「あらパパ、どうしたの。鏡なんか見てめかしこんじゃって」
「むう…伊周か……」
導摩の何やら難しい顔に息子である伊周は不思議そうに首をかしげた。
しかし、ある予感はしていた。父の最近の変化は敏い伊周には容易に気付ける。何故って父はこうして鏡を見る事は勿論、最近では服装や体形にも細かく気を配っているから。
伊周はやや茶化すようにウインクすると、父の傍へ寄って居住まいを正すようにきちんと向き合って座った。
「言ってちょうだい、パパ。もしかして、アタシ達に新しい家族でも出来るとか?」
「……さすがは我が息子よ。分かるか?」
「勿論よ!」
熾烈な闘いの最中であっても、そういった幸せな話はあってもいい。父は苦労して男手1つで自分を育ててくれた。伊周が性別を越えた己の性癖に気付いた時も、別段煩い事は何1つ言わずに沈黙で通してくれた。
それが思春期を迎えていたあの頃の伊周にとってどれだけ救いとなった事か。
だから尊敬する父親の願いならば、伊周は何でも叶えてやりたいと思っている。
「どんな女性(ヒト)? いつ会わせてもらえるの?」
「お前が望むならすぐにでもじゃ……」
「まぁ本当!? それなら、そのヒトとはもう両想いって事!? やるわね、パパ!」
「ふふ……まあな……」
ほんのりと頬を染める父に伊周は目を見張った。何という事だろう。この厳格な父が本当に恋をしている。しかも、どうやら相手にも父の気持ちは既に伝わっているらしい。
にわかに家の中が活気立つ想いで、伊周は身を乗り出した。
「素敵! 素敵過ぎるわ、パパ! 勿論、すぐにでも紹介して欲しいわよ! ねえどんなヒトなの!? 年は!? 何をしている方!?」
「そういっぺんに訊ねるでない…。無論、愛しい息子であるお前にはいつかは話さねばと思っていた」
じゃがな、と。
何故か不意に言い淀むように口を閉ざし、導摩は困ったように視線を逸らした。
伊周はそれに「おや」と思い動きを止めたのだが、はたと思い立ったようになって今度は自分が途惑ったように苦笑した。
「もしかしてパパ? アタシの存在が障害になったりしてる? それならアタシは家を出たって―」
「馬鹿な、何を言う」
お前の事ではないと導摩はすぐに否定して、やがて意を決したようになって顔を上げた。
「実はな…。相手は、その…随分と、若いんじゃよ…」
「え? ……あぁ、なあんだ! そんな事!」
予想外のところで父が惑っている事が分かり、伊周は忽ち安心したように破顔した。
「そんな事! パパ、恋愛に年の差なんて関係ないわよッ。アタシなら全然平気よ? なあに、もしかしてアタシとちょっとしか離れていない20代のOLさんとか? ふふふ、アタシ、そのヒトの事、ちゃんとママって呼べるかしら?」
「いや……20代ではない。お前と同じ年齢だ」
「………え?」
「やはり、引くかのう……」
ぴたりと動きを止めた息子に導摩はあからさま失望したように溜息をつき、かぶりを振った。
「あ!」
それで伊周もすぐに焦った風になって両手を振った。
「ち、違うわよッ! 別に引いてなんかないわッ。た、ただびっくりしただけよ、当然でしょう? だって幾ら何でもアタシと同じ年だなんて思わないもの! や、やあねえ、パパ! 一体何処で引っ掛けてきたのよ? まさかアタシと同じ学校のコだなんて言うんじゃないでしょうねえ!」
あはははと無駄に明るさを装って、伊周は心内でも「何でもない事だ」と自らに言い聞かせた。
そう、何でもない。たった今自分自身で、「恋に年の差など関係ない」と言ったばかりではないか。それなのに、20代の女は平気で、自分と同じ年の女子なら引くというのは矛盾している。20代も18才も、考えようによっては数才しか違わない。
努めて父を励ますように伊周は「私は全然平気よ」と繰り返した。
「それで? どこで知り合ったのよ、本当に?」
「いや……ちと、新宿でな……。気分を悪くしているところを介抱してもらったのじゃ」
「え? 気分が悪くなって? パパ、大丈夫だったの?」
「ああ、それはもう心配はない。……それよりのう、実はもう1つ問題があってな」
「え? 何?」
年齢が自分と同じという事だけでも十分ショッキングだ。それ以外に一体何が問題だというのだろう。
伊周は多少身構えた気持ちながら、父の次の言葉を待った。
「実はのう……相手はその…………とこ、なんじゃ」
「え?」
「男、なんじゃ」
「は?」
一体何を言われているのか、伊周には最初全く理解出来なかった。
「男」
しかし実際に自分でも復唱してみると、じわじわとその事実を認識してくる。
男と言ったのだろうか? 父は?
「パパ……それって……」
「むう…我ながら自分でも驚いておる…。しかしな、一目見てもう忘れられんのじゃ…。あやつを是が非でも手に入れたい。気付いた時には、もう、そう思っておった」
「………素敵」
伊周は思わずそう呟いた。
導摩がそれにハッとして顔を上げる。
「伊周…伊周よ……この父を呆れたりはしないのか?」
「そんな! そんなわけないわ、パパ!」
いいじゃないか、男だって。つーか、自分だってソッチ系の人間だ!!
伊周はもうすっかり立ち上がり、握り拳すら作って感動したように目を輝かせた。
「素敵よパパ! そんな恋! アタシもしてみたい! 街角でパパを助けてくれた青年! きっとカッコイイんでしょうね! 一目見て心を奪われて、絶対に手に入れたいって考えてアプローチするパパ! ああ、アタシもその場にいたかった!」
「……実はまだアプローチはしておらんでのう」
「え? あらそうなの? まあ、いいじゃないそれは…。これから告白でもすれば」
それで、相手は一体どんな容姿をしているのだろう。
「楽しみねえ。ねえ、写真とかないの? アタシにも見せて頂戴よ!」
「む…そうか? 仕方がないのう、ではこれでも見せてやるかな」
パチリと。
導摩は突然机の上に置いてあったテレビのリモコンを握ると、そこのボタンを素早く押した。
すると目の前にはなかった巨大なスクリーンがするすると天井から下りてきて、2人の目の前に大仰なビデオ映像が流れ始める。
伊周は目を点にして見せた。
「あの、パパ?」
「柳生の奴が敵情視察用に寄越したスパイ衛星がこんなところで役に立ったわい」
「……バレたらボコられるわよ」
たらりと汗を流したものの、しかし父も必死なのだろうと伊周は思い直した。どうやらそのスパイ映像が追った先に父のお目当ての青年が写っているらしい。場所は新宿。やがて巨大な高校の敷地が映し出され、画面から校門の所の看板に《真神学園》という名が刻まれているのが見えた。
「ん…? 何かどっかで聞いた事あるよーな……」
そういえば先日顔をあわせた柳生から、「器」の存在を聞かされた際にこんな学校名を聞かされたような気がする。
そして、その中でターゲットたる高校生5人組を見せられた時は、その5人のうち3人の男子学生に目を奪われたものだ。どいつもみんな、イイ男!と思って。(※因みにあとの2人は女子なのでどうでも良かった)
そう、そして特にその中の1人が伊周の好みストライクだったっけ。
早く合間見えたいと思ったものだ。
「お! そろそろ写るぞ、伊周、しかと見ぃ!」
そうこうしているうちに、父である導摩が興奮したように声をあげた。伊周はそれでハッと我に返り、改めてスクリーンに目をやる。いつの間にかスパイ映像は校舎の中にまで入り込んで、何処にでもある学校の廊下を映し出していた。
そして。
「うひょー! 龍麻ー!!」
「なっ…!?」
父が突然突拍子もない歓声をあげたものだから、伊周はぎょっとして絶句した。
そう、目の前には「あの青年」がいた。柳生に紹介され、伊周がまさに「好みストライク」と思って目を奪われた青年。
黄龍の器、緋勇龍麻。
「ほっほっほ、おお、体育だったのかのう。ジャージ姿も可愛いのう、どうせならTシャツとハーフパンツ姿で現れればいいものを……」
「ね、ねえパパ…。このコって……」
父とて、柳生の話は一度聞いていたではないか。まさか知らなかったわけもあるまい。
何故こうも平然として龍麻の映像を見て興奮しているのか。
「ねえ、パパったら。まさか、このコの事を言ってるの? 緋勇龍麻なの? パパの想い人って?」
「む? 何じゃわしゃ名前をもう言っておったかのう? そうじゃ、龍麻じゃ! どうじゃ、美丈夫の良き素材じゃろう!」
「ええ、それは勿論……アタシだって好みだし……って、そうじゃなくて!」
「あの白い肌が堪らんのう。お、何じゃこやつは! この赤髪の猿め、いつも儂の龍麻にすり寄りおって!
離れんか、こら!」
「ちょっとパパったら! 聞いてるの!? 幾ら何でも龍麻はまずいってば!」
「おお!? これから着替えかの!? ええぞええぞー! さっさと脱げ〜」
「……おいコラ、話聞けや」
ぴくりと怒筋を浮かべたものの、暴走する父を止める術はない。伊周ははああと深く溜息をついた後、これはとんでもない事になったと頭を抱えた。
緋勇龍麻。確かに、イイ男ではある。
「……まったく、こっちの気も知らないで無邪気な顔しちゃって」
そう、イイ男というよりは、かなり可愛い。
画像を通しても分かる。友人に笑いかけるその無垢な笑顔は、恐らく彼の心の美しさそのままを表している。
それでいて、戦闘の時には夜叉にもなる、その《力》も感じさせる。
「……ホント、凄くイイのよねえ」
父が興奮するのも分かる。伊周もこれから教室で着替えようとしている龍麻から目が離せない。ついでに、先刻から纏わりついている剣聖も、父同様「激しく邪魔」としか思えない。普段だったら、この男もばっちり伊周の好みストライクなはずなのに。
「唇もあんなに赤くて。きっと美味しいサクランボちゃんなんでしょうねえ」
ぺろりと舌なめずりをして、伊周は思わず剣呑な目をしてしまった。しかしそんな自分にも気づけない。先刻まで父の暴走を止めねば、何とかせねばと思っていたのに、いつの間にか自分自身も魅せられている。
まずいなと、そう思った。
けれど、まさにそれを実感した刹那だ。
「……まぁた、見てる」
不意に、龍麻が俯いた先、ぽつりとそんな事を呟いた……ように、見えた。
「え?」
と、思うや否や、龍麻は急に友人たちの輪からすり抜けて再び廊下へと戻り、それに追随するように方向転換したようなスパイ衛星を素早く片手でむんずと掴んだ。
「あ!」
「何と!?」
それに対し阿師谷親子は同時に驚愕の声を発した。スパイ衛星は目視出来ないくらい小さい物だから勿論掴む事自体は可能だが、まさかそれの存在に気付いていたとは。その事がそもそも想定外だった。
ブブブ……と、暫し映像が乱れ、伊周たちは固まったままそのブレた映像を見守った。
が、やがて。
「タダじゃ見せないよ?」
不意に龍麻のそんな声が聞こえた。
そうして。
「俺を見たかったら、直接来て下さい。……歓待は出来ないけどね」
不敵な声を耳に入れた直後だ。
ぐしゃりと衛星が握り潰されたのは、砂嵐になってしまった画像から容易に想像出来た。
「………消えちゃったわね」
伊周がぽつりと呟くと、父・導摩は悔しそうにその場で地団太を踏んだ。
「くっそー! さすが我が龍麻! しかし着替えまであと一歩だったのにのう!」
「………そうね」
違う方向で何やらいきり立っている父。
けれどそんな導摩に構う余裕もなく、伊周は身から起こる震えを止める事が出来なかった。ゾクゾクとし、そうしてその直後には自分も見事龍麻に「やられた」と感じた。
「まずいわ……親子で三角関係なんて」
今や伊周も柳生うんぬんでの障害は頭からすっぽりと抜け落としている。未だぶうぶうと映像に文句を言っている老いた父に苦笑しながら、伊周は軽く肩を竦めた後、しかし「仕方ないわね」と息を吐いた。
「でも、恋は止められないものだものね。………覚悟決めるしかねーな」
息子のそんな密かな宣誓をよそに、導摩はまだ騒いでいた。いつか本当の家族3人になる夢を描いているのだろう。伊周はそんな父に「でも、ある意味では家族3人になれるわね」とほくそ笑んだ。
|