マジックセラピー



  「裏密ミサは眼鏡を取ったら結構可愛いらしい」という噂が龍麻のいるC組で流れた時、傍でそれを耳にした京一はすぐに冷たい笑みを浮かべた。
「 だから?」
「 だから…というのは、何だ? 京一」
  その時龍麻の席近くにいたのは京一と醍醐だけ。美里と桜井は遠野と一緒に購買部へノートを買いに行くと言い、昼食後すぐに教室からいなくなっていた。裏密の話が出たのはそのすぐ後で、たまたま近くの男子生徒が面白そうに話しているのを3人で聞いてしまったというわけだ。
「 確かに瓶底眼鏡の女の子が『実は美少女でした〜』なんて設定には、男なら誰でも飛びつくと思うけどよ。裏密だぜ、裏密! あいつだけは別だろう」
「 そうか?」
「 そうかってお前。醍醐。ならお前は裏密がすげー美少女だったからって、いきなりアイツに惚れたりすんのか? 俺はねえな、絶対ねえっ! 女はな、顔じゃねえんだよ、顔じゃ。ハートだ!」
「 へえ!」
  京一の台詞に今までずっとだんまりを決め込んでいた龍麻がいきなり素っ頓狂な声をあげた。それには京一だけでなく醍醐までがびくりとして驚きに目を見開いたのだが、龍麻はそんな2人を交互に見てから不思議そうに首をかしげた。
「 何、どうかした?」
「 いや、どうかするも何も…」
「 何だよひーちゃん! お前がいきなり妙な声出すからだろ? どうしたよ、俺何かおかしな事言ったか?」
「 あぁ…。だってさぁ、京一が女は顔じゃなくてハートだなんて言うから」
「 それの何がおかしいんだよ」
「 いや正論かもだけど。京一の場合、やっぱり大切なのは顔なんじゃないの?」
「 んなっ…。ちょ…ひーちゃん、あのな…!」
  龍麻の殆ど天然なツッコミに京一はがくりと体勢を崩したが、醍醐の方は腕組をしたまま豪快に笑った。
「 ハハハッ! そうだな、龍麻の言う通りだ! しかし京一の場合、顔だけでなく胸と尻もかなり重要なんじゃないか? そうだろう?」
「 だ、醍醐…。テメエ、美里たちがいねえと思って好き勝手言ってやがるな…」
  親友の更なる追い込みに京一が悔しそうにぎりりと歯軋りする。しかしすぐに立ち直ると、前に座る龍麻に縋るような勢いで机をバンバンと叩き、激しい「アピール」を開始した。
「 ひーちゃんあのなっ。何回も言うようだが、俺のオネェチャン好きはひーちゃんと出会った事によって見事卒業した! 今はもうひーちゃん一筋!!」
「 ま…またその話…?」
「 何だよ、その嫌そうな顔は!? ひーちゃんは迷惑なのか!? 俺がひーちゃん好きな事!!」
「 ちょっ…。大声でそんな事言うなよ…っ」
  きょろきょろと焦ったように周囲を見回してから、龍麻はほんのりと頬を朱に染めて俯いた。クラスメイトたちは慣れたような目をして3人の方をちら見する程度で、別段からかったり冷笑したりという視線は向けてきていない。
  けれども恥ずかしいと龍麻は思った。
「 はぁ〜。照れるひーちゃんも可愛いなあ」
「 京一。お前は、少しは龍麻の気持ちも量ってやれっ。お前の一方的な気持ちだけ押し付けられても龍麻には迷惑なだけだぞ!」
「 んだとぉ〜? 醍醐、先に俺に告られてひーちゃん取られそうなもんで焦ってんだろ? ああ?」
「 な、何をバカな…!」
「 も、もう2人共やめろよっ」
  何やら突然険悪な空気になった京一たちに慌て、龍麻は声を上げながら思わず立ち上がった。先週、いきなり京一からその「告白」とやらをされて以降、どうにもこの2人の仲はグラグラとしている。一応「大人」な醍醐が気持ちを抑えて堪えるパターンが多いようだが、どちらにしろ龍麻には気が重い事だった。
「 こんな話しかしないなら、俺行く」
「 ひ、ひーちゃん、何処行くんだよ!?」
「 龍麻…!?」
「 知らないよ! 勝手に2人でやってろ!」
  何処に行くあてもないのに、もうすぐ昼休みとて終わるのに。
  後には引けなくなり、龍麻はわざと乱暴な足取りで教室を出て、2人に追いかけられないように早足で廊下を駆け出した。教師に見つかったら怒られそうなところだったが、幸い何人かの生徒とすれ違っただけで済んだ。
( まったく好きとか告白とか…俺にはよく分からないよ…!)
  龍麻は京一に何の返事も出来ていなかった。京一の事は嫌いではないけれど、その感情は京一が自分に対して抱いているものと同じかと問われれば、やっぱりそれはよく分からない。困惑して黙りこんでしまった事で、京一が「気持ちが落ち着くまで保留でもいいぜ」と言ってくれた、その言葉にずっと甘えている。
  そのせいで2人をあんな状態にしてしまっているのだと、分かっているのに何もできない。
「 もう…」
  どうしようもない自分が苛立たしくて、龍麻はただ闇雲に校舎内を俯いたまま走り続けた。


  何処をどうしてここへ来たのか、だから龍麻には分からない。


「 こ、ここは…?」
「 うふ〜ふ〜。ひ〜ちゃ〜ん……。いらっしゃ〜い……」
  真っ暗な室内に龍麻はごくりと息を呑んだ。
  この風景はたった一度だけ見た事がある。転校初日に校舎案内をされて殆ど無理やり中へ連れ込まれた「あまり好きにはなれない」場所。
  そう、ここは裏密ミサが率いるオカルト研究部の部室内だった。
「 どうして俺…こんな所に…」
「 こんな所だなんて〜。ひど〜い、ひ〜ちゃ〜ん……」
「 あっ…。ご、ごめん!」
  目の前で怪しげな水晶玉を操っている主・裏密の言葉に龍麻は「しまった」と思いながらすぐに謝った。裏密も自分の戦いをサポートしてくれる良き仲間ではないか。失礼があってはならない。
  けれど龍麻は、個人的には占いだの呪いだのと言った話には興味がなかった。だから慌てて回れ右、扉を引いて引き返そうとした。
  しかし。
「 んっ、んんーっ! あ、開かない…っ!?」
  一体どうやって入ってきたのかは分からないが、自分でこの引き戸を引いて中へ入ったのは間違いない。それは確かだ。それなのに扉は初めから頑丈な錠が掛かっていたかのようにびくともしなかった。
「 な、何で…!?」
「 ひ〜ちゃんが〜拒んでいるから〜」
「 えっ。な、何を!?」
「 外へ〜出る事をだよ〜」
  振り返った先、裏密のにたりにたりと笑う不気味な表情に龍麻は再度息を呑んだ。普通に怖い。昼間だというのに電気をつけず、黒い厚手のカーテンで辺りを覆っている。明りといえば傍の蝋燭だけ。その炎の揺れと裏密の笑みとが合わさって、その怪しさは地下に眠る異形たちにも劣らない程だった。
「 お、俺は外へ出たいよ裏密さん! 開けて!」
「 別に〜。ミサちゃんが閉じ込めてるわけじゃないよ〜。ひ〜ちゃんが閉めてるだけだってば〜」
「 そんな事ないっ。俺ここにいたくないもんっ。絶対いたくないっ!」
「 そこまで〜。言われると〜さすがのミサちゃんも傷つくな〜」
「 あ……」
  裏密は傷ついたような顔など欠片も見せてはいなかったのだが、お人好しな皆のアイドル緋勇龍麻は、彼女のその発言に見事に引っかかった。扉に掛けていた手を放し、しゅんとなってすまなそうに項垂れる。
「 ご、ごめん。そんな悪気はなかったんだ…。た、ただ…」
「 ひ〜ちゃんは〜。ミサちゃんが怖い〜?」
「 …………」
「 キシシシシ……」
「 こ、怖いよ。だって何考えてるか分からないし。すぐ呪いとか言うし。分からない暗号みたいな事ばっかり言うし」
「 キシシシ……」
「 その笑い方も怖い!」
  からわかれているのだと気づき、龍麻はむっとすると非難するように裏密を睨み据えた。しかし目の前の少女はやはりそんな龍麻にも動じた様子がない。ゆらりゆらりと明りの揺れる室内で、撫でるように水晶の周りへ両手をやって、瓶底の奥の瞳を燻らせた。
  龍麻にその瞳は見えなかったけれど。
「 ひ〜ちゃん〜。分かりやすくも実は分かりにくいものの方が〜。はじめから分かりにくい恐怖よりも〜。えてして怖いものなんだよ〜?」
「 ……何?」
「 ひ〜ちゃんが今、何よりも怖いのは〜きっと自分の気持ちだよね〜」
「 え……」
「 だから扉は〜開かないんだよ〜」
「 ………分からないよ」
  裏密の流れるように発せられる言葉を耳に入れながら、龍麻は扉の前で困惑したように立ち尽くした。すると裏密がやっているのだろうか、するすると傍の椅子が寄ってきて「座れ」というように龍麻の横にまで来て止まった。
  促されるようにして龍麻はそれに腰をおろした。
「 今〜怖かった〜?」
「 ……椅子が動いた事? ううん、別に」
  素直にそう答えると、そんな龍麻の返答に裏密は己の唇に初めて「普通」と思われるような笑みをそっと浮かべた。
  そして。
「 可愛いひ〜ちゃんは〜ミサちゃんも大好きだから〜。もう一個サービスしてあげるね〜」
「 あっ…!」
  裏密が発して指先を掲げたのと、龍麻が驚いた声とはほぼ同時。

  それはとても綺麗な「魔法」だった。

「 うわあ…」
  薄暗い闇の中で不意にぽつぽつと赤や青や黄の丸い光が浮かび上がる。蛍の光のようにそれらはゆらゆらと当てのないように、けれど意思を持ったように浮遊し、やがて龍麻の膝の上にまで来るとぽとりぽとりと力を失い落ちてきた。
「 あ」
  それらは購買部でも人気のフルーツのど飴。
「 ………凄い」
「 気に入った〜?」
「 うんっ。凄いね裏密さん! どういう仕掛け?」
「 キシシシシ〜。企業秘密〜」
「 そうかぁ…」
  あっさりと納得して膝の上の飴玉を見つめる龍麻に裏密はまた「ふふふ」と笑った。そうして彼女はおもむろに立ち上がるとスタスタと龍麻の傍にまで近づき、そのまますぐ傍のドアへ耳を傾けるような仕草をした。
「 ひ〜ちゃんひ〜ちゃん〜」
「 ん?」
「 耳を〜澄ませてみて〜」
「 え……あ」


「 ひーちゃん!! ここか、ここにいるのか!? くっそー開かねえ!!」
「 乱暴にするな京一!! 中でどんな実験が行われてるか分からんのだぞ! 扉を無理に蹴破って龍麻に何かあったらどうする!?」
「 何かあったら大変だから焦ってんだろうがー!!」


「 京一…醍醐…?」
「 ミサちゃん〜。どんな極悪人だと思われてんだろね〜」
「 ご、ごめん!」
  外でぎゃあぎゃあと無益な言い争いをしている2人に成り代わり、龍麻は咄嗟に謝った。裏密は何も悪くはない。それどころか急に迷いこんだ自分に対し、素敵な魔法を見せてリラックスさせてくれたのだ。まるで龍麻がここへ来るまでの経緯も全てお見通しといった態で。
「 ………」
  そんな不思議少女・裏密と並ぶ為、龍麻はゆっくりと椅子から立ち上がった。そうして彼女の視線を受けながら促されるように目の前の扉に手を掛ける。
  思わずハッとした。
  妙に軽い。開きそうだと思った。
「 ………俺、どうしてここに来たのか分かった」
「 んん〜?」
  ぴょこりと小首をかしげる裏密にちょっとだけ笑って見せて、龍麻はドア向こうにいるだろう2人を意識しつつ言った。
「 俺、怖かったんだ。このままでいいって思ってたのに、あいつらとの関係が急に変わってしまいそうな状況にさ…。だから逃げたくなっちゃったんだ」
「 ここは〜。心の避難所としては〜最適でしょ〜?」
  裏密のニヤリと言うその台詞に龍麻も思わず破顔した。
「 あはは。うん、そうだね。だって凄い占い師さんがいるし。いや、魔法使い?」
「 ひ〜ちゃん限定のね〜」
「 ……ねえ裏密さん。眼鏡取ったら可愛いって噂が立ってるの知ってる?」
「 失礼な〜話だよね〜」
  すぐに返した裏密に龍麻は「そりゃ知らない事なんてないよな」と思いながらすぐに自分も頷いてみせた。
「 うん、本当だよ。だって裏密さんは眼鏡のままだって十分可愛いし。それに、凄い人だもん!」
「 ポイントアップ〜?」
「 うん! すっごく!!」
  裏密の言葉に龍麻は更にもう一度大きな笑みを見せた。
  それから未だこちらの状況を知らずに騒ぎまくっている2人の様子に呆れたように目を細めた。
  どうした事か先刻まであれほど困惑していた気持ちが綺麗に消えてなくなっている。龍麻は貰った飴玉が丁度3つなのを手のひらを開いて確認してから、外へ出たら真っ先にこれをあいつらの口に入れてやろうと思うのだった。



<完>




■後記…飴玉貰って元気になっちゃうひーちゃんってのも大概子どもですね(汗)。ミサちゃん御しやすい感じ?しかしマジックセラピーってホントにあるらしいですよ。ミサちゃんのは手品じゃないですけどね。それにしてもひーちゃん、このお話では京一と醍醐に挟まれてやや三角関係っぽい様相を呈してます…が、彼はまだ今の生活にいっぱいっぱいで恋愛沙汰にまで頭が回らないご様子。単純に凄い人=ミサちゃんに惹かれてるあたり、さらりと攫われる可能性も大。ミサちゃんは隙あらばいつでもひーちゃんを喰らう用意がありますから(喰うんかい!)。