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「 ………」
部屋に入った一番奥の窓際の椅子に男―銀二は腰を下ろしていた。
「 こんにちは」
先刻から龍麻たちがドアの前でごちゃごちゃと話していた事は、その内容こそ分からずとも聞こえていたのだろう。またいつ入ってくるのかと心待ちにしているような、そんな目をして「彼女」はすぐに挨拶してきた。
「 こんにちは」
平然と応えながら龍麻は自分も銀二の真向かいにあたる椅子に座った。男は傍には寄らず、ドアの前に立ち尽くして龍麻たちの様子を眺めている。「俺は霊媒師じゃないんだぞ」と、そんな男に恨めしい気持ちを抱きながら、龍麻は改めて目の前の銀二を見やった。
「 う……」
いかついごつごつとした頬に赤いチーク。赤い口紅。かつらの髪にはこれまた赤いリボンがついていて、着ている服のあちこちにもリボンのフリル。
どぎつい。
普通の女の子でもこんなにド派手な格好をするだろうかというような、やっぱりコイツはただふざけているだけなんじゃないのかと、そんな想いを抱いてしまうような姿。
「 お兄ちゃん、私に何か用?」
けれど銀二のその声色、目つき、仕草全ては明らかに「別のモノ」だった。演技やなりきりでこうなる事も、可能といえば可能だろう。けれど龍麻には男の部下たちが恐れおののいて言った「何かに取り憑かれている」説も十分考えられると思った。
現に自分とてそういう危ない橋は何度も渡ってきているのだから。
「 君の事、訊きたいと思って来たんだよ」
龍麻はすうと息を吐き出した後そう言った。
「 訊いてもいい?」
龍麻が優しく問うと銀二はこくりと頷いた。
「 名前は?」
「 知らない」
「 年は?」
「 知らない」
「 ……何処から来たの」
「 知らない」
銀二は淡々と口を開き、それから落ち着かないように両足をばたばたと動かした。
「 困ってる?」
「 知らない」
「 君が知ってる事、ある?」
いよいよ急く気持ちがして龍麻が再度そう訊ねると、銀二はぴたりと足を止めてぐっと唇を噛んだ。
「 ……お兄ちゃん、嫌い」
そうしてぽつりとそう言い、ふいと横を向いた。
「 嫌いか…」
龍麻はすっかり困ったようになってちらりとドアの所に立っている男を見つめた。男も困惑したように軽く肩を竦めたが、どうしようもないのか特に声を出す事はなかった。
「 ……ふう」
龍麻はそれで1度俯いてから、もう一度顔を上げて特に宛てもなく視線を彷徨わせた。何かこの相手が反応するような会話はないものか。案外この手のものは身近なところにあるものだから…そう思ったのだ。
「 ん…?」
その時、龍麻はふと銀二の背後にある1本のペットボトルに気がついた。恐らくはここへ来る時にでも与えられたのだろう、中身は最近龍麻も好んで買っている新発売のミックスフルーツジュースだった。可愛いプリントがされたラベルは「今の銀二」の好みには合っていそうだが、「実際の銀二」とは程遠い代物だ。
「 あれ、君の?」
龍麻が言うと、銀二はちらりと振り返ってそれを見やり、「違う」と少々怒ったように言った。
「 ……違うの?」
おやと思って龍麻が再度問うと、銀二はうんと頷いてからごつんと椅子の足を乱暴に蹴った。
「 あんなの飲まないもん」
「 美味しいじゃない。俺はあの甘さが好きなんだけど」
「 子どもね」
フンと笑う銀二に龍麻はひくついた笑みを浮かべたが、落ち着け相手は「子ども」なのだと強く心に言い聞かせた。
そう、何故かその時龍麻は確信したのだ。相手は子どもだと。
「 ……君だって」
だからわざと馬鹿にするように言ってみた。
「 君だって子どもだろ」
「 違うもん」
「 子どもだよ。駄々こねてる。あるだけいいだろう、我がまま言うのは子どもだからだ」
「 違う。私はいつでも適当な大人に抗議しているの。子どもだからジュースをあげてればいいっていう、そういう適当さは絶対許せない」
「 は……?」
「 子どもだから玩具をあげてればいい、ケーキでもアイスでも甘い物でも与えておけばいい。時々誉めてやればいい。そういうの、ずるい。そういうの、何だか見え透いているもの。私をちゃんと見てくれてないのね」
「 いや…まあ…ご立派」
咄嗟にどうしようと思って龍麻が男を見ると、男も予想通り呆気に取られた顔をしていた。
しかし龍麻とは違う方向での「驚き」だったようだ。初めて2人の傍に近寄ると、銀二に向かって声を出した。
「 京香の静穂お嬢さんかい……」
「 え?」
龍麻がきょとんとして男を見ると、まるでその隙をついたように目の前にいた銀二のばたついていた足がビタッと止まった。
それで男はますます得心したように頷いた。
「 やっぱりそうか。いや、お懐かしい…。何してるんですか、お嬢さん」
「 ……その言い方やめて」
男の発言に少女はひどく不機嫌そうな低い声を発し、同時にゆらりと肩先を揺らした。
その少女の些細な動作と、それはほぼ同時だった。
「 うわっ…!」
「 くっ…!?」
窓も完全に締め切った状態の室内の中、突然激しい突風が銀二の周りから吹き荒んだ。いきなりの事に龍麻は椅子ごと倒れかけ、男はまともにその風を喰らって再びドアの所まで飛ばされた。
「 おじさんっ!」
それに龍麻が声をあげると、明らかに風を作ったのだろうその銀二―…否、銀二の姿を借りた少女はじろりと龍麻の事を睨み据えた。
そして言った。
「 やっと正体が分かってもらえたみたいだからもう行くけど…。貴方も私が言った事、覚えておくといいわ」
「 えっ!?」
「 貴方、私に近い氣を感じるから。だから話してあげる気にもなったんだから…。でも、大人にいいように使われている間は、まだ駄目よ……」
「 ちょっ…!」
けれど龍麻が突風を全身に受けながら尚少女に語りかけようとした直後。
「 ………?」
まるで今の嵐が嘘のように、それはぴたりと止まって銀二もバタリとその場に倒れ込んだ。
「 ……何なんだ」
ボー然として呟く龍麻に、ドア付近でしこたま背中を打ったらしい男も「参った」と小さく声を漏らしていた。
「 知り合いなの?」
ホテルのレストランでオレンジジュースを飲みながら、龍麻は向かいに座ってコーヒーカップを手にした男に問いかけた。
「 近くに住む親戚だ……と言っても、最近じゃ全く交流はなかった。昔はよくうちの組にも遊びに来ていたが、
1度キレたきり来なくなったな」
「 キレた?」
「 静穂は天然記念物もんにませたガキでな。気位も高いし両親が我がまま放題に育てたもんで、性格も最悪だ。だが、うちの若い連中は…いや、ジジイどももか、静穂をエンジェルだ何だと言ってやたらと猫可愛がりしていた。いい面汚しだから俺はいい加減にしろと常々言っていたんだが」
「 むさくるしい世界に咲いた一輪の花だったんだ」
「 見た目だけはな」
男はコーヒーのせいなのか、その静穂の数々の所業を思い出したせいなのか、苦虫を噛み潰したような顔をしてから続けた。
「 ところがあいつは何が気に食わなかったのか、ある時突然いつも良い遊び相手になっていたはずの銀二にキレたんだ。もうこんな所には2度と来ないと言ってそれっきりだ。…あの時の銀二はうちの連中に総叩きにあって悲惨だった」
「 ううーん」
龍麻はストローを口から放して大袈裟に腕を組んだ後、ようやっと合点がいったというように嘆息した。
「 なるほどね。おませさんにはおませさんなりの苦悩があったって事」
「 苦悩? あのガキが?」
「 ガキが生霊になってヤクザに乗り移るなんて、よっぽどのパワーがないと無理だって。…って。あの子、まだ生きてるでしょ?」
「 そうだが…。何で分かった?」
「 死んでるにしちゃあ、やけにイキイキしてたし」
なるほどと男は小さく笑い、それから龍麻の事をまじまじと見やった。
「 何?」
「 いや。龍麻君にはあのお嬢さんの苦悩ってやつが分かるのか、と」
「 分かったよ」
「 俺にはさっぱり分からんがね」
「 それはおじさんが大人だからじゃない?」
龍麻はふふと意味ありげに笑ってから、座っていた椅子の背もたれに寄りかかった。
「 子どもも色々大変なんだよ。大人からみたら凄くくだらない主張なんだろうけどさ」
「 ……そうだな」
「 で、多分、その静穂ちゃんは銀二に惚れてる」
「 はあ?」
「 俺には分かる」
「 ……いや、本当に参った」
男ははっと鼻で笑ってから、「さてと」と腕時計をちらと見やった。
「 何にしろ、やはり君を頼って正解だった。君がいたから彼女も銀二から出てってくれたしな。それで当初の予定通り、お礼がしたいんだが」
「 いいよ。いらない」
「 どうして」
龍麻のあっさりとした返答に男が不満気な顔を見せる。
それでも龍麻はもう一度「いいよ」と言うとため息混じりの声を出した。
「 俺も色々勉強させてもらったから。何かを主張する為に生霊になろうとは思わないけど…。今ならさ、仲直りできそう」
「 ん? 喧嘩した恋人とか?」
「 そう」
「 どうしてだ?」
意外そうに目を細める男に、龍麻は困ったような顔で曖昧に笑った。
「 んー…。うまく言えないけど、甘いもんばっかり与えられるのは適当に扱われてるんじゃなくて、その人なりの愛情表現なわけで。適当だって感じて怒るのは八つ当たりみたいなもんなんだよな。勿論、あの子の言う事全部が間違いだなんて思わないけど」
「 ん?」
「 いいよ、分からなくて」
片手をひらひらと振って龍麻は「忘れて」と付け足した。そうして男を改めて見やり、「何だかさあ」とからかうような目を向けた。
「 おじさんとこうして話すのは2回目だけど。いよいよ他人って関係でもなくなってきた気がするんだ。友達でもないけどね」
「 知り合い?」
「 そうだね。それくらい」
「 ふ……」
「 それじゃあ」
「 送っていくよ」
「 いいよ。ああいう車、ちょっと苦手」
「 そうか」
意外にすぐ引き下がった男は、龍麻が立ち上がって「ご馳走さま」と言うとすぐに応えるように片手を挙げた。
そして龍麻の去り際思い出したように。
「 今度会う時は車を変えておくよ」
そう言った。
「 はは」
だから龍麻も別段その発言を深く捉える事なく、すぐに頷くと自分も軽く手を挙げて「楽しみにしてます」と応えた。
龍麻がホテルを出ると既に外は夕闇も落ち、辺りは大分暗くなっていた。
「 紅葉に…何か買っていこうかな」
校門を出る前よりひどく軽い気持ちを抱きながら、龍麻は自分を待ってくれているだろう恋人の名を口にした。思えば本当にくだらない喧嘩をしたものだ。今となってはあれは全部自分の「八つ当たり」なんだと理解できる。子ども過ぎる子どもの静穂に「お前は子ども」と馬鹿にされたのは面白くないが、返す言葉もないとはこの事だ。龍麻は多少情けない思いでひとつ息を吐いた。
「 あ…また…」
早く帰って自分を待っているだろう恋人に会いたい。そう思いながら、けれど龍麻はふと足を止めて呟いた。
ああ、そういえばまたあの男の名前を訊かなかった…と。
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