麻はそんな壬生にむっとしながら唾を飛ばした。
「 嘘つけ、そんな不安そうな顔して。怖いんだろ、本当は。だってあの人、俺にはめちゃくちゃ甘いけど、お前には凄く厳しい」
「 ……そんな事はないよ」
「 でも、こんな事バレたらやっぱり怒られるだろ」
「 ……そんな事どうでもいい」
壬生はぐっと拳を握り締めた後、搾り出すような声で呻くように呟いた。
「 それより、龍麻こそこういう状況に慣れるのはよしなよ。どうして寝室に盗聴器が仕込まれているって分かっても驚かないんだい? どうしてそんな風に平気でいられる?」
「 だって…実際慣れてるし」
あの人はいつだって俺を監視している。
「 しょうがないよ。あの人は俺を見張る義務があるんだもん。義務って本人が勝手に思ってるだけだけど。あ、でもここで誰と何してようがそんなに怒りはしないよ。『程ほどにしなさい』とは言うけどね」
そう。だからいつも程ほどには「悪さ」をする。龍麻は壬生の顔をぼんやりと眺めながらふと想いを巡らせた。
あの人が眉をひそめるような何かを自分はせずにはいられない。最初に自分の前に現れ、この部屋と新しい生活への道をくれたのはあの人だ。
それなのに今はもう知らぬフリだ。いや、意図的に避けている。
「 あの人は分かってるんだ。俺が人に対する愛情なんかこれっぽっちも持てない奴だって。だから心配なんだ。俺がいつか爆発するんじゃないかって、気が気じゃないんだ」
「 ……やめてくれよ」
「 だからこうやって誰かと寝るのは容認してる。俺が俺を抑えていられるなら、多少のオイタは見逃してくれる」
「 龍麻」
「 でも鳴瀧さん、自分は俺と寝てくれないの。何でかな」
「 龍麻」
壬生がどんどん不快な声を上げていくのが分かっているのに龍麻はもう止められなかった。盗聴器はもうない。だからこんな事を言ってももうあの人には届かないのに、口を動かさずにはいられなかった。
居た堪れなかったのだ。
「 鳴瀧さん、不能なのかな。何で俺と寝てくれないんだろ。部屋に盗聴器仕掛けて自分の愛弟子に相手させてる俺の喘ぎ声聞いてるなんてさ、何か変態っぽい。ていうか変態か」
「 あの人は君を本当に愛してるんだよ」
「 はっ」
壬生のきっぱりとした物言いに龍麻は思い切り笑い飛ばした。胃の中がぐらぐらと煮立つ。
そして不意にあの人が最後にしてくれた口づけを思い出した。「程ほどにしなさい」と言った後、小さな子どもに言い聞かせるようにしてくれた掠めるようなキス。
いつでもあの人の姿は龍麻にとって曖昧でぼんやりとしたものだけれど、ああいう瞬間だけははっきり見える。
あの瞬間だけは。
「 でも、愛してなんかいないよ」
「 愛してるんだよ」
「 何で壬生にそんな事が分かるんだよ」
「 僕があの人と同じ気持ちだからだよ」
「 ………」
「 本当だよ龍麻」
「 ……重い話は嫌いだよ」
壬生の言葉に龍麻は口元を歪め、顔を逸らした。壬生によって付き貫かれた尻の奥がじんじんと痛い。やっぱり癪に障った。
「 いつか…」
けれど壬生はそんな龍麻には構う風もなく、ふっとため息を漏らすと踵を返した。
そうして部屋のドアノブに手を当て暫く迷った風に言い淀んだ後、言った。
「 龍麻。いつか僕にもキスさせてよ」
「 ………」
「 館長より好きになってもらうように努力するから」
「 ………そんなの」
「 今夜はもう寝なよ。昼過ぎになったら起こしてあげるよ」
パタリとドアの閉まる音と共に壬生は部屋を出て行った。
本当に今夜は「朝まで添い寝」をしてはくれないらしい。壬生は今日来てからこっちずっとヘンだったが、ヘンというよりは不機嫌だったのかもしれない。
たぶん鳴瀧から聞いたのだ。
龍麻がキスするのは鳴瀧にだけだと。
「 そんな事でいちいちキレるなよな…」
龍麻はそんな事をぼつと呟いた後、がばりと布団を頭からかぶった。腰がズキズキと痛い。むかつく。人を好きに抱いておいて、何だか勝手に怒って。
「 鳴瀧さんに会ったら…またいっぱい甘えよう…」
どうせあの人とてそれくらいしか許してはくれない。中途半端な自分には、それくらいしか。
「 キスくらいで…」
喘ぎ過ぎで掠れてしまった声でそう呟いた後、龍麻はふっとため息を漏らし目を瞑った。1人では眠れそうにもないのに。
早く朝が来ないかなと思った。
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