ココロはヤング



  まったく、最近の若者はなっとらん。この老人がわざわざ鉄道機関車などというものに乗ってやっておるんだ。席が空いておらんかったら自ら立ち上がり「どうぞお座りになって下さい」とにこやかにその場を譲るのが世の常識というもんじゃろが。だに、わしが「退け」と口に出さねば腰を上げん愚か者ども。それも「イヤイヤ」。腐っとる。この世の中骨の髄まで腐っとるわ。だからこそこのわしが、そしてわしの優秀なる息子伊周が、そんなクソの役にも立たんクズ共を手ずから掃除しなければならないのじゃて。
  ゴホゴホ…。しかし、そんなわしも無理な過重労働が祟ったのか最近富に身体がだるい……。
  これはまたいつもの「アレ」をやってすっきりするしかないかもしれんな。最近は地元じゃなかなか引っかかる奴もいなくなったから、たまには新宿にでも繰り出すかのう…。

  あそこはレベルも高そうじゃし楽しみじゃわい…フォフォフォ……。





  その日、龍麻は学校から家に帰る途中の道端で小柄な老人がうつ伏せに倒れているのを発見した。
「 えっ…!? ちょ、だ、大丈夫ですか!?」
  慌てて駆け寄りその場に座るも相手は微動だにしない。呼吸はしているから生きてはいるようだが、龍麻は焦りながら辺りを所在なく見回した。
  いつもは買い物帰りの主婦などがよく通るのに、今この道には龍麻たち以外誰もいない。
「 ど、どうしよう…。もしもしっ? 大丈夫ですか!?」
  今度は耳元に向かって多少大声で叫んでみた…が、返答はない。龍麻はすっくと立ち上がり、これは近くの家で救急車を呼んでもらうしかないなと思った。
  しかし。
「 待たれよ」
「 うわあっ!?」
  足元でしたその声と共に龍麻は体勢を崩してその場に尻餅をついてしまった。助けを呼ぼうと駆け出した瞬間に、その倒れていた人物から足首をぐっと掴まれたのだ。
「 う、うわああ…」
「 わしは死んでおらん」
  ぐりんと首だけを動かしたその老人はそう言ってニヤリと不気味な笑みを浮かべた。龍麻の足を掴むその手は思いのほか怪力だ。その力を感じるだけで龍麻は腰が抜けたようになってその場から動けなくなってしまったのだが、老人はそんな事にはお構いなしにずりずりと身体を龍麻に近づけ、言った。
「 すまんのう若いの…。実はわしゃ、今猛烈に腹が減っておって、ようけ動けずに困っておったところなのじゃ…」
「 は、はあ…」
  冷や汗を流す龍麻に老人は尚もうつ伏せの状態のまま(しかも龍麻の足首をしっかと掴んだまま)続けた。
「 で、じゃ。ここで会ったのも何かの縁…。1つ、先の短いこの老人の頼みを聞いてはくれんか?」
「 え? あの、病院にでも行きますか?」
「 わしゃ病気じゃない。腹が減ったと言うておろうが」
「 そ、それじゃあ…家までお送りしますよ…。この辺りですか?」
「 江東区在住」
「 と、遠いな…」
「 送ってくれずとも良い。わしゃ、お前さんの家へ行くよってな」
「 え、ええっ。何で俺の!!」
  あまりの展開に龍麻が声をあげると、途端老人は顔をコンクリート面にぐしゃりと押し潰し、しくしくとわざとらしい泣きまねをし始めた。
「 わ、わしゃあ哀れな老人じゃあ…。家では息子に冷たくされ…外ではロクでもない奴にこき使われ…たまの自由時間に外出すると、一見清清しい若者にさえもこうして邪険にされ、のたれ死に寸前…」
「 ……それだけ口が動けばそう簡単に死にませんよ」
  辟易したようにそう言った龍麻は、しかし老人が自分の足首を一向に離す気配がないので、諦めたように大きくため息をついた。
「 あの…それじゃあ俺ン家は無理だけど、駅の近くで何か奢ってあげますよ。それ食べたら家に帰ってくれますか?」
「 お、おおお…! おぬし、顔だけでなく心も清い奴じゃったんじゃなあ…!」
「 はいはい。それじゃ、いい加減足離して」
「 離した途端逃げやせんじゃろな」
「 逃げないから離す!!」
「 しぶしぶ…」
  老人は怒鳴る龍麻にふざけたような口調を発すると、ぴょこんと立ち上がりぱんぱんと身体についた埃を払った。
  それから偉そうな顔で胸を張る。
「 実はわしゃあ、ここらじゃ相当に名の通った陰陽師でな。気のいい若者よ、近年稀に見る感心なその行いに感じ入って、後でおぬしには何なりと好きなだけの褒美をくれてやろう」
「 は? いいですよ、そんなの。よく分からないけど、そんな偉い人なら行き倒れになんかなってないで下さいよ…」
  何だか思いきり元気になっていないか?
  そう思いながらも、まあ何事もなくて良かったと、龍麻は苦笑しつつようやくゆっくりと立ち上がった。
「 ほれ」
  そんな龍麻に老人は懐から何かを取り出すと如何にも恩着せがましく言った。
「 これをやるわい。本日の出来立てホヤホヤじゃ」
「 え?」
  それはいやにド派手なプリクラつきの名刺だった。
「 阿師谷…導摩さん? …ん、何かどっかで聞いたような…」
「 わしゃ有名人じゃからな」
「 そうなんだ」
「 じゃが、おぬしには特別に名前で呼ばせてやろう。導摩様で良いぞ」
「 サマ付けかよ!」
  思わず突っ込みを入れたが、導摩は平然としている。面白い爺さんだと思いながら龍麻は思わず笑みを零した。
「 まあ仕方ない。それじゃ行きますか?」
「 うむ」
  するとその瞬間、導摩はいきなり高く跳躍したかと思うと、そのまま龍麻の背中に飛びついた。
「 わあっ!」
  勿論龍麻は仰天して、そのまま自分に乗りかかってきた導摩を放り投げそうになってしまった。
  幸か不幸か、導摩はしっかと龍麻の首筋にしがみついて離れなかったのだが。
「 な、いきなり、な、何すんですかッ!?」
「 何っておんぶじゃよ。わしゃ、足腰の立たん先の短い老人じゃぞ」
「 ……でも今物凄いジャンプでしたよ?」
「 ううう…腰が痛〜い、足が痛〜い」
「 ……あのね」
  またしてもわざとらしい泣き真似に龍麻はがくりと項垂れたが、今度は割とすぐに立ち直って半ば自棄になったように声を張り上げた。
「 分かった、分かりましたよ! それで導摩サマは何が食べたいの? あんまり高いものは駄目だからね! ……ったく」
  つくずく自分はお人よしだと思いながら、龍麻は導摩をおぶさったままてくてくと今来た道を引き返し始めた。龍麻にしてみれば今からまた駅に戻って食事をするなど予定外もいいところだ。しかし、元々肉親の情に薄いせいか、たまにこうやってお年寄りに優しくするのもいいかもしれないと心のどこかで思う気持ちもあった。
  しかし、これにニヤリとしたのが当の導摩だ。穏やかな親切モードになっている龍麻に対し、導摩はぎゅっとその触り心地のよい氣に親しみながらややうっとりとした声色で言った。
「 わしゃ、先の短い老人じゃからなぁ。ステーキだの何だの、そういうひつこいものは好まんのじゃ。よってそんなに気を遣う必要はない」
「 当たり前だよ! ステーキなんか奢れるかって。俺、学生だよ?」
「 ふむ…。ならばステーキは今度の機会にわしが奢ってやるとしよう」
「 えぇ? あ、そういえば有名人だから…お金持ちなのかな?」
「 左様。権力もあるぞ。じゃからな、わしゃ決めておるんじゃ」
  導摩はフンと鼻を鳴らし、そして言った。
「 この世の中、どうも老人に不親切な奴が増えたじゃろ。じゃからわしゃ、そういう奴らは全て淘汰し、その後再生される新しい世界では、おぬしのような心の澄み切った若者だけを残そうと思っとる」
「 は、はあ?」
  龍麻は相手の言っている意味が分からず歩きながら眉をひそめた。しまった、この老人はボケているのだろうかとも思ったが、まさか直接その事を本人に訊くわけにもいかない。
  そんな龍麻の焦りには気づかず導摩は続ける。
「 よってその新しい世界に残す若者を選出する為にな、こうやって時々息抜きを兼ねて食事に出るというわけじゃよ」
「 はあ…。ちょ…ど、どうでもいいけど、さっきから顔を首筋にすりすりすんのやめてくれない?」
  気色悪いからと口走りそうになって龍麻は慌てて口を閉じた。しかし妙に身体を摺り寄せてくるのは本気でやめて欲しかった。
「 ふふふ…」
  しかし導摩はそんな龍麻にはお構いなしだ。依然として気持ち良さそうに龍麻の背中に密着し、両腕を首に巻きつけた状態でにんまりとしている。
  そして。
「 そんなわしがおぬしに馳走してもらいたいモノは、ただ1つ……」
「 あ…? あー、はい。……何?」
「 それは……」
「 ……?」
  いやに言葉を溜めている背後の導摩に、龍麻は思わず嫌な予感がして立ち止まった。まさか、いやそんなはずはない。そう思っているのだが、内から発する危険信号は何故か激しく鳴り止まない。
「 導…」
  そして恐る恐る振り返った先、龍麻は世にも恐ろしいものを見てしまった。
「 ……!!」
「 ん〜」
「 !!!」
  それはタコのように薄い唇を突き出し、今にも龍麻にキスしようとしている導摩の姿で。
「 な…!?」
  そしてぎょっとする龍麻は、次の瞬間やはりこれまた信じられない発言を聞いてしまった。耳に入れてしまった。
「 わしが……」
  導摩の叫び声が辺りに響き渡った。

「 わしが食いたいのはおぬしなんじゃ〜!!」

「 ぎゃあああああ!!」
  べしゃり!!
「 ぷぎゃ!!」
「 へ…へ、変態ジジイ!!」
  龍麻はあらん限りの力で自分にしがみついていた導摩を引き剥がし、固いコンクリート面に思い切り投げつけた。蛙のつぶれたような音と共に導摩はその場に捨てられたが、それをカワイソウだと思う程の寛大さはこの時の龍麻には微塵もなかった。
  一方の導摩は、いつもは自分のこの《力》に抗える若者はいないのにと、驚きとショックのあまり暫しその場で茫然と固まってしまった。
「 わしの拘束技から逃れるとは…」
「 爺さん! あんた全然先の短いお年寄りじゃないよ! 犯罪だから、それ!」
  走って遠ざかりながら龍麻は叫んだ。導摩はああやって生き倒れのフリをしては、いつも誰かにこうした痴漢行為を働いていたのだろうか。それを考えると龍麻は怒りよりも恐ろしさの方が先に立ち、ただ逃げる事を優先させた。
  最後に注意をする事だけは忘れなかったが。
「 爺さん! エロもホドホドにね!!」
「 若者〜! せめて、せめておぬしの名を〜!」
「 嫌だよー!」
  律儀に答えてやりながら、しかし龍麻はもう振り返らなかった。振り返ったが最後、今度こそ捕まれて離されないような気がしたから。
  そうして、あんな姑息な手で若者をだまくらかす老人が生息しているなんて、やっぱり東京は怖いところだ、使命を果たしたら郷里の田舎に帰るかどうするかしないとなと、妙な決意をするのだった。



<完>




■後記…く、くだらな…。カップルになんかなりようがなかったのでただの変態ジジイにしました…。でも実際、導摩は龍麻と敵として出会わなかったら、絶対弱い爺さんか権力ある爺さんを演じて龍麻に近づく事でしょう!「お前の事はわしが養ってやる。代わりにその柔肌を寄越せ〜!」とか言ってね(死)。エロジジイって面白いですよね(何がだ)。……失礼しました。